追う手を防げば地蔵が回る

死ぬれば死神
おうてをふせげばじぞうがまわる

「待ちやがれ!志波ァ!!」

「言われて待つかバーカ!!」

「志波隊長、自分で走りますから降ろしてください!」

「獲物を追っかけるあいつの速さは馬鹿にできねぇぞ!死にたくなきゃ黙って担がれてろ!」


 物凄い速さで通りを走り抜ける一心を見掛けた死神たちは、いったい何事かと首を傾げる。そしてそのすぐ後に近付いてくる恐ろしい咆哮と霊圧を察知すると、急いで壁に張り付くようにして道を空けた。後に、これを目撃した者たちは口を揃えて「アレの前に立とうものなら一巻の終わりだと思った」と語ったという。
 但し一人だけ、九番隊舎の二階の窓から嬉々としてカメラのシャッターを切っていた死神がいた。良い画が撮れた、と満足気である。


「やはり楠山さんはネタの宝庫!今度またお話を聞きに伺わなくては……!」

甘竹あまたけ。前にも言ったはずだが……」

「ひぇっ東仙隊長、いつの間に……いえ分かっていますとも!無理強いはしません!落ち着いてちゃんと取材申し込みします!」

「ああ、そうするように。いま撮った写真も、本人の許可を貰ってから載せるんだよ」

「は、はぁい……」


 渋々といった様子で了承したこの九番隊の平隊士は、名を甘竹あまたけ梓弦しづるという。短めに切り揃えた癖毛はいつもどこかしらが外はねしており、撫でつけてはぴょんと戻るのが特徴だ。瀞霊廷通信編集部の中では割と古参で、執筆の才能もあるのだが、熱が入ると少々周りが見えなくなるところがある。


「明日出発らしいのに、あんなに走ってバテちゃったりしないんでしょうかね」

「あれくらい彼らにとってはお遊びだろう。だが、あの様子では……別の意味で心配だな」


 東仙の心配をよそに鬼ごっこはまだ続く。一心と沙生が八番隊舎の前に差し掛かったとき、ちょうど門から京楽が出てきた。暢気に口笛なぞ吹いている。


「あれぇ?キミらいつの間に仲良くなってたの」

「京楽さん!あいつ止めてくれ!!」
「今度こそお願いします!!」

「え?……うわ」


 京楽が二人の目線を追うと、その先には陽炎のように霊圧を揺らめかせながら迫る鬼気があった。速度を緩めず去っていった二人の背中と、迫りくる鬼を何度か交互に見た後、京楽は他の平隊士たちと同じようにして壁に張り付いた。


「……見なかったことにしよう」


 七番隊舎の前では、射場が竹箒でそこらを掃いていた。副隊長自ら雑用とは見上げたものだ。


「おいそこの!通りの真ん中もよろしくな!」

「あ?……って、志波隊長!と楠山!?」

「聞かなくていいですよ!端っこ掃いてるのが身のためです!」


 それだけ言い捨てて、二人は砂埃を巻き上げて行ってしまった。よく分からないが、散らかっていてさっぱりしないし、言われた通りに真ん中も掃除しようとそこに立った。のがいけなかった。


「邪魔だああぁぁぁ!!」

「ざ、更木隊長!?」


 嘗ての上司がそれはもう恐ろしい剣幕で突っ込んでくる。もう端に逃げている暇はない。射場はこの瞬間に死を覚悟したが、同時に火事場のなんとやらで飛躍的に身体能力が上がったみたいだった。竹箒を竿に見立てて、棒高跳びの要領で上に逃げたのだ。その瞬間に更木が豪速で真下を通り過ぎ、竹箒の柄は真っ二つに斬られた。九死に一生を得た射場は、無残な姿になった竹箒を見てぞっと身震いした。それから手を合わせ、後釜の無事を祈る。


「が、頑張れ楠山……儂は持っとったんが斬魄刀じゃったら死んどったな、ハハ」


 六番隊舎のある一室では、副隊長である蒼純とその息子の白哉が書類仕事をしていた。更木の霊圧は普段からでかいまま垂れ流されているが、それが一段と主張しているとなれば数十キロ離れていたとしても感知は容易たやすい。


