「イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。」
その日の柳洞寺は一際静かだった、きけばギルガメッシュが人払いをしたらしい。
まぁ恐らく綺礼に言われてのことだろうが。
……あのイリヤ城での一件以来、彼とは顔を合わせていない、会えば殺されるのかもしれないと思えば、それは確かに喜ばしいことなのだが。少しだけ、寂しい。
空を見上げると、起動した聖杯が目に入る。
「……イリヤ」
聖杯を求める以上、この結末は避けようのないものだとわかってはいた、わかってはいたのだが、
「…………イリヤ、」
胸の奥が締め付けられる、耐えられなくなり、思わず彼女から目を逸らした。
綺礼の為なら、誰を殺したって構わない、と、思っていたはずなのに、いつの間に絆されてしまったのか。
「……それでも、私は止まれないの」
綺礼のために、綺礼と生きるために、
そう決意を新にして顔を上げると、前方から人がの気配が近づいてきている事に気がついた。
「来たか……」
心なしか興奮気味の彼の声色に私の心音も一際早くなる。
歩いて来たのは――予想通り、凛と、衛宮先輩だった。セイバーは、恐らく正門でギルガメッシュの相手をしているのだろう、姿が見えない。
「言峰、……神崎、」
先輩の、緊迫した声が聞こえる。それに応えたのは、綺礼だった。
「――よく来た、少年、そして、凛、お前が……いや? お前達が最後のマスターだ、さぁ……その答えを私に見せてくれ」
綺礼が、ふたりに歩み寄る。
その後ろに付き添って、彼に耳打ちをした。
「……私が、凛を」
「そうだな」
それだけ伝えて、瞬間的に筋力増加の魔術で前方へ走り出る。
「……ッ!」
驚く先輩を通り抜け、凛の眼前へと至り、拳を振りかぶり、
(まずは、いっぱつ……!)
しかしそれを予想していたかのように、彼女が目の前に宝石をかざした。
「……行って!」
凛が衛宮先輩へ声をかけている、それはつまり、私なんて一人で充分だということだろうか。
……舐められたものだ。
右腕を、彼女の脇腹めがけて振り下ろす、が、彼女の宝石がそれを阻んだ。
「……エメラルド」
「そうよ、相変わらずわかりやすいわね、アナタ!」
今度は赤い宝石を取り出すのが見える、恐らくルビー……決して至近距離では浴びたくないものだ。
「ち……」
軽く舌打ちをしながら彼女を蹴り上げる、
それは案の定腕で防がれてしまうが、それを踏み台にして後方へ跳んだ。
「逃げんな!」
「逃げてなんかない……っ!」
周囲のマナを集め、魔力の盾、のようなものを作る。
所詮見よう見まねで作ったハリボテだ、凛の攻撃を受けるたびに四散していく。
そしてその度に作り直し、壊れてはまた作り直した。
単純なごり押しだ、普通なら五分と持たないだろう、が、私の魔力量を持ってすれば、
「これくらい、防ぎきれる……っ」
十、二十ほどを無効化したところで攻撃がぱたりと止んだ。このままでは無駄だと理解したのだろう。
「煩わしいわね……!」
苛立った様子で吐き棄てる彼女を、正面から見据えた。
「……逃げるわけ、ない」
目を逸らさずに、睨み合ったまま、さっきの答えを口にする。
「やっと……やっと勝てるんだから」
「え?」
彼女が、なんのこと? と眉をひそめた。
(ずっと、私は、)
この時を夢見ていたのだ。
凛、
綺礼が、ずっと気にかけていた弟子、
優秀で才能に溢れる、魔術師、
私が、欲しくて欲しくてたまらなかったその肩書きと、それを、さも当然のように手に入れてしまった、彼女。
彼女が、羨ましくて、羨ましくて羨ましくて悔しくて憎くて辛くて苦しくて、
それでも、嫌いにはなれなかった彼女を、
「……ようやく貴女に勝てる、鍛錬なんかじゃない、本気の戦いで……!」
私の言葉に彼女が悲しそうな表情を見せた、が、そんなことは私には関係がない、強化された脚で、思い切り踏み込む。
