27章「愛という名のつながり」
「美樹っ……! 美樹、どこ……! ねぇ! 美樹!!」
呼んだところで返事はない、当たり前だ、例え逃げていたのが私でも返事なんてしないだろう。
……いや、わからない、もしかしたら、美樹の呼びかけになら応えてしまうかも。
「……っは、はぁ、はぁ……っ」
そんな仮定の話、今は意味がない。まぁ、彼女の名前を呼び続けるのも同じくらい意味がないのだろうけど。
(また、認識操作と、気配遮断……? かな……見えない、どこにいるかわからない……なら)
セイバー相手には使えなかった
心眼鏡をかけ、周囲を見渡す。
(どこ、どこにいるの、)
あの夜よりずっと強力な魔術で姿を隠しているらしい、どこを見ても彼女の影が見つからない。
違うんだ、私は戦いたいんじゃない、ただ話がしたいだけなんだ、だから、だからお願い、
「……美樹っ……!」
無駄だと思いながらも彼女の名前を呼ぶ──少し離れたところから、息を飲むような音が聞こえた。
「……っ、いた……っ……」
その場所を
心眼鏡で覗き込んだ。薄らと人型の輪郭を捉え、そこに向けて「美樹」と声をかけると、その輪郭が実像を持ち始める。
「……楓ちゃん」
痛いほどの、沈黙。なんと話を始めて良いのかもわからず、ただ、悲しげに目を伏せる彼女を見つめ続ける。彼女の方からなにも仕掛けてこないのは、私を攻撃するのを躊躇っているから……だと、思いたい。
「──ねぇ、聖杯で叶えたい願いって、なに?」
美樹が私にそう問いかける。
(私の、願い──)
答えに詰まり、口を閉ざした私に、彼女は続けた。
「私はね、どうしても、欲しいものがあるの」
「欲しい、もの?」
それは、聖杯じゃないと手にできないものなのだろうか。
いったい、なにが──
「……あの人が……」
「え?」
「……私は──セイバーが、欲しい」
彼女の言葉を、頭の中で反芻させる。
セイバー──自身のサーヴァントが、欲しい? すでに自分のものであるのに、か?
彼女も生粋の魔術師であるのなら、サーヴァントは使い魔のようなもの、言わば所有物の一つであると認識しているのだろうと思っていたが……そうではないということだろうか。
……いや、彼女が言う欲しい≠ニいうのは──
「──私、彼が好きなの」
「──、」
言葉が、出ない。それは、それはつまり、
彼女は、サーヴァントに──死者に、恋をしたっていうのか?
「だからって、聖杯で、何を……」
「わからないの? それだけの魔力があれば、彼を受肉させることだってできる──一緒に、生きていけるんだよ」
彼女が胸元で両手を強く握りしめる。俯いたままで表情は見えないけれど、震える声はどこか切望するようで、何かに怯えているようにも聴こえた。
「む、むちゃ、だよ……理論的には可能だとしても、問題が沢山ある……! そもそも、サーヴァントはただのエーテルだよ、す、すきだなんて、そんな……」
「おかしなことなんてない! サーヴァントに恋をしたって……っ!」
ずきん、と胸が痛んだような気がした。彼女の言葉が、不思議と私の胸も苦しめる。
「……?」
理由のわからない悲しさが私の胸に広がった。それを誤魔化すように、散らすように、私は彼女にむけて「それでも」と言葉を続ける。
「現実的じゃない……」
どうして私は今、こんなに彼女の願いを否定しようとしているのか、自分でも理由はわからなかった。
そうすれば親友と戦わなくて済むから──?
いや、こうなってしまったからには、避けられるわけがない。わかっている、だから、気持ちを切り替えて早く彼女への対策を考えるべき、なのに。
「やっぱり、むずかしい、よ、そんなの……」
「そんなこと、わかってる……誰に理解されなくたって、たとえ、彼がそれを望んでなくたって……私は……っ──セイバー!!」
美樹が声を上げる。二の足を踏んでいる私とは違い、もう、戦うことにもその願いを貫くことにも迷いはないという事なんだろう。
彼女の呼び声に応えたセイバーが、また私の目の前に現れる。
「っ……!」
動揺を隠すこともできないまま、私は咄嗟に頭を両腕で庇うように覆い隠す。……もちろん、そんなこと無駄なのはよくわかっていたが。
しかし、私の両腕が切り落とされるよりも早く、振り下ろした剣から私を庇うようにしてオルタも姿を現した。
「……チッ……!」
「バ、バーサーカー……!」
私の代わりに、バーサーカーがその剣撃を受けて舌打ちを溢す。槍で受けたのか、大きな傷を負ってはいないが──いや、
(怪我、してる……それも、沢山……!)
