21章「補導危機一髪」


 私が目的の駅に着いたのは十九時を回った頃だった。帰宅中であろう人混みを抜け、少し駅から離れたところでほっと一息つく。
 本来であれば教会も私の家もさほど離れているわけでもないので、もっと早くたどり着いていたはずなのだが……
 手元の厚い魔術書と、課題用のノートに視線を落とし、ふぅ、と息を吐く。本当は終わっていなかったコレを完成させるために思ったよりも時間を要してしまった。

(……ノートを間違えたのは本当だし、課題が終わっているとは明言してないし、嘘は言ってないもんね?)

 課題の提出が手を貸す条件と言われてしまえば、普段のらりくらりと適当に逃げ続け、未提出を繰り返してきた私も流石にコレを出さないわけにもいかず……なんだか上手く乗せられた気もしないでもないが、課題というのは普通何もなくても提出すべきもの、怠けている私が全面的に悪いな、うん。

 早足で通り過ぎていく人波を見渡し先生を探してみるが、見つからない。そもそも駅で待っていろとは言われたが、どの辺りで、何時に、というような細かいことは決めていなかった。
 学校を出た時は、後で連絡すればいいか、なんて考えていたが、そういえばそもそも先生のラインも電話番号も何も知らないんだったと気づいたのはついさっきのことである。

「どうしようかなぁ」

 せめて学校に電話して、先生がもう帰ったかどうかくらいは確認しようとスマホを取り出したところで、私はなにかに肩を叩かれた。

「! せんせ……?」
「あー……君、ここで何してるの?」

 十文字先生だと思い笑顔で振り返った先にいたのは、真面目そうな顔の警察官だった。快活そうな短髪に、パッチリとした瞳、整った顔立ちの男性を前に、驚きとほんの少しの緊張で、思わず私は固まってしまった。

「学生さんだよね、こんな時間に一人でどうしたのかな? 親御さんは?」

 こんな時間、と言われて時計を確認したが、ここに来てからまだ三十分も経っていない、健全な高校生でもまだ遊びまわっていてもおかしくない時間だと思うのだが……もしや中学生だと思われてるということもないだろうし……ない、よね?

「えっと……人を待っていまして」
「友達かな? うーん……学生証を確認したいんだけど、いいかな」

 あ、はい、と素直に制服の内ポケットを探る。とりあえず身分さえ証明しておけば、口頭で注意を受けるくらいで済むだろう。
 ……と思ったが、ない。いつもならそこに入れているはずの生徒手帳が、見つから、ない。

「あ、あれ、えっと、待ってください、お、おかしいな、いつもなら、ちゃんと持って……あれぇ……?」

 警察のお兄さんの目がどんどん疑いの色を帯びていく。このままでは、もしや、補導、されてしまうのではないだろうか。
 焦った私は一層必死に手帳を探すが、無いものは無い、やはり見つからない。

「ちょっと一緒に交番まで行こうか、親御さんに連絡しようね」

 ついにそう言われてしまい、肩を掴まれる。良くない流れだ、これは確実に補導というやつだし、先生になんて説明したら、とか、お母さんに連絡してもあの人は今海外だぞ、とか、色々な考えが頭の中でぐるぐる回って纏まらない。どうしよう、と困り果て何も言えないでいる私の背後から、

「──失礼、私の連れが何か」

 という、十文字先生の声が聴こえた。

「せ、先生……!」

 後ろから様子を伺っていたんじゃないかというくらいタイミングの良い登場だ。……本音を言うなら、警官に声を掛けられる前に来て欲しかったところだが、うん。

「先生……? 失礼ですが、ご職業は」
「私は一つ隣の街で教師をしている者です。この子は私の教え子でして……これが何か致しましたか」

 来てくれたのはいいのだが、何故私に非がある前提で話を進める?

「あー……ご家族の方ではないんですね?」

 先生が免許証を提示してなお、警官のお兄さんは疑いの眼差しを向けている。確かに見た目こそ怖いが、教師というしっかりした職業の大人が現れたにも関わらず一体何故……

「……あっ、先生! 先生! もしかして援交を疑われているんじゃ、あいだぁっ!!」

 真上から拳骨が降ってきた。私は可能性の一つを提示したに過ぎないというのに、短気すぎるんじゃないだろうか。

「えぇ、確かに親族ではありませんが、現状この子の保護監督を任されています」
「と言いますと」
「彼女の両親は共に多忙で、今は二人とも日本を離れております。今日も遅くまで学校に残っていたので、自宅まで送り届ける途中でして……それと、藤堂、忘れ物だ」

 痛い痛いと頭をさすっていると、目の前にひょいと小さな冊子が突き出される。

「あ、生徒手帳……」
「屋上に落としていたぞ、きちんと持ち歩け、まったく」

 慌てて受け取って表紙をめくれば、私の写真と名前の入った学生証がある、間違いなく私のものだ。

「ありがとうございます、先生!」

 それまでのやりとりと私の学生証を見て色々と理解をしてくれたのか、警官のお兄さんは「これは失礼しました」と頭を下げてくれた。

「とても生徒思いの先生でいらっしゃるんですね、もうこの時間でも暗くなる季節になりましたから、気をつけてお帰りください」
「いえ、お勤めご苦労様です」

 ぺこり、とお互いにお辞儀をしてお兄さんは去っていった。なんだか、このやり取りは、大人、という感じがする。

「さて、随分と遅い到着だな、藤堂」
「えっ……いや、そんな……はは、もしかしてお待たせしてしまいました?」

 遅れた理由を悟られたくなくて、頭をかきながら笑って誤魔化してみる。だが先生にはそれもバレているようで「まぁ、提出できるならなんでも構わん」と諦めたような顔で目を閉じた。

「それにしても、私が何処にいるか良くわかりましたね」
「昼間に目印をつけておいたからな」

 ……目印?
 ちょいちょい、と先生が私の首を指差す。そこに手を触れると、指の先に紙のような感触があった。驚いて手を離すと、それは私の肌から剥がれ、地面に落ちた。

「こ、これって?」
「式神という類のものだ、私の魔力を込めてある」

 先生はその紙切れを拾うと、人型のそれを手に持っていたライターで燃やしてしまった。勝手に消えたりはしないいんだ、それ。

「なんだか先生の魔術って陰陽師みたいですね」
「ああ、元々私の家は……いや、言ったところでわからんだろう、早く行くぞ」
「はーい……えっ、今もしかして私のこと馬鹿にしました?」

 ため息を吐きながら先を歩く先生の背を追う。ねぇ先生ってば、と先生を追い越し前に出た私に、先生のデコピンがクリーンヒットした。

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