エミヤオルタ
 ページをめくる。文字を読む。

『食堂に連れ出された、これで八度目』
『卵焼きが食べたいと駄々をこねた、次は断ることにする』
『マスターは砂糖派』

 ページをめくる。文字を読む。

『狂王との連携は悪くない、間合いに気をつけること』
『奴が倒れるとマスターがうろたえる、注意』
『追記 俺が倒れても同様の反応、面倒だが気をつける事』

 ページをめくる。文字を読む。

「……」

 ページをめくる、文字を──

 ──読んでも読んでも、俺の日記帳に書いてあるのはマスターであるあいつの事ばかり。有益なものもあれば、本当にそんなもの覚えておく必要があるのか? というものまで、ありとあらゆる事柄が、最後はあいつにたどり着く。

「…………」

『レイシフトに同行した』
『意味もない会合に参加させられた』
『一日話を聞かされた』

 特別なことなどない、取り止めもない、忘れたって問題もなさそうな日々。流し読んでいくその中で、ひとつだけ、飛び込んできた一文に俺はページをめくる手を止めた。
 
『マスターが俺を好きだと言った』
 
「──……」

 書いてある事をそのまま信じるほど俺は素直な性格はしていない。
 けれどその筆跡は確かに俺自身のもので、であれば信じがたいこのたった一行も「そうなのか」と信じるほかはなく。

 記憶は、もちろんない。ただ、俺の手記の中の彼女は──自惚れでなければの話だが──確かに俺への好意を如実に表しているようにも思えた。
 納得はしたが実感がない、そんな居心地の悪い気分のまま、隣のページへ視線を移す。

『食堂へ連れ出される、十七度目』

 そこには、いつも通りの他愛もない記録だけが残されていた。

「……それだけ、か」

 たった一文、その日の俺はどうやらそれだけしか今日の俺に伝えるつもりはないらしい。
 別にそれで構わない、はずだ。これはただの忘備録、事実さえわかればそれで……それなのに、

「──なぁ、お前はどんな気持ちでこれを書いたんだ」

 それが、その疑問が日記をめくる俺の手を止めた。どうしても俺は次のページに進む事ができない。

(──思い出せない。俺自身の事なのに、俺自身の事のはずなのに)

 当然だ、だからこそ俺はこうやって文字で残し続けているのだから。
 けれど、だが、しかし、

お前は、それを聞いてどうした──?)

 馬鹿な女だと笑ったのか、あるいはこんな俺に好意を寄せる女を嫌悪したのか。
 思い出せない、思い出せるわけもない。
 当然だ、当然だというのに、どうして、その日の俺は何も書かなかったのか。
 まるで、未来の俺には何も残さないとでも言いたげに。
 あぁ、あぁ──

「──知りたかったよ、お前がどんな顔で、どんな言葉を吐いたのか」

 あぁ、なんて不相応な願いだ。
 自虐気味に嘲笑ってから、改めて俺は願う。

 ──今この瞬間にでも、こんな感情ごと全て忘れてしまえるように、と。