セイバーとの戦いで受けたであろう傷が目につく。どうやら、二対一でも善戦とはいかなかったらしい。
だがそれより、
「もしかして、魔力、また足りてないんじゃ……」
私の言葉に彼は何も答えない、何も言わないまま、またセイバーに飛び掛かっていった。
それを難なく避けるセイバー、カウンターのように彼の剣が振るわれる寸前に、セイバーをアーチャーの矢が襲う。それをまたかわしてバーサーカーがまた槍を奮って……その繰り返しだ。
「藤堂!」
「十文字先生……っ、ど、どうしよう、どうしたら、また、パスが……!」
息を切らせて走ってきた先生の胸に縋り付く。少しよろけた後、「落ち着け」と言って私の背を軽く叩いてくれた。
「……ぅ、す、すいません……」
「パスが切れたのか、それとも、君の魔力が足りないのか?」
「パスは、通って、ます……でも、なんだか途中で止まってしまってる、みたいで……蛇口をどれだけ開けても、少しずつしか水が出てこない感じの……」
一度大きく息を吸って、吐く。それから、出来るだけ具体的に自身の状態を説明する。先生は口元を手で覆い隠し、難しい表情で視線を逸らした後、まさか、と呟いて私の肩を掴んだ。
「藤堂、君、普段から肌身離さず持っている類のものはあるか?」
「え……?」
そんなもの、あっただろうか──と、考えてすぐに思い当たるものがあった。
幼い頃、母からもらった「指輪」がある。それこそ、通学時には首からかけて、いつだって肌身離さず着けていた。
「あ、あります……これ……」
服の下に仕舞い込んでいたこれを取り出すと、先生が「原因はそれだ」と目を細める。
「それを外せ、それがストッパーになっている可能性がある……ただし、持っていかれる量は恐らく今までの比では──」
「っわかりました……!」
話終わるのを待たず、私は指輪を握り強く引いた。チェーンの留め具が首の後ろで引きちぎれる音がする。
戸惑う先生への礼もそこそこに私はセイバーと対峙しているバーサーカーへ、叫ぶ。
「バーサーカー!! 今度こそ──必要なだけ持っていって!!」
私の声が届いたのか、それともパスが正常に通っていることに気がついたのか、彼の口元がにやりと歪む。そして次の瞬間には──今までと段違いの速さで、セイバーへ、飛びかかっていた。
(はやい……それに、強い……!)
彼の振るう槍の重みが、明らかに違う。どうやら、先ほどまでは力をセーブしていたようだ。
……そうか、彼は攻撃と同時にルーンによる回復を行なっているのだ。あの一撃一撃が、治癒のルーンを必要とするほど彼の体に負担をかけている。
(なんて捨て身……これが、本来のバーサーカーの戦い方なの?)