「白哉、暫く外に出ないように」

「父さ……副隊長はどうされるのですか」

「隊長は十一番隊とは関わりたがらないから、ここは私が様子を見てこよう。また総隊長を呼ぶ事態にならないといいんだが」

「心配無用とは思いますが、お気をつけて――……ん?」

「あ……これは」


 まずい。蒼純がそう思ったときには既に遅く、白哉は部屋から飛び出していった。最初は大きすぎる更木の霊圧の陰になって分からなかったが、追われている者の霊圧も感知したからだ。どうにも、息子の友人は何かと事の渦中に巻き込まれる体質らしい。蒼純は少し困ったように笑った。友人を放っておけない息子の優しさは誇りに思うが、言うことを聞かないのはさてどうしたものか。
 後を追って窓から外に出て瓦屋根に上ると、先に上っていた白哉が「あそこです」と言って指を差した。沙生を担いで爆走する一心が近付いてきている。そしてふと反対方向も見遣ると、仕事の用か、五番隊副隊長の市丸ギンもこちらに向かって歩いてきていた。


「おっ、蒼純とこのボウズ!怪我したくなきゃ隊舎に帰ってろ!」

「なっ……貴様、沙生を雑に担いで何処へ行く!せめて横抱きにしないか!」

「白哉さんそこ!?」

「白哉、言葉遣い。一心殿!少しは時間を稼ぎますが足を止めませぬよう!」

「おう頼むわ!とばっちり食わないように遠くからこっそりやれよ!」


 一心と蒼純はすれ違い様に目配せし、それから蒼純は鬼道の詠唱を始めた。すると半透明の壁や立方体が次々に出現し、通りを埋め尽くすように並ぶ。鬼道の達人である父には及ばないにしろ、微かでも力添えしようと白哉も同じ詠唱を重ねていった。鬼道がてんで駄目な沙生はその光景に感激し、目を奪われた。首が痛くなるまで後ろを見続けた後、暫し目を閉じて朽木親子に感謝した。しかし次に開いたとき、その目は嘘のように一気に曇る。


「十番隊長さぁん!何や事情は知らんけど追われてはるみたいですね!」

「あーとお前はえっと、五番隊の!何だっけ!」

「市丸ギンです、よろしゅう覚えてください!そんでちょい待ちや!」

「手短にな!」


 一心は市丸の元に着くと速度を落とした。市丸は足を止めない一心に合わせ、来た道を戻りつつ並走しながら話す。


「十一番隊長さん相手に真っ直ぐ逃げてもキリあらしまへん。馬鹿は真っ直ぐ走るのが好き言いますやろ?」

「そうか?……言うか?」

「それって志波隊長も馬鹿ってこ」
「嫌やわぁ楠山ちゃん、そうは言うてへんて」


 相変わらず何を考えているのか分からない狐目が向いてきたので、沙生はふいと目線を逸らした。市丸は「つれへんなぁ」と小声で零し、それがよく聞こえなかった一心は不思議そうな顔をした。市丸は話を元に戻して続ける。


「脇道やら林やらくねくね進んでったら割と簡単に撒けるんちゃいますかね?あっちには竹林もありまっせ」

「サンキュー市丸!そうするわ!」

「ええ、そんなら失礼します。気ぃつけて」


 市丸は並走をやめ、手を振って二人を見送った。後方では蒼純たちが上手くやっているのか、まだ更木が追いついてくる気配はない。


「それにしても……どういう関係なんやろなァ」


――――――


 砕蜂とのとある取引が成立してから、涅は独自に開発した機器を広大な竹林の各所に配置して回っていた。普段なら助手として何人か局員を連れてきそうなものだが、全て一人で行い、きちんと人払いされているかどうかもしきりに探った。涅がここまで慎重になるのには勿論、理由がある。


「フゥ……こんなところかネ」


 漸く準備を終えた涅は、これから実験を始める。仮説では、己が損害を受けることはまずない。万が一に備えて幾つか対策も用意してある。抜けはない。もし問題が起こることがあるとすれば、それはこの竹林の中に誰かが踏み入ってしまう場合だろうが、この土地を管理する砕蜂に人払いは頼んであるし、それでなくとも涅自身も霊圧探知には気を張っている。今この時も、侵入者があれば即座に中止する気である。ちょうど実験開始直後に、砕蜂の制止を振り切ってでも侵入したがるような死願者――それも、侵入してからこの中央地点まで全速力で走って来るような超常的莫迦でもいない限り、何も心配は要らない。

