「おい」
「うわっ……!?」
後ろから聞き慣れた声がする。私は机の上にある書きかけのノートを腕で隠すようにしながら、慌ててその声の主を振り返った。
「く……クー! いるんなら声をかけてよ!」
「あ? だからかけたんだろうが」
面倒そうに頭を掻く青髪の男、クー・フーリン。彼はため息を一つ寄越してから手に持っていた皿を私に差し出した。
「ほら飯」
「あ、ありがとう……もう、そっちの広いテーブルで食べるってば、ここは作業机だからご飯とかはのせないの!」
「あーはいはい悪かったなー。ったく、俺は家政婦じゃねえんだぞ」
文句を言いながらも彼は二人分の皿を持って入り口から数えて二つ目の四人がけのテーブルへと歩いて行った。
私は彼にノートの中身を見られなかったことにホッと胸を撫で下ろしながら、それをカウンター奥の棚にそっとしまい込む。本来なら食器などを収納するそこは今では本棚のような装いになり、私のお気に入りの本や実用書、あとは
「冷めないうちに食えよ」
「はぁい、……へえ、今日は焦がさなかったんだ」
「……文句があるなら自分でつくりやがれ」
まさかぁ〜! と大袈裟におどけて見せて、少し味の薄いフレンチトーストに齧り付く。はじめは物足りなく感じたこの味も今では愛着が湧き始めるようだった。
「で、今日は」
予定の話だと理解しつつ、私はとぼけて首を傾げる。
「……その様子じゃ今日も依頼≠ヘナシってことか」
「む、う、うるさいな、今日もってなんだ、今日、も! って!」
はぁ、と二度目のため息を吐いて、彼はこの建物の入り口に建てられた看板を見ながら呟いた。
「いつになったら仕事とやらができるのかねえ、――この探偵事務所は」
ここは空幻探偵事務所。このモザイク市《池袋》地区の隅にひっそりと建てられた元喫茶店を改造した、私設探偵というやつだ。従業員は事務所長兼探偵のこの私、皇華と――
「んじゃ、俺はそろそろでるぜ」
この男、私のサーヴァントであるランサーことクー・フーリンだ。
「出るって……どこに?」
「言ってなかったか? 三軒先の田村のばあさん、今腰やってるから、外出できないしお使いしてきて欲しいとよ」
「ああ〜そうなんだ〜それは大変……いやいや、そうじゃなくてよ」
ストップストップ、と彼の裾を引く。私の力くらい振り払えるだろう彼は不服そうにしながらも一旦こちらを振り向いた。
「んだよ、勿体ぶるほど令呪の使い道もねえんだから、今日一日くらい単独行動しても問題ないだろうが」
「いやいやいやいや……どうするのさ、突然依頼が舞い込んできたら」
「安心しろ、そんなことは今までなかったんだからよ」
「いやいや……いやいやいやいや! きょ、今日は来るかもしれないじゃん、ほら、待機しておいた方がいいよ! ランサー=I」
この、「ランサー」というのは彼のコードネームのようなものだ。……まぁ、ただのクラス名なのだが。普段は「クー」「クー・フーリン」などと呼ぶことも多いが、なんとなくそう、「探偵と助手」といえば「ホームズとワトソン」。助手である彼の名前ではどうにも短すぎて収まりが悪いのだ。だけど「華とランサー」ならちょっと収まりが良いと思う、どうだろうか。ということで。
「あのなぁ――お前、ここ開けてから一体いくつ依頼が来たか言ってみろ」
「うっ……その…………」
い……一件です。そう小さく呟く私に、彼は三度目のため息を吐く。
「しかもお前のお袋からのだろ」
「そ……そうだけどぉ……」
つまり実質依頼はゼロ。……日々お手製の張り紙や、これまたお手製のサイトなんかで宣伝をしているものの、収穫はない。ここを事務所として活動し始めてからはや一ヶ月、いまだに私たちは探偵らしいことの一つもできてはいなかった。
「見通しが甘い」
……そんなこと言われたって。だって、
私は本棚の方へ視線を向ける。そこにある無数のタイトルの中からたった一つ、「空幻探偵物語」という背表紙を視界に入れ、その物語のことを思った。これは私が昔から好きな本の一つで……ミステリー作家である母が書いた、最高傑作とも呼べるミステリー小説だ。
