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Disguise/Disclose


6.

 冬月(ふゆつき)桜斗は、幼稚園の頃からの草太の幼馴染みだった。色白で愛らしかった2人は近所の大人達にも「草餅」「桜餅」と可愛がられて育った。
 運動神経がよく活発で少しやんちゃな草太と、音楽が好きで歌の教室に通う大人びた桜斗が親しいのは傍目には奇異に映ったかもしれないが、2人は中学に上がるまでずっと一緒で、親友だった。
 小学校を卒業すると、草太は父親の仕事の都合で引っ越すことになった。自転車で1時間もかからない距離だったが、中学校は別々になる。
 草太よりも大人びた桜斗は拗ねる草太に、手紙を書くよ、と言って慰めた。言葉の通り、桜斗は月に1度は草太に手紙を送り、草太も短いながらそれに返した。時々は会って、お互いの学校の話をした。

「今度来た新しい先生、すごく面白いんだ」
 ある日、桜斗が思い出し笑いを浮かべながら言った。
 それまで桜斗の担任だった教師が産休に入るため、3年生になって新しい教師が赴任して来たのだという。父親のいない桜斗は、その教師に父性を見出していたのかもしれない。
「ふぅん」
「俺のこと、子ども扱いしないっていうか……ちゃんと1人の人間として接してくれてるって感じがする」
「そんなの、当たり前だろ」
 草太は自分以外の人間が桜斗の心の中を占めていることに焦りと苛立ちを感じてそう言ったが、桜斗はすかさず大人びた穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「うん、そうだね。草太が同じ学校だったら最高なのに」
 中学の同級生はなんだか物足りない、と桜斗は言った。我ながら単純だと思ったが、草太はそれで満足した。離れていても、桜斗と自分の心はいつも寄り添っている。草太にとっての1番は桜斗で、桜斗にとっての1番は草太だ。
 手紙には新しい担任の話が綴られることが増えたが、草太はそれ以降特に気に留めなかった。桜斗が認めるくらいだから、いい先生なんだろうとさえ思っていた。
 しかし、11月に届いた手紙を最後に、桜斗からの手紙は途絶えることになる。

 年賀状さえも来ないのはおかしい。不審に思った草太は桜斗の自宅に電話をした。
 電話に出た桜斗の母親は戸惑った様子で口ごもり、年末からずっと体調が悪くて、と言葉を濁した。病気かと聞いても、はっきりしない。
 それからも何度か手紙を書いたが返事はなく、耐えかねた草太は高校入学を控えた春休みに、桜斗の家に駆けつけた。
 長く親しんでいる草太を追い返すこともできなかった桜斗の母親は、おろおろしながらも中に入れてくれた。
「さくちゃん、そうちゃんが遊びに来てくれたわよ」
 桜斗の部屋のドアをノックする母親の顔はどこか怯えていて、草太はすでにこの家の異変を感じていた。部屋からは何の反応もない。
「さくちゃん、」
「桜斗、俺だよ。草太だけど。どうして手紙くれないんだ? 電話だって、」
 ドアに向かって呼びかけるが、返事はなかった。
 諦めて帰ろうとする草太を、桜斗の母親が呼び止め、ダイニングに案内すると茶菓子をふるまってくれた。
「桜斗、高校はどうするの?」
 母親は首を横に振る。
「入試は受けなかったの。3学期は1度も学校に行かなかったし……卒業式さえ出席しなかった。あの子、あの日から1歩も部屋から出て来なくて……」
 桜斗の母親は若く美しかったが、その顔色は悪く、草太の記憶にあるよりもやつれていた。
「あの日って?」
「昨年の学期末よ。クリスマス・イブだったわね。わたし、あの日はパートに出ていて……ケーキやチキンの街頭販売があったから、帰りが遅くなってしまったの。あの子、年齢よりも落ち着いて手のかからない子だったから、イブの日に1人だからって、機嫌を損ねるような子供じゃないと思ってたんだけど……わたしがあの子に甘え過ぎたのかしらね」
 母親は深い溜め息をついて、頭を押さえた。
 話によると、母親が帰った時にはすでに桜斗は部屋に入っていたという。学校の荷物はいつもなら自室に引き上げるのだが、その日は玄関に投げ出したまま、制服は風呂場で水浸しになっていた。
 以来、桜斗は部屋から出て来ない。
 ご飯を盆に載せてドアの前に持っていくと食べてはいるようだったが、食は細かった。
「わたし、怖くて……1人でどうしたらいいかわからなくて、1度中学校の担任の先生に来ていただいたの。大人には懐かないあの子が珍しく慕っていたから、何か知っているんじゃないかと思って……そしたら、あの子……、」
 母親は顔を覆い、肩を震わせる。
「ドアの外から先生が呼びかけたのよ。そしたら桜斗、部屋の中で……聞いたこともないような大声で、悲鳴をあげて……あんな恐ろしい声を聞いたの、わたし初めてで……」
 涙を拭う桜斗の母親を励ますように、草太はその肩に手を置く。
「おばさん……それで、先生はなんて?」
「あの子、学校でいじめに遭っていたらしいのよ。わたしそんなこと全然知らなくて……先生によく相談していたそうなの。だけど……限界だったのかしらね」
 草太は眉を顰めた。桜斗の手紙には、いじめのことなんて書いていなかった。クラスメイトに物足りなさは感じると言っていたが、それなりに親しくしていた友達はいたはずだ。草太にも明かせないくらい、ひどいいじめがあったのだろうか?

 心を病んでしまった桜斗の身を案じながらも、草太は自身の選んだ高校へと進学した。
 学校は楽しかった。不良などもおらず、勉強熱心で付き合いのいい友人達にも恵まれた。中学3年間続けていたバスケ部にも入り、そこでは1年生にしてほとんどエースだった。草太は中学生の時まで同様、クラスの人気者になった。
 音信不通となった桜斗のことは、草太の心にいつも引っかかっていたのだが、さりとてどうすることもできず、臍を噛むような思いで日々を過ごしていた。
 そんなある日、部屋の掃除をしていると、桜斗から送られた手紙の山の中に、1通未開封のものがあることに気付いた。消印を見ると12月の中旬に届いたもので、受験勉強のどさくさに紛れてしまっていたらしい。
 草太はそこに自分が見落とした重大な手がかりがあるのではないかと思い、逸る気持ちで封を開けた。
 文面は、親しんだ桜斗の丁寧な文字で、平和な学校生活の様子が綴られていた。終わったばかりの期末テストのこと、合唱コンクールで銀賞だったこと。生き生きとした文章に、思わず今の彼の状況も忘れて口元が綻ぶ。
 最後の段落に、鏑木、という名前があった。終業式の後に、鏑木先生と音楽室でミュージカル映画を見ることになった、と。
 鏑木――桜斗が懐いているというあの教師の名前だろうが、手紙に名前が書かれているのは初めてだ。もしかすると会って話した時に口にしていたかもしれないが、それは記憶にない。
 しかし何より、今の草太にはとても馴染みのある名前だった。
「俺の、担任じゃないか……」
 昨年まで中学校を見ていた、と自己紹介をした鏑木。草太の胸の内でパズルのピースが埋まっていく。
 終業式の後の映画鑑賞。その日から引きこもりになった桜斗。実態のないいじめ。その証言をしたのは、鏑木――。
 草太は桜斗から貰った手紙をきゅっと握り締めた。

2016/09/25


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