怪我を負う



 神埼涼が倒れたのは、あるレイシフトから帰還した直後のことだった。なんてことない小さな特異点だ、普段であればそこらのサーヴァント数人に声をかけ、修復してもらうくらいの大したことのないものだった。

「神埼さん!」

 リツカが彼女に駆け寄る、名前を呼ばれた神埼は、低く呻くように、う、とだけ返事をしたが、それ以上はどうにも、起き上がる様子さえ見せなかった。

「ごめんね、ちょっと失礼……あぁ、これは……」

 ダ・ヴィンチはそう言ってうつ伏せに倒れた神埼を抱き起こし、その腹部を見ると眉根を寄せる。誰がどう見てもわかる、大きな裂け目だ。丁度、合成獣《キメラ》の爪にでも裂かれたような。

「救護班を……」

 そう言ったダ・ヴィンチの声が聞こえたのを最後に神埼の意識は途切れた。大したことない、大丈夫、心配いらないから。声にしようとしてならなかったそんな言葉だけが、彼女の脳内で反響していた。
 


 彼女があれほどの怪我を負ったことに特別な理由はなかった。いつも通りのレイシフト、いつも通りの戦闘、万事が普段と同じように進んでいたはずだった。
 彼女が怪我をしたことすら、ほぼいつも通りの光景であった。
 もちろん、マスターである彼女に危険が及ばないよう、彼女に付き従うサーヴァント達は注意を払っている。だが、彼女がレイシフトする時はいつも少数精鋭、少人数での戦闘が主であり、彼女自身がエネミーと相対することも少なくはなかった。

 彼女の上司であるダ・ヴィンチや、心優しいマスター、藤丸リツカ等は、それを度々心配してはいたが、本人が大丈夫だと言って笑うものだから、これまではそれ以上の口出しをしなかったのである。

 そう、多少怪我はあったのだ、多少の怪我は。

「……おい、無事かよ、マスター」

 彼女の、神埼涼の私室に、ランサー・クー・フーリンの不機嫌そうな声が響き渡る。彼が眉根を寄せたまま難しい顔を続けるのも仕方のない話だ。何故なら彼女が合成獣《キメラ》に襲われたその時、一番近くにいたのが彼だったのだから。

「ん……ランサー? はは、大丈夫、ごめんね?」

 寝台に横になったまま申し訳なさそうに笑う。そんな彼女を背中から包むように抱きしめる大きな黒い男が、これまた不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らしていた。

「てめぇが付いていながら不甲斐ねぇな」
「うるせぇぞ、オルタ」
「まぁまぁ、これは私が悪いんだから」

 ゆらりと爬虫類のような尾を揺らしながら、クー・フーリン[オルタ]が彼女の首元に顔を埋める。「くすぐったいよ」と言いながら彼女が身をよじり、そのせいで傷が痛んだのか、少しだけその顔を歪めた。

「まだ痛むのか」
「まぁね……あの時は大した怪我じゃないと思ってたから、回復魔術なんていらないと思ってたんだけど、いざ帰ってきて礼装を脱ごうとしたらいきなり、ね。……礼装のおかげでダメージが最小で済んでるって言うのはわかってたけど、まさかこんなに大怪我だとは」

 包帯の巻かれた腹部をさすりながら彼女はまた、いたた、と声を漏らす。ランサーは一層眉間の皺を深くして、「すまなかった」と寝台から目を逸らした。

「俺のせいだ」
「なんでランサーが謝るの」
「……てめぇがそういう奴だってわかってて、気づけなかった」

 彼の握る拳に力が入る。後悔、自責、そう言った気持ちが彼の様子からはありありと見て取れた。
 彼女はそんな彼をじっと見つめ続ける。しかし彼は目を逸らし続ける。二人の視線は交わらないまま、先に口を開いたのは神埼の方であった。

「ランサー、ねぇ、こっちをちゃんと見てよ」
「……」

 ランサーは険しい表情のまま、それでも素直に彼女の方へ視線を向ける。苦しんでいるようにも見える表情のまま何も言わない彼に対して、彼女はまた言葉を続けた。

「ほら、私は平気だよ、ランサー」
「……!」
「ちょっといつもより痛くてびっくりしただけ、心配かけて、ごめんね?」

 少し照れるように笑う彼女の顔を見て、ランサーは目を見開く。そうして何かを言いたげに口を開いてから、言葉を飲み込むようにして引きむすんだ。

「……ランサー、」

「次は絶対こんな事態にはさせねぇ……これは誓いだ、俺のな」
 それだけを口にして、彼は踵を返し部屋を出る。その背中に「うん、約束、ね」と呟いた彼女は、少しだけ悲しそうな顔で自身を抱きしめるその腕を抱き返した。


 
「……なんでてめぇがそんな泣きそうな顔してんだ」
「そんな顔してた?」
「……」
「そうだなぁ、ランサーが、誓い、なんていうから。あなた達の誓いってやつは、ちょっと私には重すぎるんだ」
「そうかよ」
「そうだよ……気にしなくていいのにね、私が勝手に無茶をして、勝手に怪我をした、それだけなのに、ランサーは何も、悪くないのに……」
「……」
「ん、でも、ごめんね、オルタにも心配かけたね」
「……ふん」
「ところでこれはいつまでこうしてるつもりなのかな」
「てめぇの腹が治るまで、だ、余計なこと言ってないで眠れ、回復にはそれが一番だ」
「……寝てる間に治癒のルーンでもかけるつもりだ、起きてる時だと私が遠慮するから」
「…………ちっ」
「ふふ、ランサーに負けず劣らず過保護だなぁ。でも、治るまで一緒にいてくれるなら、もう少し起きていようかな? なんて」
「好きにしろ」

 オルタの尻尾が彼女を守るように囲う。この体制では彼の表情は見えないが…きっとまた、不機嫌そうに眉間に皺を寄せているに違いない、と彼女は笑った。
 そして、先ほど同じような顔をしてここを出て行ったもう一人の彼のことを想う。

 ――この怪我が治ったらきっと、また彼を連れて特異点の修正に行こう、そして今度は無事に帰って、「ほら、あなたがいたから大丈夫だった」と笑ってやるんだ。

 そんなことを考えながら、彼女は目を閉じる。起きていようか、とは言ったものの身体は睡眠を欲していたようで、彼女はすぐにその微睡みに身を任せてしまった。ぼんやりとした思考の中、優しい彼等の事を考える。

「……大丈夫、私にはランサーもオルタも居るんだから、何も怖くなんてないんだよ」

 そう言って今度こそ彼女は深い眠りにつく、これは、人理修復機関カルデアでの、とある一日の出来事だった―― 




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