2024/2/29〜3/31
語り手:日番谷冬獅郎



 ちょうど、鼻緒が沈み埋まるくらい。残雪と呼ぶにはまだ辺り一帯が白々しく、冬と春の中間よりは左寄りといった雪脚くもあしの朝。淡雪はやまず、昨日の昼には融けきるかと思われた氷柱つららは寧ろ一夜にして一角ひとかどとなり、連なる軒が牙を剥いているかのようだ。

 この時間の十番隊舎への通勤路にはさっぱり人影はなく、静けさのみがある。昨日までの幾多の足跡は雪に覆われて隠れ消え、真っさらな道には俺の足跡だけが点々と増えていく。
 ふと、途中の脇道からこの通りに入ってきたらしい、先を行く足跡を見付けた。顔を上げてみれば、前方の十字路に見慣れた真っ直ぐの背中があった。思わず力が乗った爪先が、ギュッと堅く雪を鳴らした。すると向こうもすぐこちらに気付き、振り向きざまに手を振ってきた。俺が追い着くまで待つつもりなのかその場で足を止め、しかし視線は俺から氷柱へと移していた。
 隣に並んでやっても、その目はまだ氷柱ばかりを写す。奔放な横顔をとくと盗み見ていたら、面と向き合う前だというのに妙に面映ゆい心地になってきて、仕方なく俺も氷柱を観察した。道端にできた物にしては透明度が高く澄んでいて、太さがある割には表面が滑らかそうで――


「なんだか美味しそうだよね」

「第一声がそれかよ腹壊すぞ。おはようございます」

「おはよう。早いね隊長さん、毎朝この時間には出て来るの?」

「まぁだいたい。そっちは?この辺りで鉢合うなんて珍しいすけど」

「冬獅郎に会いに来たんだよ」


 体の向きは並列のまま、楠山の目は漸く俺を映した。……そういう変な誤解が生まれかねない台詞を真顔でさらっと言っちまう所は浮竹に似たんだろうけど、人前ではやめておけよ。俺とお前のよくわからん関係なんて、今となっちゃ知らねえやつの方が多いんだ。ウチの隊士だって、昔とは顔ぶれがだいぶ変わっちまってるし。


「どうも、で、何の用件すか」

「はいこれ。瀞霊廷通信冬の増刊号」

「そういや今日発刊でしたね。て、なんでアンタが」

「昨日野暮用で編集室にお邪魔したんだけど、修兵くんたら刷った直後にダウンしちゃってさ。九番隊の席官さんたちで手分けして各隊に配るかって話してて、私もちょうど暇してたから、十番隊係引き受けてきた」

「暇って、アンタそれ謹慎――」

「フンだ、黙ってりゃいいんだい」


 言うと同時に、増刊号で軽く頭をはたかれた。舌打ちしたら流れるように二打目を喰らった。待て、らしくもねえ八つ当たりか?まぁここんとこ身動きも制限されて窮屈そうで、ちっと可哀想だなとは思ってたから、これくらい黙って受け止めといてやるのは吝かじゃねえけど。騒ぐ気だって更々ねえ。

 現在の瀞霊廷の空気として、空位である三・五・九番隊の隊長位を藍染との戦いで共闘した仮面の軍勢ヴァイザードから選出しようという流れがあるのだが、「虚の力を持つ者を再び死神として迎え入れるなどあってはならない」と強く反発する連中が少なくないし、なかには「仮面の軍勢は実は藍染とも繋がっていたコウモリだったのでは」なんて疑う面倒な輩もいる。
 楠山は現世にいた間、その仮面の軍勢とも親しくしていたそうだし、朽木ルキア処刑阻止の際にも旅禍一派として動いたことで名が知れている。大きな事件続きで処理が後手に回り長らくあやふやにされてきた総べての経緯を順を追ってつまびらかにし、更にそれが正式な事実として認められるまで、楠山の自由はどうしても制限されてしまうのだ。
 だが、それももう少しの辛抱だろう。京楽、砕蜂、朽木も総隊長に協力しているらしいから、近々この話の決着はつくはずだ。それに謹慎ったって、総隊長が四十六室との衝突を避けるために“一応”って感じで言い渡した、形ばかりのものだ。俺を含め、隊長格やこいつの昔馴染みなら当然みんな解っている。

