2023/1/31〜2/29
語り手:行木理吉



 驚きからならまだしも、恥ずかしさから二の句が継げなかった事といえば、まぁ、これくらいだ。


「おーい理吉ー」

「! 沙生さ、」

「ジェニファー落としたよ」

「――ン〜〜〜〜ッ」

「うお座の……え〜と、呪文みたいでイマイチ覚えにくくて。何だったっけ」


 オレの憧れの先輩の恋次さんの憧れの先輩の沙生さん、つまり超憧れの大先輩の口から出てきた『ジェニファー落としたよ』。なんだそりゃ、って思うでしょ。思うよね。説明したくないけど説明しないとこの話は進まない。だから仕方なく説明しよう。
 ジェニファーとは、簡単な作りの蝶々の模型……というより安っぽい手作り玩具おもちゃ、その名前だ。オレが適当に付けた。ジェニファーは細長い針金の先端に取り付けられていて、振ればびょんびょん動く。猫じゃらしみたいなものだ。

 六番隊副隊長に昇進するという恋次さんの背を追って異動したばかりだったこの当時のオレは、地獄蝶の飼育係を任されていた。危ないことや難しいことは何もない、下っ端の雑用だ。ところがこれがオレには不向きだったみたいで、地獄蝶に逃げられてばかりいた。そこで「仲間で釣ろう」と思い立って作ってみたのがジェニファーだ。
 ちなみにジェニファーはうお座のA型、カップはEという設定がある。蝶々のカップは何処を測るのかって?そんなのオレも知らない。ああ、馬鹿っぽいと思うさ、フザケていたことも否定しない。だがしかし、気心の知れた同性だけの集まりって「馬鹿やってナンボ!」みたいなとこあるだろ?これもそういう内輪ノリだったんだよ。それがまさか異性の超憧れの大先輩に漏れてるとか思わないって。冗談だったのに冗談じゃないって。誰が教えたんだ?それとも見られてた?あ〜ホント、素に戻れば微妙に面白くない分、羞恥心が突き抜けて屋根まで飛ぶ心地がしたね。


「わ。アハハ、顔真っ赤」

「うぅー……」

「はい、ジェニファー」

「ありがとうございます……あー……あー……沙生さんはどうしてこんな所に?」


 隊舎の中でも辺鄙な方だった。地獄蝶の籠部屋かごべやと準備室、それより奥には隊舎牢しかない。


「白哉さんに用があったんだけど、ちょっと出てるらしくてね。待つにも……ホラ、向こうの棟だと人の視線がね、ちょっと落ち着かなくて」

「成程それで……あの、良かったらお茶とかお出ししますよ!今なら茶饅頭も付きます」

「え?ありがとう嬉しい……けど、まさかこんな場所でお茶を頂けるとは思わなかったなぁ」

「実は此処らに色々と私物を持ち込んでまして」

「ほうほう、あまり人が来ないのをいいことに個人の休憩所にしてるワケか」

「あっ!朽木隊長にはナイショにしてくださいよ!」

「安心しな、告げ口なんてしないから。ふふっ、そういう大胆なトコ、私はいいと思うよ。寧ろ白哉さんはこういう息の抜き方をもっと見習った方が良い」


 これが切っ掛けになったのか、以降沙生さんは尸魂界に戻ってくる度によく此処を訪れるようになった。旅禍とセットで良くも悪くも噂の的にされていたから、人目を避けて休める此処が気に入ったんだと思う。
 昔の彼女を知る先輩死神の多くは、時効にしても良さそうな過去の噂まで掘り返しては、アレコレあることないこと言うのが好きみたいだった。噂される、だなんて……オレにはきっと今後も縁がないことだろうから想像するしかないけど、そりゃ気疲れもするよなって。
 対して、オレは昔の出来事なんて殆ど何も知らない。けど、恋次さん経由で込み入った事情はそこそこ知っていた。それが沙生さんにとっては適度な距離に感じられたんだと思う。「理吉とは話しやすい」って、オレなんかの所に羽根を伸ばしに来てくれるのは、正直言って凄く嬉しかった。沙生さんの沢山ある居場所の中の一つであれること。些細だけど、誇らしい秘密だった。

