異聞帯ロシアでの一幕



 はぁ、と吐いた息の白さに眉を寄せる。

 どこまで行っても寒いだけのこの大地は、私のような普通≠フ人間には酷な環境と言えるだろう。実際に、ダヴィンチちゃんが作ってくれたこの礼装がなければ氷漬けになるという話だし。

「大丈夫ですか? 神埼さん」

 マシュが私を気遣って声をかけてくれる、大丈夫、と微笑み返してみたが、彼女にはきっと限界が近いことはバレているだろう。
 寒さというより、体力の限界だ。マシュも恐らくかなりの無理をしているはず。
 そんな中私だけが弱音を吐くわけにはいかない、と次の一歩を踏み出そうとしたところで、ふらり、とバランスを崩してしまう。

(しまっ……)

 倒れる、と冷たい雪の感触を覚悟したが、私の身体が地に落ちることはなく代わりにがっしりとした腕が私を支えていた。

「気をつけろ」
「あ……クー・フーリン[オルタ]……」

 ありがとう、と言いながら彼の支えで真っ直ぐに立つ。そんな私を見てマシュがやはり心配そうな顔をして「神埼さん、やっぱり少し休みましょう、何か寒さをしのげるところがないか探してきます」と、そう言って駆け出していこうとした。

「い、いいよ、大丈夫、本当に、少しふらついただけだから……」

 私がそう強がると、彼女は「わかりました……」とここに留まってくれる。納得はしていないようだが。
 本当は、今は別行動中のアヴィケブロンが移動用ゴーレムを貸してくれると申し出てくれていたのだが、それは立香ちゃんに、と私はそれを断った。

 ……今となってはそれを後悔している。もう一体用意して貰えばよかった、これではただの足手まといだ。

「立香ちゃん達との合流地点はまだかな」
「もうすぐです……あっ! あそこです!」

 マシュが指差した先に小さな集落のようなものが見えてホッとする、あぁ、あそこまで歩けば少しくらいは――

「よし、もうちょっと……っうわぁ!」

 気合いを入れて歩き出そうとした身体が宙に浮く、何事かと見ればオルタが私を抱え上げたようだった。

「……っ、オ、オルタ! 自分で歩くよ!」
「ふん、そういうのはもう少し体力をつけてから言うべきだな」

 じたばたと暴れてみるも、筋力Aには敵わない。私はそのまま大人しく運ばれるほかなかった。
 


「……誰も、いませんね」

 ここはすでに衰退した村なのだろうか、集落にはヤガの気配どころか、生きているものの気配もしなかった。

「立香ちゃん達はまだついてないみたいだね」
「はい、無事だといいのですが……」

 まぁ恐らく大丈夫だろう、獣の群れに分断されてしまったとはいえ、あちらにはランサーも共にいるはずだ、むやみやたらにやられたりはしないだろう。

「とりあえずこの建物で休ませてもらいましょう」
「そうだね……オルタ、もうさすがに下ろしてもらってもいい?」

 私の言葉を聞いたオルタは何も言わずに私を下ろしてくれる。私が「ありがとう」とだけ伝えると、彼は不機嫌そうに姿を消した。

「霊体化してしまいました……あの、神埼さん、クー・フーリン[オルタ]さんは何故あんなに不機嫌そうなのですか?」
「あはは、私がいちいちお礼を言うのが気に入らないみたい」

 私は苦笑をこぼしながら建物の奥へと足を踏み入れる。扉をあけてすぐに天井の高い広い部屋があり、正面奥には綺麗なステンドグラスが飾ってあった。

「どうやらここは教会のようですね」
「教会……」

 懐かしい記憶を思い出しそうになって、それを振り払うように頭を振った。温かい思い出と、あの時≠フ彼の背中が重なり合いなんとも言えない嫌な感情が込み上げてくる。

「……っ」

 身震いする私を見たマシュが、私が寒がっていると思ったのか「何か毛布のようなものがないか見てきますね」と言ってさらに奥の部屋へと続く扉の向こうへ入っていった。
 私はマシュの背中に「ありがとう」と声をかけながら講堂の中心へと向かう。
 入り口から一直線に……まるでヴァージンロードを歩く花嫁にでもなった気分だ。

「……オルタ」
「なんだ」

 名前を呼べば律儀に姿を見せてくれるが、不服そうな表情は隠そうともしていない……それは逆に、私に彼との絆を感じさせる。
 きっと、出会った頃ならもっと――

「おい、呼んだからには用があるんだろ」

 彼の尾がゆらりと揺れる、まるで機嫌の悪い猫のようだ。私はふふ、と笑いながら「ちょっとこっちに来て」と彼を手招きした。
 彼はやはりしかめっ面のままゆっくりと隣に並び、「それで?」と私を見下ろした。
 私はそれに満足して一度頷いてから、正面の光るステンドグラスを見つめる。

「えっと……そうだなー……んんっ、病める時も、健やかなる時も、共に笑い、共に泣き、共に生きることを誓いますか?」

 そう言って彼の方をちらりと見る、彼は相変わらず――いや、一層眉間のシワを濃くしながらただ黙って私を見ていた。

「……誓いますか!」

 念押しするようにもう一度言うと、「くだらん」とそっぽを向かれてしまう。
 だけどそんなことでへこたれても仕方ないので「誓うって言わなきゃ」と食い下がった。

「……誓う、これで満足か」
「うん、じゃあ誓いのキスを」

 背伸びをして彼に顔を近づけると、観念したのか彼も少しだけ私に合わせて屈んでくれる。……こういうところが優しいなと思う。
 合わせた唇が離れて、私はまた、うん、と一つ頷いた。
 彼はそれでも怒っているような――哀しいような顔をして、「……こんなことに意味はない」と呟いた。

「うん、知ってるよ」

 私はそう言って、笑った。
 ……大丈夫、笑うのにはもう慣れている、だから、

 笑えている、はずなんだ、

「そうかよ」

 大きな手が私の頬に触れる、この寒さの中で心なしか少し温かい。

「うん……」

 ありがとう、と続けようとして今度は彼に唇を奪われる、驚いて瞬きを繰り返しながらぽかんとしてしまった私を横目に「なんだ、黙らせるならこっちのが早えな」と口角を上げた。

(笑った……)

 珍しい彼の表情に少しだけ胸が高鳴る。…しかし礼を言われたくないから物理的に口をふさぐ、というのは短絡的やしないだろうか。

(まぁ、嫌じゃない、けど)

 なんだか少し、悔しい。
 そんな私を一人残して、彼は奥の部屋へと向かう。私が付いてきていないのに気づいたのか、彼が半身でこちらを振り返った。

「嬢ちゃんのところにいかねぇのか」
「あ……今行く!」

 再び歩き出した彼の背を追う。
 そうして誰もいなくなった講堂に、ステンドグラスに反射した鮮やかな光だけが残されていた。




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