変はり者に寄る変はり者(上)

死ぬれば死神
かわりものによるかわりもの(じょう)

※『変はり者に寄る変はり者』には(上)と(下)があります。




 新隊長四名同時就任という異例中の異例に、瀞霊廷内はいつにも増して落ち着きがない。正式に着任するのは来月、つまり四月からでまだ少し先のことだが、この四名は全員が元々所属している隊内での昇進ということもあり、既に隊士たちからは「隊長」として認識されていた。すると、残る空席は三番隊と十二番隊である。

 三番隊副隊長の射場千鉄は少し前から病気がちであり、そこに鳳橋が行方不明になってしまったことの心労が拍車をかけたらしい。体調は悪化する一方で、副隊長ひとりで隊の舵を切っていくには厳しいものがある。しかし、隊内では隊長格に相応しい後継はまだ育っていなかった。隣近所である二番隊や四番隊に助力を請おうにも、それぞれ隠密機動、救護・補給専門と些か個性的で特殊な隊務を担っているため、彼らに他隊の補佐は難しい。千鉄は、立ち行かなくなりつつある現状にほとほと困り果てていた。
 そんな彼女に手を差し伸べたのは、藍染だった。丁度また近い位置にある五番隊が、三番隊の業務の手伝いを申し出たのである。藍染は真央霊術院で人気の書道講師でもあるため各隊に教え子がおり、もちろん三番隊も例外ではない。そのうえ温厚で智慧を感じさせる振る舞いもあって、三番隊の実質的な長としてすぐに歓迎された。今はまだ五番隊三席である市丸も頻繁に三番隊舎に出入りしており、三番隊は最早、五番隊の傘下といっても過言ではない。藍染と市丸のおかげで三番隊は安定を取り戻し、そんな様子を見て安心したのか、千鉄は近く依願除隊を済ませる予定だという。

 十二番隊は技術開発局ができてからというもの、二番隊や四番隊と並ぶ「個性的で特殊な隊務を担う隊」となりつつあった。技術開発局二代目局長である涅マユリは、他隊の者から見ても今の十二番隊の長に間違いなく、隊長権限も代行している。
 涅本人もいずれは隊長になるつもりでいる。それは野心ではなく、単に権力があれば研究に必要な融通が利きやすくなるからだった。しかしそのためには、十一番隊の更木剣八の如き純粋な戦闘力でもない限り、卍解ばんかいを習得していなければならない。現隊長を一騎打ちで倒して就任するという方法は、実はやろうとする者がいないだけで十一番隊以外の隊でも適応可能なものなのだが、存在しないものは倒しようがない。そこで、涅は被造死神を生み出す“眠計画ねむりけいかく”における実験で“眠五號”を生成するのと並行して、どうにかその技術を応用し斬魄刀を改造することで卍解を習得しようと目論もくろんでいた。汗水流して鍛錬を積もうという気概など毛ほども持ち合わせていないし、斬魄刀と心を通わせるつもりははなからない。卍解を習得し強くなることを目標とする凡庸な死神たちの目には、そんな気構えと方法による卍解など冒涜、暴挙、とにかくしからん邪道としか映らない。涅の意図を少しでも理解できるのは、彼と同じように“蛆虫うじむしの巣”から技術開発局に引き抜かれた一握りの変わり者たちだけだろう。

 さて。そんな中で新年度を目前に控え、忙しくなるより先に披露は済ませてしまおうという魂胆で、次期新隊長四名と現役の隊長たちの顔合わせという名目の隊首会が開かれることになった。

 涅はその日の朝……というより前日から徹夜で、相変わらず研究に没頭していた。薬液の中で命を持ち始めた“眠五號”はまだ拳大よりも小さく、手足の形も現れてはいない。それでも、これは確かに人へ成長しようと脈を打ち続けている。人の形になることなく死んだこれまでの四体の記録を糧に、眠計画は着実に一歩先へと進み出しているのである。薬液の状態を安定させるための成分を追加で融かし込み、それに対する本体の反応を文章やグラフにして残していった。
 一段落ついたところで腹の虫が鳴り、そういえば何日か食事をしていなかったか、と思い出す。こうして研究に熱を上げているときはすっかり忘れてしまうのだが、食べることが億劫だという訳ではない。人並みに食事を楽しむことくらいはするし、好物だってある。冷凍してある秋刀魚さんまでも焼こうかと考えながら研究室を出て隊舎へ向かうと、そこには思わぬ来客がいた。


