4章「女王襲来」
――メイヴ、と言った。
恐らくケルト神話に出てくるコノートの女王メイヴのことだろう。ならば彼が彼女に気づき、彼女が彼に気づいたのも頷ける。
だが、だとしたらとてもまずい。間接的とはいえ、彼女はクー・フーリンを殺している。死因そのものが宝具にでもされていたら一巻の終わりだ。
「ねぇ、クーちゃん、あなた、私のクーちゃんでしょう?」
メイヴの声にハッとする。そうだ、今は考え事をしている場合じゃ――
「……私の?」
彼女の言葉に疑問符を浮かべる。私の知っているケルト神話の中では、クー・フーリンがメイヴのものになったことはなかったはずだ。
むしろそう、メイヴのものにならなかったからこそ、彼は殺されたというのに。
「ふぅん、そこの無能そうな女がクーちゃんのマスターなの? 相変わらずついてないのね……。ね、私のところにおいでなさいな、今度こそ貴方を私のものにするの!」
彼女が綺麗な顔でふふ、と笑う。もし敵のサーヴァントだと知らなければ同性の私でもその美しさに傅いていたかもしれない。
(いや、これは……
魅了の魔術……!)
揺らぎそうになる意識をなんとか正気に保つ、一応、対魔力を上げる護符を作って持ち歩いてはいるのだが、やはりサーヴァント相手には効かないのか、もしや、効いてこれなのか。
「バ、バーサーカーは私のサーヴァントです、あなたのものじゃ……」
屈服しそうになった精神に喝を入れて、彼女に向き直る。
バーサーカーに向けた視線はそれこそ、恋する乙女のようであった、なのに……私に向けたその視線の、なんと冷たいことか。
「貴女にはきいてないわ」
彼女の言葉と同時に、何かが私めがけて飛んでくる。とっさに身をよじって躱したそれは、短剣、のようなものだった。
「……っ!」
「あら、避ける能くらいはあったのね、まぁいいわ」
綺麗な手が、指が、バーサーカーへと差し出される。一つ一つの動作から目が離せない、軽やかなその動きが、しなやかなその肢体が、美しい、と感じてしまう。彼女はその鈴のような声で、
「さぁ、行きましょう? クーちゃん」
と、そう言ってまた、笑った。
(――あぁ、ダメ、ダメだよ、バーサーカー)
行っちゃダメだ、と言いたくても声が出ない。それどころか指一本動かすこともできなくなっていた。今もう一度短剣を投げられても、避けられる自信は、ない。
恐らくバーサーカーにもこの
魅了の力は効いているはず、もし彼がここで首を縦に振れば私の聖杯戦争は早くもここで終了だ。なんて、情けない。
母さん、ごめんなさい、やっぱり私は未熟者のようでした。
ぎゅっと目を瞑り彼の返答を待つ。あぁ、どうか、いきなり殺されたりはしませんように。
「…………お断りだ」
「……え?」
けれど聴こえてきたのは予想もしなかった答えだった。
「なんでてめぇが驚いてやがる。なんだ、寝返って欲しかったのか」
「ち、違うけど、だって、効いてないの?」
「俺を誰だと思ってんだ、クー・フーリン≠ノメイヴ≠フ
魅了が効くかよ」
そういうことか、と納得する。最期までメイヴには落ちなかった男、それがクー・フーリンという戦士だ。まさかこんなところでその逸話が役に立つとは。
「それに、例えバーサーカーのクラスで召喚されようが、俺は主人を裏切れねぇようにできてるらしい……お前もよく知ってるだろ、メイヴ」
バーサーカーが槍を構える、それを見たメイヴは笑ったまま――笑顔だけはそのままに、冷たい声で「そうよね」とこぼした。
「それでこそクーちゃんよね、なによりも、誰よりも知っているわ……なら、
今度も殺して私のモノにしてあげる!」
差し出していた手を上へ掲げ、叫ぶ。するとそれが合図だったかのように、周囲に微量だが大量の魔力反応が現れた。
「おいでなさいな、私の勇士たち!」
彼女が勇士、と呼んだその集団は、一見すると武装した、人、であった。だがその身につけている武具、そしてその瞳に宿る殺気が、彼らがただの人間ではないのだと感じさせていた。
「さ、サー、ヴァント……? でも、それにしては、力を感じない……、これは……」