 つまりは99.999……パーセント大丈夫という訳なのだヨ!サテ。


「卍解 『金色疋殺こんじきあしそぎぞう』」


 戦闘能力は始解時の五から十倍に膨れ上がるとも云われる、斬魄刀の二段階目の解放。通常ならば具象化と屈服という修行過程を経なければならず、力を開花させられる者は百年に一人程度とされている。ところが、この男は邪道で以てやってのけた。斬魄刀を改造することで無様みごとに卍解を習得してみせたのだ。
 現れたのは、赤子の頭に芋虫のような躯体をもつ巨大生物であった。生まれ落ちたその異形は、涅の意思に従って自らの能力を披露してみせる。見るからに毒々しい色の気体を吐き出し、辺りはそれに覆われていく。すると設置した計測器が素早く成分を分析し、はじき出された結果は仮説通り、涅の血液から造られた毒であることを示していた。主以外の者が吸えば忽ち死に至らしめるという恐ろしい毒である。効果範囲は気体であるから風によっても左右するだろうが、今日は風が少なく良い計測日和だ。「何処まで広がるかネ」と思った、そのとき。


「止まれ!!その先は――」


 少し遠くから砕蜂の声がした。嫌な予感と共に振り向くと、なんと一直線にこちらに向かってくる者がいるではないか。しかも猛スピードで。


「どわぁ!!何だありゃあぁ!?」
「ぎゃあぁぁいもむし!?」


 実在した!砕蜂の制止を振り切ってでも侵入し、竹林の中央めがけて全速力で走って来るような超常的莫迦が実在したのだ!涅は己の目と相手の頭を疑った。


「ッ信じられん莫迦者どもめ!!!!」


 涅があれほど慎重になっていたのには勿論、理由があった。少々長くなるが順を追って説明しよう。
 護廷十三隊の隊長になれば、今より研究の融通も利いて好き勝手しやすくなる。しかしその地位に就くには卍解の習得が必須だ。眠五號に用いた技術も駆使し、苦労して遂に斬魄刀の改造に成功した。設計通りならおそらく致死毒を撒き散らす能力を持っているはずだが、より正確に把握するためには実際に使ってみるのが良い。毒の効果を検証するには実験体を使うのが理想的である。とはいえ、もしその為に人をあやめたとばれてしまったら、隊長就任どころではなくなってしまうだろう。局内であれば暗々裏に人体実験を行うことなど造作もないのだが、本体は巨大生物の形をとっていると予想されたため、屋外の広い場所でないと無理があると判断した。再び“蛆虫の巣”行きになるのはご免だ、今回の実験に限っては一人も犠牲者を出すことなく終えなければならない。だからこそ普段から人気のない刑軍管轄の竹林を選び、念のために人払いも頼み、準備からすべて一人きりで実行したという訳である。……以上。

 そんな局面に、よりにもよって隊長の志波一心とあの楠山沙生の登場である。平隊士とは訳も違って死なせた場合には隠蔽不可能、懲罰必至。特に、沙生の身に何かあれば涅は例の制裁を免れない。


「あ゛んにゃろー市丸!!」


 一心は叫びながら何とか止まろうと試みる。ちなみにこうなったのは全くの偶然であって、市丸には仕向けたつもりなどない。これぞ迸りというやつである。
 巨大芋虫の正体も目前の煙の作用も一心には知る由もなく、そもそも考えている暇などなかったが、とにかく見るからに毒々しいこれに突っ込むまいと踏ん張った。枯れ笹と土が巻き上がる。あと少し、あと少し。あとすこ……


「駄目だああぁぁぁ!?」
「嘘でしょおぉぉぉ!?」

「チッ、」


 このままでは間に合わない。そう察した涅は、己の最大速度の瞬歩を発揮した。こちらに向かい来る一心と衝突するスレスレをすれ違い、彼から沙生を奪取する。そのまま抱きかかえて金色疋殺地蔵を背にして走り、毒煙の届かない辺りまで行った。涅はハァと切らした息を整えてから沙生をそっと降ろして立たせる。


「………えと、ど、どう……何が起きたんでしょう」

「ハァ……ここまで心臓に悪い茶番もそうないネ」

「局長さん、あれはいったい……あれ?」


 沙生は謎の巨大生物について訊こうとしたが、いつの間にかその影も形もなくなっていた。代わりに、涅の体の正面の脚の間というどうにもおかしい位置に差されている空の鞘に、光る粒子が集まっていった。粒子は徐々にひと塊になり、斬魄刀として鞘に納まる。


「……まぁそういうことだヨ。さて、自ら被検体となった彼はどんな具合――」

「てめぇ涅なにしやがった!さっきのちょっと吸っちま、ゴホ、ガッ、ゲホ」


 沙生と涅が立つ位置よりおよそ100間先から一心が怒鳴った。仰向けにすっ転んでいた状態から立ち上がり、拳を上げて威勢よく向かってくる。しかし途中で強く咳き込み、がくりと膝を突いてしまった。