「あ!ええと、涅局長さん」


 楠山沙生。先月に更木の直接指名で十一番隊の四席になり、瀞霊廷内をちょっとばかり騒がせた女。そして、それよりも前から目を付けていた研究対象でもある。捕縛する準備を部下に整えさせている最中に、自らの足でのこのこやって来ようとは。盛ってやるか。もし何も口にせず帰ろうとするのであれば強行でもいい。サンプルとデータをたっぷりいただいた後に記憶置換を施してしまえばどうとでもなるのだから。一日二日いなくなろうと、更木ならそう気にするまい。涅は普段より倍は人の好さそうな笑みを浮かべ、腹の中は黒いまま一歩ずつ沙生に近付いていく。


「良かった。皆さん技術開発局の方で仕事なのか、誰もいらっしゃらなくて困っていたんです」

「部下にはある急務を任せているからネ。皆忙しいんだヨ。それで、何の用かネ?」

「書類を持ってきました。区境の治安関係だとか回覧連絡とかで案外あるものなんですね」

「ああ、御苦労。……時間があるなら茶に菓子も出すが、どうだネ」

「いいんですか?じゃあ――」


 なんと警戒心の薄い娘であることか!自分で言うのもおかしいが、顔の四割を黒、その残りと体全体を白の化粧で塗り尽くした初対面の男の誘いにこうも簡単に乗ってくるとは。どういう理由かは知らないが浮竹が庇護したがっているこの娘、浅薄な愚か者で助かった。念願の研究対象の捕縛寸前、油断すれば高笑いしてしまいそうである。
 一口飲めばバッチリ丸一日は目を覚まさない薬を袖の下から取り出そうとすると、ダダダと走る足音がしたかと思えば、そいつはズサッとこの場に滑り込んできた。


「あっ、射場さん!かわやは間に合いました?」

「阿保たれ、間に合わんかったら戻って来るか!……っと、涅局長」


 一人で来た訳ではなかったらしい。だが問題ない、少し手間が増えるかもしれなくなったというだけだ。涅は一包だけ取り出すつもりだった薬をもう一包つまみつつ、口を開く。


「君か。明後日からは副隊長だそうじゃないかネ。昇進御目出度う」

押忍オス、有難うございます!……楠山、書類届けたんならもう行くでぇ」

「待ってくださいよ、せっかく局長さんがお茶ごちそうしてくれるって」

「そうだヨ。これから顔合わせの隊首会があるから、君は狛村新隊長の元に行こうと急いでいるんだろうがネ。四席は関係ないはずだ、出て行くなら一人で行き給えヨ」


 そうしてもらえれば手間が増えることもない。涅はシッシと片手で軽く払う動作をしながら、淹れたての茶に無色透明無味無臭の薬をこっそり溶かした。


「いいや。そりゃできません」

「……何だと?」


 首だけ振り返って睨めば、冷や汗をかきながらも、サングラスの奥の目は真っ直ぐにこちらを見ていた。楠山沙生を置いて去る気は微塵もないらしい。それは何故か?悟られているとは考えにくい。これまでに非人道的な人体実験も幾らかしてきたが、技術開発局に属し更に優秀でなければ同じ十二番隊の者であろうとそのことは隠しているし、況してや他隊の一般隊士に筒抜けである筈などない。会ってから精々一月の後輩に対して「他の男と二人きりにさせたくない」なんて莫迦々々しい情を抱いている、とかはもっとない。一体どういうつもりで――


