20章「ごしどう、ごべんたつ」


 よく、寝た。

 ……なんて清々しい朝だろう、小鳥の囀りが聴こえ、窓からは朝日が差し込んでいる。
 人間が一日に必要とする睡眠時間は八時間と言われ、多すぎるのもあまり良くないと言われているが、まぁ、一日くらい寝過ぎるのも悪くないだろう。
 大きく伸びをしてから壁に掛かった時計を確認する。時刻は丁度、朝の八時を告げるところ──

 

「………………遅刻だぁ……?」

 

「慌ただしいな」

 と、他人事のように──実際他人事だが──あくびをするオルタに、なんで起こしてくれなかったんだ、とか、支度が必要ないからって呑気にしてくれちゃって、とか、色々言ってやりたい気持ちになったが、そんなことをしたところで時計の針は逆向きには回らないし私の寝癖は直らない。
 半泣きの私は、わたわたと制服に着替えながら「オルタぁ! カバンとって! 紺のやつ!」と机の横を指差した。

「戦い以外でお前に従う義理はないが」
「そう言わずに! あ、鏡見れてないんだけど服とか大丈夫!? 問題ないかな!?」
「……知らん」

 そうは言いながらもカバンだけは取って渡してくれる、何だかんだやっぱりいい奴だ。

「ありがとうオルタ!」

 それを受け取り飛び出すように家を出た、さぁ、どうにか間に合うといいのだけど……!

 

******

 

「っっっっっセーーーーーフ!?!?」
「アウトですよ、藤堂さん」

 担任の桜井先生の困ったような声とクラスメイトのくすくすと笑う声が聞こえる。私は「すいません寝坊です」と素直に伝えホームルーム中の教室へ入った。

「楓ちゃん、珍しいね、遅刻だけはしたことなかったのに」
「う、うん、なんかちょっと疲れがたまってたみたいで」

 美樹にそう耳打ちされて苦笑いで返す。そう、私は決して朝が弱いわけではないというのに何故寝過ごしてしまったのか。

(もしかして、魔力増強剤のせいかも)

 無理に魔力を生み出すというのは、よくエナジードリンクを飲んだ時に言われる「元気の前借り」というやつだ、そのせいで過剰に身体が疲れてしまったのだろう、摂取量には気を使わないといけない。

(昨日の十ミリリットルで、翌日疲れが残る程度か……錠剤タイプは一つがその半分程度で出来ているら、一度に摂取するのは多くても二つまでにして……)

「藤堂さん、聞いてますか?」
「は、はいっ!」

 考え事をしている間に何度か呼ばれていたらしい、桜井先生が教卓の前で苦笑いをこぼしている。

「ええと、もう一度言いますね? 十文字先生が呼んでいたので、昼休みに職員室に来てください」

 

******

 

「再提出だ」
「は……」

 仏頂面で昨日出した課題用ノートを突き返される。あまりの顔の怖さに私は言葉が出なかった。

「何も書かずに出す奴があるか、馬鹿者」

 それを受け取り、パラ、とめくってみると、なるほど、確かにこれは白紙のノートだ。

「あ、あれ……もしかして提出するノートを間違えた……のかも……?」

 先生はやれやれっといった顔で「そんなことだろうとは思っていた、流石の君でも何も書いていいないノートを堂々と提出したりはしないだろうからな」と目頭を押さえている。
 一定の信頼はあるようでほっと胸を撫で下ろした……まぁ……本来の課題用ノートも……白紙ではないものの終わってはいないのだが…………。

「す、すいません、明日にはちゃんと提出します……」
「ああ、そううしてくれ……それともう一つ」
「え、まだ何かあるんですか」

 次は何を言われるのだろう、やはり今朝の遅刻のことだろうか、今日はそれしか心当たりがないぞ。

「むしろこっちが本題だ──少し場所を移そう」



******

 

 軋むような音を立てて屋上への扉が開く。吹き込んでくる風が心地良い、今日は本当に良い天気のようだ。

「ふむ、簡単に開く、便利なものだ」
「へへっ、もっと褒めてくれてもいいんですよ、先生!」

 特製の鍵を見せびらかすように揺らしながら私は胸を張る。そしてそのままでは痕跡が残ってしまうということだったので、カモフラージュ用の道具もいくつか持ってきている、今日の私は完璧なのだ。
 問題があるとすればこの万能鍵の名前がまだ決まっていないことくらいだ、さてどうするべきだろうか。

(……どこでもキー、とか……だめだ、率直過ぎる)

