今夜は特別な夜としよう 美味い酒、美味い飯、それと隣に女が一人。これが至福でなくてなんなのか、と、俺は平たい盃を煽り酒を飲む。
「っかー! うめぇなぁ! このニホンシュ? ってやつもなかなかイケるじゃねぇか!」
「飲みすぎないでよ、もう」
隣でマスターが困ったようにため息を吐いた。そういう彼女も赤ら顔で、手にした盃に口をつける。
「もっとガッといけよ」
「そういう飲み方をするものじゃないでしょ、本来は」
「そうかぁ?」
度数が高いんだよ、とかなんとか、そんなことを言いながらまたちびちびと酒を飲むマスター。そういうもんか、とだけ答えて、俺はもう一杯酒を飲み下す。
「……に、してもだ。いい景色じゃねぇか」
「シミュレーターだけどね」
「ま、仕方ねぇわな」
視界いっぱいに広がる夏の夜空。小高い丘の上で、俺たち二人は地べたに座り込み空を見上げていた。
言い出したのは確かマスターだった。「星が見たい」と一言、その一言で、やれ場所はどこにするだの、食いもんは、酒はいるのか、などと大ごとになっていったのは……うぅん、誰のせいだったか、そこまではよく覚えていないが。
(終いには、天体望遠鏡だかなんだかを持っていこうかなんて話まで出てたしな)
そうしてなんだかんだと話し合った結果、「シミュレーターで」、「飯と酒を持って」、「俺とマスターの二人で」こうして星を見上げることになったのだ。
「それにしても意外だったな、ランサーはあんまりこういうの興味ないかと思ってた」
「……俺をなんだと思ってんだ……たまにはこういうのも悪かねぇよ」
「ふぅん」
ごちそうというほどではないが、それなりに揃えられた飯。特別に、と用意されたマスターの出身国の酒。それを片手に、大切な人と共に見上げた夜空の美しさくらい、俺にだって理解はできる
ふと、盃に満ちた酒の水面に、満月が映っていることに気がついた。じっと酒を見つめる俺を不思議に思ったのか、彼女も同じように俺の手元を覗き込み、あっ、と嬉しそうな声をあげる。
「逆さ月!」
「いいねぇ、風情がある」
「難しい言葉知ってんじゃん、日本の言葉だよ?」
「おう、だから覚えた」
「……なんだ、それ」
夜の闇の中でもはっきりとわかるくらいに染まった頬を見て、俺はくくくと小さく笑った。照れたのか拗ねたのかわからない様子のマスターが、「じゃあ、これは知ってる?」と言って薄く濡れた瞳を俺に向ける。
「――月が、綺麗ですね、って」
「……――」
知っているような、知らないような。前に、こいつ自身の口からそんな話を聞いたような。
しかしそんな微かな記憶よりも何よりも――彼女の瞳が、「俺が好きだ」と如実に物語っていた。
「……ん」
――だから、俺は黙って唇を重ねた。
「……そういう、こと、できるんだ、ランサー、」
「んだよ、どういう意味だ」
「…………もっと揶揄ってくるか、夢見がちだって呆れるかすると思ってた」
「……まじでお前、俺のことなんだと思ってんだ」
俺だって、そういう気分の時くらいある、そう呟いて最後の一杯を飲み干すと、彼女は「そうなんだ」と目を細める。
「そう……そっか……へへ」
やけに嬉しそうな顔をして彼女が膝に顔を埋めた。その様子がやけに愛おしくて、俺は酒を取りに行こうと浮かせた腰を再び下ろす。
「綺麗だな、月」
「……シミュレーターだけどね」
「それでもだよ」
重ねた手の熱さは酒のせいだけではないはずだ。見つめた彼女の頬の熱も、俺を呼ぶ溶けた様な甘い声も。
(……らしくねぇか、確かにな)
それでも、そんな夜もたまにはあっていいのだと、俺はそう思うのだ。
せめて、そう、明日の朝日が登るまでならば。
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