30章「マスターとしての責務」
扉を開ける、中に入る、そして、扉を閉める。
ようやくたどり着いた我が家の玄関で、私は膝から崩れ落ち、前のめりに倒れ込んだ。
「お、重……い……!」
背中に大の男の体重がのしかかり、うまく身動きが取れない。
公園からここまで──通行人の奇異の目線に耐え、彼の足を引きずりながらなんとかここまで背負い続け、もう体力は限界だった。
「バーサーカー……ッ、もう、起きてよ……!」
ずり、と、力を振り絞って彼の巨体の下から這い出る。倒れたままの彼の頬を軽く叩くが、反応はない。
「……っ、ま、魔力……」
息を整えるために、それから覚悟を決めるために大きく深呼吸をして、先ほど戦いの最中でそうしたように彼の唇にキスをする。
あの時とは違い、彼からのアクションはない。このまま彼が座に還ってしまうのではないかと不安にもなったが、消える気配もない、ひとまずは大丈夫、と思っても良いのだろうか。
「バーサーカー、起きて、起きてよ、バーサーカー……」
うつ伏せに倒れたままのバーサーカーを軽く揺すり声をかける。何度かそうするうちに、彼の唇がぴくりと震えたことに気がついた。
「!! ば、バーサーカー! 大丈夫!?」
「……うるせえぞ」
そう返事をして彼がその体をゆっくりと起こしたので、慌ててその横について彼を支える。いつもなら「余計なことをするな」とでも怒りそうなものだが、どうやらその元気もないらしい。心なしか、いつもよりも足元がふらついて見えた。
「と、とりあえずベッドに……」
「いらん、余計な気を回すな」
「私が! ……そのままでいて欲しくないの」
私の気持ちを優先してくれたのか、彼はそれ以上は何も言わずに大人しくベッドまで運ばれてくれた。そうしてまた横になった彼の頬に手を当てると、彼は少しだけ鬱陶しそうにするものの何か反論をしたり霊体化をしたりはしないようだ。……もしかして、そんな余裕もないのだろうか。
「パスがまた閉じかけてる……魔力、足りない? やっぱり、このお守りは持ってない方が」
ポケットに仕舞い持ち帰ったあの指輪を取り出し、手のひらの上にのせる。試しにもう一度手放してみようかと思った時、彼がそれを阻むように私の腕を掴んだ。
「……やめておけ、必要時以外はな……俺より先にてめぇが死にたいのなら話は別だが」
……そんな軽口が叩けるなら、とりあえずは大丈夫、だろうか。
「わかった……でも、ボロボロのパスは繋ぎ直す、このままじゃバーサーカーが回復するほどの魔力を回せないから」
「どうやって」
「まかせて、こんなこともあろうかと、ちゃんと大樹兄に色々聞いておいたから……うん」
自身の服のボタンに手をかけ、今から自分がしようとしている行為の意味に、少し戸惑う。それでも今は恥じらっている場合ではないのだと、着ていたワイシャツのボタンを全て外し、肌を露出させた。
「……なんのつもりだ」
「は、肌を合わせるの……! 共感状態になったほうが、その、成功率が高い、から……」
私だって恥ずかしいのだ、何も言わないでいてくれると助かる。
「……重かったら、ごめんね」
小さくそう断ってから、寝転がったままの彼の上にまたがった。必要に駆られているとはいえ、この体勢は、なんだか、良くない事をしているような気になる。
肌と肌を、と大樹兄は言っていた、なら、このまま彼に覆いかぶさりでもして、くっついてしまうのが一番良い。……わかっているはずなのに、なぜか私の身体は動かない。キスだってできたのに、今さら、なんで……。
「……」
彼は何も言わず、ただ私をじっと見上げていた。お願いだから、あまり見つめないでいてはくれないか。
……ああ、本当にやめてくれ。そうやって、優しく頬を撫でられたりしたら──なんだか、そういうコトをしようとしているみたいに思ってしまうんだよ。
「……ふぅー……」
目を瞑り、覚悟を決める。そしてゆっくりと彼に体重を預けた。
──今から、彼に私の魔術回路を移植する。
(深海に、潜るようなイメージで……)
大樹兄から教わった、自分の魔術回路を、彼に移植する方法。「自分を魚だと思って」と教えてくれたのは、私にはその方法が一番適しているとあの人が判断してのことだろう。
呪文は、間違えないことより言葉に込められた意味をしっかり自分で理解して口にすることが大事だと、お人好しの青年が言っていたのを思い返す。
そうしているとどんどん彼と自分との境界が分からなくなっていって──気づくと、私は暗闇の中でポツンと浮かんでいるような心地になった。
(……暗い)
彼を近くには感じる……が、これでは何も見えず、成功しているかどうかもわからない。
それでも根気強く、手探りで奥へ奥へと進んでいくと、少しだけ辺りが明るく見えてきた。