私の出せる最大速度で彼女の元へ跳んで、
「私は、貴女より、強い……!」
右の拳を、今度こそ彼女のみぞおちへ叩き込んだ。
「っぐ……!」
寸前で宝石を構えたようだが、発動が遅い、頭が回る分考えてしまい反応が遅れることがあるのが彼女の難点だ。
そのまま数メートル飛んだ先で、なんとか態勢を整える。
そこへすかさず追い打ちをかけた、脚で、拳で、身体で、肘で、膝で、あらゆる技を駆使して彼女を追い詰めた。
宝石の力でそれを防ぐ彼女だったが、宝石には限りがある、私の体術は、私が動ける限り、終わらない。
次第に彼女は息を切らし、肩を上下させながら、足をふらつかせていく。
「……っそこ‼」
その足元を狙い、強く脚で薙ぎはらった。バランスを崩した彼女は、仰向けに地面に倒れる形になり、そこに、その脚に、渾身の魔力を込めたガントを撃ち放つ。
「がっ……⁉」
彼女の脚は、その威力で使い物にならなくなった。これで、もう彼女は立ち上がることもできまい。
勝負はついた、悶える彼女のそばにより、顔を覗き込む。
「勝った……! 私の勝ちだ、凛!」
まるでいつもの鍛練の時のように、大事などなかったかのように、笑った。
あぁ、でも違う、鍛練ではない、私は本当の意味で彼女に勝てたのだ、と、喜びながら……少しだけ、胸が苦しくなって、視線を落とす。よく見れば、私の手足はもうボロボロだった。宝石魔術を無理やり素手でぶち破ったのだ、当然といえば当然だろう。
「こんなにぼろぼろの手でも、綺礼は好きになってくれるかな」
そんなことを考えて、ハッと思い至る。そういえば彼はこの戦いを見ていただろうか。
彼は私の勝利を褒めてくれるだろうか。
期待に胸を膨らませ、彼等を振り返る、と、
衛宮士郎の背中に、かつて夢で見た短剣が握られていた。
「あ」
あの悪夢を思い出し、全身の毛が逆立つ。
次の展開を思い浮かべるより先に足が動く、早く、早く、早く早く早くアレを止めなければ。
「っ……!」
届かない、私では間に合わない、あぁ、彼が、彼がそれを振りかぶってしまう、もう、止められない。
止められない、ならば、
「……っ綺礼……!」
決意して、彼の前に躍り出る。背中に彼をかばい、迫り来る短剣の先を見つめ、
……少しだけ怖くなって、目を瞑った。
「――あ、」
どくん、と一際心臓が大きく鳴った気がした。
まるで最期に、この命が確かに生きていたとでも主張するように。
「……く、あ、っ」
じくじくと、胸に刺さった短剣から、魔力が流れ込んでくるのがわかる、おそらく、凛の、そして僅かながらも、衛宮士郎の。
胸の傷口から血が吹き出して、数秒、もうすでに私の心臓は動きを止めていた、それでもまだ倒れる訳にはいかないと、目の前に立つ先輩を睨みつける。
先輩は驚いた様子で、「どうして、」と唇を震わせた。愚問だ、まさか本当に何故かわからないというのなら、先輩はなんと愚かなのだろう。
しかしその顔を、驚愕と落胆のその表情を見られたのならば満足だ。
そう感じた瞬間、四肢から力が抜け、私は自分の身体を地面に放り出した。最期に、彼の顔を見ようと、少しだけ振り向いて、その瞬間に視界が赤に染まる。血が、降ってきたのだと理解して、瞬きをした。けれど視界は一向に晴れなくて、彼の姿は見えなかった。
それでも私は満足だ、満足なのだ。
今度は……今度こそ、私は彼を守ることができたのだから。
(綺礼……私、ちゃんと、できたよ)
そうして瞼を下ろそうとした時、何かが私に覆い被さるような感覚がして、ふわりと、懐かしい、私の好きな、彼の香りがして、
小さく、何か、言っているような、そんな、それから、
それから、
それから――
ようやく、目を覚ました。
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