好きって言えない



 私たちが口を閉ざしてから一体どれだけ経っただろう。微妙な、なんとも言えない微妙な空気感の中、彼のため息が一つ静かな部屋に響き渡った。

「で?」
「……で、と言われましても……」

 へへ、と笑ってごまかし目をそらす私に、彼がもう一つため息を吐く。

「あのなぁ、お前が話があるって言ったんだろうが」
「そ、そう、なんだけど……」

 つん、つん、と両手の人差し指を付き合わせて「困ってます」アピールを試みる。が、彼は寝台に座る私を見下ろしたまま、「それで?」と話の続きを催促してきた。

「えー……と、そのですね、大したことではないのですが……」
「だったら早く言えよ」
「いやでも大事な事といえば大事な事で……」
「だーかーらー、早く言えって言ってるだろうが」

 少しだけ苛立つ彼の様子に、私も流石に覚悟を決め背を正す。大きく深呼吸をしてから、彼の顔を正面から見つめ返した。

「あのね、ランサー」
「おう」
「……す…………」

 す? と首を傾ける彼と、それきり黙ってしまう私。彼が「おい」と私の顔を覗き込んだところで、私は彼の身体を両手でめいっぱい押し返した。

「やっぱりなんでもない!! 解散! 今日は解散で!!」
「はぁ!? てめぇこれで何度目だよ!!」

 そんなの五回目くらいからは数えていない。とにかく解散だ、今日は帰ってくれランサー、と彼を部屋から追い出してから、私は緊張から解放された安堵感と、「またやってしまった」という後悔でへなへなとその場に座り込んだ。
 あぁ、また、

「また今日も、好きって言えなかった……」
 
「それで、今日も私の所へやってきたというわけだな」
「うう、情けない事この上ないですがその通りでございます……」

 アーチャー・エミヤがやれやれという顔で私にマグカップを差し出す。ありがとう、と礼を言ってそれを受け取ると、中からふんわりと甘いココアの香りが漂った。

「おいしい……」

 ぐす、と半泣き状態の私は鼻をすすりながらカップに口をつける。アーチャーは「気持ちは分からなくもないがな」と言いながら今度はクッキーの入ったお皿を私の前へと差し出した。

「素直に自分の気持ちを伝えたい、というのならば、私よりも適任の相談相手が居ると思うが」
「これもおいしい……」
「……聞いているのか?」
「キイテル……」

 アーチャーの言うことは最もであるが、こんな恥ずかしい話他の誰に相談しろと言うのか。アーチャーならバカにもせず真面目に話を聞いてくれるし、面白がって誰かに言いふらすこともないだろう、それだけで相談相手に選ぶには十分すぎる条件だと思う。

「そもそも、それほど言いがたいのであれば、わざわざ無理に伝えなくても良いのではないか? 君達は言葉にせずとも充分、お互いを理解しているように思えるが」
「わかってないわねぇ貴方」

 カツ、カツ、と軽い足音を響かせて、女王メイヴが私たちの前に現れた。未だに沈んだままの私の気持ちを代弁するように、彼女は得意げにアーチャーを見て言葉を続ける。

「愛する人にその気持ちを伝えたいと言ういじらしい乙女心……ふふ、可愛らしいじゃない。私、そういうのも、」

 クッキーを一欠片、つまんでその小さな口に入れてから、満足そうな顔で「嫌いじゃないわ」と可愛らしく笑った。

(……いいなぁ)

 私もメイヴのように綺麗な女の人だったらなぁ、そんなふうに考えて、もう一枚クッキーをかじる。もしそうなら、もっと自分に自信を持てるだろうし、それならきっと、「好き」と言うだけのことにこんなに悩んだりしないのに。

「あらマスターどうしたの? 私の顔をそんなに見つめて」
「うん、メイヴちゃんは可愛いなって」
「当然じゃない? でもありがと♡」

 ちゅ、と自然な流れで投げキッスを返すメイヴに、思わず「いいなぁ」という言葉が口に出る。彼女はパチクリと数度瞬きをした後に、にやりと笑って私の肩をするりと撫でた。

「え、なに? なに? メイヴちゃん」
「そう、そうよね、貴女も私みたいになりたいのよね? うふふ! 私良いこと思いついたわ! ちょっとそこのアーチャー、貴方も手伝いなさい」
「む、私もか」