「志波隊長!」


 沙生は慌てて駆け寄り、一心の背中をさすった。すると辛そうに顔を上げ、みるみるうちに体中に染みや斑点が広がり始めた。


「ギャーッ!?これ俺しぬ!?」

「そんな!しっかりしてください!」


 毒にかかっていないはずの沙生も一気に青褪めて慌てふためいた。今日得たばかりの二人目の師をこんなに早く失うなんて、冗談じゃない。


「フムフム……即死とまではいかないようだネ。だが君のような傑物にもきちんと効くのであれば、特に問題ないだろう」

「この期に及んでじっくり観察かよてめッ、グェ」

「局長さん!何とかならないんですか!」

「ああもう五月蝿いヨ!全く、万が一に備えて解毒剤も調合しておいたから良かったものの……それにこんなことなら、あの試作の菌はこの解毒剤に入れておけば良かったネ……」

「なんだ、解毒剤あんのかよ」


 涅は懐から瓶を取り出してちらつかせる。一心はくれるものと思って手を伸ばしたが、さっと引かれたせいで手は空を切った。


「殺す気!?」

「折角だから交換条件でも引き出しておこうかと思ってネ」

「汚いなさすが涅きたない!くそぅ、さっさと言ってみろ!」

「いやネ、私は近く隊首試験を受けようと思うのだが……その際には総隊長の他にも二名の隊長の立ち合いが必要だろう?」

「俺に立ち会えってか?おうよ分かった!分かったから……さっさ、と……」

「まぁ待ち給えヨ。そうだとしてもあと一人必要だ。どうだネ、君から声を掛けては貰」
「あぁもう、本当に志波隊長を殺す気ですか!?」


 とうとう力も入らなくなった一心相手にまだ交渉しようとする涅を見兼ねて、沙生はその手の中から瓶を奪い取った。どうやら油断していたらしく割とあっさりいった。呆気に取られている涅のことは無視し、倒れ伏した一心の頭を持ち上げて膝枕し、彼がせないようにゆっくりと解毒剤を飲ませてやった。すると毒による染みの広がりはやっと止まったが、意識が混濁しているようでうんうんと唸っている。


「局長さん」

「……何かネ」

「あと一人なら私が探します。だから、もう人で試そうとかしないでください。関心が湧くのは仕方ないにしても、勝手は駄目だと思いますよ」

「……首肯しゅこうしかねるネ。君に私を推薦して回られても、只管に面倒なことになりそうだ」

誰彼だれかれに推薦して回りなんかしませんよ。今回でよく分かりましたからね、色々と」


 涅の研究への入れ込みようは沙生もよく知るところである。いつ何度と局に赴いても、モニターや薬液とにらめっこしては鍵盤を叩いていた。彼が暇を持て余したように寛いでいるところなど見たことがない。彼の研究にはどういう意味があって何の役に立つのかは理解できずとも、とにかく熱心なその姿は尊敬していた。しかし、周囲の人々は何かと涅を悪く言ったし、危険人物扱いした。それがどうにもに落ちなかったが、今ならそれも分かる。彼にとって人命は二の次なのだ。新たな知識や技術を得るため、理想の成果を上げるためなら、他の何がどうなろうが厭わない。涅に会ってきたと聞いたときの、更木や浮竹や一心のあの反応も可笑しくはなかったわけだ。
 かといって、沙生は涅への接し方を変える気にはなれなかった。彼こそが狂っている変人なのだ、と決めつけるだけの学を自分は持ち合わせていないと思ったからだ。もし態度を変えることがあるなら、それは藍染のように笑いながら人をおとしいしいたげている様を目撃したときだろう。


「無事か楠山。何があった、志波はどうしたというのだ」


 悪い空気になりかけたところに、音もなく砕蜂が現れた。唸っていた一心は具合が少しずつ回復してきたのか、薄らと目を開ける。沙生は砕蜂と一心の顔を交互に見た後、おずおずと口を開いた。


「毒煙に突っ込んじゃいまして。でも解毒剤が効いてきたようなので、暫く安静にしていれば大丈夫かと……」

「私の制止を聞かんからだ。自業自得だな」

「るっせーよ……というか、お前は何だ。涅に協力してたのか?どういう風の吹き回しだよ」

「……お前には関係のないことだ。それより、涅。志波がこんなことになりはしたが、私の役目はこれで終わりでいいな?」

「まぁ、欲しいデータは計測できたから良しとするヨ。件のことは追って連絡しよう」


 頭上で行われたやり取りは何のことだか、沙生にも一心にも見当がつかなかった。しかし自分らには関係なさそうであるし、とただぼうっと聞き流す。砕蜂はこれで去るものと思われたが、二人の近くに歩み寄り、見下ろしながら腕を組んだ。そして珍しく眉間の皺は解き、真顔になって言う。