 或る日には、現世土産の洋菓子を一緒に食べながら、こんな話をしたこともあった。


「もう飼育係じゃなくなったんでしょう?いいのかい、此処らへんまだ自由にしちゃってて」

「まぁー……こんな場所で時間を潰そうって物好きはオレとアナタしかいないので。後輩も承知してますよ」

「ならいいけど。ね、どう?やっぱり後輩くんも苦労させられてる?」

「それがどういう訳か、やつは全然ナメられてないみたいなんです。『逃げられたことなんてありませんよ』とか言って。あの地獄蝶たちも遂に態度を改めたか〜と思ったんですがね、オレが構ってやってみたら別に何も変わってませんでした」

「ふふ、そうかそうか。私も未だに地獄蝶にはあまり好かれてなくてね、上手くやれてないんだ」

「意外です。何でも卒なくこなしてしまう人かと……ひょっとして沙生さんも飼育係だったことが?」

「んーん、違うけど。断界を通るのにすんなり付いて来てくれなかったり、連絡も何度か怠けられたり……だからそもそも連絡を貰ってたって知らなかったのに、総隊長から怒られたこともあったな」

「あら〜災難でしたね。オレは何だかコイツらには世話人として下に見られてる気はしますけど、沙生さんは立場も偉かったのにどうしてなんでしょ。……おいオマエたち、なんで言うこと聞かないんだ。死神みんなを導くのが地獄蝶なんだろー?差別はんたーい」


 腰高の卓から肘を浮かせ、壁付け棚に置かれていたジェニファーを手に取り、ヒラヒラさせながら地獄蝶たちがいる籠部屋の窓に近付く。相変わらずこっちには見向きもせず自由気ままで、そっけなかった。


「まったくもう。ジェニファーが泣くぞ〜」

「というかまだ持ってたのね、ジェニファー」

「へへ。今更捨てるのも何だかなぁって、手放し難くて」

「わかる。なんか私たちの方がジェニファーに愛着湧いちゃってる」


 そう、何だかんだでジェニファーは思い出の品なのだった。経年劣化で色も変わってヘタってきていたが、ずっとあそこの棚に置いていた。

 だから、滅却師の侵攻によって六番隊舎どころか瀞霊廷のほぼ全土が瓦礫の山と化した時には、ジェニファーのことなんて早々に諦めた。というかもう色々大変過ぎて大戦終結後しばらくも全く頭になかった。あんなちっぽけな思い出の品。“命あっての物種”という大切な根源からは遠く離れたところにある、真っ先に剪定されかねない葉末に辛うじてぶら下がっているような、どうでもいい玩具。きっと炎に焼かれ、煙に巻かれ、影も残さず、地にも還らず、あの人と同じように彼方の空に飛んでいったろう、と。

 それがまさか、そっくりそのまま転がっていようとは。

 こんな奇跡があって良いのか。命を落とした、物種を失った仲間は数知れないのに、こんなが形あるまま遺っているなんて事があっていいのか。すぐさまジェニファーを拾い上げて、懐にしまった。生き残った死神たちが疲れ顔で復興作業に没頭するなか、オレはただ一人、思い出の品を胸に、笑った。

 隊舎が再建されて粗方の事が落ち着いた頃には、年を越していた。散り散りに逃げ出していた地獄蝶も集められて、真新しい籠部屋に入れられた。……お察しの通り、オレは一匹も捕まえられなかったんだけどさ。
 草臥くたびれているジェニファーは新築ピカピカの壁付け棚に置いた。ちょっぴり出世した例の後輩には「新入りに『大事な物だ』って教えておかないと、捨てられちゃいますよ」なんて言われたが、その心配は無用だろう。戦死者多数の壊滅状態で、護廷は前代未聞の人手不足だ。まず数年は“新入り”という存在自体が望めそうにない。“死神見習い”って案も出てきているそうだが、地獄蝶の飼育係なんて地味な仕事に割く人員は、今暫くはオレだけで十分だ。こういう雑用は、やる気のあるやつがいるなら、何の遠慮もなしにそいつに任せればいいんだよ。それが席官だろうが気にすることじゃない。オレにはやる気があるんだから。