「丁寧に説明してあげる義理はないわ、でもそうね……例えサーヴァントほどの力はなくとも、貴女一人なら、簡単に殺せるくらいの力はあると思ってもらって結構よ」
ぱし、鞭が彼女の手のひらに打ち付けられ音を立てる。
「さぁ! 貴方達! 私のために戦いなさい!」
号令と共に、男達が口々に「メイヴちゃんサイコー!」と叫びながら手にした武器を構える、恐らく先程の短剣もこの中の誰かが投げたものだ。
彼等に個々の意思は感じられず、そのため狙いが甘かったのだろう。そうでなければ私では躱せていない。
今飛んできている小刀も――常時であれば一人でも避けられたはずだ。けれど、
今は、身体が、動かない。
(まずい)
魅了だけではなく他の魔術も、かけられている。そう気づいたところで身体の自由は戻らず、放たれた小刀が私の脚に刺さるのを黙って見ている、しか、
「っあ……!? っぐ、」
そう覚悟を決めたところで不意に、身体が浮く。と同時に首元の締まる感覚に声を漏らした。
なんてことはない、バーサーカーが私の首根っこを引っ掴んで、彼の方に引き寄せた、それだけだ。
「世話がやける奴だ」
「あ、ありがと……でももう少し優しく助けて欲しかったかな……」
「文句を言える立場かてめぇ」
ストン、と地面に降ろされるが、足元がおぼつかずよろけてしまう。何をされたのかはわからないが、このままでは足手まといになることは明白だった。
「ど、どう、しよ」
「……っち、仕方ねぇな」
彼の大きな手が私の頬に触れる。小さく何かを呟いたと思った瞬間、触れたそこから温かいものが全身に広がった。
「これは……?」
「……魔を退けるルーンを刻んだ、所詮、バーサーカーの使う魔術だが、ないよりはマシだろう」
そう言ってから、彼の手が離れる。彼のその温度はじんわりと全身を包み込み、少しづつ身体が自由を取り戻し始める。
「あ、りがとう……」
「いちいち礼を言うな……出来るだけメイヴから遠ざかれ、いいな」
わかった、と私が返事をするより早く、彼は前方へ飛んだ。
跳んだ……と言った方が正しいのだろうか、彼はその一歩でライダーの前に躍り出て、その槍を振るった。彼女もそれに応えるように鞭を振るい、彼等の戦いは幕を開けたようであった。
幸か不幸か――男達はそんな二人の戦いに興味はないようで、バーサーカーもまた、彼等のような有象無象には目もくれなかった。メイヴもきっと雑兵ごときではクー・フーリンを止めることなどできないと分かっているのだろう。だからこそ、彼女は彼にこの兵士をけしかけない。だからこそ、だからこその、
「この絶体絶命の危機なわけで……」
多勢に無勢とはまさにこれ、メイヴの生み出した勇士達は一人残らず私を見ていた。
(二十……いや五十? 総数がわからない、困った、一人二人なら、なんとか、と、思ったけど、こんなに数がいたんじゃ、ううん、困る)
バーサーカーのルーン魔術のおかげで体は動くようになったものの、この戦力差はどうにもならない。
(バーサーカーは、できるだけ遠く、と言っていたけれど)
術者から離れれば離れるほど使い魔も魔術も力が薄れるものである。だがしかし、大した力もない私が今使える攻撃手段は、以前お遊びで作ったなんちゃってモデルガンのみだ。一応、理論上は魔力を弾丸のように飛ばすこっとが可能なはずだ、が、試したことはない。正直、うまくいく自信もない。
「……こんなことなら、真面目に体術でも習っておくんだった」
今頃後悔しても遅い、私はこの小さな拳銃もどき
だけを頼りにこの場を切り抜けなければいけないのだから。
「えーい! ままよ!」
どうにかなれ、と半ばヤケクソになって打った弾は、何故か、期待以上≠フ威力を持って相手を吹き飛ばした。
「……な、なんで……?」
茫然とそう呟いて、もしかしたら先ほどの彼の魔術が何か、と考えながら吹き飛ばした相手の様子を伺う、今ので倒せたのだろうか。
「……メ……ヴちゃ……サイ、コー……」
――だめだ、倒せていない、というかそれが合言葉なのか。
だが、この威力ならなんとか切り抜けて逃走するくらいならできそうだ。どうにかバーサーカーの助けなしにこの軍勢を撃退しなければ……!
