夏のせいにすればいい



 ──セミの声がうるさい夏のことだった。

「どうかしたか、神埼」

 目の前で、男が首を傾げる。汗ひとつかかない──サーヴァントだからなんだろうか──彼とは対照的に、私は頬を伝う汗を手の甲で拭いながら「なんでもない」と出来る限りいつも通り返事をした。

「暑いのなら君も湖に入ればいいんじゃないか?」
「いや、うん……私はいいや」

 そうか、と言って彼は……夏に浮かれた英霊エミヤは、また湖の方へと視線を戻す。その先には、湖で水遊びに興じるイリヤたちの姿があった。

「……楽しそうだね」
「そうだな、ずっとあの調子だ」

 私はあなたのことを言ったのだけど、とは口にしなかった。彼は依然として、優しげな顔で彼女たちの方を見つめている。

「……ひいてるよ」
「む」

 彼の竿がぴくりと動いた事を告げると、彼は少し慌てたように竿を引きあげた。どうやら逃しはしなかったようで、手頃な大きさの魚が湖面から姿を見せた。

「助かった、気を抜いてたよ」
「いーえ……これなんの魚?」
「ふむ、鮎だな」
「鮎」
「ああ、湖で釣れることもある」

 それって川で釣れるやつなのでは、と考えていた私に、先んじてそう教えてくれる。その鮎が入れられた一杯のバケツを覗き込みながら「そうなんだ」と応えると、ぎゅうぎゅう詰めの魚が、窮屈さを訴えるかのようにぴちゃりと跳ねた。

「これくらいでいいか」
「あれ、もうやめちゃうの?」
「あぁ、充分だろ? ……釣りすぎて、またリースEXに何か言われても嫌だからな」

 そう言って彼が釣った魚をクーラーボックスへと敷き詰める。……血抜きとか、締めたりとかはしないんだろうか。やっぱり、浮かれた夏の霊基の彼はそこまで気にしてないんだろうか。

「さて」
「あ、運ぶの手伝うよ」
「大丈夫、オレ一人で……いや、じゃあ、釣竿を頼む」

 明らかに軽い方を渡され少しだけ不服だが、まぁ良いだろう。彼から釣竿と、その他釣具の入った箱を受け取って、彼の横に並んで歩く。なんだか不思議な時間に思えたが、コテージまでは大した距離もなくそれはすぐに終わってしまった。

「よし、彼女たちが帰ってくる前に下ごしらえをしてしまおう……君はどうする?」

 道具をコテージの隅に置いて、クーラーボックスを開いた彼がそう私に尋ねた。……遊びに行っても良かったけれど、私は「手伝う」と言ってまた彼の隣に並び立った。

「そうか? ありがとうな」

 彼の手が私の頭を撫でた。彼が、微笑んだ。

 ──やっぱり、やっぱりこの彼は少し、おかしい。
 一人称も「私」なんてカッコつけた言い方をしなくなったし、語尾もなんだかくだけているし、表情だって柔らかい。

 なにより、触れる、のだ、他人に。私の知る彼ならそんな気安く触れたりしないはずなのに。

「……神崎?」

 顔が近い。普段なら怪訝な顔をされそうなほど、腕が触れ合うほど近くにいるのに、何も言わない、なんて。

「──エミヤ」

「! ……珍しいな、君が俺をそう呼ぶのは……いつもなら」

 ──アーチャー、と。呼び慣れて癖になっている呼び方。カルデアには他にもアーチャークラスのサーヴァントはいるのについそう呼んでしまうから、みんなも諦めて「彼女がアーチャーと呼んだなら、きっとエミヤのことだろう」くらいに思われているってくらい、ずっとそう呼んできたのに。

「えみや、」

 ──彼に伝わるだろうか。

 何故突然そんな呼び方をしているのか、
 何故暑い中、遊ぶこともせず貴方の手伝いを申し出たのか、
 何故、二人きりの今──貴方の指と自分の指を、絡めるようにして手を取ろうとしているのか。

(鈍感な先輩は、いつ気づくかな)

 困惑した表情で固まる彼に、背伸びをして顔を寄せる。
 これでも伝わらないなら──そうだな、もう少し先まで、してもいいかもしれない。

 ああ、本当なら、こんなことする子じゃないのよ、私。

(でも、だって、暑かったんだもの)

 この気持ちも私の行動も、全部夏のせいにして──私は目を閉じた。

 ──セミの声はもう聞こえなかった。
 




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