 仕事終わりには、よく此処に立ち寄る。本当にオレ以外には誰も来ない。なのに私物の茶器は二客持ち込んで置いてある。でも、馬鹿っぽいとは思わないさ、何も可笑しなことじゃない。
 冬らしくない紅々とした夕焼けが、廊下に窓の輪郭を映し出している。そこで「あっ」と気付いたのだ、その輪郭には窓の格子がなく、つまり窓は開かれたままであることに。


「うっわ、やらかした!きっともう何匹かそこから逃げて――」


 換気のために少しだけ開けておくつもりが、全開にしたまま時間が経っていた。飼育係は買って出ても、捕まえる能はないってのに。とにかくまずは窓を閉めよう、そう思って窓際へ駆けだした。すると、強い突風が入り込んで来て、俺はその勢いを真面に受けた。


「うわっ!? わわっ!?」


 踏み出そうとした片足が下ろしきれずに浮く。次の瞬間には、何匹かの地獄蝶が顔や首にベシベシと当たって張り付いた。開いていた窓から外に逃げ出していたやつらが、なんとこの風で上手い具合に室内に押し戻されてきたらしかった。そのせいで室内でも若干つむじ風が回って、棚からジェニファーが舞い上がり、オレの元へと落ちてきた。思わず、頭より高い位置で掴み取る。


「びっ くりしたー……」


 間抜けなポーズで、髪はボサボサ。あっちこっち地獄蝶に引っ付かれ、手には現世でいう魔法少女みたいな蝶々付きのスティック。とても恰好なんてつかない。こんな姿、後輩に見られたら間違いなく抱腹絶倒される。


「ふぅ、こんなことって――?」


 恥ずかしさからか、驚きからか。この際二の句が継げなかった理由なんて、ハッキリしないしどっちでもいい。――窓の外。夕景を背に、真っ白く薄い人影が立っていた。
 ぼんやりとした陽炎のようで、顔貌かおかたちは判然としない。それでもオレは理由なく『あの人だ』と直感した。


「沙生さん!!」


 白い影がかすかに揺れ動いた。りぃん、しゃららん。嘗ても聞いたことのある、美しい鈴の音が聞こえた。間もなく陽は山の陰に入り、辺りは打って変わって暗くなる。白い影は、見えなくなった。

 それから数年後――

 瀞霊廷内で、とある怪談が立つ。前触れもなくふらりと現れては消える、白いおばけ・・・の話だ。「尸魂界でお化けとは馬鹿馬鹿しい」と懐疑的な人たちも、この頃もうそろそろそうも言っていられなくなってきている。だってそのおばけは、日に日に色濃く、はっきりと、頻繁に降り立つようになってきているのだから。
 そうさあの人は、地獄に堕ちるようなタマじゃないんだから。

音してくれない


 原作で理吉&ジェニファーが初登場するのはコミックス7巻『59.Lesson 1 :One Strike! + Jailed at Home』です。そして最後に姿が確認できるのは17巻で花太郎と一緒に恋次をルキア救出へと送りだすシーン。でも!彼は千年血戦篇も生き抜いてますからね!けっこう強くなっているはずですよ!公式ノベライズでは、直接登場することはなかったものの「三席になっている」と言及されています。原作本編完結後の六番隊は朽木白哉、阿散井恋次、そして行木理吉。是非覚えておきましょう。
 『このほの』本編最終章となる第九章なんてまだまだ先なのに、ここお礼文にてぽろぽろネタをこぼしております。今回のお話だけでは解釈が定まらないことと思いますが、season4の恋次回、season6の白哉回と合わせてお読みになりますと、ぼや〜っとなんとな〜くは読めてくるかもしれません。

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