9章「頼りになる大人」
誰もいない閑散とした教会の奥、私と相対している男性が深く大きなため息を吐いた。
「楓ちゃん……」
「はーい……」
私の間延びした返事に、カソック姿の神父──神山大樹、さんがもう一度深くため息を吐く。
「い、いやですね、そんな顔しないで下さいよ、私だって別に困らせたかったわけでは……」
「わかってるよ、でもね、よりによって住宅街のど真ん中を破壊されるとね、もう、大変なんだから……」
少し幼い顔をした彼は、短く切りそろえた髪をかきあげながら、またまたため息をこぼす。一体何度目のため息だろうか。
(流石に少し申し訳ないかな)
しかしこちらも命の危機だったのだ、仕方ないものは仕方ない。神山さんには是非監督役として、神秘の秘匿のために修繕とか目撃者の記憶の処理とか、そこのところ尽力していただきたい。
「あぁ……僕がどうしてこんな大役任されちゃったのか……たしかにこの土地の出身ではあるけど、まだ協会に所属して日も浅いのに……」
「あのー……神山さん? えーと、神山大樹さーん……
大樹兄?」
「楓ちゃんだって昔はこんな無茶をすることなんてない良い子だったハズなのに……時の流れは残酷過ぎる……あのことだって……」
私の呼びかけには反応なし、ぶつぶつと独り言を繰り返している。こうなると結構長い。幼少の頃家が近いという理由でよくお世話になっていた身だからこそ知っている、彼の悪い癖だ。
「いい加減にしろ」
「え? ……ひゃばっ!?」
彼の経っている真横の壁に黒い尻尾が勢いよく打ち付けられる。それは私のサーヴァント、クー・フーリン[オルタ]のものだった。大樹兄にはかろうじてギリギリ掠ってはいないものの、風圧だけでもやばそうだ、彼の顔色が真っ青になっている。
「……うわ……あ……」
情けない声を上げて、彼がゆっくりと尻餅をついた。……ちょっと格好悪いと思う。
「か、楓ちゃん!! 君のサーヴァントだろ!! 中立地点であるこの教会で、監督役の僕を襲うなんて……! ちゃんと止めておいてよ!」
「……ごめんなさい、少し言うことを聞いてくれなくて」
なにせバーサーカーですから、と彼の真似をするようにため息を吐いてみせた。
「……あと、さっきから気になってたんだけど彼のその服、なんだい?」
「う、やっぱ変ですかね、私見立てに自信なくて……」
大樹兄が言っているのはバーサーカーが着ている現代服のことだろう。出来るだけ目立たないように黒のフード付きパーカーと、顔の……刺青? も隠せるように大きめの眼鏡、後は適当に……黒のインナーと黒のパンツ、黒だけだと寂しいのでスニーカーは白に、地味な色合いでまとめておけば少しくらい周りに溶け込めると思ったのだが。実際は彼のスタイルの良さは隠しきれておらず、ここに来るまでにも結構視線を集めてしまっていたようだが。
「……というか、バーサーカー、いましっぽ……!」
「? あぁ、出したな」
出したな、ではない。服が破れてしまうからくれぐれも引っ込めて……というか、部分的に霊体化させておいてくれとお願いしたはずなのに。
あぁ、あの「よくわからないけどおしゃれな腰に巻くスカーフ的なやつ」もつけて正解だった。少しは目隠しになるだろう。
「いや、なんで実体化したまま連れてきたのかな、と……まぁいいけど。それで、パスが通らないってことだったよね」
「えっと、うん」
話が元に戻る。そう、実は昨夜から今まで私たちのパスは閉じたままだった。
「……うん、そうだね、僕なら繋げられる」
「本当!?」
期待通りの答えにホッと胸をなでおろす。良かった、なんとかなりそうだ。
「はい、じゃあとりあえず二人とも手を繋いで」
「…………なんで?」
「なんでって……パスをつなぐのに必要だから、です」
必要……? 手を繋ぐことが……?
