第八節「二人の夜」
フェルディアと別れ、すぐにテントに戻った私は、今日は一人であることを確かめた上で薄い毛布の中に包まっていた。
「…寒い」
震える体を抱きしめるように身を縮めてみても、冷たい風は容赦なく私の身体を冷やしていく。
ただ屋根もなく野宿をしているよりマシかと思っていたが、むしろ火の側にいられないというのはそれなりに辛いのだと知った。
(火を起こしたいけど、火の番をしてくれる人が居ないと危ないし…メイヴとフェルグスには、頼めないし)
明日の戦いを控えているフェルディアに頼むのも気がひける。
ならば仕方がない、効果があるかはわからないが少し身体を動かすか、温かい飲み物でも飲むなどしてからもう一度横になることにしよう。
そう決めた私はため息を吐きながらテントを出る、その直後、何か人のようなものにぶつかった。
「わ、ごめんなさ…っ! セ、セタンタ…!?」
何故か私のテントの前で立ち尽くしていた男、セタンタは、「あ…」と声を漏らすと、ただ黙って私を見つめていた。
「ど、どうしたの…こんなところで」
昼間のことを思い出して、一歩、彼から距離を取る。警戒する私を見て、彼は少しだけ悲しそうに目を逸らした後、「謝罪を、しにきた」と小さく呟いた。
「謝罪…?」
「今日の戦いで、俺は自分の決めたルールを破った」
すまなかった、と申し訳なさそうに視線を落とす彼を見て、本当に、本当に驚いた。だってそんな顔を見たのは初めてだ。
「そんな、先にルールを破ろうとしたのはメイヴちゃんの方で、謝るっていうなら私達の方なのに」
「確かに挑発されたのは事実だが、それに乗ってしまったのは俺の未熟さだ。あの瞬間、あんたが止めなきゃ俺はきっとあのまま皆殺しにでもしてただろうさ」
物騒なことは言いながらも、しょんぼり、という擬音がぴったりなくらい、目に見えて彼はしょげている。
…レアだ、ウルトラハイパーレアリティの表情だ。本気で落ち込んでいる彼には申し訳ないが、クー・フーリンと同じ顔でそんなことをされると、こう、母性本能…よりも、加虐心が、その…いや私は自分よりも年下の少年にいったいなにを、
「と、とにかく気にしないで、本当に、セタンタは何も悪くないんだから」
「だがそれじゃあ俺の気が済まん。だから――これを渡しに来た」
差し出されたのは彼があの時放った朱槍、ゲイ・ボルクだった。驚き言葉を失う私に彼は続けて言った。
「俺は明日以降の戦いでこの槍は使わない。父、太陽神ルーの名にかけて誓おう」
「…ゲッシュ、ってこと?」
「ん、あぁ、そういうことだ。しかし今日みたいなことがあるとも限らん、お前が持っていた方が安心だろう」
押し付けるように差し出されてしまえば受け取る以外に術はなく、ずっしりと重いそれを両手で抱えるようにして受け取った。
「でも、私がこれをフェルディアに渡すかもしれないのに?」
「それならそれでいい、あいつがそうしたいというのなら、そうしてくれ」
なんとも寛容なことだ、きっと彼はこの槍の有無程度では自分の力に変わりはないと考えているのだろう。
「でも、この槍はどこで…?」
「気づいたら城にあった。名前も由来も知らないが…試しに折ろうとしたら、折れなかった。だからここ一番という時にはいつも使っていた」
「…!」
セタンタはゲイ・ボルクを知らない≠ニ言う。いや、当たり前だ、彼は影の国へ行くことはなかったのだから。だがなるほど、ならば簡単に手放すのも納得がいく。
「それがどうかしたか?」
「…いや、なにも、立派な槍だったから」
あえてそれを伝える必要もあるまい、と朱槍の柄を強く握る。多少卑怯な気もしなくもないが、相手の力を削げるのであればそうした方が賢明だ。
「…へっくし!」
…今のくしゃみは私のものだ。
そういえば忘れていたが暖が取れるものを探しに外へ出たのであった、今はむしろ中にいた時よりも身体が冷え切っている。ぶるりと震える私を見て、セタンタは「戻った方がいいな、風邪を引く」と私をテントの中へと促した。
「うん、そうする」
私も大人しく言われるがままにテントの中へと入る。この様子ならどうせ今夜もセタンタは私のところで眠るつもりなのだろう、ならば火を起こす必要はなくなった。太陽神の息子だからなのか、はたまた子供体温なだけなのか、彼の隣は陽だまりのように暖かいのだから。
「…セタンタ?」
だが続いてテントに入ると思われた彼が、その場を動こうとしないのを見て、不思議に思い「入らないのか」と声をかけた。すると彼は気まずそうな顔で「…入っていいのか」と聞いてくる。
「え? …もしかして、ここに立っていたのって、」
「入っていいかわからなかったから、どうしようかと思っていたら、ちょうどお前がそこから出てきた」
恥じるように頬をかき、彼がそう答える。
「昨日までは勝手に入り込んでたのに、なんで今更そんな…」
「…お、」
「お?」
なぜか今夜の彼は歯切れが悪い。迷うように少し目を泳がせた後、彼が、
