忘れるはずだった一つの記憶*
(また、か)
そこには、コフィンを前に、暗い顔で遠くをぼうっと見つめる女の姿があった。
女は、
カルデアではないどこか…遠く向こうを見つめたまま、「キャスターかぁ……」と落胆したように呟いた。
「俺じゃ不服か、神埼」
「……うん、少し」
振り向きざまに揺れた手の中に何か四角いものが見える、IDカードだ、恐らくここに入るための。一体どこから奪ってきたのだろうか。
「無断で管制室へ出入りすんのは禁止されてたろ、お前」
「バレなきゃ罪にはならないからね」
「速攻俺にバレてるじゃねぇか」
「うーん、じゃあキャスターを丸め込めれば、完全犯罪だね」
そもそも他のスタッフはどうした、と周りを見渡すと、何かを盛られたのだろう、深い眠りに落ちている者が数人目に付いた。
「パラケルススの薬をちょっと拝借しちゃった。大丈夫、疲れが取れれば起きるってことだから」
「ちょっと≠フ説教じゃ済まなさそうだな」
「忙しいみんなを休ませたい善意ってことで、まぁ? その間の見張りのために私は今ここに居るんだと考えたら、おかしなことはないよね」
「よく言うぜ」
「……それで、キャスターは何をしにきたの?」
胸から下げたロザリオを空いた手で弄ぶ。自覚があるのかは知らないが、あれは彼女が何かを待っている時の癖だ。今回は何を期待しているのか――考えるべくもない、俺はその答えを知っている。
「家出の連れでも探してたって顔だな、悪いが、俺はお前を止めに来ただけだだぜ」
そう、と彼女は面白くなさそうにロザリオから手を離し、同時に手にしていた誰かのIDカードが地に落ちる。軽い音と共に落とされたそれを、彼女自身の足が、えい、とこちらへ蹴り飛ばした。
「やっぱりつまんないや、キャスターじゃ……きっと、私のランサーなら、一緒に……一緒に、来てくれるはずなのに」
モニターに映ったレイシフトの時代、場所を確認する。案の定、そこは何度も彼女が単独でレイシフトを試みた場所…「炎上汚染都市 冬木」であった。
(だろうな)
こいつが周りの制止や規則を無視してまでやろうとすることなんぞ知れている。またこいつは、たった一人あの瓦礫の山の中で、居るはずもない影法師を追いかけるつもりだったのだ。
……いや、一人、ではないつもりだったのかもしれないが。
「……お前のレイシフト適正は決して高くない、単独でレイシフトして意味消失でもしてみろ……俺たちでは、お前を引き上げることができなくなる」
「そうじゃないでしょ」
にっこりと、楽しげに、少しだけ悲しげに微笑んで彼女は続けた。
「歴史改変は、重罪だ。私のこの行為は新たな特異点を作り出す可能性がある」
「よくわかってんじゃねぇか、だったら諦めて部屋に帰れ」
「やだよ」
俺の忠告を無視して彼女は座標を調節するためにモニターに向き合った。手際が良い、さすが元技術部の職員というだけある。
「もう、諦めろよ」
「……いやだ、今度こそ、見つけられるかもしれないのに」
あいつの影を今日も追う。彼女があいつを失ってからもう何年経ったのだろう、未だに彼女の瞼の裏に焼き付いているあいつの背を、俺は疎ましく感じていた。
「……変わらねぇんだな、お前は、いつまでたっても」
「まるでずっと見てたみたいな言い方、不快だな、らしくもない…誰の受け売り? あぁ、
サーヴァントは
マスターに似るっていうし、貴方を召喚した人間の影響かな」
モニターからは目を離さず、先ほどより少しイラついた様子でそう返した。わざわざ「飼い犬」と言ったのは俺を怒らせるためだろう。…そこまでしてでも、俺との会話を終わらせたいのだと見える。どうしても言われたくないことでもあるのか。相変わらず、わかりにくいようでわかりやすい奴。
「でも今のマスターは藤丸リツカちゃんだから関係ないか、元々のキャスターの……」
「たしかに、俺の今のマスターはあの嬢ちゃんだ」
彼女が、モニターからは目を離さないまま、キーボードを叩く手を止める。そうだよ、と感情のない声で呟き、不快そうな表情はそのままで、わかってるよ、と少しだけ俯いた。
「だが、あの冬木で俺を召喚したのは、あの嬢ちゃんではなかった」
続く俺の言葉に、彼女が息を飲んだ音が聴こえる。数歩、たった数歩だけ踏み込んで、俺は彼女の横顔を見つめた。
「――俺はお前を知っている」
「私は知らない」
「神埼」
告げた言葉を、間髪入れずに否定される。名を呼ぶと、泣きそうな声で彼女は叫んだ。
「知らない……知らない、知らない……!
