貴方とシオンの花言葉


Chapter.3


「おはようございまーす……って、なんすかこの空気」
「おう陰毛頭、相変わらずボケた顔してんな」

 事務所にレオが顔を出す。そしてザップとなんらかの話をしているようだが──今の私にはどうでも良いことであった。
 今の私の頭は昨夜のことでいっぱいだ。──魅力的な女性……魅力的な女性と言ったのか、あの人は。

「……へへぇ……」

 思わず溢れる笑みは堪えられるものでもなく、私は紅茶のカップを片手ににやけるほほを押さえつけた。

 あんな言葉、クラウスさんからでなければ疑ってかかるところだが、あの発言はまごう事なくクラウス・フォン・ラインヘルツ本人の口から発せられている。つまりはだ、彼は心底そう言っているということに相違ない。
 それにしたってどうしてあんなにスッと甘い言葉が出てくるのだろう。あんな……聞いたら誰もがクラウスさんのことを好きになってしまうような、口説き文句。聞いていたのが私だけでよかった。人前であれば、余波でもう二、三人が恋に落ちてしまうところだった。
 もしや以前に良い人でもいたのだろうか? その名残だったりもするのだろうか? ……もちろんその可能性がゼロではないことは承知している。それでも、彼がそんなふうに思うのが過去も現在も私だけなら……あわよくば、未来も、そうであるなら、こんなに幸せなこともないだろうに。

「──確実にヤってんな」
「ちょ、ザップさん……!」

 下劣で品性の欠けた発言に私の思考は一旦ストップする。目の前には愛しの彼──ではなく、下卑た笑みを浮かべるザップとその隣でドン引きしているチェインさんとレオの姿。あまりにも……な発言に、彼を罵る言葉すら出てこなくなっているらしい。

「残念ながらザップが考えているようなことは何も?」
「はぁ〜? 夜に家行って、朝は一緒に事務所来て、それでなんもないなんてことあるかよ」
「あるよーだ、私とクラウスさんは純粋《ピュア》で無垢《イノセント》なお付き合いしてるんだもん」
「はぁ〜〜〜!? いくつだよあんたら、ガキのおままごとじゃねぇんだぞ!?」
「うるさい馬鹿猿」

 チェインさんの足がザップの後頭部を直撃、青年は見事床に倒れ臥す。

「ザップの価値観で推し量らないでくださぁ〜い……まぁでも、たしかにそろそろキスくらいは……なんて思ってはいるけど」
「「えぇっ!?」」

 今度はチェインさんとレオが同時に声を上げた。……そんなに、驚くことだっただろうか。

「いやいやいや、ティーンの恋愛じゃないっすかそんなの……どんだけプラトニックな関係なんすかあんたら!!」
「いや……流石に私もびっくりした、なに、リーダーもあんたもそういう欲をどっかに忘れてきちゃったわけ?」
「そんなことは……ない、と思う、けど……」

 少なくとも私は。
 けれどほら、彼がまだその時じゃないと思ってるなら仕方ないし、もしかしたら婚前交渉はしないと決めてるのかもしれないし。もしそうなら(少し辛いけど)私が我慢するべきかなーとも思ってるし。

 そんなこんなで込み入った話などに興じていると、事務所の扉の開く音が聞こえる。彼だ。私はだらしなく放り出していた足を揃えて、背筋をピンと伸ばしてから彼を「お疲れ様です」と振り返った。

「例の場所、どうでした?」
「情報通りだった──まったく、君の情報の正確さには助けられてばかりだ」
「そんな……えへへ」

 彼の役に立てた喜びにはにかむ。その後ろで何か言いかけているザップが、再びチェインさんの一撃で床に沈む音が聞こえた。さすがです、チェインさん、本当に頼りになります。

「そういえば、植物園の花がそろそろ咲く頃合いなのだ。ぜひ君に見てほしいのだが……今日の都合は?」
「! 空いてます、是非……!」
「それは良かった、では行こうか」

 手を差し出す彼に「今からですか?」と聞き返すと、彼は数度瞬きをしてから恥いるように目を伏せる。

「す、すまない……少し気が急いているようだ──とても可憐な花なのだ、君に似て」

 なので、つい……そんなふうに言って口元を手で覆い隠した。そんな、そんな──熱烈な言葉をかけられたら、私、どうして良いかわからなくて──

「この女のどこに可憐さを感じてんだかわっかんねー」
「ザップさんは本当に黙った方がいいっすよ、マジで」

 そんなレオとザップの会話すら耳に入らなくて──小さく弱々しい声で「うれしいです、」と返すのだけで精一杯だった。……もし許されるなら、本当は今すぐ彼に抱きついて、可愛い……! と彼に頬擦りでもしてしまいたい気分ではあったが。

「で、では改めて──行こうか」
「は、い……」

 彼の大きな手を取る。人前でこんな、恥じらいすら感じるほど甘いやり取りをしてもいいと思えるほど大好きな彼の手を──そして、二人の温かい目に見守られながら、私たちは事務所を後にした。


clap! /

prev / back / next

TOP