 私が名付けに頭を悩ませていると、先生が軽く咳払いをした。話を始めるぞ、ということだろうか。

「あっ……と、えーと、それで先生、話というのは……」
「昨日のことで少し話したいことがあったのだが……」

 ちらり、と先生が私の後方を伺う、恐らくバーサーカーを気にしているのだろう。私が「オルタ」と彼を呼ぶと、面倒だという顔をしながらもバーサーカーが姿を現してくれた。

「ふむ……まずは君のサーヴァントの気配をもう少し隠すところから始めるべきだな」
「? と言いますと」
「……感知能力の低い君にはピンと来ないかもしれないがね、そのままでは『私はマスターです』と自己紹介しながら歩いているようなものだぞ」

 先生の何気ない指摘が私の心を傷つけた。

「の、能力が、低い……」

 もう少しオブラートに包んでもらいたいものだ、そうでなければ私のガラス製のハートが音を立てて壊れてしまう。

「君のバーサーカーには気配遮断のスキルはないだろう、マスターの方で何か手を打ったほうがいいな……君、そういった道具に心当たりはないのか」

 傷心の私を気にかけることもなく、先生は淡々と話を続ける。もしや傷つけたという自覚すらないのでしょうか。

「う……お恥ずかしい話ですが、いままで隠蔽が必要になるほど魔力を持て余した経験がなかったので……」

 おずおずとそう伝えると、先生は「あぁ……」と小さくこぼしながら哀れむような視線を私に向けた。くそぅ、私だって少しは気にしているのに。

「あ、でも、もしかしたら昨日柚月さんから譲ってもらった本に何かあるかも知れないですね!」

 彼女に聞いた話によると、その本は魔術そのものではなく、道具作成についての研究のものだということだった。で、あれば、そういったものの作り方や何か手がかりくらいは掴めるかもしれない。

「そうか、それで、その魔術書はどこに?」
「柚月さんが大樹兄……えー、監督役の方に渡しておいてくれるって話なので、今日取りに行くつもりでした!」
「なるほど……時に藤堂、君はそういったものの解読は得意なのかね」
「……かいどく?」

 ぽかんとした顔で小首を傾げる私に、先生が「やっぱりか」とため息を吐いた。そろそろカウンターで回数を数えたほうが良いだろうか。

「いいか、魔術というのはそもそも一子相伝……父や母、師から教わり伝わって行くものだ。部外者にそう易々と自分の研究成果を横取りや模倣をされないよう、魔術書などには簡単に読めないような工夫がされていると考えた方が良い」

 ──言われてみればその通りだ。私だって、自分が一生懸命開発した道具を他人に突然パクられたりしたらすごく嫌だ、腹が立つ、うん。

「……どうしよう、全然考えてなかったです、私」
「そんなことだろうとは、思っていた」

 私はがっくりと肩を落とす、なんということだ、魔力を感知されないようにするための道具のこともそうだが、あわよくば色々と作りこの聖杯戦争に役立てようと思っていたのに。
 少なくとも今の私には古文書の解読やら暗号文を解き明かすやらする頭脳は無い。なんなら授業中の英文の翻訳すら怪しいものだ。
 これは一朝一夕にはどうすることも出来ないだろうとあの本の解読を半ば諦めかけたその時、

「もしよければ、少しばかり手を貸してやっても構わないぞ」 

 という、先生の神の一言にも近い声が降ってきた。

「えっ……! 本当ですか!?」
「ああ、セイバーを倒すまでとはいえ今は協力関係だ、これくらいの助力は惜しまない」

 それは願ったり叶ったりな提案だった。私は先生の「ただし……」と続けようとした言葉を遮って、「ぜひよろしくお願いします!!」と無理矢理先生の手を取った。

「ふむ、ならばそうしよう。できるだけ早い方がいいな……今日、放課後、一つ隣の駅にあるファミレスで待ち合わせよう、君は教会へ寄って魔術書を受け取ってから来るように。私も仕事が終わればすぐに向かおう」
「ありがとうございます……!」

 握った手をぶんぶんと上下に振ると、先生はまた少し呆れたような顔で微笑んでくれる。あぁ、先生と同盟を組んで良かった……!

「……あれ、そういえば、さっき何か言いかけていました? ただし、って……あれなんですか?」
「あぁ、ただし、その時に課題を提出してもらうのでそのつもりで≠セ。……提出のノートを間違えただけ、なのだろう? もちろん今からこの約束を反故にするとは言わないよな?」
「は」

 ……私が顔を引きつらせたちょうどその瞬間に、昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。


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