おやすみマスター= かしゃん、
何かが落ちた、ような気がした。
「……?」
辺りをゆっくりと見回してみる。だが何かが変わったということもなく、いつも通りの私の部屋だった。
言峰教会にある自室、そのベッドの上で私はなんでこんなところにいるんだろう、と首を傾げた。
「自分の部屋にいたってなんもおかしいことはねぇだろ」
すぐ隣でランサーがやれやれと肩をすくめる、いつの間にそこにいたんだろう。だがそれもそうだ、私は彼におはようと挨拶をして立ち上がる……おはよう? 今は一体いつの何時なんだろう。
「早く支度しろよ、嬢ちゃんたちが待ってるぜ」
誰が、どこで? よく覚えていないけど、私はどうやら誰かと約束をしていたようだ。
「おいおい、本気でボケちまったのか? 今日は遠坂の嬢ちゃん達と出掛けるって言ってなかったか?」
「あ……っ!」
そう言われて思い出した。そうだ、今日は確か、凛と、桜と、イリヤと、それから衛宮先輩も誘って、みんなで新都に出掛ける予定があるんだった。
「涼〜?」
「ご、ごめんちょっと待って!」
扉の向こうから凛が私を呼ぶ声が聞こえ、慌てて返事をする、時計を確認するとすでに約束の時間はとうに過ぎていた。
「もう、そんなことだろうと思った……あんたのその寝坊癖どうにかしなさいよ」
「遠坂も朝は弱いだろ」
「あのね衛宮くん、もう朝って時間じゃないし私はここまでひどくはないわよ!」
「ね、姉さん、落ち着いてください」
賑やかな声が聞こえてなんだか少し安心――? した、みんなは今日も元気みたいだ。
「おら、お待ちかねだ、早く着替えろよマスター」
「だったら部屋から出ててよランサー、着替えられないでしょ」
「今更何を恥ずかしがるもんが……あいたっ」
ランサーを肘で小突いて外へ出させる。服やバッグは昨日のうちから用意しておいてよかったと思う、本当に。
顔を洗い、歯を磨き、さっさと着替えて外へ出る、「お待たせ!」と声をかけると、みんながそこで待っていた。
「いやー悪いな、うちのマスターが迷惑かけてよ」
「そうね、わざわざ迎えに来てあげたんだから感謝しなさいよね」
「うっ……ごめん」
凛が呆れたようにそう言った。悔しいが悪いのは私なので何も言い返せない
「そんなこと言って姉さん、姉さんが一番最初に迎えに行こうって言い出したんじゃないですか」
「そうよね〜、心配だから……とかいっちゃって〜」
「さ、桜っ! イリヤっ!」
真っ赤になった凛が二人に抗議する。イリヤは「凛こわーい」と言いながら衛宮先輩に抱きついて、それを見たリンと桜が驚いたような怒ったような顔をしたり、先輩はそれに気づかないまま少し頬を染めながらイリヤに「は、離れてくれ……」なんて頼んでいる。賑やかなことだ。
本当に、本当に賑やかな――
「外出かね」
背後から優しい声がして振り返る、そこに立っていたの私の大好きな、あの人だった。
「綺礼! うん、みんなと遊びに行ってくる」
「そうか、遅くなる前には帰ってこい」
「わかってます!」
ならいい、と彼の大きな手が私の頭を撫でた、温かい、私はこの瞬間が一番――
かしゃん、
――いちばん?
「しあわせ……」
幸せ、幸せとは、なんだったか
目の前で微笑む彼を見上げる、それは確かに私の知っている彼だ。その手の大きさだって、黒水晶のような瞳だって、少し意地悪で、だけど気まぐれに優しさを見せる、彼の――
彼の、彼は、
なんで、ここに?
「何もおかしいことはないだろ」
ランサーの声が聞こえた。いつの間に、いつの間にこんな近くに、いたのか、
「お前の欲しいもの全てがここにある、それだけだ……何もおかしくなんてない」
ランサーが、いて、
桜が、衛宮先輩と笑いあってて、
それを見た凛が優しい声で「よかった」と微笑んでる、
イリヤは全部わかってるって顔で、普通の女の子のように笑顔で、
そして綺礼が、綺礼がそこに、いて、
「ち、ちがう、」
違う、これは違う、だって、彼は――
「……戸惑う必要なんてないだろ、これで、いいんだ」
背後からランサーの手が伸ばされて私の視界を奪う。
「だから、このまま眠れ……安心しろ、俺はここにいるからよ」
「あ……」
その言葉に体から力が抜け、手にしたロザリオが地面に落ちる。暗闇の中でその音だけが耳に響いていた。
かしゃん、
「……クー・フーリンくん、神埼くんはまだ起きないのかい?」
技術顧問、ダヴィンチの心配そうな声に、俺は素っ気なく「あぁ、」とだけ返して、こいつが落としたロザリオを拾い上げた。
「彼女が唐突に眠りについてからもう一週間……流石にそろそろ、目覚めてもいい頃だと思うけど」
カルデア内の一室……神埼の部屋で、横たわったままの彼女の頬に手を添える。
脈拍は正常、呼吸に乱れもない、時折何かを呟くように唇が動く。
眠っている……ただそれだけだった。
「やはり何かあったのかもしれない、彼女の夢の中に直接干渉して……」
「それはダメだ」
提案は却下する、この夢を今終わらせてやりたくはなかった。
「やっぱり、君以外は手を出すなって言うのかい?」
「あぁ、悪いな」
「……それで彼女が帰って来られるなら私はそれで構わないさ」
ロザリオをもう一度彼女の手に握らせてやると、その瞳から涙が一筋溢れ落ちる。
「悲しい、夢なのかい?」
「いいや……幸せな夢さ、もう少しだけ起こさないでいてやってくれ」
すでに人理修復はなされた、今ほんの少しの間くらいなら彼女にだって幸福な夢に溺れる時間があってもいいはずだ。
……いいはずなんだ。
「そうか……うん、それなら、後は君に任せたよ。――キャスター」
あぁ、と返して部屋を出るダヴィンチを見送る。
……あと少し、あと少しだけ、俺にお前のの幸せな夢を守らせてくれ。
「……マスター」
かしゃん、
clap!
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