この話に出てくる探偵に憧れて、「私も探偵事務所を開きたい!」と母に言い出したのがちょうど三ヶ月ほど前。
「そうねえ、クーちゃんが一緒なら……」
クーちゃんというのはランサーのことである。私が十歳の時に召喚してから一度も退去することなくそばにいるランサーは母からそう呼ばれていた。
兎にも角にも許可をもらった私は廃業した喫茶店を知り合いの大家から比較的安く借り、ついでに事務所の名前は母の本から借りてこの事務所を立ち上げた。……立ち上げはしたのだ、なんとか。
けれど……。
「まぁとにかく、なんかあったら呼び戻せよ。田村のばあさんとこ行ったらその後は小林のにいちゃん達に釣りに誘われてんだよな」
「く、くそう、大人気サーヴァントめ……!」
ご近所から好かれおってからに……! マスターは私なのに……! とその背中を睨みつける私の視線なんてなんのその。彼がドアノブに手をかけようとした、その時――事務所の扉が急に開かれる。
「そのう、いま大丈夫でしょうか」
そこにいたのは少し気の弱そうな男性。ランサーが「あー、喫茶店じゃねえぞ、ここは」なんて言うのを聞き、小さく首を横に振っていた。
「いえ、そのう――探偵事務所、ですよね?」
――そう、この男性こそ、空幻探偵事務所初めての依頼人≠ナあった。
「……ふうむ、それで、あなたのサーヴァントが怖がってしまってどうしようもないと」
「そ、そうなんです……」
話はこうだ。
家の隣にある人工林、そこに何やら生き物が住み着いた。それがどうやら彼のサーヴァントにとっての天敵らしく、最近では家から出る時にも怯える始末。どうにかしようにも住み着いたソレというのが……
「ど、どうにも、なにかサーヴァント由来のもののようで」
「ほうほう!」
で、あればこそ、私たちの出番というわけだ。
「なるほど、委細かしこまりました。その問題――私たちが解決致しましょう!」
ねえ、ランサーくん! と隣で何やら紅茶などを嗜んでいる男に声を掛ければ、やる気のない顔で「そうだなー」という気の抜けた返事がかえってくる。
「どんと任せてくださいよ! その生き物の正体から原因まで全てまるっと調査して――」
「あ、ああいや、正体はわかっているんです」
「え」
私は握りしめた拳を突き上げたまま動きを止めた。なにが、わかっているって?
「わ、わかっているのであれば、一体なんの依頼を……?」
男性は申し訳なさそうに肩を小さくしながら、困惑する私の顔を上目遣いで見上げて呟く。
「その……できるのであれば――駆除を、お願いしたくて……」
「こんなの探偵の仕事じゃないよーーッッッッッ」
「うるせえな、お前が受けたんだろうが!」
等間隔に植えられた木々の合間に私の叫び声がこだまする。ランサーはといえば心底鬱陶しそうな顔で手にしたリンゴに齧り付いていた。
「……どうしたの、それ」
「ん、おつかいの礼だとよ」
「ああ、田村のおばあちゃんのね……」
他にもいくつかの食材が入った紙袋を片手に、彼は悠々と歩いている。それが少しだけ気に入らないものの、まぁ、今のところ危険もなさそうだし、放っておく。
「で、何探すんだったか」
「もう、ちゃんと話聞いてなかったの? ――猫≠セよ、猫=v
依頼者のサーヴァント……「大黒天」の天敵、猫の鳴き声が夜な夜なここから聞こえる。それをなんとかして欲しい、というのが彼の話だった。
「でもサーヴァント由来のものらしいから、多分、ただの猫じゃないと思うけど……」
「害獣駆除みたいなもんか」
「うう、出来れば保護とかで穏便に済ませられればなぁ……」
私猫派だし。と言いながらチラリとランサーを振り返る。それに気づいた彼は「なんだよ」と不機嫌そうな声を出した。
「……ランサーは犬だもんね」
「あ? お前そりゃどういう意味だ」
「別に〜、犬の方が好きだもんね? ってことだよ、クランの猛犬さん」
「ぜってえ別の意味もあったろお前……」
「べー」
こんなやりとりも私とランサーにとっては日常茶飯事。別に、仲が悪いわけではないのだ。
