第七節「アイルランドの英雄」
その日の夜は静かだった。
いや、宴は開かれた、あんなことがあったにも関わらず、セタンタとその侍従をはじめとしたアルスターの男達は当たり前のように私達と共に火を囲み、酒と肉を分かち合った。
…メイヴは、参加しなかった。
あの後令呪の力で戦いから引き離されたメイヴは、当然私への怒りをあらわにした。今まで見たこともないような恐ろしい形相で、ただただ私の愚行を非難した。
「おい、てめぇ、邪魔立てする気か」
そして怒りを抑えられないのはなにもメイヴだけではない、メイヴを宥めようとしていた私の首元にセタンタが構えた槍の切っ先が当てられる。ひやり、としたその感覚に思わず身震いをするが、このまま二人が戦うのは困る、貴重なサーヴァントを悪戯に消させるわけにはいかないのだ。
「…無礼を、謝罪します、若き王よ。しかしながら今日の勝負はついたはず、明日は私達の中でも一番の勇士が貴方の前に立つでしょう、どうか、槍を納めては貰えませんか」
緊張で息を飲んだせいか、彼が腕を動かしたからなのか、肌にチクリと痛みが走り温かいものが首筋を伝う。暫しの沈黙のあと彼は、
「…良いだろう、貴様に免じて先ほどの発言は聞かなかったことにする。…俺に、弱い女をいたぶる趣味はないからな」
そう言って踵を返してくれた。
そこからメイヴの機嫌が直ることはない。戦いを邪魔され、生前のように「女だから」と見逃されたとあっては、彼女の怒りも仕方がないのだろう。…今は、フェルグスがどうにかご機嫌伺いに向かってくれているところだ。
「一人なのか」
「フェルディア…」
金の髪を揺らしながら青年が私の側へ立つ、空いた席へ座るよう促すと、どうも、と言って素直に腰かけた。
「メイヴちゃんとフェルグスは居ないから…それに、セタンタも」
当たり前だ、私のサーヴァントがあれだけのことをしてしまって、その後すぐに仲良く談笑など出来るわけがない。そもそもこうして同じ場所に集っていること自体私には信じられない。
「まぁそうだろうな、アルスターの戦士の中にも俺たちをよく思ってない奴らは沢山いる…特に今日はわかりやすい、クー…セタンタが居ないから咎める奴も居ないんだろう」
彼が手に持っていた飲み物に口をつける。アルコールの匂いはしないので今日は流石に酒を飲んでいるわけではなさそうだ。
「それで、フェルディアは何か私に用でも?」
「いや特に、だがまぁ一人寂しく頬を濡らす乙女がいるのなら声をかけなきゃ男とはいえないだろ」
にやりと笑う彼は「どうだい、今夜は俺と過ごしてみるか」と上半身を乗り出すようにして私との距離を詰めた。
「…私泣いてないよ」
「なんと、これはとんだ勘違いをしてしまったなぁ、ならばお詫びに一杯奢らせちゃくれないか」
どこから取り出したのだろうか、彼の手には二つ目のカップが持たれており、それが私へと差し出される。柑橘系の良い香りが鼻に付くということは果実系の何かなのだろう、橙色の飲み物の上に小さく可愛らしい花が添えられていた。
「ありがとう…ふふ、流石クー・フーリンの事を弟だと呼ぶだけあるね、英雄フェルディア」
「どういった意味で?」
「彼と似てお調子者で女好きで、人一倍仲間想い。…それにとっても素敵な男ね、って事」
…ランサー程じゃないかもだけど、と小さく付け足して受け取ったカップに口をつける。さっぱりしてとても美味しい。
「お褒めに預かり何よりだな、うん、やはり女性は笑っていた方が良い。それこそあいつだってそうは言わなかったか?」
ランサーがそう言うのを想像してしまい、少し頬が熱くなる。誤魔化すように小さく咳払いをしてから「随分と今日はおしゃべりだけど」と呟いた。
「さっきはメイヴちゃんに、あの女! とか言ってたのに」
「う、あれは乱暴な言葉遣いだったな、謝罪する…あと、絶対女王には言うなよ、今は仲間とはいえ…いや生前もそうだったが、とにかくなにをされるかわかったもんじゃない」
「わかった、言わない」
私としてもこれ以上メイヴの機嫌を損ねたくはない、当然言うつもりもなかったが、彼の顔を見ているとつい悪戯心が湧き「代わりに何かしてもらおうかな」と微笑みかける。