「京楽隊長に頼まれたんですけぇ。何を、たぁ詳しゅうは話せませんがの」

「……何…?」


 浮竹だけではなかったというのか。一体楠山沙生とは何者であるのか、余計に興味が湧いてくる。しかしこうなってくると、捕縛をはやるのは良くないだろう。全く面倒だが、ここは慎重に、部下に命じている準備が整うまで待つしか……いや、隊舎を出た後ででも射場がこの娘から離れればやり様はまだある。
 涅はひとまず諦めた振りをすることにして、睨むこともやめて二人に向き直った。


「仕方ないネ。私は本当にただ話をしてみたかっただけなんだが。京楽隊長が何を考えているか知らないが、それならまたの機会にするヨ」

「ええっ、射場さんどういうことで」

「ええから行くでぇ!ほいじゃあ、失礼しゃっした!!」

「イ〜たた!引っ張らないでくださいよ!あ、局長さんさようなら!また今度!」


 沙生は物凄い勢いで射場に腕を引かれて足を浮かせ、涅に手を振りながら遠ざかっていった。冗談抜きでヒュンという音と共に消えたことに微妙に感動してしまった涅だったが、はっと気を取り直してすぐにその後を追う。二人は十二番隊舎の門の外に出た所で止まったため、涅は気配を消して塀の陰に隠れ様子を窺った。何やら暫く言葉を交わした後、射場は瞬歩でどこかへ去っていった。おおかた、狛村を迎えに七番隊舎に向かったのだろう。


「この程度で京楽からの頼まれごとを果たした気になるとは――甘い男だネ」


 しかし今は、その甘さに感謝しよう。独りになった沙生を今度こそ捕縛するべく背後から近付き、霊圧の低い者には一滴でも垂らせば意識が混濁する麻酔『震点しんてん』を瓶の中身すべて降り掛けてやろうと振りかぶ……ろうと、したのだが。


「あら!沙生さんおはよう!」

「清音さん!おはようございます」


 今度は十三番隊の虎徹清音が現れた。涅は瞬歩でまた塀の陰まで逆戻りして瓶の蓋を閉め直し、聞き耳を立てる。何とも都合よく射場と入れ違いでやって来たこの女も、十二番隊への書類を届けに訪れたらしい。当人が分かっていようとなかろうと、ほぼ間違いなく浮竹からの“邪魔”である。早々に用事を済まさせ立ち去ってもらうために、二人が会話する傍らに瞬歩で移動した。


「それならここで受け取ろう」

「局長さん!いつの間に」

「丁度よかったです!じゃあこれ、お願いします」


 沙生の間抜けな驚き顔に、涅は「こいつ一人だけならば蛙一匹つかまえるより簡単であるのに」と苛立ちを覚えた。しかし表情に出して警戒されても困るため、ぐっとこらえて取りつくろう。書類を受け取り、さてさっさと帰ってくれないものかと眼球だけを動かしてちらりと清音を見遣るが、残念ながらそうはいかないようだった。


「沙生さんも丁度よかったわ!副隊長殿が用事あるらしいからついて来て」

「用事ですか?ていうか清音さん、海燕さんのことそんな風に呼んでましたっけ」

「いいえ?敬称っていうよりちょっと揶揄ってる感じ?ほらほら、行くわよー!」

「そこ射場さんにも引っ張られたからちょっと痛いんですって!優しく!あ〜もう、局長さんすみません!お騒がせしました〜!」


 またもヒュンと遠ざかって小さくなっていく捕縛対象を目を細くして睨みつけながら見送る。その場がやっと静かになった瞬間、涅の背後に気配なく降り立った小さな人影があった。


「意外だな。貴様はまた後をつけるものと思っていた」

「……そろそろ隊首会が始まる時刻だろう。何故まだこんな所にいるのかネ?砕蜂隊長」


 新任から間もなく、蛆虫の巣や牢の囚人たちに舐められて集団脱獄の騒ぎがあったそうだが、流石はそれを鎮めた長といったところか。気配の消し方、素早さ共に一級品である。とはいえ、今の今まで気配に気付けなかった己に対して舌打ちをしたくなった。この口振りでは、少なくとも沙生と射場を追った場面からは見られている。浮竹と京楽が手を組むのは分かるが、どうして砕蜂まであの娘を気に掛けるのか。涅には具合の悪い展開である。