彼を召喚してもう八……九年ほどだろうか、私たちはお互いにこんなふうな言い合いをしながらもうまくやって来ている……と、思う。私が独り立ちする! と(母公認で)家を飛び出しこの仕事を始めた時も、「仕方のねえやつ」とだけ言って私について来てくれたのは、きっと私のこと憎からず思ってくれているからだと思うし。
……ああ、いや、サーヴァントってマスターがいないと消えちゃうのは、あるかもしれないけど。
(……ちょっと不安)
ランサーはどうかはわからないけど、私はいうほどランサーのことは嫌いではない。むしろ好きと言っても良い。恋だ愛だはわからないけれど、家族のように大切にしたいと思う。
けれどもし、彼がついて来てくれるのがわたしがマスター≠セからってだけだったら? 主従関係のために逆らえないだけなんて嫌すぎる。主人が大好きで追従する犬でいてくれる方が何百倍嬉しいことか……
「わん」
……いやいや、犬の鳴き真似をしろということじゃなくてね。
「…………いや、まって、今のって……」
「――下がってろ」
目の前に青い背中が映る。後ろ手に押し付けられた紙袋を受け取った瞬間、彼が魔力で編んだ私服は光となって解け、戦闘用の様相へと変化した。
その右手には赤い槍……ゲイ・ボルグが握られている。
「ってことは……サーヴァント……!?」
がさり、声のした方の茂みが揺れた。私も流石に警戒し、半歩ほど後ずさったところで――私の手元から、赤いリンゴが一つ、地面に落ちる。
「――タベモノ!」
ハッとした。私が一瞬地面に気を取られた瞬間、ソレは私めがけて飛びかかっていたのだ。もちろんそんな無体を私のランサーが許すはずもなく、その凶悪な
そうして現れたサーヴァントの姿は、そう、なんというか……まさに、獣、という他なく――
「き……狐!? あれっ、でもさっき、ワンって……」
それに、依頼人は「猫」と言っていた。どういうことだ、と混乱する私をよそに、ランサーは再度槍を振るう。
「弱そうな方から狙うなんてのは知性がある証だ! おい、マスター! もっと離れてろ!!」
「う、うん……」
そうは言うものの、対峙したサーヴァントは見る限りでは全くの獣。対話もなく襲いかかってくるあたり、そこまでの知性は感じられない。
もしくは、そうなるほどに切羽詰まっている……?
――タベモノ。
「……あ……! ランサー!」
私は思い立ち、彼を呼ぶ。チラリと視線だけを向けてくる彼に手を伸ばし、「飛んで!」とだけ叫んで令呪を発動させた。
「おう、よ……っ!」
それだけで意図を汲んではくれたのだろう。獣の猛攻だけは防ぎつつ、空けた左腕で器用に私を抱え上げ、私たち二人は宙に飛んだ。そのまま追いかけてくるかと思われた敵性サーヴァントと……先ほどまで私が持っていた紙袋の中身だけを地上に残して。
「……追いかけてこねえな」
すぐ後ろにあった木の上にうまいこと着地をし、彼は名称不明のサーヴァントから目を逸らさずそう溢した。私としては「そうだろう」という気持ちであったのだが、彼には理由に心当たりはないらしい。
「――あのサーヴァント、食べ物、って言ってた。多分だけど、私を襲いたかったんじゃなくて、食べ物を探してたんだと思う」
「は? サーヴァントがか? 俺たちサーヴァントは飯を食うことはできても腹が減りはしないはずだろ」
うん、と私も頷く。しかし今現在、あれが私たちに興味をなくしている理由が、それしか思いあたらないのだ。
「まぁ……確かに、俺らが持って来たもんを漁ってるみたいだが……」
「いや、違う……あれ、漁ってるんじゃなくて、
「は?」
人参を二つ手に取り、ジッ……と見つめたかと思えば細い方を右端に置き、空いた手でまたもう一つ人参を手に取る。そうしてまたジッ…………と見つめて、今度は小さい方をその横に置いた。
その仕草はまるで、食材の状態順に並べ替えているようで……。
「……ランサー、降りて! 私あの人と話がしたい!」
「……できるか? 突然飛びかかってくるようなやつだ、このまま仕留めた方が良いと思うがな」