「そうだな、代わりになるかはわからないが、影の国にいた時のクー・フーリンの話ならいくらでもしてやろう、あんたはどんな話がききたい?」
えっ、とオモチャを買い与えられた子供のような声を上げてしまい、慌てて口をふさぐ。だが出てしまった言葉が返るわけでもなく、フェルディアには「満足いただけるようでなにより」と笑われてしまった。
「…じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて…その、いつも修行以外ではランサー…クー・フーリンはなにしてたのかとか、修行中の彼の様子とか…あ、あと、ちょっと気になってるのはアイフェとの話とか…聞いてもいい?」
「お安い御用さ」
そう言って、彼はまるで昨日のことのように影の国にいた頃の話をしてくれる。そのおおよそは、彼らしい、で済まされるような出来事だったが、時折出る彼の予想外な発言や、その行動に驚かされながらその話を聞いていた。
お返しにと、私も、私と契約してからのランサーの話や、別のクラスで召喚されているキャスターやオルタの話、ちょうどフェルディアと知り合った頃の年齢で召喚されている彼の話なんかをした。
フェルディアも私と同じように、笑ったり、驚いたりしながらその話を聞いてくれて、私達がお互いに話し終わる頃には宴も終わり、他の者は皆自分の寝床へ帰って行くところであった。
「話過ぎたな、悪い」
「ううん、私こそ」
彼は空になったカップを二つ手に持って「それじゃあまた明日」と席を立とうとする。
「あ、待ってフェルディア、手を出して」
「?」
大人しく差し出されたその手を私の両手で包み、目を閉じた。
「――令呪を持って命じる、セタンタに必ず勝ってね、フェルディア」
キィン、と割れるような音と共に、私の手にあった最後の令呪が消えて無くなる。それを見たフェルディアは驚いたように目を見開いた。
「あ、あんた、それ…!」
「うん、このレイシフトでもらった最後の令呪…あ、安心して! カルデア製の令呪は簡易令呪って言われてて補充可能だから!」
ずっと握っているのもおかしな話なので彼の手を離す、そうして笑ってみせると、彼はまだ戸惑いを隠せないようで困ったように私を見つめていた。
「…あんたはあっちのクー・フーリンを応援するかと思ってたぜ」
開いていた拳を握りしめ、彼がそう呟く。
「まさか、私は特異点修正の任務で来てるわけだし、なによりフェルディアは仲間でしょ」
「だけどあいつはクー・フーリンだ、例えその名をもらってなくとも」
…彼と語らい、フェルディアも何か思うところがあったのだろうか、真剣な顔でそう言われると、私だって返答に困る。確かに彼はその一挙一動、考え方も太陽のような笑顔さえ伝承にあるクランの猛犬≠サのものだ。
「でも、どれだけ同じでもあの人は私のランサー≠ナはないから…あなたにとってのクー・フーリンではないように」
「!!」
何かを言おうとしているのだろうか、彼の口が開く。だが何を発するでもなく二、三度小さく動いてから閉口した。まるで言葉を失ってしまったみたいだ。
「…その通りだな、全く、あんたの言う通りだ」
長い沈黙の後ようやく話し始めた彼はそんなことを言って自嘲気味に笑う。その笑いはどんどん大きくなり遂には腹を抱えて笑いだした。
「な、なに? どうしたの?」
「いやー! はっはっは! 俺としたことがそんな小さいことを思い悩んでいたのかと馬鹿らしくなってな」
息を整えるように咳払いをしてから、彼はすっきりとした顔で私と向き合い、もう一度手を差し出す。
「ありがとうカルデアのマスターよ、俺としたことが明日の戦いに不安などを感じていたらしい…だがあんたのおかげでそれももうない、明日は仮とは言え貴女のサーヴァントとしてこの槍を振るうと誓おう」
その手が握手を求めているのだとわかり、私もそれに応じる。私の言葉で彼が明日全力を出せるというのなら本望だ。私達はお互いに励まし合うように笑いあった。