キャスターなんて知らない! あなたの冬木なんて知らない!」
「……
マスター」
「あなたのマスターは私じゃない!! ……私の知らない私の話をしないで……っ」
足元から崩れるように彼女がその場にうずくまり、両手で耳を塞ぐようにしていやいやと頭を振った。
「やっぱ、変わらねぇよ。俺のマスターだったあんたも、ここにいるあんたも」
また数歩、彼女に近づく。隣に立って、彼女を見下ろして言葉を続ける。
「それと同じさ、神埼。お前がどれだけ諦めたくないと思っていても……変わらないんだ」
彼女の腕を掴み無理やりにでも立ち上がらせようとする。それでもなお「聞きたくない」と俺を拒絶する彼女の顔を、俺は無理やり覗き込んだ。
「あの冬木に戻ったって――あいつはいない。いや、例えどんな冬木に行こうとも、お前の望むあいつにはもう会えない。……それは、お前もよくわかってるだろ」
「……っ!」
見開かれた瞳から、耐えきれなかった雫が一つ落ちる。そうしてまた一つ、また一つと、溢れた涙は止めどなく流れ続ける。
「けど……っ、それでも、私は……」
彼女の言葉が終わらないうちに、遠くから騒がしい声が聞こえてきた。おそらく異変に気付いた
マスター達が駆けつけたのだろう。
「なんにせよタイムリミットだ。……こんな役目、二度とごめんだぜ」
手を離すと彼女は力なくその場に崩れ落ちた。
――あとは駆けつけた奴等に任せよう、俺は彼女を一人残して管制室を後にした。
「……おい」
「あ? ……んだよ、
ランサーじゃねぇか」
不機嫌そうな声に振り返れば、ランサークラスの俺が、槍を手にしたまま俺の背後で佇んでいた。
「だいぶイラついてんな、なんだ、主人との待ち合わせに間に合わなかった腹いせか?」
「……てめぇがルーンで足止めしたんだろうが」
「あぁ……そういえばそうだったな」
奴が槍の切っ先を俺に向ける、我ながら短気なやつだ。
「……てめぇが燃え盛る冬木で、誰に召喚されたかは知らねぇ、お前の知るあいつがどんな奴かは知らねぇ」
「……」
「だが、今あいつがランサー≠ニ呼ぶのは俺だ。てめぇじゃねぇ」
「……よく知ってるさ」
真直ぐに俺を射抜く赤の瞳、殺気立ったその表情、俺も今同じ顔をしているのかと思うと、今ばかりは同一人物の召喚を可能にするこのカルデアのシステムが恨めしい。
「俺は真実を伝えただけだ」
「……言いかたってもんがあんだろ、何故わざわざこんなやり方をする」
向けられた槍の先端を、杖で押して避ける。……あぁ、本当に俺らしくもない、俺も、こいつも、そんなことを気にするような男ではなかったはずなのに。
「愚問だな、おい、俺たちが今なんのためにここに召喚されたかわかってんのか? あいつの行為は許されるもんじゃない」
「あぁ、よくわかってるさ」
ここに来てようやく、奴がゲイ・ボルグを下ろす。それでも怒りの視線だけはそのままに「だが、何より俺はあいつのサーヴァントだ」と続けた。
「……そうかよ」
踵を返し、奴に背を向けて歩き出す、これ以上、気が立っているあいつと顔を突き合わせて会話をするのは御免だ。……少なくとも、俺は今そんな気分じゃない。
「次は必ず、俺があいつの元へ行く……邪魔はさせねぇぞ」
あいつの気配が消えて、俺はまた小さく、そうかよ、と呟く。……少しだけ、あいつが――面倒なしがらみもなくマスターの事だけを想えるあいつが――羨ましいと、思った。
あぁ、そうだ、俺だってそうしたかった。
(今だって……あの時だって)
俺を召喚したあいつは、どんな顔で消えていったのだろうと、思い出そうとして、思い出せなくて――
俺は今日も、擦り切れた記憶の隅にあるあいつの笑顔を、思い返そうとしては息を吐く。
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