第六節「扇動、挑発、あるいは揶揄」

 夜が明けて、二組目の戦いが始まる。

 ここに来てから数えて四日目の朝だった。

「名乗りは必要ないわ、さっそく始めましょう?」

 浅瀬で向き合うや否や、メイヴは二頭の雄牛に引かれる戦車に乗ったまま、戦場を縦横無尽に駆け回る。猫背の男、勝利のコナルは「せっかちな女だ!」と彼もまた彼の戦車の上から返答した。

「いつまでに終わると思う?」

「俺は昼過ぎには決着がつくに賭ける」

「同感だ」

 フェルグスとフェルディアのそんなやりとりを聞き、口には出さないが心の中で「私も」と同意する。

 …正直、昨日のフェルグスの戦いよりも安心して見ていられた。メイヴが男性相手≠ノ負けることなどありえない、と思っているからだ。

 実際、戦いが始まって間もなくしてメイヴはすでに優位に立っていた。この戦いが騎乗状態で行われていることも理由の一つだろう。

 彼女のクラスはライダー、少しずるい気もしなくもないが。

「ふ、赤枝の騎士団に属する戦士ならばそれくらいの試練、喜んで挑んで来るであろうさ…ところでマスター、あまりきつく縛られると流石に傷が痛むのだが」

「わ、ごめん」

 包帯を握りしめた手から力を抜く。もう一度、今度は優しく、けれど容易には緩まないようしっかりとそれを結び直した。

「…うん、これで全部かな」

「いやぁ、すまんなマスター、夜のうちに全て解けてしまってな、はっはっは」

 昨夜、メイヴと二人で何をしていたのかは知らないが、朝起きて、(主にセタンタのせいで)眠たい目を擦りつつ彼らのもとに行くと、何故か血塗れになったフェルグスが立っていた時は驚いた。幸い昨夜治療に使った道具はまだ残っていたので、再度彼の傷を診ていたところだった。

「治癒に必要な魔力程度なら供給されているはずだけど」

「いやはや、それも全て持っていかれてしまってな?」

 …何をしていたかは知らないが(できれば聞きたくない)まぁ、霊基の存続に関わるほどの無茶はしないでいただければ、うん。

「カルデアから供給される魔力だって無限じゃないんだから…傷を治す分の魔力、多少なら分けてあげられるけど」

 私が得意でもなんでもない治癒魔術を行使するのと、どちらの方が効率が良いだろうと考えていると、彼は「いや、構わんでいい」と提案を却下した。

「消耗品なんかも取っておけ、俺なんぞよりお前さんが怪我をした時に使った方が良いだろう」

 フェルグスの言うことは正しい。サーヴァントはここで消滅しようともカルデアに戻れば再び同じ霊基で召喚することもできる。

 だが私は人間、マスターは死ねばそこで終わり≠セ。どちらを優先すべきかは私にだってわかる。

「うん…でも大丈夫でしょ、フェルグスもメイヴちゃんも私を守るって言ってくれたもん」

「ほう」

 二人がいるなら、万が一なんて起こらない、そんなこと当たり前だろう、という気持ちでそう告げると、フェルグスは喜んだように語尾を半音高くした。

「これは随分と信用されているようだな、マスター」

「どうかな、二人に任せきりでマスターの職務を放棄してるだけかも」

 ここで言うマスターの職務というのは、身の安全を確保しサーヴァントの現界を維持できるよう努めることを指している。

 こんな状況で、普通ならばもっと警戒して然るべきだというのに、私はなぜかなんとなく大丈夫だという心地でいる。二人の力を信じている、から。…そしてこれは個人的なことだが、彼の…セタンタの顔を見ていると、なんだか不思議と安心してしまうのだ。もちろん彼に負けるつもりはないのだが。

(…油断、してる。随分と絆されてしまった)

 たった二晩、彼が私の元へ訪れたのはそれだけの短い時間であるというのに。あの人懐っこい笑顔に私はどうも弱らしい。

「頼りにされるのは悪い気はしないが…ふうむ、確かに今のままでは少し心許ないか。すまないがマスター、やはり少し魔力を分けてもらっても良いか?」

「はいはい」

 苦笑をこぼしながら私は自身の左手を胸の前に持ち上げ、携帯している小型のナイフで指の先に傷をつけた。

「こんな形でごめんだけど、どうぞ」

 それを彼に差し出す。私をマスターと呼んでくれているとはいえ彼はカルデアのサーヴァント。残念ながら直接的なパスは繋がっておらず、魔力供給には原始的な手段を用いるしかない。

 なので手っ取り早く一番確実な方法として血液を選んだのだが…彼は何かが不満なようで、しかめっ面のまま血の流れる指先を凝視していた。

「…他の手段ではダメか」

「ダメだね」

 即座にきっぱりと断る。だがフェルグスはその程度では諦めないようで、私の手首を掴み、優しく引き寄せながら「そうだな、接吻…などはどうだ? いやもちろん、マスターが望むのであればれはその先へ進むのもやぶさかではないが」などと話し続けている。

「ダメだね」

「はは、相変わらずつれない女だ」

 フェルグスも二度目の拒絶に観念したのか、大人しく私の血液で我慢してくれるようだ。

「ん…」

 彼が私の指を口に含む。血液での供給は初めてではないが、血を吸われる感覚というのはなかなか慣れない。それに、なんていうかその、視覚的にも、うん、いけないことをしているみたいで、ちょっと恥ずかしい。

