「憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。」

 爽やかとは決して言えない目覚めに、私は両手で顔を覆う。

「最悪……」

 夢を見ながら泣き叫んでいたとでも言うのだろうか、喉は渇き、目は腫ぼったい。昨夜隣で寝ていた男はといえば、「今朝は忙しい、さっさと起きて学校へ行け」と書置きを残してさっさといなくなっていた。

「あぁ……」

 がっくりと肩を落とし、渋々ベッドから起き上がる。
 こんなに気分の沈む日はいっそ学校もさぼってしまいたい。

「おいおい、浮かねぇ顔だなぁマスター」

 いつからそこにいたのか、青い槍兵が目の前に現れた。
 嫌味の含まれたその物言いに、朝から気分の沈んでいる私は鼻で笑って答える。

「これはどうも、愛しい私のランサー」

 小さく溜息の音が聞こえた。まったくそんなに私が気に入らないなら目の前に現れてくれなければいいのに。

「今日はいつもよりも機嫌が悪そうなことで……言峰に何か言われたの?」

 言峰、と聴いた瞬間に彼の眉がピクリと動く……わかりやすいにもほどがある。

「わかってるとは思うけど、今のマスターは一応私で、言峰綺礼には手を出すなという令呪の縛りもあるはずなんだけど」
「わーってるよ、別に文句を言うつもりはねぇ」

 しかし不満はあると、困ったサーヴァントだ。
「本来のマスターを殺されたこと、まだ根に持ってるの?」

 そう私が言うと、場の空気が変わる。彼の目が見開かれ血のような赤が私を射抜く。
 息が詰まるほどの、殺気。
 しばらくの痛いほどの沈黙の後、向こうが先に口を開いた。

「お前」
「……ごめん、ごめんって、悪かった、今のは私の言い方が悪かった本当にごめん」

 彼が何かを言い終える前に、私は謝罪を口にする。
 この英雄は残念なことに真っ向から正面切ってくるものを悪く思わない習性があった。先にこちらが謝ってしまえば、向こうもこれ以上とやかく言うこともないだろう。

「……」

 案の定、二の句を紡げず彼はただじっとこちらを凝視していた。

「本当にごめん、悪かったって、別にあなたと喧嘩がしたいわけじゃないんだ」

(……今は)

 私も気が立っていた、ともう一度心から謝る。
 ちらりと彼の顔を覗きみれば、先程までの殺気は何処へやら、呆れた顔をして息を吐いていた。

「ったく……そんな顔されちゃ敵わねーな」

 と、彼はいつの間にやら手にしていた槍を引っ込める。
 ……いや、本当にいつの間に出してたんだ、物騒すぎるだろこのサーヴァント、

「お前に怒りをぶつけるのもお門違いってモンだしな」

 何もない空中を見つめ、呟いた。

(順当な怒りだと思うけど)

 私の令呪は、私のものではない、
 綺礼が、ある知り合い・・・・から、腕ごともぎ取ってきた≠烽フを移植したのだ。

「ごめんね、ランサー」

 そんな言葉で済む問題ではないのだけど、せめてもの気持ちとして謝罪の言葉を口にする。彼もまた何も言わずにその謝罪を受け取った。

「そろそろ支度しなくちゃ」

 ようやく私はのっそりと動き始める。今日はだいぶ寝過ごしてしまったらしい、これは朝のお祈りが出来ないとか遅刻だとかそういう次元じゃない、最悪学校に重役出勤だ。

「……お前みたいな強気な女は嫌いじゃねぇんだがな」

 出会い方を間違えたなこりゃ、と頭をかいてランサーは消えていった。

「そりゃどーも」

 と返して、綺礼の部屋を後にする。
 本当、なにをしに来たのか、あのサーヴァントは。
 
 
 
「面目……次第も……ございません……」

 葛木先生を眼前に、私はしおしおと小さくなる。結局学校には全く間に合わず、昼休みからの出席になってしまった。

「今後は気をつけるように」
「はい……」

 葛木先生のありがたいお話を聞き終え、職員室を後にする。廊下では、桜が私の帰りを待っていてくれた。

「大丈夫? 涼ちゃん」
「大丈夫……大丈夫……」

 あの真面目一片の先生に、全く感情の感じられない説教……もといありがたいご高説をいただき、まさに骨身にしみる思いをした私は桜に寄りかかる

「癒しを……」
「もう、でも今回は涼ちゃんが悪いんだから、ちゃんと反省しないとだめですよ」
「はい……」

 しおしおとさらにしぼみ、反省の顔を作った。よしよし、と桜に慰めてもらっているそばで何やら話し声が聞こえる。

「遠坂凛? 今日は風邪をひいておやすみしてるよ――」

 凛が、風邪、

(まぁ嘘だな)

