38章「私の聖杯戦争」


 瞬きほどの間に、全ては終わった。私のサーヴァントは、彼自身の師匠を討ち果たし、その勝利を手に、私の前へと戻ってきたのだった。

「終わったぞ」
「……あ」

 当たり前のように彼は私にそう言った。ボロボロの身体のくせに、勝利はもはや当然で、むしろ余計な時間ばかりをとってしまったとでも言いたげに。
 地べたに座り込んでいた私は「うん」と返事をして立ち上がる。同じように地に伏していたランサーのマスターは、自分の腕で目元を覆い隠しながら「まけたのか」と小さな声で呟いた。

「……お嬢ちゃん、あの時、どうして俺に向かって来れたんだ? 撃たれて死ぬかも判らなかったのに」

 そして、そんな事を訊ねてくる。
 それはもちろん、大前提として、先生の結界がまだ生きていたからだ。それが普通の弾丸程度なら跳ね返せるものだと私は信じていたし、それに何より──

「バーサーカーに勝って欲しかったから」

 私の助力なんていらなかったかもしれないが……それでも、私にやれることなら、何だってやりたかったのだ。

「勝ちたい、じゃなくて、勝たせたい、か……変わった魔術師もいたもんだ」

 最後に笑って、それきり彼は黙り込んでしまった。私にはかけられる言葉もなく、その場を離れることにした。

 教会の方へ向かって歩いていると向かいから一人の男が歩いてきた。バーサーカーは私を守るように前に出たが、それが誰かよくわかっていた私は「大丈夫」と声をかけてから彼の名前を呼ぶ。

「大樹兄」
「うん……おめでとう、最後のマスター、藤堂 楓ちゃん」

 監督役である大樹兄が私たちの前に現れ、「案内するよ──聖杯の場所まで」と言って、森の奥へと足を向けた。

「……」

 バーサーカーは黙って私を見る。まだ彼を警戒しているのかと思うとおかしくて、私は少し笑いながら「行こうか」と言って彼の手を引いた。

 彼が案内したのは、私がお気に入りの場所・・・・・・・・だ、とバーサーカーを連れてきたあの丘の上、そこにある大きな大樹の下だった。

「ここだよ」
「ここって……」

 彼が大樹の幹に手を触れる。すると複雑に絡み合っているかのように見えた根の部分が大きく開いて、その奥へと続く道が現れた。

「この奥に、君達が求めてやまない聖杯がある……だけどその前に、聞かせてほしい」

 ──君は、これを何に使う?

 とても真剣な顔でそう聞かれて、私は、私は──

「………………そう、ですね……その……あんまり、考えてなくて……」
「は」

 ずっと大真面目に話していた大樹兄が、いつも通りの情けない声を出して肩を落とす。逆に、バーサーカーの方はといえば、まるで全てわかっていたみたいに、ふん、と鼻を鳴らしていた。

「じゃ、じゃあ君は、一体何のために、こんな危険な目に遭ってまで──」
「証明、したかったんです」

 風が吹く。丘の下、私の生まれ育った町を見下ろしながら、私は続ける。

「私は、ダメな子なんかじゃない、私だってやればできるんだって、優秀な母さんと父さんの子なんだって、みんなに証明したかったんです」
「……」

 大樹兄は悲しげに眉をひそめた、優しい人だから、私の気持ちを想って自分のことのように胸を痛めてくれているのだろう。

(それに──)

 ずっと昔、母さんが、聖杯戦争の話をしてくれて。
 サーヴァント……過去の英霊を呼び出す儀式のことを聞いた時、もしかしたら、私の憧れた英雄に会えるのかもと、それなら──

 ──クー・フーリンという英雄と共に戦えるのなら、何もかもを賭けるくらいしてもいいって、思ったところもあったんだ。

(……これは絶対、誰にも言わないけれど)

 だから、実際のところ、私の望みなんて今の時点で全部叶っちゃってるんだ。

「……なら、君はこの聖杯をどうする?」

 どんな願いも叶える聖杯……とは言うものの、実情はどうやら多大な魔力のリソースであるようだ。それなら私にはもってこいのものである。だって魔力なんてものはいつだって私には足りてないんだから。
 ……だけど、

