「朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。」

 今までで一番最悪な朝だった。

「……寝坊だ」

 時計を見てつぶやく、午前七時四〇分、仕方がない、夢見が本当に最低だったのだから。
 どんな夢だったかは、忘れた。忘れたと言ったら忘れたのだ。所詮夢なんてものは記憶の整理でしかないのだから憶えている必要もない。

「今日は、朝ごはんは、パス……」

 まだ眠い目をこすりながら急ぎ気味に支度をはじめる。まずは着替えだ、制服を着なくては、それにしてもこんな時間まで誰も起こしてくれないとは、薄情な世の中である。

「――涼、入るぞ」

 ノックの音がきこえ私が返事をする間もなく彼が、言峰綺礼が部屋へ入ってきた。
 ……絶賛お着替え中の、私がいる部屋へ。

「……きゃあ」

 形だけとりあえず悲鳴をあげてみる、彼は少しぱちくりと瞬きをしたあと、いつもの顔に戻って「まだ支度が終わっていなかったのか」とため息を吐いた。
 仮にも思春期の少女の着替えを(不可抗力とはいえ)覗いておいてその反応とは、まったく恐れ入るものだ。

「今朝、凛から電話が来た」

 私の文句を聞く間もなく、彼が告げる。
 わかっている、なんとなくそんな気はしていたのだから。


「彼女は本日をもって正式なマスターだ」

 やはり、そうなったか。
 わかってはいたが、出来ることならそうはなって欲しくはなかったと少し残念に思う。

「お前も今日から、更に気をつけて学校へ行くことだな」

 あぁ、行かなくて良いことにはならないのですね、出来れば家でおとなしくしていたいところなのですが。

「そんな不満そうな顔をするな、そもそもお前がマスターでありながら教会に身を寄せていること自体が良いことではないのだからな」

 まぁそうなんですけど。

「だって私正式なマスターじゃないもん」

 自分の右腿にある令呪を、そっとなぞった。
 これは、魔術協会から派遣されてきた魔術師――名はなんと言ったか――から奪ったものである。
 聞いたところによると、その女性≠ヘ綺礼の顔見知りの方だったらしく、
 ……その点において私はこの令呪が面白くないわけだが。

「なんだ、それについてまだ何か思うところがあるのかね」
「ない、……元々私が欲しいって言ったんだし」

 そう、欲したのは私、
 自分でも矛盾していることを言っているのはわかっているが、私にはどうしても忌々しいコレが必要だったのだ。

 ――綺礼の役に立つためにも。

 まぁ、その令呪が、私の元にあるということを大抵の人間は知らない、魔術協会も、そして、聖堂教会も。
 それもそのはず、聖堂教会から派遣された監督役、その綺礼が教会にこの事実を報告していないのだから知らないのは当然である。

(絶望的な人選ミスって感じ)

 自らの愉悦の為にマスターを襲い令呪を強奪、その事実を隠蔽するなど、

「聖職者にあるまじき行為……」
「何か言ったか?」

 あはは、と笑いながら支度を続ける、もう綺礼が居ようと関係ない、気にしていたらきっと学校へは間に合わない。
 私の令呪は足の付け根から十五センチほど下にあるので、制服を着ていれば通常誰かに見られることはなかった。
 タイツを履いていれば完璧なのだが、それでは令呪の発動時に面倒なのでガーターを着用している。
 ……というのは建前で完全に私の趣味だ、校則的にはバリバリアウトである。

「それで、他に用はあるんでしょうか?」

 鏡で身だしなみを整えながら尋ねた、今日は致命的な寝癖はない、ラッキー。

「……」

 彼は黙って私を見た後、

「…… 涼」

 いつになく深刻そうな顔で、

「また少し、胸が出てきたのではないか?」

 ——まったく場違いなことを口にした。

「なっ………」
「成長期というやつかな、そろそろお前も可愛い下着のひとつやふたつ」
「出てってーーーー‼」

 その言葉を聞き終わらないうちに、彼を部屋の外へと押し出し、バタン、と扉を閉めその場にへたり込んだ。

「さいっ……てい‼ ばか‼ 綺礼のばか‼」

 扉に向かって叫べば、向こう側からクスクスと笑う声がきこえる。やられた、またからかわれたのだ、あの性悪神父め。
 遠ざかる足音を聞きながら制服へと手を伸ばす。腰で止めた膝上三センチのスカート、首元までしっかりボタンを閉めたブラウス、黒いヘアピンで止めた横髪、派手すぎない暗めの赤色のメガネ——

「完璧……」

 どこからどうみても模範的な女子生徒である。……スカートの中を除けば。
 最後に枕元に置かれたロザリオを手に取り、首へかけて制服の内側へしまいこむ。

「ふむ」

 今日もこの、私の大事な礼装に問題はないようだった。

 
 このロザリオは、幼い頃綺礼の父、璃正神父が私へくださった礼装で、「所持者の魔力を周りから感知されないようにする」ためのものである。
 残念なことに私は凛のように魔術の才能があるわけではなかったが、魔力の貯蔵量だけはこの一帯で一番のモノらしい。
 
 ――私の魔術は「蓄える」ことに特化している。
 大気中の魔力、マナを無制限に自分の力として蓄え振るうことができるのだが、これはまた大層大変なことだそうだ。私からすれば生まれつきそれが出来るのだから、何がどう大変なのかわからないが。
 そして無制限に使うことができるマナの力であるが、これまた無制限に私の中へ溜まっていく、どこかで発散しない限り延々と。
 なので私の場合は定期的に何処かで魔力を発散している、そうしないと風船のようにパチンと割れてしまうらしいのだ。最近は特にギルガメッシュやランサーへの魔力供給がそれだ。まぁランサーに関しては燃費が良く中々魔力が減る事はないのだが。

 
 ……話は長くなったがつまりはそういう訳で私の魔力量はすごい、もう本当すごいらしい、まったく活用できていないけれど。
 なのでこの礼装を身につけ、他の魔術師に悟られないようひっそりと身を潜めているわけだ。

「……あー」

 時計の針が八時を指した。考え事なんてしている場合ではない。
 いってきます! と声をあげて、教会を飛び出す。今から走ればきっと朝礼には間に合うはずだ……! 
○ ○ ○


clap!


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