Long Story|Short Story|AnecdoteDisguise/Disclose
2.
男の名は鏑木(かぶらぎ)といった。この学校に赴任して来て2年目になる。
鏑木が自分の性嗜好を認識したのは高校生の頃のことだ。中学生の頃から、異性よりも同性の容姿に胸をときめかせ、高校生になると同世代のおとなしい少年が自分の好みであることを自覚した。
18歳の時、公園で14歳の少年を犯したのを最初に、警察の目を潜り抜けて何度も犯行に及んだ。そして遂には己の欲望を満たす目的で、鏑木は中学と高校の教員免許を取得したのだった。
この高校に来るまでに、鏑木は自身が受け持ったクラスの生徒を何人か味わった。コツは、あまりクラスに馴染んでいない、物静かな子供を選ぶことだ。積極的に話しかけて警戒心を解く。自分に心を開き、信頼しきったところでその手を突き放す――己の欲望の捌け口にして、何人ものか弱い少年達を絶望の底に叩き落した。
裏切られ地に落ちた少年達はショックのあまり心を壊し、ほとんどが登校拒否になった。すると鏑木はしれっと教室内のいじめをでっちあげ、今度は他の生徒達を疑心暗鬼に陥らせる。か弱い仔羊を血祭にあげたのはこのクラスの誰だ? すると、自然に魔女狩りが始まり、次のターゲットが生まれるのだ。
性欲を満たすのはもちろん、そうやって子供達の心を支配するのが、男にとって人生の愉悦だった。1つの学校につき3、4人を餌食にすると、鏑木は彼らの卒業を祝って次の学校へと移って行った。
今時、担当したクラスでいじめが起きない教員の方が珍しい。鏑木が特別疑いの目を向けられることはなかった。
鏑木はこの高校では1年生の担任になり、そのまま持ち上がりで2年生の担任になったが、残念なことにこの学年には目ぼしい生徒が見当たらなかった。
容姿が目に適う生徒はいないこともなかったが、公立の進学校で同程度の学力の子供達が集まるせいか、異質なものを排除しようといった空気があまりない。どの生徒も誰かしらとグループになって、仲睦まじく学生生活を営んでいる。
普通の教師だったならこれほど望ましい学級はないだろう。しかし、鏑木にとっては不都合しかなかった。男子校なのとブレザーのデザインは気に入っていたが――制服を剥くのを愉しむ鏑木は、特にブレザーが好みだった――、ここもそろそろ潮時か、と思っていた時だ。その少年の存在に気付いたのは。
5月の連休が明けた頃、休み明けのテスト期間のため、全部活動は休止された。生徒達は校舎から完全下校を義務づけられていた。
鏑木は教室に忘れた学級名簿を取りに戻り、1人の生徒を見つけた。
少年は教室の窓辺に立ち、初夏の風を孕んで膨らむカーテンに身を寄せていた。校庭に視線を投げる横顔は凛として、きゅっと上がった眉尻が潔い。長い睫毛が風に震えていたが、鏑木の気配に気付くと慌てて窓を閉めた。
「すみません、すぐに帰ります」
少年は早口に言うと、自分の机に置いていた鞄を掴む。教壇から見て右手側、前から3番目の席の秋山草太(あきやま そうた)だった。
意外な角度からの無意識の誘惑に、鏑木の食指がピクリと反応する。
草太は、1年生の時にはバスケ部で活躍していた生徒だ。運動神経がよく快活で、クラスのムードメーカー的な存在だった。体育祭や学年末の球技大会でも目立っていたから印象に残っているが、はっきり言って鏑木の好みではなかった。共学だったなら、少女達からの黄色い声を浴びていい気になっているタイプだろう。鏑木が最も忌む手合いだ。
しかし今こうして正対する草太の雰囲気は、鏑木の記憶にあるものとまるで違っていた。利発そうな目元はそのままに、きゅっと引き結ばれた小さな口は多くを語らず、頬には緊張が漲っている。教師とすれ違えばヘラヘラ笑って過ぎるような生徒だと思っていた鏑木は、自分の目算が誤っていたことに気付いた。
「秋山、何を見ていたんだ?」
足早に教室を出て行こうとする少年を呼び止める。草太は俊敏に身を翻すと、鏑木の方に身体を向けた。
草太はバスケ部の割りに、17歳の平均よりもやや身長が低かったが、程よく筋肉がついて均整がとれている。校則の厳しいこの学校では元々制服を着崩している生徒もほとんどいなかったが、草太は体型がきれいなために、ブレザー姿もぴしりとよく似合っていた。ショートの黒髪も無造作ながら、清潔感がある。
少年の細部を1つ1つ検分し直しながら、鏑木はニコリと笑んで目を細めた。草太はふっと、目を逸らす。
「……いえ、別に……何も、」
言葉を濁す草太の表情の陰りを、鏑木は見逃さなかった。窓の方に寄ると、草太が見つめていた先に視線を投げる。
「バスケットゴールか?しばらくは部活も休みで、お前は退屈だろう」
「俺、部活辞めましたから」
「えっ?」
鏑木は目を瞬く。それは知らなかった。バスケ部の顧問からも話は聞いていない。
「……いつ?」
「さっき、顧問の山崎(やまさき)先生に伝えました」
「どうして……引き留められただろう?」
「……いいんです、もう。さよなら、先生」
草太は切なげに目を伏せて言うと、しっかりと頭を下げて逃げるように教室を出て行ってしまった。
鏑木はその背中が遠ざかっていくのを見つめながら、自分の中に湧き上がる歓喜の声を聞いた。
――久しぶりの狩りの始まりだ!
獲物には警戒心がなくてはつまらない。少しずつじわじわと、真綿で首を絞めるように追い詰めていく駆け引きから、鏑木の狩りは始まっている。
あの陰りの種に信頼の水を与えて、笑顔の花を咲かせよう。そしてそれが満開になった時、絶望の毒を注いで手折るのだ。
鏑木の腹の底には、舌なめずりする肉食獣のような欲望が唸りを上げ始めていた。
2016/09/25
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