本の一冊、想い人の一人



「くだらん、そんなものは他のやつにでも頼め」
「そこをなんとか……!」

 お願いします! と手を合わせる私に、小さな肩をこれでもかというくらいすくめながら、ハンス・クリスチャン・アンデルセンはため息を吐いた。

「いいか、そんなものは童話作家おれではなく演劇作家に依頼すべきだ」 
「おや、お呼びですかな?」

 にょきり、と本棚の裏からシェイクスピアが生えてくる。

「そ……うかもしれないけど、シェイクスピアに相談すると……あんまりいい結果にならない気もして……」
「ハッ! 贅沢な悩みだ。それと、俺に相談すれば良い結果が生まれると考えているようだが、過度な期待と言わざるを得ないな。お前が警戒しているのはマクベスの作家・・・・・・・か? 悲劇がお好みでないのであれば 人魚姫の作者 アンデルセンに声をかけるのも愚策だと言えるが」
「ええと……」

 小さな口からスラスラと溢れる嫌味の連続に圧倒されつつも、私は当たり障りのない言葉を探す。

「悲劇がどうこうというより、シェイクスピアは、なんていうか……劇的にしすぎるところがあるというか」
「ははは! 人生とはそれ・・でこそですぞ! ところで、なんの話ですかな」
恋文ラブレターの書き方を指南してほしいんだと」
「らっ……!? ラブレターでは! ないです! その……物語の書き方を指南して欲しくてっ!」
「ほう」

 興味を引かれたのか、アンデルセンがほんのわずかに眉を動かす。その視線に促されるように、私は言葉を探した。

「……これまでの旅のことを、ちゃんと書き留めておきたいなと思って」
「それで?」
「えっ」
「それだけなら日記でいいだろう、わざわざ物語の書き方など聞く必要がない」
「いや……それは、そうなんだけど……」

 ぐうの音も出ない正論に口ごもる。実際、記録を残すことだけが目的であれば、日々の出来事を順番に書き連ねるだけでも構わない。適当な手帳を開いて、どこへ行った、何をした、何を思った。それを書くだけでも目的は達成できるだろう。しかし、

「……報告書みたいなのは、嫌で」
「嫌、ですかな」
「これまでにも、たくさん書いてきたから。どこで何があったとか、何を倒したとか、どういうことが起きたとか……そういうのは、もういいかなって」

 自分でも何を言っているのかわからなくなってきて、声がどんどん小さくなっていく。

「せっかくなら……ちゃんと、読めるものにしたくて。……本、みたいな形にできたら、いいなって」
「自伝ということですな!」
「うっ……はい……」

 シェイクスピアの朗々とした声に、思わず肩が跳ねる。改めて言葉にされると、途端に恥ずかしくなってしまった。

「……なんか、その、自分の人生を本にしたいなんて、ちょっと大層過ぎるかな」
「——まさか! 何を恥ずかしがることがありましょうか!」

 シェイクスピアは大仰に腕を広げ、さも当然のことのように胸を張る。

「『 人間の一生 Lifes 彷徨い歩く but a walking 影法師 shadow 哀れな役者 a poor に過ぎぬ player』――とは申しますが」
「……それ、あんまりいい意味ではない気がするね」
「まあ、つまり! 人生とは誰もが己に与えられた役を演じる物語! それを書き留めることの、どこに恥ずべきことがありましょう!」

 やはり大仰なその言い草に、アンデルセンのため息がひとつ増える。

「まあそういうことだ、やりたければ勝手にやるといい、俺は関係ない」
「あ、いや……いやいやいや、だからですね、手を貸してほしいんですよ。スマホとSNSが主流の時代では、わざわざ長文で文字を認めるなんてまずやらないので……」
「ふむ。なんにせよ、アンデルセン殿に頼むより、司書である紫式部殿に頼む方が早かったのでは?」
「それは……もう、声はかけてみたんですけど……」

 それはつい先ほどのこと——

 物語を書いてみたいのだと相談した私に、紫式部は快く笑顔で頷いてくれた。問題は、そこへ清少納言が……凪子さんが乱入してきたことである。
 気がつけば二人は私の書いた文章について、あれやこれやと好き勝手に話を広げ始めていた。こちらとしてはまだ完成もしていない文章を読まれた時点で十分に恥ずかしいというのに、さらにその内容についてああでもない、こうでもないと盛り上がられたのである。
 それだけでもすでに顔が熱くて爆発しそうだったのに、そこにランサーが通りかかったものだから——紫式部の泰山解説祭が発動する前に……! と、急いで図書館の奥へと避難してきたのだった。

「……ちょっと、恥ずかしい思いをしまして」 
「なるほど、つまり俺は補欠要因というわけだ」
「ああいや違う違う違います! その……順にいろんな人に話を聞くつもりで……!」

 アンデルセンがいかにも面白くなさそうな顔でこちらを見ている。嘘ではないのだが、死ぬほど居心地が悪い、彼に話を聞くのは諦めたほうがいい気がしてきた。

「はて、クー・フーリン殿が来たからといって、なにを恥じらうことがあるのでしょう」
「それは、その……」
「こいつのことだ、どうせクー・フーリンのことを中心に書いているのを本人に読まれたくないんだろう」

 ぎくり、と肩が跳ねる。

「なっ……なんでわかるんですか?」
「普段のお前を見ていれば、誰だってわかる。それこそどんな鈍い人間でもな」
「なるほど! だから恋文と!」
「だ、だからっ、違いますって!」

 即座に否定したものの、先ほどまで以上に声が大きくなってしまった。
 違うのだ、そう、違う。これは恋文ではない。
 ただ、これまで歩いてきた旅の中で、彼の姿があまりにも頻繁に登場するというだけで——ただ、それだけのことで——

「……まあ、とにかく、そういうことなので」

 話題を強引に切り替えるように、私は咳払いをした。
 以前の私であれば、世界的な童話作家にこんなことを頼むなんて、とんでもないと身を引いていただろう。
 けれどいくつかの『やりたいことリスト』を消化していくうちに、少しくらい図々しくなってもいいのではないかと思えるようになってきた。

「……ちょっとしたアドバイスでもいいんです。何から書けばいいのかとか、どうすれば筆を進められるのかとか……そういうことを、少しだけ」
「……はあ」

 アンデルセンは大きくため息を吐いた。けれど、その顔は先ほどまでのように完全な拒絶ではないようにみえた。

「仕方ない、少しくらいなら口を出してやる。いいか——完成させるコツなど、ない。以上だ」
「えっ……」

 ——と、思った途端に、これである。

「そもそも初めから言っているだろう、聞く相手を間違えている、とな。筆の進め方だと? そんなもの俺が知りたいくらいだ、馬鹿め」
「え、ええ〜……そんな……」
「ははは! 吾輩もどちらかと言えば感覚派ですな、お教えできることはないかと!」
「だ、そうだ」

 がっくりと項垂れる私を一瞥して、アンデルセンはふと口元を歪めた。

「まぁだが、完成度を上げる方法なら助言をくれてやろう——そういうことであれば、本人に読ませるのが一番早いだろう? お前の話の中心人物に、だ」
「そ、れは……、……検討、します……」
「ああ、そうしろ」

 そう答えはしたけれど、実際の決断だけは——まだ、もう少し先の私に任せることにした。 





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