「……志波、もう顔色は良くなっているぞ。いつまで楠山に甘えている」

「あまっ……恥ずかしいこと言ってんな!まだだるいわ!」


 そうは言うが、もう随分元気そうに見える。一心は沙生の膝枕から漸くがばっと起き上がり、若干耳を赤くして砕蜂を睨んだ。一方の砕蜂は鼻の先で一笑に付してあしらう。


「大事に至らなかったようで結構なことだ。お前たちは明日遠征に発つのだろう?いい加減、隊舎に戻って準備したらどうだ」

「……たち?」


 沙生は立ち上がって膝に付いた枯れ笹を払っていたが、はたと動きを止めた。その顔はあまりにも純粋で、頭には疑問符が浮かんでいた。そんな彼女の様子を見たこの場の三人は「もしや」と思い当たる。


「楠山……まさかとは思うが、更木から聞いていないのか」

「な、何をでしょう」

「やれやれ、あの粗忽者のせいで君もご愁傷さまだネ」

「えっ」

「……あのな楠山。明日の遠征は俺ら十番隊とお前んとこの十一番隊とで合同だぞ」

「う、嘘じゃないです?」

「ほんとほんと。更木の野郎も総隊長から直接言われてるはずだぜ?俺もこないだ呼び出されたかと思えば合同遠征なんて言い渡されて驚いたけどよ……あれ、じゃあ分担して用意しとくはずの物資の準備とかどうなってるよ」


 沙生はまだ固まっている。そしてぽんと頭が真っ白になりそうなのを堪え、今日の一心の言動を思い返してみた。
「流石にヤバイから片付けてる!の!」
「楠山も遠征行くんだろ?その前に、どれ程のもんか見ときたいし」
「処理は全部俺がやってやったんだからそんくらいやれよ。サボったら明日お前だけ置いてくからな」
「懲りる奴じゃねぇとは思ってたがあんまり好き勝手してんなよ!お前がそんなだから総隊長は――」

 ――合同遠征なんて言い渡したんだぜ。
嗚呼、繋がった。今度の遠征とは、これを機にちょっとは協調性でも学んでこいという総隊長のお達しだったのだ。

 三人は憐れむように沙生を見つめた。そしてそこに、まるで見計らったかのように突っ込んでくる人影がひとつ。


「やっと見つけたぜ!縛道とか飛んできやがったが、やったやつは後で探すとして……志波ァ!!」

「更木隊長」


 腹から叫んだりしたわけでもないのに、その声はいやにはっきりとこの場にいる者たちの鼓膜を震わせた。物凄い勢いで走ってきていた更木も沙生の発する異様な圧を感じ取ったのか、ぴたりと足を止める。それを見た三人は戦慄すればいいのか憫笑すればいいのか迷い、固唾を呑んで成り行きを見守る。


「私、他に忘れてることとかありませんかって訊きましたよね。それも一度や二度じゃありません」

「あ?何の話だ」

「明日の遠征のことですよ。十番隊と合同だなんて聞いてません」

「……そうだったか?」

「そうでした。分担して用意するものとか色々書類も貰ってるんじゃありませんか?……どうせ、隊首室の机のどこかにぐっちゃぐちゃになって入ってるんでしょうけど」

「……どこだったかな」

「ほら、急いで戻って探しますよ。暴れるのは明日以降、虚相手に存分にどうぞ」


 沙生はあまり感情の起伏を感じさせない声で言い放ち、すたすたと歩きだす。砕蜂はやはり度胸と見所があるやつだと感心し、一心は自分が言われたわけでもないのに「はい」と返事をしそうになった。涅は「やっと静かになるネ」と呟いてから、いそいそと設置した機器を回収しに向かう。更木は突っ立って顎をさすり、件の書類の在り処を思い出そうと試みている。


「隊長」

「おう。仕方ねえ、戻るか」


 そろそろ陽も沈む頃だ。青い竹林もいつの間にか夕日の色に染まっている。この場につどっていた面々も、自分の隊舎に帰ることにしてそれぞれこの場を後にした。そうしてすっかり人影が捌けた後、一匹の黒猫がかさりと音を立てて繁みから飛び出した。この小さな目撃者がいたことには、誰も気付いていなかった。




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