「心配無用だ。私の瞬歩なら今からでも余裕で一番隊舎に着けるのでな」

「フン。態々私の前に出てきて牽制などせずとも、もう今日は手を出さんヨ」

「そうか――それは良かった。ではな」


 去り際、砕蜂は少しばかり口角を上げ、あざけるかのようにして涅を一瞥していった。当然それにもまた苛立った涅は、石畳に八つ当たりして部下の仕事を増やすのだった。


「隊長が三人がかりで言ってこようと、直に部下たちの準備も終わる……明日になれば!どんなに足掻いても!無駄なんだヨ……!」


――――――


「いや〜今日まで何とか死守すればあとは大丈夫でしょ」

「ああ。今頃は海燕と一緒にいるはずだから、まあ安全なはずだ」

「そういえば見当たらないね。新任お披露目のお祝いみたいな隊首会だから副隊長も呼ばれてるのに。置いてきたのかい?隊長は出席で副隊長が欠席なんて、いつもの十三番隊とは逆だねぇ」

「ははは……」


 沙生を涅の手から護るため、京楽と浮竹は今日までこそこそと手を回して何とかしてきたが、隊首会となるとどうしても目を離さざるを得ない。そこで浮竹は、副隊長にも召集がかかっているというのに海燕に欠席するよう頼み、留守の間の守役を任せてきたという訳である。


「相変わらず詳しいことは話せていないのに、快く引き受けてくれたよ」

「七緒ちゃんが書いてくれたソレを君のとこに持ってったとき、海燕クン驚いてたよね」


 京楽と浮竹は一番隊舎の廊下をゆっくりと歩きながら、流れるような縦書き行書で文言が書かれている一枚の紙を見つめた。これは特殊な霊子で編まれた特別な紙で、虫は食わないし黄ばみもしない、破ることも切ることもできず、普通の火では燃やすことも叶わない代物だ。同じように秘儀で生み出された特殊な墨で記録を残すと、何千年だろうと朽ちない仕様になっている。希少だが改竄かいざん不可能にできるため、大昔の四十六室などではよく用いていたらしい。しかし最近は近代化もといデジタル化に伴い、殆ど使われなくなってきているとも聞く。
 この紙に書かれた文言の左には、署名の欄が設けられている。現時点で既に名を連ねているのは、浮竹、京楽、砕蜂の三人だった。


「――あれ?いつの間に砕蜂隊長も?真っ先にとはそりゃあ良かったけど、ちょっと意外だなぁ」

「そうでもないさ。砕蜂は元々、沙生のことを見坊から聞いていたそうだし」

「あぁ〜成程。沙生ちゃんは彼の命の恩人だもんねぇ」

「……何の話をしている」

「「おぉう!?」」


 二人の背後に、いつの間にか砕蜂が立っていたのだ。既視感デジャヴ。十年前にもこの場所で似た声を上げたような、そのときも背後に誰かいたような、いなかったような。


「もう四人ともすぐそこまで来ているぞ。さっさと入って並んでおけ」

「あ、ああ」
「はいは〜い」


 砕蜂は堂々として京楽と浮竹の間を通り、先に部屋に入っていく。彼女もまだ新任の立場であるのに、その小さな背中は既に風格を漂わせていた。頼もしいのと、女の怖さも少々感じつつ、二人は顔を見合わせて苦笑いしてからその後に続いた。
 間もなく新しい隊長羽織に袖を通した主役の四人も到着し、山本総隊長は開始予定時刻ぴったりにやって来た。


「それではこれより披露目といこうかの。新隊長四名、前へ」


 五番隊は藍染惣右介、後方に控えるのは繰り上がる形で副隊長となる市丸ギン。七番隊は狛村左陣、そして十一番隊から異動して副隊長となる射場鉄左衛門はその背をじっと見つめ、一度だけ、誰もいない三番隊の方を見た。九番隊は東仙要、十番隊は志波一心。この二隊の副隊長はまだ決まっておらず空位となっている。
 総隊長が各新隊長のこれまでの武勲や選任の経緯などを述べていく。といっても、卍解を習得していると知られている者たちに片端から隊首試験を受けさせたのだが。話の最中、一心は浮竹の後ろに甥の海燕がいないことに気付き、不思議そうな顔で浮竹を見る。その浮竹はただ苦笑いを返すのだった。


