わたしのしんぞう



 あの得体のしれない化け物≠ヘ、サーヴァントを通してその英霊のすべて――人類史ごと、すべてを飲み込んでいるらしい。

「出撃サーヴァント消失! 先輩!」
「ま、まだ……まだ行ける!」
「一旦休憩だ藤丸。大丈夫だ、深呼吸分の余裕くらいはある」
「カドック……うん、わかった」

 揺れる車内で、だれもかれもが必死だった。この緊迫感は嫌でも時間神殿の戦いを思い出させる。
 ダヴィンチちゃんは「あれよりももっと酷い」と震えた声をこぼしていたけれど、どうだろう、私にとっては、祈る以外の道があることが、ほんの少しだけ救いだった。

「クラス、変更しました! 次はアーチャーです!」
「! ……わか、った……、あ、っ」
「先輩っ……!」

 震える脚にはもう力なんて残っていないのだろう、よろけた彼女の肩にマシュが泣きそうな顔で手を伸ばす。大丈夫、というほどに大丈夫なんかじゃないことは、この場の誰もが感じていることだった。

「もう少し、もう少し、なんだ……」

 崩れ始めた化け物をモニタ越しに睨みつけ、彼女は独り言のように言葉をこぼす。ああ確かに、彼女の言う通りもう少しではあるのだろう。しかしそのもう少し≠ニいうのは、いったいいつまで続くだろうか? 今、力を振るえば振るうほど奪われていくこの状況で、出し惜しむことしか選択できないこの状態で、いったいその瞬間とやらはいつ訪れてくれるだろうか?

 次かもしれないし、その次かもしれない。それよりもっと、次の次の次の……

「マスター」

 私のすぐ隣で、普段通りのランサーの声がする。私は振り向かない。彼の言いたいことは理解しているし、私もそうすべきだと心から思っている。
 ……ほんの少しだけ、戸惑う気持ちもあるけれど。

「――立香ちゃん」

 少女たちが私を振り返る。
 あの時とは違う、モニタ越しではない、目の前にある二人分のまなざしが、私を見た。



「次は私とランサーが出る」



 一瞬だけ、時が止まったような静けさがあった。
 まず口を開いたのはマシュだった。
「し、しかし、神埼さんのクーフーリンさんは……」
「しかしも何も、今、一番出撃すべきは私たちだよ」
「でも、でも……」
「……そうだね、うん、神埼ちゃんの言うとおりだ」

 割って入ったダヴィンチちゃんが、少しだけ眉根をひそめて続ける。

「問題があるとするなら――神埼ちゃんのクーフーリンの情報の多くがノウム・カルデアの霊基グラフには記録されていない、ということだけ」
「そうだね、だけど、そんなことを言っていられる状況ではないので」

 ここを切り抜けられないのなら、そんなことに意味などないので。私も彼もそれを理解しているからこそ、ここ一番で手を挙げた。

「だって、それじゃあ、消えてしまうかもしれないんですよ。お二人が、どんなに、どんな……!」
「構わない、彼は特別じゃない」

 特別なんて許されない。何より私が許せない。
 あの時、人理修復の旅路で、ただ祈ることしかできなかった無力な私が、きっとその選択を許さない。

「……ありがとうマシュ、それから立香ちゃん。悲しんでくれる人がいるのは、嬉しいな」

 それでも、出し惜しむべきだけど、出し惜しんではいられない。私が彼の名前を呼ぶと、彼は当然のように「おう」とだけ言って寄越した。

「私も出る」
「おー、……ま、言うと思ったよ」

 言葉とは裏腹に愉快そうに口の端を持ち上げた彼の肩を軽く叩く。止める者は少なかった、ただひとり、新所長だけが声をあげていたが、私はそれには何も応えなかった。それが私の意志の強さを、彼等に伝えることになっていれば良いと思う。

「落とすよ、ランサー」

 ハッチに出て、私は彼の背中に言った。

「おうよ、……別に、保護者マスター付きじゃなくたってしっかり仕留めて帰るぜ、俺は」
「つれないこと言わないでよ、ランサー。最期かもしれないんだから……貴方が成せなきゃ一緒に死んでやる」
「熱烈だねえ、ま、そんなことにはならねえよ」

 嘘を言っているつもりも冗談を言っているつもりもなかった。彼だってそれを承知の上で、偽りない言葉を返してくれていた。

「――見てな、マスター。俺がここであいつを止めてやるさ」



 そう言った彼は、宣言通り、あの化け物を討ち取った。
 あの、化け物の――そう、本体なんかじゃない、抜け殻の方を。



「ラ――」

 それに気づいた時、すぐに彼の名前を呼んだ。
 打ち倒したのだと安心して肩を撫で下ろした瞬間に、何故か彼がそれから目を離さないことが気になって、その視線の先を見た。
 光る円盤を見た。ノイズの走る視界に、確実な自身の死≠見た。一瞬の安堵油断で私は死ぬのだと、どこか絶望より諦めの気持ちで、最期に一目、と彼の方へ手を伸ばす。
 振り返った彼は、仕方がないとでも言いたげに微笑んでいた。

 そうして、彼が私の手を取って——

「——じゃあな」

 それだけを言って、真後ろに私は投げ飛ばされる。彼の満足そうな顔が遠のいて、ボーダーのハッチに背中を打つ頃には、彼は他のサーヴァントと同じように結晶の塊に変化していた。

「あ」

 瞬きをするほんのコンマ一秒、涙が溢れるより先に、その塊は砕け散った。……それから、どうやってボーダーの中に戻ったのか、何が起こっているのか、そのほとんどを覚えてはいなかった。
 とにかくあの本体を倒さないことには、何も解決しないのだということだけは確かだった。

「……っ、大丈夫、私、もう出れる!」
「ああ、そうだね——頼んだよ、立香ちゃん」

 ——情けない、私は結局、たったの一戦で心が折れてしまっていた。彼を失うほどの犠牲を出してもなお、危機は依然目の前にあるという事実は、私の心を折るに足るものだったのだ。
 嗚呼、嫌だ、後悔なんてしたくないのに、あんなことするんじゃなかった、と、そんな気持ちが浮かぶことが、情けなくて泣きたくなった。
 
 構わない、彼は特別じゃない。
 彼だけが特別なんて許されない。

 ……なんて、強がったけど私、本当はとても怖かったの。
 貴方が本当に居なくなったことなんて、ずうっと、なかったもの。
 不安な夜は手を握って、泣きそうな私を助けてくれた。
 不安な夜は、手を……。

「……てを、にぎって」

 私の手を。
 お願い、そうじゃないと私。

 ——まるで心臓いちばんたいせつなものを失ったみたいだ。




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