******
「……はぁ、はぁ……っ」
そう意気込んで十分、私の体力は限界を迎えていた。
「いったい、っは、何回吹き飛ばせば、っ、倒れるの……!」
相手の数に限りがないというわけではない、だが、吹き飛ばしても吹き飛ばしても、彼等はまるでゾンビのように「メイヴちゃんサイコー!」の言葉とともに這い上がるのだ。
(埒があかない)
ライダーとバーサーカーからは大分離れただろうが、何故か一向に弱体化する兆しが見えない。それどころか、
「一発じゃ倒れなくなってる……!」
明らかに、強くなっている。
理由はわからないが、とにかくこのままではまずい、どうにか数を減らさないと……
「本当に、わからないのですか?」
爽やかささえ感じる、透き通った男の声が間近で聴こえる。まさか、と振り返ると、先程ぶつかった優男、ライダーのマスターが笑顔で立っていた。
「……っ! さっきの、」
「自己紹介がまだでしたね、僕は岩清水と言います、よろしく」
にっこり、一層の笑顔で首をかしげる。
「ご丁寧に、どうも、藤堂です」
警戒は解かないまま、彼との距離を少し広げつつ、そう返す。名乗られればこちらも名乗るのが礼儀だ、それが例え聖杯戦争の敵であったとしても。
「ふふ、ありがとう、挨拶を返してくれたお礼に、良い事を教えて差し上げますね? 特別です」
まるで親切なお兄さんが小さな子供に話すような優しい声で、男は話し始める。
「この男達、たしかにライダーの宝具で生まれたものなんですけどね、所有権……というのかな、統率しているのは彼女じゃないんです」
彼が右手をスッとあげると、虚ろな目をした軍勢が、彼を中心に整列する。圧巻だ、たった一つの合図でこれだけの人が一斉に動くなんて。
「……まさか」
「そう、彼女の宝具であるところのこの男達はね、彼女のマスターである僕の言うことをきくんですよ! これはね? 彼女が作り、僕の操る、彼女のためだけの軍隊なんです!」
満足そうに幸福そうに彼は笑う。なるほど、どうりでライダーから離れても離れても弱体化なんてしないわけだ。
「ふふ、すごいでしょう、本当はマスターを守るために≠チて彼女が用意してくれたんです、でも、僕は僕より彼女のことが心配で心配で心配で心配で……だから、僕がコレを使って彼女を守ることにしたんです! 当たり前ですよね、だって僕も、彼女を守る勇士の一人に過ぎないんですから!」
聞いてもいないことを、次から次へペラペラと喋る男だ。その間に少しずつ距離を取ろうとした……が、無理そうだ。後ずさっていた足が冷たい壁にぶつかり、ここが行き止まりであると告げてくる。
「僕はね、聖杯を手に入れたらライダーのための国を作りたいんです。みんながライダーを褒め称えて、支持して、愛する国……素敵だと思いませんか?」
にんまりと、笑う。声だけは変わらず爽やかなままだが、その色々と重すぎる話の内容と、それに合わない笑顔が絶妙に気色が悪い。この男が本心からそう言っているのだろうと思えてしまうのが、殊更に恐ろしい。
「……ライダーは、マスターの貴方にまで
魅了の魔術を使ったんですか」
「? いいや?」
彼は、何を言っているんだい? と言う顔をして首を傾げた。……もしこの発言が本当なら、この男は素面でここまで他人のために狂える人間ということか、それはそれで、身震いするほど恐ろしい。
「ね、ですから、君が彼を譲ってくれれば良いんですよ。彼女のための国には彼が必要みたいですから」
右手がそっと私へ差し出された。例えるなら、まるで転んだ子供に手を貸すみたいに、人に親切をするみたいな顔で「令呪を寄越せ」と、私へその手を伸ばしている。
背後に控えている男達が武器を構えた。正直この軍勢を倒す手段は今の私にはない、断れば、すぐにでも私は殺されるのだろう。だけど、
「……お断りします」
ピクリ、彼の眉が動く。
「……死んでまで叶えたい願いでもあるのかな?」
これは暗に、「断れば殺す」と言われているようなものだろう…優男の化けの皮が剥がれかけている。
(叶えたい願い、か)
そんなの、
「ないです」
「な……?」
「だけど、貴方達には渡したくないなって、今、思いました……だからあげません、バーサーカーも、聖杯も」
その時、彼が笑顔を初めて崩した……少し気分がいい。
「…………なるほど、なら、ここで死んでくれ」
先程とは打って変わった冷たい声で、男が合図し無数の腕が私へと伸びる。
格好をつけた手前、簡単にやられるわけにはいかない、倒すことはできずとも逃げなければ、少しくらい痛い目にあっても我慢して、何がなんでも――
「……え?」
そう思った時だった、
黒い影が、私たちの前に立ちふさがったのは。
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