しかしそんな事よりも──なんだ、この桁違いの疲労感は。
「……っうう……」
めまいがする。酸素が足りない。頭痛が酷くて気持ち悪い。
サーヴァントの……バーサーカーの、本来の魔力消費量というのは、こんなにもダイレクトに身体にくるものだったのか。
だが、そのおかげか、どうやら戦いは拮抗するまでには持っていけているようだ。
「くっ……」
バーサーカーの槍を受けたセイバーが、苦しげに呻くのが聞こえた。そこにアーチャーの追撃……このまま続ければ、きっといつかはこちらが優勢になる。
ただ、そんな時間、私には、ない。
「っおい、大丈夫か」
「だ、大丈夫です」
後方に倒れかけた私を、先生が受け止めた。大丈夫とは言ったが、まだ少し頭がクラクラしている。
(長期戦になると、私が、不利……! どうにか、早めに決着をつけなきゃ)
しかし頭痛のせいか、頭がうまく回らない。
じわじわと削られていく体力に、焦りを感じ始めた時、セイバーの声が耳に届いた。
「当方は……負けるわけにはいかない。我マスターの魔術師としての悲願を遂げるためにも」
「魔術師としての……悲願……?」
美樹を見る。彼女が今、唇を噛み締めているのは、もしや、自身のサーヴァントについた嘘≠ノ罪悪感を感じているから、なのだとしたら。
「せ、セイバー!!」
一か八かで私はそう叫ぶ。歯牙にも掛けず無視をされるかもとは思ったが──私の想像に反して、彼は攻撃の手を止め、私の方へ視線を向けた。
「なにか用だろうか、バーサーカーのマスター」
バーサーカーも私の意思を汲んでくれているのか、セイバーを睨みつけたまま手を出さないでいてくれる。
「戦いを続ける前に、ひとつだけ、ききたい……!」
「……ふむ、良いだろう。貴殿は敵である以前に我がマスターの友人である」
「あ、ありがとう」
思っていたより、話がわかる男のようだ。
「北欧の大英雄シグルド、あなたは……聖杯に、何を願うの?」
場が、静まり返る。
先生は「こんな時に何を」と、バーサーカーは「くだらねぇ」と、
美樹は……目を見開いたまま唇を震わせていた。
「当方の願いはただ一つ──我が愛、最愛の女性との再会だ」
そうか、北欧の英雄、竜殺しのシグルド、彼には確か愛する女性がいたはずだ、名前は、たしか──
「……ブリュンヒルデ」
セイバーがぴくりと眉根を寄せる、どうやら彼の求めるものはコレで間違いないようだ
──あぁ、でもならばそれは、なんて、
(……不毛だ……)
だって、みきが願いを叶えれば、あなたの願いは叶わなくなる。
「……勝ち残ったとしても、きっと、ブリュンヒルデには会えないよ」
「何故」
「セイバー、貴方のマスターの願いは、」
「──やめて!!」
自身のマスターがそう叫ぶ声が、聞こえなかったわけではないだろう。それでも彼は、指一つ動かさずに私の言葉を待っている。
(恨まれるかな)
今更、そんなことを考えた。
(恨まれるよね)
だけど、それでも、わざと負けるのは、彼女に失礼だから──ううん、そんなの綺麗事だ。
──彼女ほど強い願いなんて無いけれど、私だって、負けたくなんかないんだ。
だから、
……少し卑怯だけど、これは、勝つためだから。
「──彼女は貴方との未来を望んでいる、ブリュンヒルデなんていない世界で貴方と生きるつもりだ……シグルド!」
今まで、ピクリともしなかったセイバーの鉄面皮が、崩れる。目を見開き、薄く口を開きながら、彼は彼のマスターへ言葉を投げる。
「………………それは、本当、か、マスター」
「……っ、ご、めん……っ」
やはり、晴天の霹靂であったようだ。
美樹がセイバーに自分の願いをなんと話していたのかはわからない。けれど、彼の意識が、一瞬、逸れた。
「────いまだっ……!」
私がそう叫んだ時にはもう、バーサーカーはセイバーに向けて槍を振り上げていた。あぁ、さすがは私のサーヴァントだ。
「……っく!」
勿論、大人しくやられるような相手ではない、しかし──
一歩、心が乱れて遅れた。
それだけじゃ追い付けなかった、でも、
「私に力を、旭の輝きを── 『
真言・聖観世音菩薩』!」
炎に燃えるアーチャーの矢が、セイバーの利き腕に命中する。貫くまではいかなかったがそれで良い、充分だ。
これで、二歩、遅れた。
「──だからこの槍はお前を貫く……『
抉り穿つ鏖殺の槍』!」
ぐぐ、と彼が槍を振りかぶり──投擲する。
投げられた槍は確実にセイバーの胸を目掛けて飛んで行く。体制の崩れた彼では、防ぐことはできない。ならば、これで終わりだ。
──クー・フーリンの槍が、外れるわけがないのだから。
……ああ、ここまでか……マスター、当方はその気持ちに応えられない、申し訳ない──
最後に、セイバーはそう言い残して消えた。
きっと、それはセイバーの嘘偽りのない言葉なんだと思うけれど──それが、美樹にとって救いになるか罰になるかどうかは、私にはわからなかった。
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