「大樹兄、忘却の魔術ってあるよね」
「? あぁ……まぁ、あるね」
「あれってさ、全世界にぶわーっと使うことってできないのかな」
「なっ……! り、理論上は不可能ではないけど、それをするには巨大な術式が──ま、まさか」
 


「使っちゃおうかな、聖杯」
 


 ──彼の大声が森に響き、鳥達が驚いて飛び立った。そんなに、驚かなくたっていいのに。

「な、なん、なん……っ!」

 なんのために、とでも聞きたいのだろうか。

「とりあえず、マスターのみんなと……あと、時計塔の人とか、このことを知っている魔術師の全員から、この町で聖杯戦争があった……という記憶ごと消しちゃおうかと……できるかな」
「でっ……り……理論、上は……可能、だけど……!」
「……良いのか」

 訊ねてきたのはバーサーカーだった。
 肯定でも否定でもなく、ただ私の意志を確認してくれる彼の声は、私にはありがたかった。

「うん……あのね、この聖杯戦争はね、バーサーカーのおかげで勝てたんだ」

 サーヴァント同士の戦いに、マスターが干渉できることは少ない。だから、彼のおかげで勝てたというのは当然で、今更何を言っているのか、と思われてしまうかもしれない。

「これは確かに私達の勝利だけど……私だけの勝利じゃない。なら、これじゃあ私の力を証明したことにはならない。それに、」

 私の後ろに立つ彼を振り返る。見上げると、赤い瞳と目があった。あの時……最後にランサーと対峙した時に、彼が初めて私を「マスター」と呼んだ時のことを思い出す。
 嬉しかった、彼が私を認めてくれて。だけど、私はまだ、それじゃあダメだと思っているのだ。

「自分の力だけで自分の能力の証明ができたら、その時は胸を張って貴方のマスターを名乗れる気がする」

 ──未熟な私をマスターと呼んでくれた貴方に見合う自分になりたいんだ。
 そう伝えて彼に笑いかける。彼は、いつも通り無表情のまま黙って私を見下ろして──私に、今まで見たこともないほど優しい微笑みを返してくれた。

「……! …………そんな顔、するんだ……」
「……何の話だ」

 次の瞬間にはいつも通りの鉄面皮に戻る。それすらなんだか愛おしくて、私は余計に頬が緩んだ。

「……一応聞いてみるけど、バーサーカー、受肉とかに興味は」
「ねぇな」
「だよね」

 即答されるのはわかっていただけに、苦笑が漏れる。まぁ、そうだろうな、彼は第二の生などを望むような男ではなかった。

「……じゃあ、この最後の令呪を使い切れば、バーサーカーは座に還るんだよね」
「ああ」
「…………」

 それで終わる、と、わかっているはずなのに……いや、わかっているからこそ、それが、惜しい、と思ってしまう。もう少し、ほんの少しでいい、彼と一緒にいられたら……なんて。そんなこと、彼は求めていないって、知っているのに。

「……もし、もしも、また≠ェあったなら……もう一度会えるかな」

 我ながら未練がましいことこの上ない。恥ずかしくて顔を背けたいような気持ちに駆られたが……これが、最後だ。私は真っ直ぐに彼を見つめたまま答えを待った。

「そん時は、今の俺とは違う俺になっているだろうな」
「……うん」

 それは、そうだ。同じ座から召喚されたとしても、完全に同一の霊基で召喚されることなどありえないのだから。

 唇を引く結ぶ私の頭に──彼の手が、触れた。

「──だからまぁ、次の俺もうまく使えるよう、もう少しマシなマスターになることだな」
「……! うん!」

 そしてすぐに彼の手は私から離れていってしまった。ほんの少しだけ寂しかったけれど……もう、悲しくはなかった。

「──令呪をもって命じる」

 最後の一画が、熱く燃えるように光る。彼と私を繋ぐ最後の一つ、それを彼に掲げるようにしながら、私は告げた。

「また……また、会えるように頑張るから、待っててね、バーサーカー」

 彼は満足そうな表情のまま、光となって消えていった。彼の立っていたそこには何も残らず、まるで最初から、何もなかったみたいに消え去ってしまった。

 ──こうして、私達の聖杯戦争は終わったのだ。
 
 

  

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