Long StoryShort StoryAnecdote

Disguise/Disclose


3.

 それから1学期末まで、鏑木は草太が1人でいるのを見かけると、適度に距離を保ちつつ声を掛けた。
 17歳――この年頃の少年は気難しい。あまり過保護にすると逃げられてしまうが、自分の世界を見出されるのも困りものだ。幸運にも、この学校は校則でアルバイトは禁じていたが、書物や音楽といった思想への影響は数限りなくある。鏑木は慎重に糸を垂らし、反応を見た。狩りの始まりは釣りのようだ。
 草太は誰にも告げずにバスケ部を辞めたのか、同じ部で頑張っていた仲間達からの批判は激しかった。部のエースだった草太の喪失は大きい。何故辞める前に一言相談しなかった、理由は何だと廊下で詰め寄っている部長を見かけたこともあるが、草太は顔を伏せてただ首を横に振るばかりだった。
 草太の塞いだ様子に、周りはやがて理由を問うのをやめたが、構うこともなくなった。その様子を遠巻きに見ていた他のクラスメイト達も、自然と草太とは一定距離を保った付き合いに留めるようになっていった。
 草太は勉強もよくできる生徒だったが、じょじょに成績も振るわなくなった。得意だった体育までも手を抜くようになったのか、中の中といった位置で停滞している。他教科を担当している教師達からも草太を案じる声があがっていたが、鏑木自身もその原因は知り得なかった。
 もっと信頼を得なければ。草太の抱えている心の闇に迫り、その尻尾を掴んで、自分の胸の内に引き寄せるのだ。
 夏休みになると、鏑木は自身が日直で登校する日に草太にも声をかけ、特別に補講を行うことにした。草太は熱心に学校に足を運び、熱い夏の日を鏑木と2人きりで過ごした。
 薄い夏服のシャツは、草太の身体の輪郭を鮮明に描き出す。微かに汗ばむこめかみ、流れた汗がたまる鎖骨。鏑木は夏に彩られる少年の肢体を目で楽しみながら、その季節を穏やかに過ごした。
 この頃には草太は学校で鏑木を見かけると、恥ずかしそうにしながらも微笑みかけるようになっていた。
 ――でも、まだだ。まだ早い。
 鏑木は自分にだけ笑いかける草太に、暗い嗜虐心が芽生えていくのを押し込めるのに苦労した。

 秋になり、文化祭や体育祭といったクラス一丸となっての催しの季節になると、草太はますます孤立した。
 彼なりにクラスの出し物の準備を手伝ってはいたが、どこのグループにも受け入れられる様子はない。
 鏑木はそんな草太に寄り添った。警戒心の強かった聡明な少年も、すっかり鏑木のテリトリーに入り込んでいた。
 文化祭準備の時期には最終下校時刻が引き延ばされる。吹奏楽部が最後の練習に励む中、その合奏の音色をBGMに、草太はとうとうバスケ部を辞した理由を鏑木に打ち明けた。
「……山崎先生が?」
 草太は苦い表情でコクリと頷く。鏑木は草太の告白に、自分の耳を疑った。
 バスケ部顧問の山崎教諭は体育の教師の割りに小太りの、冴えない中年男だ。確か既婚で子供もいたはずだが……あれはカムフラージュだったのか。
 山崎は男子更衣室で着替えをしていた草太に、後ろから抱きついたのだという。すんでのところで突き飛ばし逃げたが、それからも体育の時間や廊下ですれ違う度に、草太は山崎の目に怯えている。
 まさか同じ学校の中に、自分と同じ嗜好を持った男が潜んでいたとは。鏑木は驚いたが、山崎の締まりのない顔を思い出し、さもありなん、と思う。
 草太の両肩を掴むと、その憂いを含んだ顔を覗き込んだ。
「よく話してくれたな。可哀想に、辛かっただろう。怖かったな」
「……鏑木先生……、俺……ッ、怖くて、」
 草太は言葉を詰まらせると目尻に涙を浮かべた。安堵からか、そのまま鏑木の腕の中に飛び込む。押し付けられた胸がじんわりと涙に濡れるのを感じながら、鏑木は心中で高らかに拳を掲げていた。遂に、草太は鏑木の張った罠にかかったのだ。
「もう大丈夫。これからは先生が守ってやるからな」
 その言葉に偽りはない。これからは山崎に出し抜かれないよう、あの小男には目を光らせていよう。そう誓い、同時に、草太の身体と心に牙を立てる日へのカウントダウンを始めたのだった。