疑問に思わないこともないが、肌と肌を合わせてパスを繋ぎやすくするということなんだろう、むしろ「半裸で抱き合え」と言われないだけマシかもしれない。
「じゃ、じゃあ、バーサーカー、手を」
「……ふん」
私が声をかけると、彼は大人しく右手を差し出してくれる。私も同じように右手を差し出しその手を取った。双方に握り合うと握手の形になる。
「それじゃあ、始めます。二人とも呼吸を整えて……」
大樹兄が何か呪文を唱え始める。未熟な私にはわからなかったので、あまりその詠唱は真剣には聴かず、なんとなく向かい合っているバーサーカーの顔を見上げる、当たり前といえば当たり前だが彼と目が合ってしまった。
「……どうかしたか」
彼が私の顔を覗き込んでくる。
近づいた彼の端正な顔を見て、思わず昨夜のことが頭をよぎった。
「……っ! な、な、なにも……?」
「ならいい」
そう言って彼の身体が離れていき、ホッとする。綺麗過ぎるものは正直目の毒だ。慣れていなさ過ぎる。
繋いでいる手の大きさにも戸惑いは隠せない。優しくて、温かくて、男性と手を繋いだなんていったい何時ぶりの──
「……こほん、終わったからもう離しても良いよ?」
「え? あっ、はい!」
バッ、と勢いよく彼の手を離す。彼の顔に集中し過ぎて大樹兄の声が聞こえていなかったようだ、無性に恥ずかしい。
「とりあえず、切れかけていたパスは上手く繋がったと思うけど……どうかな?」
バーサーカーは手を開いたり閉じたりを繰り返してから「悪くねぇ」と呟いた。
私自身も魔力の通りが良くなったのを感じる。気弱で頼りないところもあるが、腕はたしかな男だ。
「……今、もしかして失礼なこと考えなかった?」
「い、いいえ?」
……カンも良いようで。
「ふーん、ならいいけど……さて、じゃあ改めて、マスター登録をお願いするよ……いいね?」
彼が少し責めるような表情でスマートフォンをこちらへ向ける。開かれていたのは私とのチャット画面、最後のやり取りは私から、
『召喚できました』
の一言。以上。
……こんなに気軽に連絡が取れるなんて、なんて便利な時代なんでしょう。
「気軽過ぎるよ!!」
怒られた。
「いいかい? 本来であればきちんと教会に、僕のところに赴くべきだと思う。それなのに突然こんな短文だけを送りつけて、翌々日にはマスターもサーヴァントも傷だらけで助けてくれ、なんて、都合が良過ぎるんじゃないかなぁ?」
「す、すいません」
とても怒られている。
「……心配するだろ」
「……ごめんなさい」
とても、心配もされている。
相変わらず争い事に向いていない人だ。
「でも、手を貸してくれてありがとうございます。私も参加者の一人だもん、監督役の大樹兄……じゃない、神山さんに助けてもらった分、相応の対価は払うよ。具体的には……えっと、何をしたらいいですかね?」
昔みたいに教会の掃除の手伝い……で済むわけはないが、何か道具の調達なら得意分野だ。それで許してもらえたりしないだろうか。
(……令呪一画……とか、言われなければいいな)
不安に思いながら彼の顔を覗き見ると、キョトンとした表情で「対価なんていらないよ?」と言われてしまった。
「え? でも、助けてもらったし……」
「いいよ、楓ちゃんだし」
それは、贔屓というやつなんじゃないだろうか。
「あ、別に君を特別支援するってことじゃないからね? ……うん、でもまぁ応援はしてるかな、君なら、間違ったことには使わないだろうし」
そう言って私の頭をポンポンと撫でる。昔から変わらない、優しい近所のお兄さんの顔で。……少しだけ、安心した。
「ところで、さ、君のサーヴァント、とても恐いんだけど、どうにかならないかな……」
「……」
怯える彼の視線の先で、機嫌の悪そうなバーサーカーが「チッ」と舌打ちをするのが聞こえた。
「バーサーカーは元々ああいう顔です、耐えてください」
「あ、あはは……」
「……用事が済んだなら帰るぞ」
踵を返し歩き始めた彼の背中に、ちょっと待ってよ、と声をかけて追いかける。
「そうだ、最後に一つだけ、僕から大事な話を一つ──ライダーは、昨晩のうちに消滅したよ」
clap! /
prev back next