 頭に載せられた増刊号を受け取り、一緒に雪道を進み始めると、頭上を鶺鴒セキレイが飛んでいった。あんな小せえ体で、よく凍えねえよな。


「私まだパラパラッとしか見てないんだけど……君さ、私の知らぬ間に面白そうな連載してたのね。ソレの振り返り特集も載ってるよ。氷で彫刻とか椅子とか作って、しかも読者プレゼントまでしてたんだ?コーナー名は確か……」

「『華麗なる結晶』」

「そうそれ、華麗なる……プフッ、」

「笑うな」

「や〜ゴメンゴメン、冬獅郎も随分開き直ったもんだなァと思ったら可笑しくて」


 開き直った、か。そうかもな。
 一昔前の俺と楠山は、「負けたやつは勝ったやつの言う事を何でも一つ聞く」という約束で、何度も剣の手合わせをしていた。俺は負かされっぱなしで、楠山の“言う事”といえば、毎度飽きもせず「食い物を冷やしてくれ」というものだった。
 死神になりたての頃は、斬魄刀を戦闘以外に用いるなんて本当にフザケてやがると思っていたし、そういう風に斬魄刀を使うやつらを見下す気持ちがあった。スイカ切ったり沢庵切ったり、花とか光線とか出せる系のやつは下らねえ一発芸に使ったり。炎熱系なら食い物焼いたり、流水系なら洗い物したり、氷雪系なら……氷の彫刻作ったり、食い物冷やしたり。
 だが、死神歴が長くなるほど俺は思い知らされた。強い奴ほど案外そういう使い方をしていた。日常でも斬魄刀に慣れ親しむことが良いのか、遊び心がある方が繋がりを深めやすいのか。因果関係は不明だが、事実、強い奴ほどフザケている傾向にあった。あの人・・・も、その甥っ子も。焼き芋の焚火の点けて消しては斬魄刀でやっていた。でも、強かった。聞いた話ではあの人の伯父も、斬魄刀の能力で庭作りや彫刻彫りをするのが趣味だったらしい。彼と話せるものなら、斬魄刀で作る彫刻について語り合ってみたかった。今となっては俺も、嫌々ではなく好きでやるようになっている。昔の俺が見たら驚くに違いない。


「けど……あれ?……アンタは自分の斬魄刀で食い物焼いたこととかありましたっけ?」

「うん、やったやった」

「へぇ。なんかいつも俺ばっか凍らすのやらされて、アンタがそういう事したっていうのは見聞きした覚えもなかったっすけど」

「そりゃそうだろうさ。だって初めてやったの去年だし」

「は?いつ」

「去年の十月末」

「思ったより最近……ってか、藍染と決着つけた後でクソ忙しかった時期に何やってたんすか」

「よくぞ訊いてくれた。それはだねぇ、その日総隊長殿からお呼び出しを食らいまして、渋々現世から戻ったら――」


 楠山は身振り手振りを交え、コロコロと表情を変えながらその日の話を聞かせてくれた。……ほう、そうか。あの総隊長でさえもそういう事してたんだな。そんなら尚更、斬魄刀を戦闘以外の用途に使ったら駄目とかいうワケねえか。
 聞き終える頃には十番隊舎の門が見えていた。ずっと隣を歩いてきた楠山は、此処で立ち止まる。