「終わった終わった、山じいったら目出度いことでも固〜く喋るんだから」

「浮竹さん!何で海燕のやついないんだ!?俺に会いたくなくてすっぽかしたのか!?」

「おい揺さぶるな。違うさ、俺が頼みごとを……あ、卯ノ花隊長朽木隊長、少しお時間いただけまっ、ぶ、こら!」

「そこの新隊長三人もまだ帰るなよ。更木、お前も待て」

「ああん?何の用だ」

「今から浮竹が説明するよ。ね?」


 出入口に塞ぎ立った砕蜂と出ていくときかない更木が火花を散らす前に、京楽がそう促した。しかし返事がないので振り向いてみれば、浮竹は何故か鼻を押さえながら涙目になっている。何があったか見ていなくとも、一心のせいであることは予想がついた。というより、お決まりなのである。


「隊長になって少しは落ち着いたかと思――いや、別に端から思っちゃいなかったけどさぁ」

「きょ、京楽さん態とじゃあねんですよ!ごめん浮竹さん」

「あぁ大丈夫、ちょっと痛いけどな……じゃ、気を取り直して。実は、みんなには“抑止力”になって欲しいんだ」

「“抑止力”ですか。それはもしかして、沙生さんの件ですか?」

「そうです、卯ノ花隊長」


 浮竹はこの場にいる隊長格たちに、話せるところから掻い摘んで説明した。目当ては能力か体質か霊圧かは分からないが、とにかく沙生は涅に目を付けられてしまい、虎視眈々と狙われているのだ、と。綜合救護詰所に転がり込んできたときや入隊試験のとき、何人かの隊長格は実際に沙生に会っているし、そうでない者でも当然その名前と噂は知っていた。


「それで京楽に相談したら、伝いで八番隊の伊勢がこういうのを書いてくれたんだ。皆も署名してくれるかい?」

「通告書……まぁ、要は脅しなんだけどね。どう?うちの七緒ちゃん、字が上手でしょ〜」

しゃくだが、相手が涅ともなれば護りきるのは難しいからな。これが手っ取り早くて効果的だ」


 既に署名済みの隊長三人が言うと、請われた方は少し考え込む仕草をした。順番に答えを聞こうと、浮竹はまず四番隊隊長の卯ノ花と向き合った。


「勿論、私はご協力しますよ。退院されても、沙生さんは大切な患者の一人ですから」


 用意された筆を取って、卯ノ花は迷いなくさらさらと署名した。重ねた年の分だけ書は巧くなるもので、それはそれは整った美しい字である。
 次に、五番隊新隊長となった藍染に問う。


「僕はその人には会ったことがないけど……浮竹隊長たちの頼みですから、喜んで」


 卯ノ花からバトンのように筆を受け取り、止め跳ね払い、しっかりしながらも流れるような動作。流石は真央霊術院の書道講師である。画数の多い苗字も潰れることなく綺麗で、額に飾っても良いくらいだろう。
 そして、六番隊隊長の銀嶺。この中では最年長の容姿であり、五大貴族の朽木家当主でもある。どことなく、こんな署名の説得は難しいか……と、思われたのだが。


「隊長。彼女は白哉の良き友なのです。私は副隊長としてではなく、白哉の父として、どうかお願い申し上げます」

「ふむ……どれ、筆を貸しなさい」


 蒼純の言葉を聞いて、躊躇いはなくなったらしい。筆先の方で細めに、しかし味のある字で書き上げた。これの周りに薄墨で花でも描けば、掛け軸の作品にしても違和感がなさそうだ。
 七番隊新隊長の狛村の方を見ても、彼は鉄笠を被っているせいで表情は窺えない。これまで接点もあまりないため、何と声をかけたものかと逡巡していると、後ろに控えていた射場が一歩前に出た。


