「そういうわけだから、神に従いなさい。」

 果てのない暗闇を一人歩く。
 周りに浮遊しているナニか、足元に散らばるナニかが、私にまとわりついては私の中へ入ってくる。
 それらは恐らく、怨念、妬み、悲しみ、苦しみ、それら全ての、呪い――
この世全ての悪アンリマユが孕む、歪んだ聖杯の呪い、
 普通の人間が触れれば、気が触れて、命を落とすような、呪い。
 その中で私が生きながらえているのは、この体質のおかげだろう。

(まさか、呪いすら魔力に変換して蓄えられるとは)

 聖杯の器としての適正のある私なら、あるいは、聖杯を取り込むことも出来るのではないかという自惚れはあったが、まさか本当になんとかなってしまうとは正直思っていなかった。

(流石に取り込むのは無理だったか、むしろ取り込まれているみたいな感じだし)

 そう思いながらキョロキョロと辺りを見渡す。だがどこもかしこも完全なる暗闇で、前も後ろも上も下もわからない。
 そんな中で私が自分の存在を見失わずに済んでいるのは、皮肉なことに、この呪いのおかげだった。
 呪いの泥が私に触れる度に、私の空だった身体に魔力が宿っていくのがわかる。
 その度に私は確かにここにいるのだと再確認できるのだ。

(でも……流石に……胸焼けがする……)

 質の悪い魔力を一度に大量に吸収しているだけあって、気分は最悪だ。普通の人間ほど早くはないが、私の気が狂うのも時間の問題に思えた。

(その前に、見つけなきゃ)

 目を閉じ――いや、すでに閉じていたのかもしれないが――精神を集中させる。
 今蓄えたばかりの魔力を利用し、周りへ魔力で編んだセンサーの網を広げた。

(……どこ……この、聖杯の中心、核は、どこ……?)

 周りと比べ比較的魔力の密度が高い地点を探して、センサーをどんどん広げていく。

(……あ)

 すると、それは意外とあっさりと見つかった。恐らくそこに聖杯の核……のようなものがある場所だろう。
 どうにかしてそこへ向かわなければと目を開ける、と——目の前に、青年の形をした黒い何かが佇んでいた。

「……っ⁉」

 驚き、後ずさる、後ずさっている、ハズだ、
 その青年、のようなものは、「やぁ」と私に話しかけてくる。
 いや、そもそも私はコレをどのように知覚しているのか。
 周りは相も変わらず一寸先すら見えないような真暗闇で、彼? はそれこそ溶け込んでしまうような闇の色をしていた。
 ……いや、ここはもはや聖杯の腹のなかなのだと思えば、あり得ない事象ももはや納得するしかないのだろうか。

「……あなたは?」

 それに言葉をかければ、嬉しそうな顔…嬉しそうな気配で、「俺?」と返事を返してくれる。
 どうやらコミュニケーションを取ることができるらしい。

「俺はこの聖杯の子供、この世全ての悪アンリマユ……の、モデルになった、名前もない英霊モドキ……みたいなもんかな?」

 本人もよくわかっていないのか曖昧な答えが返ってきて、はぁ、とこちらも曖昧な返事を返してしまう。

「お姉さん、聖杯に飛び込んでくるなんて勇気あるね〜! オレそういう気の強い女は好きだぜ?」

 カラカラと笑うそれは、カタチは無くとも確かに自我があるらしい。
 そして彼は先ほど、この世全ての悪アンリマユと、名乗った。
 まさか、

「……今生まれたがっているのは、あなたなの?」
「そうだよ」

 あっけからんと答える……なるほど、私が考えていたよりも、アンリマユは人間らしくできているようだ。

「まぁ、このまま順調に生まれ出るのは、正しくは俺ではないんだけどな」

 それはそうだろう、恐らくこの聖杯が生み出すのはここにある呪いと同じ種類の泥だ、少なくとも人型のナニかを生み出したりはしない。

「だけどその呪いは俺であり、俺はその呪い自身だ、お姉さんのそこに溜まっている、それも」

 人の指が私の腹部に触れる、その瞬間、私の中に吸収されたはずの呪いがそれに呼応するかのように騒ぎ出した。

「……っ!」
「あぁー、ごめんごめん、お姉さんやっぱ苦しいんだ? へぇ、なんだ、平気な顔してるからアンタもこっち側の人間なのかと思ったよ」

 カラカラと、カラカラと、それは笑う、
 腹の底からも、カラカラと、ケタケタと、笑い声が私を揺さぶる。
 ――気持ちが悪い、気分が悪い、今すぐにこの不快感から逃れたい。
 逃れたい、逃れられない、逃げ道がわからない、
 辛い、苦しい、悲しい、苦しい、苦しい、苦しい苦しい苦しい苦しい、
 誰か誰か誰か、誰か、

「おねーさん?」
「っあ、はっ、は……!」

 ソレの呼びかけで、私は呼吸を取り戻す。
 いつの間に止めていたのだろうか、覚えがない、が、私の体はようやく酸素が回って来たとばかりに活動を再開させた。
 頭の中を不快感がぐるぐると回る、正常な人間はこの何倍という負の感情に襲われるのだろう、気が狂わない訳がない。

(早く、外に出ないと)

