「そのころヤラベアムの子アビヤが病気になったので、」

「……あ」

 静かに目を開け、二、三度瞬きをする。また夢を見ていたようだ、頬が濡れている。空はまだ暗く、遠くの方で昇りかけた陽の気配を感じた。

「今朝は早起きだな」

 隣から、今一番聞きたかった声がする。

「おはよう綺礼……」
「おはよう、良い夢は見れたかね?」

 ぼちぼちかなぁ、と笑えば、彼が私の目元を拭ってくれた。

「相変わらずのようだな……また、別の世界の夢か」

 彼の問いかけに、少しだけ頭を動かして頷いてみせる。

 ――大気中のマナには、どうやら色々な記憶が混ざりこんでいることがあるらしい、
 そう、例えば、ここじゃないどこかの世界の話。
 かのゼルレッチがその魔法を持って実証した、並行世界の記憶、とか。

「それはこの世界の話ではなかろう、恐れることはないだろうに」

 頭を撫でる手の感覚に目を細める。

 たしかに、そうなんだけど、
 もし、
 もしここにいる私も、何か一つ間違えば、


(そうなってしまうかもしれないなんて)

 考えるだけで身がすくむのだ。
 だって、どの夢にも、あなたがいないんだから。

「さみしい夢だったから」

 どんな夢かは、もう忘れたけれど。
 そうか、と彼が撫でる手を止めた。
 少し名残惜しい気もしたが、時間も時間なのだろう、仕方がない。
 昨晩、彼らが、衛宮士郎がこの教会を訪れてから、どれくらい眠っていたのか。
 時計を見ればもう昼も中頃の時間で、平日なら間違いなく午後の授業にも出られなかっただろう。

「休みで良かった、」

 いつまでもゴロゴロしていたいのは山々だが、目が覚めてしまったのなら起きなければ。寝台から立ち上がり、軽く伸びをする。
 ……衛宮士郎は結局、何も言わずに立ち去った。
 教会を訪れて、監督役を名乗る男の後ろに佇む私を見た時、一瞬だけ眉根を寄せたものの最後まで私に言及することなく凛と共に帰っていった。

 つくづく、甘い男だ。

 殺し合いときいて、潰し合えと言われて、それでも私を気遣い何も言わずに立ち去ったのだから。

(本当にお人好し)

 未だ寝台に腰掛けたままの彼を、ちらりと見る。
 彼は、なにか? といったように少し首を傾けた。
 私は彼にも何も言っていない。
 衛宮士郎が私をマスターだと知っている事とか、本当は私に聖杯にかける願いなどないことだとか、
 何も言ってはいないけれど、それで良い。
 どうせ言峰綺礼という人間は、それすらも愉しんでしまうのだろうから。

「……?」

 じっと見つめながら、何も言わずにいる私を不思議に思ったのか、少しだけ口を曲げ、眉を寄せ眼を細める。
 ……………………………かわいい。

「いやいやいやいや」

 アラフォー男を捕まえて可愛いとはこれいかに。私の頭もとうとうおかしくなってきているのだろうか。

「なんだ、先程から何も言わなくなったと思ったら突然」

 少し身を引き、顔を歪める、うんうん可愛い可愛い?

「ん? あれぇ?」

 彼を見ていると顔が熱くなっていく、恋か? 恋だろうか? いやそれはそうなのかもしれないがこれはさすがにおかしい、そういえば少し彼の姿がぼやけるような。

「あれ……?」

 視界が揺れる、目の前に居るはずの彼の姿が見えなくなって、歪んだ天井が映る。
 彼の呼び掛ける声が聞こえるような聞こえないような、そんなふわふわした心地で目を閉じた。
○ ○ ○


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