「さて、この辺りでおいとましようかな」

「『ひまだ』って言って来たのに更にいとまを貰っていくんですか。どうせ暇なら寄ってけばいいのに。松本も喜ぶでしょうし」

「ありがとう、でもいいよ。乱菊さんには会いたいけど、あんまり早く来ないんでしょ?」

「……そうっすね。よくて始業ギリギリ」

「他の十番隊さんたちにはさ、いま会うとー…そのー……」

「……面倒なんすね」

「なんか言い方がよろしくないなぁ。けどまぁ、そうさね。何と言うかなぁ」

「いや、俺はだいたいの事情は察してます。ただ、アンタに群がって問い質したがる部下達の気持ちも少しは解るぶん、いつかどうにかしてくれねえかなとも思いますけど」

「ん〜〜……勘弁して?」

「はいはい勘弁するんで、もう行った方が良いっすよ。早い奴らはそろそろ来始めます」


 先にも思考した事だが、十番隊の顔ぶれはだいぶ変わった。つまり過去を知る者は減った。だが、二十年以上勤続の隊士が全くいなくなる訳もない。何十人かは残ってんだ。突然失踪した先代の十番隊隊長・志波一心を健気に慕い続け、声にはせずとも、帰りを待ち続けているやつらが。
 お前は多分、いや絶対、あの人のことを一番よく知っている。事情も気持ちも誰よりも通じているんだろう。そのお前が、頑なに明言を避ける。つついても言葉を濁す。忘れてくれと頼むように、忘れていいと許すように、誤魔化して笑う。それは何よりも如実にあの人の心を代弁する姿勢で、あの人からの答えなのだと、俺は思う。


「ねぇ冬獅郎。私の謹慎が解けたら、また昔みたいに勝負しようよ」

「……いいんですか、勝ち逃げしなくて。いつまでも負け続ける俺じゃないっすよ」

「いいよ、まだ当分勝たせてあげるつもりないけど」

「“言う事”きくって決まりはそのままですよね」

「そうした方が本気出してくれそうだし、いいよ」

「……忘れないでくださいよ。言質げんち取りましたから」

「ハイハイじゃあ今日もお仕事頑張りなよ。またね、冬獅郎」


 真っ直ぐの背中が遠ざかっていく。俺とお前の行く先は、これからも重なりはしないのかもしれない。
 いつかお前に勝てたら、そのときは俺は何を言って聞かせるか。

 奢ってもらう?選んでもらう?
 半端な敬語を止めてもいいか?
 ウチの隊に引き込んでいいか?
 それとも今でこそ、願うなら……あの人の話を聞かせてくれるか?

『いいよ、勝てたら一つ何でも言う事きいてあげよう。さて、君は私にどうしてほしいのやら』

 そんなの――最初からずっと、決めあぐねている。

牢籠らうらう明くる日、様々やうやう垂氷たるひ


 このサイトで6年も脱色夢書きやってるのに、日番谷隊長が直に登場するお話を書いたのは今回が初めてです。何をチンタラやっとんじゃ!大人気キャラぞ!?って感じですが。『このほの』本編は百年前スタートなので、彼が登場するおよそ40年前まではまだまだかかります。
 「去年の十月末」のお話とはseason3の主人公さん回のことです。そして「負けたやつは勝ったやつの言う事を何でも一つ聞く」という約束については、かつてseason4のルキア回でちょこっと触れていました。
 今回のお話の軸のひとつ、「一心さん今どうしてる?」に関して。日番谷隊長と乱菊さんは現世に先遣隊として送られた際にもうほぼほぼ答えを得ていますが(KOの質問コーナーでも久保先生の公式解答あり)、やっぱり「ちゃんと聞きたかった」っていう寂しさに似た気持ちはいつまでも胸に残っているんじゃないかなぁと思っています。それでも二人とも精神が大人なので、周りを困らせるだけのワガママは言わないし、本心を隠すのも上手なんです。きっとね。
 アニメ千年血戦篇を血眼になってリピートしてはプロット練り直しとかする日々です。あとFate/Zeroが再放送中なのでそっちの熱も盛り上がっています。Fate小説、いつ再開しようかな。

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