 彼女が私の背をぐいぐいと押していく。私はされるがままに何処かへと誘導されていった。


 
「──できたわね」
「…………わぁ……」

 鏡に映る自分の顔に感嘆のため息が溢れる。いつもよりきめの細かい肌、健康的に見える頬のチーク、大きく見えるパッチリとした瞳と、ぷるぷるの唇。まさに、「これが、私……?」状態で、私は自分の姿に見惚れていた。

「ふふ、やっぱり私の見立てに間違いはなかったわね」
「実際に彼女に化粧を施したのは私なのだが?」
「あら、この女王メイヴの役に立てたのよ、光栄に思うべきだわ」
「そうか、これは失礼した……よし、髪の方も完成だ」

 ふわふわに巻かれた髪が丁寧な編み込みを経て後ろで綺麗にまとめられている、これは中々自分一人では出来ない。……前から薄々気づいてはいたが、この男、器用だ。

「ありがとうアーチャー、可愛い」
「お安い御用だ……ふむ、とてもよく似合っているよ」

 ふ、と笑うアーチャーの微笑みに少しだけ鼓動が早まる。この無自覚タラシめ、彼のせいで泣いてきた女が一体何人いるのか不安になってきた。

「さ! これで自信もついたでしょう? もう一度クーちゃんの所にでも行ってきたらいいんじゃない?」
「え」

 彼女の細い指が私の背を押した。驚いて振り向くと、彼女は「頑張りなさいよ?」と悪戯っぽく言ってからカツカツとヒールを鳴らして何処かへ歩いていってしまう。付き合わされただけのアーチャーは、やれやれという顔をしながらも何か達成感すら感じる表情でニヒルな笑みを浮かべていた。

「もし、まだ勇気が出ないというのであれば、何か君の好きな飲み物でも用意しよう。少しは落ち着くかも知れん」
「……ありがと、うん、でも大丈夫。私、もう一回頑張ってみるね」

 ぐ、と両手を胸の前で握りしめる私を見て、彼は優しげにまた微笑んだ。


 
 もう一度ランサーを部屋に呼び出した私は、「ちょっと待っててくれ」と言った彼を待つために、一人マイルームでそわそわと前髪を何度も直していた。
 先程声をかけた時は何も言われなかったが、彼はこの髪型や化粧についてどう思っているのかも気になる。鏡を覗き込んで、化粧が崩れていないかのチェックを何度か繰り返していると、コンコンと扉をノックする音が部屋に響いた。

「ど、どうぞ!」
「おう、邪魔するぜ」

 そう言って彼がマイルームへ足を踏み入れる。私は少し緊張しながらも「まぁ、ほら、座って座って」といつものように、寝台に腰かけた自分の隣をポンポンと軽く叩いた。

「それで? 今日こそは話とやらをしてくれんのか?」

 彼もいつものようにそこに腰かけて、さあ本題だ、と性急に話を進めようとする。私は覚悟を決めていたはずなのだが、実際に彼を目の前にして少しだけたじろいでしまい、また言葉に詰まってしまった。

「…………ん、お前、その髪」

 私の見た目の変化に気がついたのか、何も言わない私の髪に彼が触れる。

「それに、なんだ、今日は随分とめかし込んでるじゃねぇか」
「あ、えっと、その……そういう気分だった、し……」

 しどろもどろになりながら彼にそう返した。意識すればするほど落ち着きを失い、本来の目的など果たせそうもなくなっていく。

「お前一人じゃここまでしねーだろ、誰かに手伝ってもらったのか?」
「め、メイヴちゃんとアーチャーが」
「ふぅん……」

 二人の名前を聞くと少しだけ彼が不機嫌になる。それもそうか、素直に伝えたのは失敗だったかも知れない。

「ま、あいつがやったのは気に食わねーが……可愛いな、似合ってるぜ」
「…………!」

 彼の爽やかな笑顔に、頬が自分でもわかるほど熱くなる。は、恥ずかしい。今日の彼はおかしい、何でこんなに、その、格好良く見えるのか。

「何で突然そんな格好したのかは知らんが……あぁ、何処ぞの男と逢い引きの予定でもあったか?」
「ば、馬鹿……誰とそんなんするんだよ」
「俺、とか」

 突然彼が真剣な瞳をして距離を詰める。私は驚き息を飲んでから、もう一度「ばか」と言って彼の胸を手のひらで押し返した。

「そうじゃなくて、その、今日呼んだのは、私、ランサーに伝えたいことがあって……」
「おう、いつものあれか」

 彼は苦笑をこぼしながら、何も言わずにただじっと私を見つめて次の言葉を待ってくれている。……いつもなら、ここで彼の顔の良さや恥ずかしさ等に負けて全てあやふやにしてしまうのが常なのだが、今日ばかりはそうもいかない。なんせメイヴとアーチャーが、私の背中を押してくれたのだから。