「…充分だ、助かったぞマスター」

 指から唇を離し、その先端を柔らかな布で拭いながらフェルグスはそう言った。

 なんの下心もないといったようなその声に、自分だけがドキドキしてしまっていたという事実を思い知らされ少し悔しい。つい彼からふいと目をそらしてしまった。

「んん? どうしたマスター、もしやその気にさせてしまったか?」

「ちがいますー」

「そうかそうか、ならやはり男としては応えねばなるまい。今日の晩にでも…いや、それではまたセタンタが訪れた時にマスターが困ってしまうな」

「!!」

 何故それを知っているのか、と彼に視線で訴えかけると、したり顔で彼は続けた。

「当たり前だろう、俺達はお前さんを守るのも仕事のうちなんだ、寝込みを襲う不逞の輩などいようものなら返り討ちにせねばならんからなぁ」

 それはその通りだ、いやしかし、ならば初日の時点でセタンタの侵入を止めてくれればいいものを。ただ私が彼に翻弄されているのを見ていただけなんて人が悪すぎる。そのニヤニヤと笑っている頬を殴り飛ばしてやりたい。

「…あー、楽しそうなとこ悪いんだが、どうやら決着がつきそうだぜ」

 フェルディアの言葉にはっと顔をあげると、立ち込める砂けむりの中壊れた戦車と地に倒れ伏した男、そしてそれを見下ろすメイヴの姿が目に入った。

「予想よりも随分早かったな」

 それもそのはず、二人が知っているかはわからないが、昨晩、セタンタとメイヴが今日の対戦相手について話した後、彼女が何かをコナルに振舞っていたのを私は見た。

 あれはおそらく彼女の宝具の蜂蜜酒《ミード》、男を骨抜きにするという、例のアレだ。

 …決して誰にも言わないけれど。

「う…」

 コナルの腕がピクリと動く。瀕死状態のようだがまだ息はあるようだ。

 …ここで戦いを止めてしまえるならどんなに良いかと思う。私はできることなら彼の命を奪いたくはない。

 彼等にその気はなくとも、毎夜の宴で情が湧かないはずもなく、倒れる青年の笑顔を思い出すとつい罪悪感で胸が痛んだ。

 だが、昨夜のセタンタのあの眼、あれを思い出すと生きて返す≠ネどという選択などできるはずもない。

 まぁ、メイヴに限ってはそれを悩むこともないだろう、逃す気など――

「アルスターの王に告ぐ! この勇士の命が惜しいなら今すぐ私と戦いなさい!」

 ――なんだって?

 顔がひきつる、今、なんと言ったのかあの女王様は。

「こーんな前菜じゃ物足りないの、貴方とシなきゃ意味ないわ」

 楽しげなメイヴの声に頭が痛む。物足りないも何も自ら弱体化させておいてなんて言い草だ、さては最初からそれが狙いだったのか。

「やりやがったなあの女…!」

 フェルディアが怒り、叫ぶ。だが彼も約束は違えない性質の男らしく、浅瀬へ降りていこうとまではしなかった。

「…コナル」

 ざわつく自陣にまで響く低い声、セタンタが冷たい瞳でメイヴを、そしてコナルを見下ろしていた。

「お前はどうしたい」

「…!」

 酷な問いだ、そんなもの、誇り高きアルスターの戦士が命乞いなどするはずもない。

「…お前の…隣で…戦い、果てること、それが俺の…願いだった…!」

 ゲホッ、と咳き込む彼の口からは血が溢れる、だがそれを解することもなく、彼は彼の友へ言葉を届けようと大声を張り上げる。

「だがこれも…悪くない…なにより、お前の最後を見なくて済むのだから、――、」

 最期に呼んだ名前は聞こえなかった。コナルはそれだけいうと力尽きたように動かなくなる、どうやら気を失ったようだ。

「…だそうだ、コナルは勇敢な戦士、彼の誇りのためにお前の誘いに乗ったりはしない」

「そう」

 彼は表情も変えずそう答えた、それでも心なしか少しだけ悲しみを帯びたその声は、私が胸を痛めるには充分なものだった。

 もういい、帰ってきてくれ、とメイヴに声をかけようとして、それより先に彼女が口を開く。

「そう――ならいいわ、私、弱い男に興味はないの」

 その足で、倒れ伏したコナルの頭を蹴り飛ばす。大した力ではなく、コナルの身体が動くことはなかったが、その顔がセタンタの方へ傾いた。

「…」

 セタンタはなにも言わない、しかし場の雰囲気が変わったことだけはわかる。先ほどまで鳴いていた小鳥のさえずりも、川のせせらぎも聴こえず、風の音だけはごうごうと強さを増していくようだった。

「メ、メイヴ、もう…!」

 ようやく彼女の名を呼んだと同時に彼女の目の前に一本の槍が落ちる。赤く光るそれは、クー・フーリンが生涯に二度、大切な人の命を奪った時に使われたとされる朱槍――ゲイ・ボルクだった。

「…なるほど、その侮辱は確かに受け取った。これは返礼をさせてもらわにゃならねぇな」

「…っ、」

 遠く離れていても感じる異常なほどの殺気、獣のような瞳、怒り、そして悲しみ、

 ――ともすれば、それはランサーよりもオルタの彼に近いような、

「…っマスター!」

 フェルグスの声にハッとする、そんなことを考えている場合ではないのだ。

 すでに戦場ではセタンタがその槍を取りメイヴと相対している、彼女はとても楽しそうに「それでいいのよ! さぁ、クーちゃん、今度こそ殺してあげる!」と戦闘への意志をより強くしていた。

「だめ! メイヴちゃん! 戻って!!」

 勝てない≠サう思った私は必死に叫ぶも、今から始まる戦闘への高揚感に支配されている彼女には届くわけもなく、ただの少しも振り返りはしなかった。

(彼女を失うわけにはいかない…!)

 そう思った私は、

「……ッライダー! 戻れ!!」

 ――令呪を、発動した。


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