1章「襲撃」


 昔、どうしようもなく憧れた、神話の中の大英雄。
 死んでなお膝を屈することはなく、数々の武勇に彩られたアルスターの戦士、光の御子、その名を――クー・フーリン。
 私が聖杯戦争に参加するなら、私が共に戦うならば彼しかいないと思っていた。
 ――思っていたのに、

「なぁんでぇ……!」

 バーサーカー、バーサーカーと名乗ったのかこのサーヴァントは。
 あぁ、そうだ、例えバーサーカーであろうと彼はきっとクー・フーリンなのだろう。あの手に持っているのは、彼の宝具ゲイ・ボルグだ。想像より刺々しい見た目をしているが、彼の大ファンである私が言うのだ、間違いない。

「嘘だ……どうして……」

 落ち着いて原因を究明しようと母から譲り受けた魔術書のページをパラパラとめくる。
 これは別に由緒正しい一家に伝わる秘伝の……等というものではなく、半人前の私にもわかりやすいよう、私の魔術の師である母が私用にしたためてくれたものである。

「召喚の呪文、間違えてないはずなのに……っ、え? P.S?」 

 呪文の最後に追伸として一文、書かれていることに気づく。『これはサーヴァントを狂化付与した状態で呼ぶための呪文です。普通に呼びたいときは、次のページを参照してネ♡』……と。

「………………………………嘘」

 なぜ、なぜなんですか、母さん。なんでそんな紛らわしい書き方を。
 いや、ちゃんと読んでいなかった私が一番悪いのだけど、でもそれにしたって母さん、勘弁してくれませんか。

「やってしまった……」

 自分が魔術師としてどころか人間として半人前だと思い知らされた気分だ。

「オイ」
「はいっ!?」

 不機嫌そうな声が上から降ってきて、驚きと恐怖に顔を上げる。するとそこには黒い鎧に包まれた男が立っていて、おおよそ感情の読めない赤い瞳と目が合ってしまった。

「……お前がマスターで相違ないな?」
「は、はい、たぶん……? 恐らく、そうじゃないかと……?」

 自分でも情けないほど曖昧な答えを返して、少したじろぐ。やっぱり、怖い。
 私が未だに彼から目を逸らさないでいるのはその恐怖心からだ。だけど、だけどほんのちょっとだけ、それ以外の感情も、
 強くて、大きくて、頼りに、なりそうな――

「おい、小娘」
「え」

 私を小娘と呼んだ彼の手がこちらへ伸びてくる。その手は、思わず後ずさった私の腕を掴み、

「うわ、あ、あ!」

 そのまま彼の後ろへと投げ飛ばされた。
 突然のことにバランスを取ることもできず、軽く尻餅をついてしまう。割と痛い、あと地面についた手のひらも少し痛い。一体なぜ彼はこんな……

(もしかして、私みたいなマスターは、い、いらないから、こ、こ、ころ……!?)

 いくらなんでもそんな……とも思ったが、彼は今理性のない狂戦士状態、バーサーカー相手に常識が通じる道理はない。
 そう焦る私の前に彼の大きな身体がが立ちはだかった……まるで、背に、隠すように。

「……え?」

 予想外の彼の行動に、私は瞬きを繰り返しながら、彼の後ろ姿を見つめる。大きな背中、そして正面から見たときはよく見えなかったが、爬虫類を思わせる大きな尻尾。
 その尾には鋭い棘が多く生えており、恐らくこの尾の一振りで私は死を迎えるであろうという凶暴さを感じさせる。
 しかし彼はそれを振るうこともなく、ただ一点をじっと見つめていた。そこになにか、と目を凝らす、と。

「なるほど、既に当方の気配に気づいていたか」
「……!?」

 何もないはずの空間から突如低い声が響き、何もなかったはず≠フそこに黒い人影が現れる。

「だ、だれ……?」
「名乗りは不要だろう、それが聖杯戦争というものだ」

 その影は、聖杯戦争≠ニ口にした。あぁ、そうか、つまりこいつは、

「サーヴァント……!」
「左様、それでは、いかせてもらう」

 その影が、剣≠構える。なんということだ、こちらはサーヴァントを召喚したばかりで彼の能力も何もわかっていないというのに――!

「おい」

 先程と変わらない声で、彼が私に呼びかける。

「な、なに」
「命じろ、それだけで良い」
 何を、とは問わせてもらえなかった。私を振り返ったその瞳が、ただ一つ、「殺戮を」と求めていた、から、

「っ、や、やって! バーサーカー!」
 声高に、叫ぶ。その時、彼が少し笑った気がして――
 その次の瞬間に、この黒い塊は地を駆けた。

 ――速い。

 瞬きほどの時間で、彼はあのサーヴァントの間合いに入り――その槍を振るって、受け流され――もう一撃――避けて――剌して――何が起こっている?
 あぁ、人の目では理解が及ばない程の猛攻、それを受けるサーヴァントも、相当の強さだ、これが人知を超えた英霊の力か。

「すごい……」

 私はあっけにとられるばかりで何もできずに地べたに座り込んでいた。

(……じゃなくて!)

 呟いてからハッとする。何を呆けているんだ私は。何か、私にできることは――

「……そうだ」

 カバンを漁り、アレ≠探す。

「確か、念のため持ってきていたはず……っ、あ、あった……!」
 

  ******


 戦いは激烈なものだった。
 初戦にしては――そう、初戦にしては。
 だが、私のサーヴァントが負けるわけもなく。ましてや、あんな力だけのバケモノに後れをとるわけもなく。

(勝てる、私達なら。そして聖杯を持って願いを叶えるのは、私)

 そうでしょう、私の――

「北欧神話の、竜殺し、その真名は……シグルド!!」

 ピタリ、と、私と私のセイバーが動きを止める。誰だ、今、私のセイバーの名を呼んだのは。
 私、ではない。セイバーでももちろんない。ならば――? と、バケモノの背後に目を向ければ、そこにいた奴のマスターが奇妙なモノクル越しにこちらを見つめていた。

「バーサーカー! あそこ!」

 そういって、姿隠しの魔術見えていないはずの私に指を差す。

「――マスター!」

 セイバーがそう叫ぶのと、私がバランスを崩して後方へ倒れるのはほぼ同時だったように思う。

「……っ!」

 頬を、掠めた槍の感触に息を呑む。間一髪、セイバーが間に合わなければ、私は、

「怪我はないか、マスター」

 セイバーの声で我に帰る。あのモノクルが何かはわからないが、このままでは分が悪そうだ。

「態勢を立て直します。引くよ、セイバー」
「承知した」

 セイバーはそう返事をすると、私を抱え空へ飛んだ。幸い、奴等は追いかけてくるつもりはないようだ。

「しかし逃走して良かったのか、当方の真名はバレてしまったようだが」
「いいの、これで」

 まだ、私が誰かまでは気づいていないようだったし。
 ……私は負けるわけにはいかないのだ、絶対に。

「マスターがそういうのであれば、当方はそれに従おう」

 私を信じてくれる、この人のためにも。

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