「隊長、儂からもお願いしゃす!楠山は儂の後釜でええやつなんです!」

「鉄左衛門、顔を上げろ。若い娘の身の安全のための署名なのだろう?ならば迷うことはない」


 手袋と手甲を着けた大きな手で持てば、筆がまるで楊枝のように見えた。書きづらいのではと思ったが意外とそんなこともなく、字の一画目にぶちっと染みのある大きく豪快な字が並んだ。
 そんな様子を見ていた九番隊新隊長の東仙は自然に筆を受け取り、友の指の位置を確認するとすぐにその隣に自分の名前を書き始めた。


「彼女には取材をさせてもらったし、お礼も込めて。皆さん!来月号の瀞霊廷通信をお楽しみに」


 教科書から抜き出したようなきっちりとした字だった。これで目が見えていないというのだから、どれだけ練習したのかを考えると、それは尊敬に値するものだろう。
 次は十番隊新隊長の一心。しかし筆には手を伸ばさないまま、顎に手を当てて何やら考え込んでいるようだ。


「一心、ない頭で何を考えているんだ?」

「いつもと変わらない顔でよく言いますね……さっきの根に持ってるでしょ」

「いやぁ、はは。それで?何か言いたそうだな」

「浮竹さんも京楽さんも、どうして娘っ子ひとりにそこまでするのかなって」

「誰であろうと、はっきり狙われていると分かったら助けるさ」

「それはそうなんだろうけど?なんつーか……その……ねぇ。浮竹さん、そいつってさ、もしかしてオジ」
「ははは。どうした、最近は肉より魚をよく食べてるのか?」

「……そういうことっすね」

「署名、してくれるかい?」

「あー、はいはい。東仙、筆ずっと持たせて悪かったな。借りるぜ」


 こちらに差し出された筆をすっと抜き取り、これまでの署名と肩を並べるには些かつたない字を書いた。強弱は殆どつけられておらず、指で書いたのと大差ない、みたいな字である。
 最後の一人、十一番隊隊長の更木。外に出ることは諦めてくれたようだが、退屈で死にそうだと書かれた顔を引っさげて、胡座あぐらをかいて壁に寄り掛かっていた。浮竹はしゃがんで視線の高さを合わせる。


「やぁ、引き留めて悪かったね。署名もらえるかい?」

「どうせ、書かねえと帰さねえんだろ」

「そんなことはないさ。でも、沙生の隊長は君だ。君が率先して護ってくれないとな」

「子守りなんぞは仕事じゃねえよ」

「署名してくれれば、涅局長がやらかした場合には堂々とやり合えるぞ」

「……あんなひょろい白黒野郎なんか斬って楽しいもんかよ。つうか、そんな場合はてめえが真っ先に涅をどうにかするんじゃねえのか」

「あっはは、俺は体が弱いからそんな」

「やめろよ、その嘘べつに面白くねえぞ。おい志波!さっさとそれ寄越せ」

「渋ってたのはお前だろうが。ほらよ」


 筆は回転しながら弧を描いて宙を飛び、ぱしっと更木の手の中に収まった。墨が切れていたから飛び散らなかったのは幸いである。まったく、ここは一番隊舎の中の隊首会の部屋だということを忘れているのではないか。浮竹はまた墨を含ませようと懐からびんを取り出したのだが、更木は乾きかけの筆でさっさと書き始めてしまい、がすっとかすれた音がした。


「これでいいか」

「良くない良くない。薄いし、『剣ノ』にしか見えないぞ!」

「チッ、面倒くせえ」


 浮竹は筆を取り返してちょんと墨をつけ直し、また更木に渡した。すると今度は加減が分からなかったのか、極太で、さっきの擦れた字ともずれていて二重線みたいになった。しかも紙から筆を離した後もじわじわと墨が広がり、更木の「田」の部分と剣八の「中」の部分が完全に黒いだまになっていく。


