喫煙者の戯れ



 今日、なぜか上手くいかないことばかりだった私は、トボトボと一人廊下を歩いていた。小さく吐いたため息は誰に聞こえることもないまま廊下の壁に吸い込まれる。

「疲れた……」

 予期せぬエラー、予定にないトラブル、想像していなかった問題……全部意味は同じか、とにかくそういったものに対応するのが私の仕事の一つだとわかってはいるものの、多い時はどうにも気が滅入る。
 それに、なんだか今日は調子が悪い、何事も後手後手に回って余計な手間が増えている気がする。こんな時は気分転換が必要だ、と目的地である喫煙室の扉に手をかける。一服一服、とにかく少し休んでしまおう。

「お、珍しいなマスター」
「わー、ランサーじゃん……」

 少し狭いくらいの個室の中で、タバコを咥えたランサーが、私を見て軽く手をあげる。私も同じようにそうしてから、彼の隣に立ち並んだ。

「なんだ、上手くいかないことでもあったのか?」
「ご名答……だからちょっと脳を休めようかと思って」

 自分の持っていた箱から一本、タバコを取り出して口に咥える。火をつけようとライターを探してポケットに手を突っ込んでから、あぁ、と落胆の息を吐いた。

「ライター忘れたわ……ごめん、ランサー、火貰ってもいい?」
「いいぜ、ちょっとこっち向け」

 快い返事にホッとしてから、大人しくランサーの方へ顔を向ける。すると彼の手が私の頬に触れ、私は驚いてその場で固まってしまった。てっきりキャスターのようにルーン魔術で火でも出すのだろうか、と油断をしていたもので、その行動に私は対処できずされるがままに彼の接近を許してしまう。

「ん……」

 そして、私の咥えたタバコと彼の咥えたタバコの先端が重なる。ジジ、と先端が赤く燃えているのを見つめる彼の瞳は伏せられていて、長い睫毛が彼の目元に小さく影を落としているのが嫌でも視界に入った。それくらいの距離に彼の顔があった。
 ──近い。
 あまりの衝撃に呼吸すら止まってしまいそうだ。

「……おい、ちゃんと吸えよ、火がうつらねーだろうが」

 そんな呆れた声で彼がようやく私から手を離す。私は彼から距離を取るように後ろに身を引き「ら、ライターとか貸してって意味だったんだけど……っ」と彼から目をそらした。

「あ〜……そうか、はいよ」

 手渡されたのは普通のライター。つまらなさそうなランサーとは対照的に、私は少し安心しながらそれで自分のものに火を付けた。

「なんだよ、初心な子供でもあるまいし」

 ふぅ、と彼の吐いた煙が私の顔にかかる。ムッとすると同時に、それが何を意味するのかを思い出して少しだけ頬が熱くなった。……その意味くらい、理解してる、それこそ、初心な子供じゃあるまいし。
 だがそんな俗説、いちいち間に受けるのもどうかと思った私は、ぷいとそっぽを向いた。

「もう、本当、からかわないでよ」
「からかってねぇよ」

 本気だ、と彼の瞳が細まる。真剣な表情をしてそんなことを言われてしまえばこれ以上茶化すこともできず、私は真っ赤な顔のまま気まずさに俯いた。こういう時の彼は、ちょっとずるいと思う。

「……今日、遅くなるかもしれないし……」
「お前の部屋で待ってる」
「……う、じゃあ……早く終わらせられるように、頑張る……」
「ん」

 私の頭を撫で、満足そうに笑ってランサーが喫煙室を出て行く。ずるい、本当にずるい、今夜私はどんな顔をして部屋に戻ればいいっていうんだ。
 灰皿に残る彼のタバコを見つめながら、私は真っ白のため息を吐いた。




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