 凛の事だ、どうせサーヴァントを召喚して魔力が枯渇し、尚且ついつものねぼすけが発祥したのだろう。

「……遠坂先輩が」

 桜の心配そうな顔を横目に見た。
 まったく、この子の顔は嘘がつけないにもほどがある。

「心配?」
「えっ? いや、そういうんじゃ」

 ないけど、と言葉尻を濁した。
 本当に、嘘がつけないにもほどがある。

「……明日はきっと元気になってるよ、もしそうじゃなかったら、一緒にお見舞いにでも行こう、ね?」

 赤いコートの彼女がまぶたに浮かんで、いつかの夢と重なった。
 知らない、知らないことだ、知らないったら知らないったら知らないのだ。

「……ううん、それは……遠慮しとく、ね……」

 俯いて、途切れ途切れに答える。

「そっか」

 私は桜のことも、凛のことも、二人のことをわかった上でそれだけ答えた。

 
 そうして今日も夜が来て。

 
「今日は久しぶりに麻婆です」
「げ」

 嫌がる声がひとつ、こぼれる。
 定義的には居候に近い立場の青い槍兵は「こんなものが食物の部類に入るか⁉ いや、入らない」と顔全体で表現しているし、なんなら少し声にも出していた。

「嫌なら食べなければいいのに……」

 と、特製の激辛麻婆豆腐を三人分、皿に盛る。
 いつもなら二人分だったのだが、なんの気まぐれか、ランサーが「たまにはお前の手料理も食いてぇな」などと言い出し、
 ……言い出したからこそ、メニューが麻婆になったわけだが。

「ほほう、また腕を上げたな」

 席に着いた綺礼が、嬉しそうに告げた。

「まだ食べてないのに、わかるの?」
「わかるとも」

 さすがとも言える感性、これが泰山の麻婆を極めた者の発言か、と感心する。

「それじゃ、ほら、みんな主に感謝してー、いただきまーす」

 いただきます、とランサーは嫌がりながらも律儀に繰り返した、なんだかんだ食べるらしい。
 綺礼はといえば、私のあまりにも雑な神への祈りに、半ばあきれ返ったような顔を向ける。というか、ちょっと怒っている気がする。
 いいじゃないか、許してくれ、そもそも私は別に貴方ほど熱心なキリシタンでもなしに、毎日毎日神に祈りを捧げ続けているんだ今日くらい許されるべき。

「……今夜は久しぶりにお前に良い話をしてやろう、部屋に来なさい」

 許されなかったのでこれはありがたいお話決定です本当にありがとうございます。
 まぁ、彼の同意の上で彼の部屋へ訪れることができるという点においては心の底から神に感謝、それもこれも貴方という方を軽く扱ってしまったおかげですアーメン。

 まったく見当違いの祈りを捧げながら麻婆を食べる、我ながら綺礼好みの味付けがうまい、これならば彼も喜んでくれているだろう。
 隣から嫌な悲鳴が聞こえる気もするが知らない、再三言っているが食べなければ良いことなのだ、
 ……いや、しかし、綺礼のことだ、こういうところで変に令呪を使っているのかもしれない。何せ嫌がらせをさせたなら恐らく冬木一、いや、日本一といっても過言ではない。

「……神父様、もしかして」
「お前は私を阿呆かなにかと勘違いしているのかね」

 全て言い終わる前に否定され、なんだそうか、と食に戻る。
 そのついでにちらりと彼を見れば、美味しいのかそうでもないのか、いつもの鉄面皮のまま麻婆を平らげていた。

「涼」
「おかわり?」

 差し出された皿を受け取り席を立つ、満足そうに頷く彼の顔を見て、今日の麻婆は八十五、いや九十点、と自分で点数をつける。

「ランサーは? おかわり」

 いる? と聞く前に冗談じゃねぇ、という声が聞こえた、失礼な狗だ、仮にも作った本人の前でそんなに否定しなくてもいいだろうに。
 だが意外なことに、皿の上のものは綺麗に平らげてあった。生前にあったという「目上の者の食事の誘いを断らない」……とかなんとかいうゲッシュのためだろうか。

「はいはい麻婆おかわり三人前〜、神父様と、私と、ランサーの分」

 頼まれてもいないおかわりが目の前に現れ、奴は、勘弁してくれ、と項垂れていた。
 それを横目に私も二杯目に口をつける。まだもう少し残っているからもう二、三杯はこの男に食べさせることができるだろうと思いながら。
○ ○ ○


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