「ああーっ!おい、染みが俺の名前にもちょっと被ったじゃねぇか!お前と合体しても嬉しくねぇぞ!」

「五月蝿えな、じゃあてめえがもっかい書き直しゃいいだろ!」

「何だとぅ?志波一心サンドにされたいのか!?ああん!?」

「ま……まぁ、読むのには問題ないさ!ほら大丈夫だから、喧嘩はするなよ」

「何じゃ、騒がしいと思えばまだ皆おったのか」


 胸倉を掴み合って子どものようにガンを飛ばしている十と十一の隊長二人をなだめていると、カツンと杖の音が響いた。どうやら、騒がしいのを聞きつけて引き返してきたらしい。


「何をしておった、十四郎」

「ええと……先生、実は――」


――――――


「……遂に!準備は整った!これであの娘を…フフ……ヒハハハ!!」


 砕蜂には「今日はもう手を出さない」とは言ったが、そんな約束を守る気は毛頭ない。予定より早く終えられた今、すぐに行動に移すのは科学者として至極当然のことである。悪い表情で高らかに笑っていると、おもむろに研究室の戸が開かれた。


「やあ!ご機嫌のようだね、涅局長」

「……浮竹か。何の用だネ?ノックもしない非常識者だったとはネ」

「きちんと戸は叩いたよ。自分の声で聞こえなかったんじゃないかな」


 相変わらず、憎たらしいくらいの笑顔と凍るように冷めた目でにらめっこする二人。これまで、互いの腹の探り合いと水面下での攻防が続いている間柄である。だが、こうして二人きりで顔を合わせるのはあのとき以来だ。綜合救護詰所の白い病室前、丑三つ時だったあのとき、である。


「帰ってくれ給え、私は忙しいんだヨ」

「長居はしないさ。涅局長に誕生日プレゼントを持ってきただけだよ」

「……何だと?」


 涅は疑いの眼差しを向ける。こいつからのプレゼントがただのプレゼントであるはずがない。というよりまず、今日が誕生日だとかそんなことは忘れていた。会話しながら近くに寄って来ていた浮竹は、菓子の詰め合わせに浜簪はまかんざしの花が一輪そえられたものを差し出してきた。


「涅局長は干菓子とか好きだったろう?この詰め合わせは砕蜂のおススメだから絶対にうまいぞ!で、花は京楽から。俺は詳しくないが、誕生花だそうだよ」

「何のつもりだネ。気味が悪い」

「俺だっていつまでもギクシャクしてたくないんだ。君だって肩が凝るだろう?」

「諦め給え、私は退く気はないヨ」

「そう言うと思って、こういうのも用意してきたんだ」


 菓子と花は机の端に置いて、浮竹は例のあの紙を手渡した。

通告
涅マユリ殿

 貴殿は楠山沙生に対し、本人の明快な許可を得ないまま、試料採取・薬剤投与・監視等の研究や人体実験に該当するような行いに及ぶことはお控えくださるよう催告致します。
 なお、もしこれに反する行いが認められた場合には、左に署名のある私共が、貴殿に適宜制裁を加えることになりますのでご承知おきください。

署名

浮竹十四郎
京楽次郎総蔵佐春水
砕蜂
卯ノ花烈
藍染惣右介
朽木銀嶺
狛村左陣
東仙要
志波一心
更木剣八
山本元柳斎重國

一九〇一年三月三〇日  


「は?何だネこれは……?」

「半数も貰えれば上出来と思っていたんだが、みんな署名してくれてね。そういうことだから、沙生のことは諦めてくれ」

「なっ……何ィ!?」

「よし、ちゃんと渡したからな。みんなの個性が出ていて良い書でもあるから、目立つところに飾ると良いぞ!」

「…貴様――!」

「じゃあ俺は帰るよ!お誕生日おめでとう、涅局長!よい一日を!」


 現役の隊長十一名というあまりに強力な後ろ盾がついたせいで、もう涅は下手に沙生に手を出せなくなってしまった。この日、せっかく部下たちが一ヶ月近くかけて仕上げた謎の装置は、局長のストレス発散のためにこっぴどく破壊されたそうだ。





※(下)に続く。

今回までの伏線について(memoの追記に飛びます)


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