主人公にはなれない私たちの*





 ※奏章2のエピローグまでのネタバレあり




 彼女にあった 綺羅星の輝きが——私にはなかった。

 ただ それだけのこと。



 
「……何見てんだ、こんな時間に」
「…………今回の、報告書」

 薄暗い部屋の中、突如その影は現れた。見知った顔だ、しかし、モニターの明かりだけがその輪郭を浮き上がらせていて、そのせいか普段より顔色は悪い。おそらく、彼からは私も同じように見えているのだろう。心配とも侮蔑とも取れない表情で彼は手にしていたカップを差し出した。

「ありがとう。……珍しいね、ランサーが気を利かせてくれるの」
「んなことはねぇだろうが」
「そうかな? そうかも……ん、これ、コーヒー?」

 てっきり私の好きな甘い飲み物だと思って口をつけると、未だ飲み慣れない苦味が口いっぱいに広がった。中身が黒く見えるのは部屋の暗さのせいかと思っていたが、どうやら本当にブラックコーヒーだったらしい。

こういう時・・・・は苦い方が良い、だったか」
「驚いた、何でわかるの?」
「前に自分で言ってただろ」
「そうだったっけ」

 そんな記憶はないが、彼の言葉は正しい。こういう、うまく飲み込めないものと向かい合う時は、……うまく飲み込めないものを口にするのが、何だかしっくりくるのだ。
 
 今回の、報告書。——人類最後のマスター、藤丸立香の内部に発生した極小特異点。……そして、解決と同時に、影を残して消えた復讐者アヴェンジャーたち。その顛末を、詳細を、本人の手で書き連ねさせた、書類の束。
 
「……こんなもの、本人に書かせるべきじゃない……」

 けれど、本人以外にもはや語れる口もなく。

「……そんなに読みたくねえなら読まなきゃいいだろ、お前一人くらい、流し読みでもここは回る」
「そうだね、だけど、知らなきゃ。……知って、何を肩代わりできるわけでもないけど、せめて、目を逸らすのだけは、しちゃいけないと思うから」

 彼女自身の言葉を目で追う。その気持ちを想う。わざと言葉を濁しているであろう箇所に、その理由を想う。当事者でない私にできるのはこれくらいなのだと、苦いコーヒーと共にその事実を私は飲み込んだ。

 ——復讐は、どんな味がした?

 誰かが耳元で囁いた。——気がした。全て気のせいだ。そもそも、彼女は 復讐それに呑まれなかった、だからここに彼女はいて、 アヴェンジャー 復讐者たちはここに居ないのだ。

「……ランサーは、どう思う?」
「なにが」
「——復讐。……自分がもし同じような選択を与えられた時、何を選ぶと思う——?」

 はっ、と、彼は吐き捨てるように一笑して「はもう答えが出てんだろ、お前がそれを聞くのか」と近くの壁にもたれるようにして姿勢を崩す。ちょうどモニターの光の届かない位置にずれ込んで、そう言った彼の表情は見えなかった。

「そうだったね、そういう、伝承がある」
「お前は……まあ、訊くまでもねぇけどよ」

 今度は私も小さく微笑んで、「そうだね」と答えて目を伏せる。そう、きっと——私も、その力があるのなら、迷うことなく復讐の道を行く。
 心にどれだけ綺麗な思い出を持っていても、それすら血に染めることになっても、目に入るもの全て焼き尽くして——その末にようやく流せる悲しみと涙を、求めずにはいられない。

「なら、まぁ……いいじゃねぇか、俺もお前も、同じだろ」
「違うよ」

 少なくとも、今の私はその味を知らない。何かを燃やし尽くしたいほどの怒りには心当たりがあるけれど、復讐の記憶はない。——私には、その力がなかったから。

「正直、ほんの少しだけ羨ましい」
「——誰が」
「ランサーも、アヴェンジャーたちも。……選択肢のあった、誰も彼も」

 こんな言葉を聞かれれば誰に刺されるかわかったものでもない。それくらい不躾で不謹慎なことだとわかっていたが、彼だけになら聞かれても良い、聞いておいて欲しいと思って口にした。……彼は黙って、私の背後に立ち続けている。

「……私は選ばなかったんじゃない、選べなかったんだ。無力で、臆病だから」
「——……後悔でもしてんのか」
「いや……——いや、どうだろうね……でも、だからあの子は希望で、私ではそれ・・になれないんだって、思うと、少しだけ……」

 彼の数歩分の足音が、俯いた私の背後に迫る。うじうじするな、面倒くさいことを考えてんじゃねぇよ、そんな彼の言葉を想像して、「だよね」と笑う心の準備だけをした。

「——別に、それでいいだろうが」
「えっ?」

 振り向きかけた私の背を大きな手がぐいと押す。自然と丸まっていた背筋は伸び、わずかに高くなった目線の先、彼のくれたコーヒーが軽快に笑うように揺れている。

「いいかマスター、俺は戦士だ。 騎士じゃねぇ・・・・・・。お前それを、騎士らしくあれと思ったことあるか」
「な、ない、けど」
「一緒だよ」

 彼は真横に立つ、手は私の頭を撫でている。顔を上げればすぐに目が合うその距離で、どうしてか私は動くことをしなかった。

「……お前は、お前で良いだろ。少なくとも、俺にとっちゃ上等なマスターだ」
「……っ」

 私が思わず息を呑むのを、彼も気がついただろう。

「いつもはそんなこと言わないのに」
「そうか? まぁ確かにもちっと色気がありゃあいう事なしなんだが」
「……本当に一言多い。いま、少し見直したところだったのに」

 でも、ありがとう。小さく呟いた言葉に、彼は「ん」とだけ返した。名前もうまくつけられないようなこのどうしようもない気持ちにも、彼がそばに居るだけで負けずにいられるような気がした。
 けど、だからこそ——やっぱり、私では人類の希望足り得ないのだと実感する。

(きっと、私は——この人を失うくらいなら、前に進むことなんて簡単に諦めるだろう)

 他の全てを犠牲にしても、それで嫌われることになっても。
 私は、……きっと振り向いた。
 
 
 
  南極 終わりは近づいている。
 また、選択肢は私にはない。
 
 けれど、もし。
 ……もし私が選んでも良いのなら。
 
 きっと。
 




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