 ――ちょうど、あれから2年か。
 鏑木は給食時間に流れる放送のクリスマスソングを聞きながら、ぼんやりとそんなことを考える。1年前はまったく獲物がかからず、悶々とした時を過ごしたものだ。断食とも呼べる期間を乗り越えたことに、鏑木は何となしに感慨を抱いていた。
 草太の前に仕留めた獲物は、前に赴任した中学校の生徒で、3年生だった。
 特別物静かな子供だったわけではないが、獲物にもバリエーションは必要だ。時にスリルも求めるし、難易度が高ければ狩猟者として腕が鳴る。
 その少年は15歳という年の割りに思慮深く、自分の考えをしっかりと持った聡明で大人びた子供だった。色白で線は細かったが、薄い皮膚の下に透ける桜色の血色が、少年を健康的に見せていた。
 音楽が好きで、中でも歌が得意だった。変声期前のボーイソプラノは合唱の時によく目立ち、下心なく褒めてやると面映ゆそうに俯いて、首まで真っ赤になった。羞恥心が強いのも、鏑木の好みだった。
 少年はクラスで浮いているというわけでもなかったが、落ち着いているために同級生達を俯瞰して見ているようなところがあった。決して見下している風ではないのだが、学級の中では頼れるお兄さんといった立ち位置だ。
 大人びているなりの警戒心を備え、子供じみた学友に対しては芯から心を開かない。その微かな間隙を、鏑木の目は逃さなかった。
 苦労しただけあって、あの少年に自分の肉棒を突き込んだ瞬間は、鏑木の記憶の中でも随一の達成感があった。少年は全身を桜色に染めて、高く甘い声で鳴いた。
 感動のあまり、少年を犯しながらスマートフォンで撮影したほどだ。危機回避のために証拠を残すのをよしとせず、記録は残してこなかったのだが、その時の写真と動画は無為な1年間を慰めるのに役立った。
 チャイムの音で、鏑木は甘美な思い出から現実に呼び戻される。2学期最後の給食が終わった。年内の登校日はあと1日、クリスマス・イブを残すのみとなった。2年前は自分へのクリスマス・プレゼントに少年の身体を貪ったが、さて今度の羊はどうしようか。
 鏑木の妄想など露も知らないだろう獲物が、とことこと鏑木の傍にやって来ると、鏑木が下げようとしていた食器をひょいと奪う。目を上げると、草太が銀の盆を手に立っていた。
「あとは俺がやりますよ」
「あ、ああ――ありがとう」
 心中の画策を悟られまいとどぎまぎしながら、鏑木は草太に笑いかける。草太はじっと鏑木の顔を見つめると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。鏑木の耳元にさっと口を寄せると、低く囁いた。
「先生、明日の夜って時間ある?」
「明日? ……ああ、大丈夫だけど」
「それじゃあこれ、視聴覚室で一緒に見ませんか」
 シャツをたくし上げ、チラと腹を晒す。鏑木はどきりとしたが、よく見ると草太のズボンには不織布袋に入ったDVDが挟まれていた。盤面にはバスケット選手の写真がプリントされている。適当に話を合わせて聞いていた、草太が好きだという選手の試合映像だろう。本来なら没収対象だから、服の中に隠して見せたのだ。
 鏑木はぶるりと震えた。なんという運命的な符合だろう。2年前のあの生徒も、同じようにして鏑木を誘ったのだ。
 ――先生、ミュージカルは興味ないですか? よかったらこれ、一緒に見ないかなって。
「……ああ、いいな、それ。明日にしよう」
 ――俺を誘ったのはお前だからな、草太。
 目を閉じても焼き付いている草太の腹、その白い肉に手を伸ばしたい衝動を抑え、鏑木は生唾を飲み込んだ。

2016/09/25


←Prev Main Next→
─ Advertisement ─
ALICE+