「あのね、ランサー、」

 両の手を膝の上で握りしめる。彼の顔をまっすぐに見つめるとどうしても恥ずかしくなってしまう私は、少しだけ顔を俯けて、ずっと伝えたかった言葉を口にした。

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………す、すき………だよ」

 ぎゅっと両目を強く瞑ってしまった私は、目を閉じたまま彼の返事を待った。しばらく無言の時間が流れ、何も言わない彼の様子が気になり恐る恐る目を開いて彼の顔を伺い見る、と、何やら間抜けな顔をしてポカンと口を開けた彼の顔が目に入った。

「は──わはははははは!!!!」
「っ……?」

 と、思った次の瞬間には彼は破顔し、大きな声で笑い出す。その理由がわからない私は目をパチクリさせながら、彼が大笑いしているのをただただ見ていた。

「はー……随分と言いづらそうにしてるもんだから、一体何事かと思っていたが……そうかそうか! 好き、ときたか!」
「……! わ、私には大事なことだから、仕方ないじゃん……! いうのにすっごく、勇気が、いるんだから……」

 わっはっは、と笑い続ける彼の肩をぽかりと叩く。自分でもこんなことで他のサーヴァントまで巻き込むほどの大ごとにしてしまうというのは、情けない話だと思ってはいるんだ。

「そうだよなぁ、お前にとっちゃ、素直に好意を伝えるなんてのは一大事だ、そりゃあ気合い入れておしゃれもするわな、ははは」
「もう、もう……! うるさいぞ、ランサー! どうしてもちゃんと、ちゃんと伝えたかったんだもん……わ、悪いかよぅ……」

 そんなに笑われると、私もどんどん恥ずかしくなっていく。冷静に考えると「好き」と伝えるためだけにどれだけ紆余曲折したのかという話だ。
 もう消えてしまいたい、と真っ赤になって小さくなる私に、笑い疲れたのか笑い切ったのか、少し平静を取り戻した彼が手を伸ばした。

「なぁ」

 そしてその手で私の頬を撫で──愛しいものを見つめるような優しい笑顔を私に向けた。

「俺もあんたが好きだぜ、涼」
「…………ぅ……!」

 そのまま彼の顔が私に迫り、目を瞑ると唇に暖かな感触があった。触れるだけで離れていく挨拶のようなキス、それが逆になんだか恥ずかしくなって彼の胸にもたれかかる。

「……ランサーのばか」
「ん」

 彼の胸に顔を埋めて、表情が見えないようにしてからもう一度「好き」と呟くと、彼は私をあやすように背中をトントンと叩いた。

(好き)

 一度口にすると次から次へと気持ちが溢れて、なんだか胸がポカポカする。好き、好き、こんなに簡単な言葉なのに、伝えるのはとっても難しくて、伝えるとこんなに幸せだ。

(今度、アーチャーとメイヴちゃんにはちゃんとお礼を言わなくちゃ──……!?)

 そんなことを考えていると突如視界がぐるりと回る。驚く私の目の前には、私を押し倒してニッコリ微笑むランサーの笑顔があった。

「さて、それじゃあいただくとするか! 俺のためにめかし込んだっつーんならこれを放っとく訳には行かないよな?」
「……っ!? ちょ、ちょ、ちょっと待って、そこまでして良いって言ってない!」
「あ? 知るか、据え膳食わぬは男の恥ってな」

 調子にのるな! ばか! といつもの調子で罵りながらも、私の肌を撫でる彼の手を強く拒否することができない。好きだと口にした時点で……いや、好きだと気付いてしまった時点でそもそも私に勝ち目などなかったのだ。
 もうどうしようもなくなった私は、小さく最後に「……ばか」と呟いてから、諦めて彼に全てを委ねることにした。
 夜はまだ長い。
 
 
 
 




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