……いや、違う、これは──
「血だ……」
ばらまかれた少年達の死体、積み上げられた兵士達の死体。
そして、その上で空を見上げる、彼の後ろ姿。
ムルテムニーの大虐殺──私はその話を、何度も読み返した彼の伝承の中で目にしたことがある。無念に散っていった少年達の、弔い合戦だったと記されていた。
敵だったであろう兵士達の頂点で空を仰ぎ見る彼の表情は、どこか「やりきった」という達成感とともに、悲しみを感じさせるようなものであるように思えた。
見上げた先には光──太陽の光が差しているのが見える。温かく、慈愛に満ちたそれは、彼を抱きしめるように包み込んでいた。
「これは──彼の、記憶……?」
酷く寂しくて悲しいようでいて、優しい、ような。
凄惨なこの場でそう思えるのは、きっとあの光が私たちにとって決して悪いものではないからなんだろう……難しいことは、わからないけれど、私にはそう思えた。
そして私は同時に、深く安堵した。
「貴方はやっぱり、戦士、なんだね、始めから……きっと最後まで」
戦いに生きて戦いに死ぬ、クランの猛犬、クー・フーリン。
私の憧れた、アルスターの大英雄。
「化け物じみた格好だったから、まだ少しだけ不安だったけど……良かった、やっぱり、バーサーカーは私の思った通りの英雄なんだ」
こんな惨状を見て安心するなんて私もどうかしているけど、それでも私はゆっくりと長く息を吐いてから目蓋を下ろす。
「それなら──うん、後悔はきっとしないよ、私の大切なもの、バーサーカーにならあげたっていい」
何者かが近づいてくるような気配があったけれど、きっと彼なのだろうと私はそれに身を委ね、意識を手放した。……ああ、できれば、痛みなどは無ければ良いなと思いながら。
しばしの暗闇の後──開けた視界の先には、赤い彼の瞳があった。
「──あ……あ、あっ……! え、えっと……! あ、その、ぱ、パスは……!?」
そうだ、と自分と彼の状況と羞恥心を思い出す。彼から視線をそらしつつそう訊ねると、「そうだな」と短い返事が返ってきた……それは、問題ないってことで良いんだろうか。
依然、私の感覚としては、どれだけ捻ってもちょろちょろとしか水を排出できない蛇口のようで、まだ不安は拭えないのだが……彼の方は特に問題ないようであった。
「召喚された時と特に変わりねぇよ」
「ゔ……! いや、まぁ、そう、だよね……まぁ……そうだよね……それでいいんだけど、さぁ……」
確かに、パスの綻びを直しただけで指輪だって持ったままだし、別に私の魔力量が増えたわけじゃないし、別に流す魔力量が最初より増えてるわけじゃないし、別に今すぐ怪我を治せるようになるとかでもないし……別に……。
いや、それでも初日の自分と比べられてしまうのは、成長していない自分を自覚させられてるみたいでちょっとへこむんだけどな。流石に。
けれどまぁ、正常に魔力が彼へ供給されるようになったのなら良かった。と、いうことで。
「あの……離してもらって、良いかな……」
いつの間にか彼の腕が私の身体を拘束していて、動けない。拘束……というか、彼の上に寝そべるようにしている私を、抱き締めている、みたいな……。
「は……離してもらってもいいですかねっ……!?」
彼の腕から逃れようと身動ぎをするが、微動だにしない。……くっ! セイバーとの戦いで疲労困憊してるとか嘘なんじゃないのか!?
「ね、ねぇ、バーサーカーってば!」
「このままの方が魔力の通りがいいな」
「いやそりゃそうだろうけどっ」
抗議の意を込めた瞳で彼を睨みつけるが、彼の方は目を瞑って静かな呼吸を繰り返すばかりだ。
(寝っ……!? い、いや、サーヴァントに睡眠は不要でしょ……!?)
それでも諦めずに小さくもがき続けると、煩わしく感じたのか彼が抱擁の力を強くした。違う、そうじゃない。
「ちっ……黙ってろ」
「わ、あっ……」
私を両腕で抱きしめたまま彼がごろりと横になる。私もそれに合わせて旋回し、耳の辺りに硬いものが当たる。多分、彼の腕だ──これはまさか、腕枕というやつになるのか?
(…………想像してたより、寝心地悪いな……硬くて……)
そうは思うものの、戦闘の疲れからか私の目蓋はとても重い。それに加え、彼から伝わる体温や、一定のリズムで聴こえてくるかれの呼吸が、さらに私の眠気を誘ってきている。
「う……やだ……せめて、ぱじゃま、きがえ……」
いや、でも、服はほとんど脱いでしまったし、もう、いいかな。なんて考えてしまった瞬間、私の意識はとぎれてしまった。
翌朝、目覚めた時にも実体化したままだった彼に驚いて、私はここ数日で一番の叫び声をあげることになったのであった。
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