「これが、
歩む足は止めないまま、それを仰ぎ見た。
ドクン、ドクンと脈打つように見えるそれは、やはり生きているかのようにも思え、しかし未だ生命の気配がなく、死んでいるようにも見える。
いや、正しくは産まれていないのだ、まだ、
(綺礼はアレの誕生を望んでいる)
正しくは、アレが産まれ落ちた後の、絶望を、恐怖を、悲しみの総てを。
アレがこの世界にどんな影響を及ぼすのか、それは彼自身の生涯をかけた問い掛けに答えをもたらしてくれるものなのか。その答えに辿り着く方程式を持ち得るのか。
ただそれだけ、純粋にそれだけを求めて彼は今動いている……死にながら、動いている。
そんな事を考えながら紛い物の聖杯の前に辿り着くと、そこには二人の男が立っていた。
立っている、と言っても双方ともボロボロで、そのどちらもが今すぐに命を落としてもおかしくはなかった――いや、そもそも、あれらはまだ生者であるのだろうか?
心臓の止まった男、そして身体の中からから無数の刃物に貫かれている男、傍目から見れば、こんなのは死者の争いに他ならないのだろう。
「……綺礼!」
出せるだけの大声で彼の名を叫んだ。
彼は、向かいにいる男から目を離すこともなく「涼か、」と当たり前のように応える。むしろ、もう一方の男、衛宮先輩の方が動揺を隠しきれていない「なんで」と小さく問い掛けられた。
(その問いは何度目だろうか)
チリ、とかつての夢の先輩が、目の前の先輩に重なった。
先輩は知らないと思うが、私が現れるたびに彼は「なんで」「どうして」と問いかけてくる。そんなこと、訊かなくたって彼はわかっている筈なのに。
「……邪魔はするな」
彼が低く言い放った、あまりにも真剣なその声に、私は思わず足を止める。しかしなんとかもう一歩だけ踏み込み、また声を張り上げた。
「……邪魔はしない……! 私は、貴方の邪魔がしたい訳じゃない! 貴方に、生きて欲しいだけ……!」
そう言った私を一瞥し、彼が自嘲気味に笑う。
「馬鹿な事を、見ればわかるだろう? 私も衛宮士郎も最早助かる術などないのだと、もうすぐやってくるその刻限まで大人しく待つしか出来ない死に体であるのだと」
微笑みを崩さない綺礼と対照的に、衛宮先輩の顔が苦痛に歪む。
彼の言う通り、二人の生命力など等に途絶え、動いているのが奇跡と言っても良い状態なのは知っている。
「……私にはあるよ、綺礼の為に、出来ること」
もう一歩、距離を詰めた。
何を、と言いたげな彼を横目に、
「綺礼は、喜ばないかもしれないけど、怒るかもしれないけど、ごめんなさい、私、これだけは綺礼の言う事きけません」
もう一歩、もう一歩、
一歩ずつ聖杯モドキへ近づいていく。
「……おい、まさか」
何かに気づいたらしい綺礼が初めて動揺らしい動揺を見せた。
それが少しだけ嬉しくて、悲しくて、少し彼の方を見てから――
「悪い子で、ごめんなさい」
そう言って聖杯へと走り出した。
後ろで二人が何かを言っているような気がしたが、聴こえないフリをしてソレへ手を伸ばす。
そして私の指がソレに触れた瞬間、
黒い泥が、私を包み込んだ。