「…怒ってると思ったから」
そう言って、叱られた子供のような顔をするものだから、私は思わず吹き出してしまった。
昨夜のように二人で毛布にくるまってからは、彼の話を聞いていた。聖杯により力を手に入れた後どのように王になったのか、ということを始め、史実にはない彼の話は新鮮で、今夜は彼の代わりに私が目を輝かせる番だった。
「本当に強いんだ、セタンタ」
「当たり前だ…けれど力だけあっても俺はまだ未熟なままらしい、短気で怒りやすくすぐに失敗する。今日のように」
「今日のは仕方ないよ、きっと私の知るランサーでも激昂する。だってメイヴちゃんはあなた達を怒らせる天才だもん」
「…大人の俺でも?」
「うん」
「そうか」
少しホッとしたような笑みを浮かべたセタンタは、今はただ背伸びをしている子供のようで、先程まで聞いていた栄光の数々も、時折見せる獣のような視線も、今の彼とは結びつかない。
ここに二人で寝転がっている間の彼は、年相応のこどものようだった。
「…そういえば、セタンタは幼名なんだよね、あなたがもらった本当の名前は、なんていうの?」
ふと、ずっと気になっていたことを聞いてみた。彼は私にセタンタ≠ニ呼ばれるのを嫌がったりはしていないようだが、ずっとそう呼び続けるのも失礼なように思う。
そう問いを投げると、彼は少し考えるようなそぶりの後「教えねぇ」と悪戯っぽく笑った。
「なんで」
「教えたらあんた、その名で呼ぶだろ」
当たり前だ、そのために聞いているのだから。
「…セタンタって呼んでる内は、俺にお前のランサーの面影を重ねているんだろ。でも俺≠フ名前を告げたらきっと、そんな顔は俺には向けてくれなくなる」
「は…」
無邪気な顔が一変して、真剣な瞳でそう言われる。先程までの幼なさは身を潜め、一人の男≠ェ目の前にはいた。
「俺じゃない俺の存在を利用してでも、お前のその眼が欲しい…前も言ったろ、お前が欲しいんだって」
「〜〜っ」
よくもまぁ、そんな恥ずかしいことを言えたものだ。恥じらいに顔を背ける私の手に彼の大きな手が触れた。
「な、な、なんで、セタンタからしたら、私なんて会ったばかりのはずなのに」
「なんでかな…お前があまりに堂々としていたから?」
彼の指が、私の指を絡め取っていく。まるで恋人のように重なり合った手を解くこともできず私は黙って彼の言葉を待った。
「自慢じゃないが、俺を見た女達は皆、色めき立ち頬を赤らめ俺に夢中になった。例外なんてなかったんだ、今までは」
空いた方の彼の手が私の頬を撫でる、それだけで私の心臓の鼓動は早まり、これはいけない、と警鐘を鳴らしていた。今の私は、その女達と同じ顔をしているんじゃないだろうか。
「俺は…まだ恋を知らない、お前の言う姫さんに会ったことはないし、アイフェという女と体を重ねた記憶もない。だから、俺を見上げるお前の瞳を見て、焼けるように焦がれたこの気持ちを俺は恋と呼ぶことにした。」
少しだけいつもより近くに感じる彼の体温を、呼吸すら忘れるほど意識してしまう。先ほどまで子供のようだ≠ネんて笑っていた相手にこんなに心を乱されてしまうなんて、
「…なぁ、あんたは、俺が怖くないのか?」
怖い、なんて、そんなこと、
そう答えそうになって口をつぐんだ。それは嘘になってしまう、だって私はついさっきまで彼を恐ろしいと感じていたのだから。
「怖いよ、すごく怖い」
「なら、なんであの時、戦場で、俺の前に出たんだ…あんたみたいな弱い人間、俺が殺すと決めたならあの場で死んでいてもおかしくなかったんだ。今だって」
頬を撫でていた手が首元へ、私の喉を押さえるように大きな掌が動き、それは「今すぐにでも殺せるのだ」と言っているようでもあった。
「怖かった、でも…私は彼女を守らなきゃいけなかったから」
それはあの時の話、「今は?」と囁くような彼の声に、私はまぶたを下ろした。
「今は…今も、怖いけど、でも…なんでかな、なんでだろうな、やっぱり、似てるからなのかな」
その手を振りほどく気にもなれず、繋いだままの手を強く握り返した。――きっと彼は私を殺さないだろう。
これは、油断であり、自意識過剰であり…自惚れている、とも言えるのだろうか。
「随分と愛されてるみたいだな、そっちの俺は…羨ましいくらいだ」
首にあてがわれていた手を離し、その手で私の唇をなぞる。少しだけ近づいたその顔から離れるように身をよじり「それはだめ」とセタンタを制止すると、彼は不服そうに唇を尖らせた。
「どうしてもダメか」
「…ダメ、だってセタンタはやっぱり私のランサー≠カゃないんだもん」
「元は一緒なんだろ」
そういう問題じゃない、と苦笑すると、彼はやっぱり悔しそうな顔をしてから、仕方がない、といった様子で私の腰を両腕で抱き寄せた。セタンタ、と名前を呼ぶと「こうしているくらいは許してくれるだろう?」と甘えた声で懇願される。私もまた、仕方がない、という顔をして彼の背中に腕を回した。