「できる! ……話し合いで解決できるなら、そうしたいよ、私は」
「そーかい」
私の意思を尊重する、と、彼は少し諦めの混じったような顔で微笑んだ。彼が軽やかに地面に降り立った時、その獣はゆっくりとこちらを振り向いた――。
「キャットはタマモキャットという、よろしくナ」
「はぁ」
差し出された獣足の肉球の上に、そろりと私は自身の手を置いた。彼女は、そんな私の様子に満足そうに頷いて返すばかり。
「タマモ……ということは、玉藻の前?」
「そうでもあるが、そうでもない、アタシはアタシなんだナ」
「は、はぁ……」
この狐とも猫とも犬ともつかないサーヴァントは、ニコニコとそう言って笑っている。……うーん、タマモってことは多分狐だと思うんだけど……でも、大黒天的には猫判定だったみたいだし……そもそも、なぜ、ワン! なんて鳴いていたのか……。
「で、お前さんはマスターも連れずこんなところで何してんだ?」
困惑しきりの私に代わり、ランサーは本題の方へ話を戻してくれる。そうだそうだ、理由が分からねば対処もできない。私はうんうんと便乗するように頷いて、「お腹も減っていたみたいだし」と付け足した。
「いや、空腹ではないのだガ――時に御両人、料理などはするのカ」
――料理?
「いや……私もランサーもあんまり……それがどうかしたんです?」
「フム……」
しょんぼりと耳を下げ、彼女は手にしていた野菜たちを見下ろした。
「実はナ……アタシは料理が上手いのだがここ最近はそれを披露する機会もなく……それでもどうしても何かしたかったアタシは、こうして自然の中を探索し食べるものナド探している次第」
「はぁ、なるほど……?」
始まった身の上話にとりあえずの頷きを返し、それでそれで、と続きを催促する。ランサーはといえば、退屈さを隠しもせず大きく口を開けてあくびなどをこぼしていた。
「しかしなかなか何も見つからず……もはやここまでかと思っていた時に貴様たちが美味そうな匂いを漂わせ現れたものでナ、つい、飛びかかってしまっタ!」
許せ! と笑う彼女の表情からは悪意なんてものは何も感じられず、私も「そういうことなら」と納得して頷いた。まぁ、怪我をしたわけでもないし、目くじらを立てなくてもいいか……という感じではある。
「でも、そんなに料理がしたいなら、あなたのマスターにお願いすれば……」
「――いいや、私にご主人はいないゾ」
「…………えっ?」
ぴり、と空気が張り詰めた。彼女のいうことが本当なら、彼女はマスターを持たないはぐれサーヴァント……自立型のサーヴァントということになる。
それは、つまり――制御できる者がいない、鎖の外された猛獣、ということだ。
(どうしよう、これはさすがに、然るべきところに連絡を……)
震える指先がポケットの中のスマホに触れる。隙を見て逃げるのか、言いくるめるべきか、そう考えていると、ふと、先ほどの彼女の横顔を思い出した。
――どうしても……。
「どうするよ、マスター」
問いかけるランサーの視線は真剣だ。きっと、私がやれというのなら、彼はここで彼女を討ち果たしても構わないと思っているのだろう。
でも……でも、私は……叶うのなら、
「……そうだ……!」
――後日、《池袋》のとある食堂に新たな従業員が追加された。そこの店主は腕っぷしの旦那さんで、召喚したサーヴァントもなんともお強い英霊だとか。
それこそ、自律サーヴァントの一体くらい、どうにだってできるくらい。
「甘いよな、お前も大概」
「そうかな? 物語はハッピーエンドの方がいいって、思うだけだよ」
私は今回の依頼書と報告書を書き上げ、「解決済み」のハンコを押す。記念すべき一つ目の依頼の書類とお礼の手紙をまとめてファイリングし、私はそれらを本棚へと仕舞い込んだ。
「……さて、ご飯にしよう! ランサー!」
テーブルの上には頼んだばかりの二人分のケータリングが並んでいる。美味しそうな湯気をたてるそれには、少し乱暴な字で「感謝!」の一言と、どこか見覚えのある猫のイラストが添えられていた。