 そのためには、この聖杯をどうにかしなくては、
 どうにか、
 私のものにしなくては。

「……ねぇ、今生まれたがっているのは、貴方なんだね」

 先程の問いをもう一度口にする。
 もし、私の考えが間違えていないのなら、

「……そうだよ?」

 また同じ質問か、と彼は呆れたような声で答えた。
 そう、そうだ、それなら、

「……でも、生まれ出るのは、貴方じゃないんだね……?」
「……何が言いたい」

 彼の声に怒りが混じる、それと同時に周りの呪詛の勢いも増していく。
 怒り、怒り、怒り、そして、悲しみ、
 この感情は、知っている、
 私はこれを知っている、
 いつかの夢でみたあの「幻の四日間」もしあのアンリマユと、このアンリマユが同じものでできているのなら――
 
「アンリマユ、私が貴方の望みを叶えてあげる」
 
 私の一言にソレが止まった。
 何を言っているんだ、と言わんばかりの沈黙、私に取り憑いていた呪いの類も今は息を潜めている。

「貴方はきっと、そう……三度目の聖杯戦争で呼ばれた本物のアンリマユ=A何者にもなれない、かわいそうな子」
「……は」

 ようやくソレが返した返事はただそれだけだった。まるで嘲笑っているような笑いをこぼし、また黙り込んでしまう。

「貴方には何もない、貴方として生まれることも出来ずに、ただここでかつてあったモノとして存在し続けるしかない」

 ソレからの反応は、ない、私は構わずに言葉を続けた。

「……私なら貴方を救ってあげられる、貴方が生前から欲していた、日常も、幸せも、何もかも……! だから……私にこの聖杯を渡して……!」
 
 そう叫んだ瞬間、真暗闇だった空間に光が漏れる。
 遠くに、一点、恐らくあれは聖杯への入口、ということなのだろう。その光によって目の前のソレの輪郭がはっきりと見えた。
 しかしそれは黒いナニか、としか言えず、はっきり見えているにも関わらずそれがなんなのかはわからないままだ。

「アンタに何が出来るんだよ」

 ズ、とその影が此方へ歩み寄る。

「……私が、貴方ごとこの聖杯を貰い受ける、その代わり…私の意識の半分を貴方にあげる」
「へぇ?」

 その黒い影がまた一歩近づいてくる、少しずつ詰められる距離に少しだけ恐怖しながら言葉を続けた。

「今の貴方には何もない、その人格だって、きっとどこかの誰かを元にしているだけでしょう? だから、私の半分を貴方にあげる、貴方は私として日常を謳歌して、私は貴方として幸せになれる……悪い話じゃ、ないはずだよ」
「……」

 影が、無言で一歩、また一歩と私へと近づく。私はそれを黙って待っている。
 正直、これは賭けだ。
 聖杯を私に取り込んで、私が無事でいられる保証も、私が私でいられる確証もない。そもそも聖杯を司る彼が、それを許すのかどうかも。
 黒い影が目の前で止まった。私は思わず息を呑み、彼の答えを待つ。
 影から腕のようなものが伸び、私の肩を掴んで、

「……気に入った!」

 そして強くハグをした。

「えっ……?」
「いやー、お姉さんやっぱ俺の好みだよ! あっはっは、いいね、いいよ、この聖杯はアンタのもんだ」

 あまりにもあっさりと承諾され、拍子抜けしてしまう。
 仮にもこの世全ての悪アンリマユ≠ニもあろうものがこんなにも物分りが良くていいのだろうか。

「だけど、俺を取り込むってことはそれ相応の覚悟がなきゃ無理だと思うぜ? アンタに耐えられるかな」

 そんなの承知の上だ、と返事をする前に、黒い影が私の中へ入ってくる。
 と、その瞬間、
 先程の呪詛など比較にならないほどの怨念が私の中を這いずり回った。

「……あ……!」

 ぐるぐると世界が回る、
 人が生まれては死んでいく、
 嘆き悲しみ怒り狂い、
 恨み妬み誹り殺し、
 謀り蔑み殺して殺して殺して殺して、
 なぜ生きているのか、なぜお前は死なないのか、
 死ね、死ネ、シネ、シネ、
 死にたい、死にたい、死にたい死にたい死にたい、
 
 ――そんな感情が、脳に、直接、流れ込んでくる。

 一歩間違えば、それが自分のものだと勘違いしてしまいそうなほどリアルな感情の波に、思わず自身の身体を抱きしめた。
 大丈夫、大丈夫、これは私の記憶ではない、
 ならば、誰の――?

「……オレのだよ」

 身体の内から、声が聞こえた。

「あ、んり、まゆ」

 これが彼の、彼と聖杯の記憶だというのか。
 あまりに、あまりにも、酷い。

「同情してくれんの? アンタ思ったよりお人好しなんだな」

 ソレはまたカラカラと笑う。
 その笑い声を聞きながら、なんとか呪詛を呑み下した頃。

「さて、それじゃあここからが大本命だ」

 ずるり、と、その何倍もの影が寄って来るのが見えた。

「……嘘」

 あの地獄のような苦しみが、まだこんなに待っているのかと思うと、思わず足が震える。

「やめておくかい?」

 カラカラと、カラカラケタケタと笑うソレは、私をあざ笑うかのように言った。

「……冗談、耐えられるさ、私なら」

 私なら、
 
 綺礼の、ためなら。
 
 
 ……そこからは記憶がはっきりとしない。
 気づけば私は、はじめと同じようにただ広い空間に佇んでいた。
 一つだけ違うのは、目の前にここからの出口が見えていたことだけだった。
○ ○ ○


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