Long StoryShort StoryAnecdote

イノセンス


ふるえる指先


 薄ぼけた空気は、朝靄のせいばかりではなかった。
「あれ、なに……煙草ば吸うとね?」
 泰治(たいじ)が白い息を吐きながら言うと、紫煙をくゆらせていた三枝和希(さえぐさ かずき)はビクリと肩を震わせ、咥えていた煙草を細い指で挟んだ。
 ばつが悪そうに、親指で額を掻く。
「……バレたか」
 15歳の喫煙という古典的な非行シチュエーションは、童顔の和希には少々不似合いだったが、指先の仕草はずいぶんとそつがない。
 高校に入って1年間、泰治は特別個人的に親しんでいたわけではないが、和希はいつも人に囲まれ、クラスでもよく目立った。
 その中でも、如才ないユーモアを振る舞う和希のことを泰治は好ましく思っていたから、初めて見る意外な一面に少し気をよくする。一種の優越感だ。和希と表面上は親しげにしている冴えない連中も、彼のこんな嗜みはきっと知らない。
「なんし今まで黙っちぃたと? ここは俺ん特等席たい」
 泰治はひょろりと長い身体を折るようにして和希の隣に腰掛ける。
「知ってるよ。前からここ、狙ってたんだ。冬休みは松岡(まつおか)も故郷に帰ると思ってたから」
 泰治は福岡から、寮があり弓道の強いこの高校まで出て来た。和希も寮生だとは知っていたが、夏季休暇は部活合宿や行楽のために外に出ていることの多かった泰治は、ほとんど関わることがなかったのだ。
 一方、年末年始は寮も人気がなくなる。事務員が常駐する他、職員室に日直の教師が2人ほどいるばかりだ。だから、冬期休暇に校舎裏の外階段で同級生と遭遇する事態は、泰治には想定外だったというわけだ。
 泰治はポケットからソフトケースのセブンスターを取り出すと、クシャクシャになった口を押し開いた。
「俺ん故郷は遠か。毎年帰っとったらこっちで遊ぶ金の尽きるちゃ」
「煙草は買うくせに?」
「……まぁな」
 和希はケラケラと笑う。泰治は和希のあけすけな笑い方も好きだ。
 1本煙草を咥えると、笑みを刻む和希の口元に寄る。和希は首を傾ぐと、泰治の煙草に火を分け移した。
 最初の一服を深く吐き出すと、泰治は改めて口を開く。
「そういうお前こそ、帰らんと? 関東やろ?」
「俺は……いいんだ」
 和希は俯くと、赤い鼻をスン、と鳴らす。
 珍しく、少しシニカルな笑いを笑う和希は、いつもは陽気で朗らかだ。多少のやんちゃもするが、それでいて成績は学年トップクラスの秀才だった。教師達からはもちろん、同性しかいないこの学校の生徒達の中でも一目置かれている。
 こんなところで煙草を吹かしている和希の姿を見たら、みんな腰を抜かすだろう。泰治は想像して愉快になる。
「人は見かけによらんね。お前がこぎゃんこつするなんて誰も思わんちゃ」
「どうして?」
「いつもお前は笑ってて、悩みとか後ろ暗いことなんかなーんにもないっち顔ばしとる」
「――そんな風に見える?」
 硬い声色を訝しく思った泰治は顔を上げ、和希の顔を見た。大きな目をまるまると見開き、その額には緊張が漲っている。
 泰治は焦って、
「悪か意味じゃなかよ。見ててこっちも元気になるって、」
 和希の気分を害したと思い、必死にフォローする。しかし、泰治の慌てぶりがおかしかったのか、不意に和希はケラケラと笑った。
「あははは、そっか、松岡にはそう見えるんだ。はは、そう見えてるなら嬉しいよ」
 目尻に涙が浮かぶほど大仰に笑うので、今度は泰治の方が目をまるまると見開いて、おまけに口をポカンと開けた。
「おかしな男たい……」
 笑い声はやがて咳に変わり、和希は組んだ腕に顔を埋めた。
「ゲホッ、コホッ……っはー……は、……っ、」
「……なんやちゃ、ほんなごと泣いとうと?」
 返事の代わりに、くぐもった咳が応じる。
 力ない指先に挟まれた煙草は、じりじりと灰に変わっていく。その火が和希の震える指先を燃やしてしまう前に、泰治は奪うように取り上げると階段に擦りつけた。
「なしけん泣くんばい。家族の恋しいと?」
「……泣いてない。家族なんていない」
「いやなぁ、都会の人間ば。本音隠しよる」
「俺は都会の人間じゃないよ」
「どこ?」
「神奈川の田舎」
「神奈川ば都会よ!」
 泰治の飛び跳ねるような声に、和希はまたくつくつと笑いを取り戻すと、やっと顔を上げた。その目元は微かに潤んでいたが、泣いてないだろ、と聞かれた泰治は曖昧に頷いた。
 和希は立ち上がると手摺に背中を預け、両腕を翼のように広げた。手の平をゆっくりと手摺に這わせ、青空を仰ぎ見る。
「本当は俺も、もっと遠くに行きたい。俺のことを誰も知らない街……誰の手も頼らないで、1人きりで自由に生きたい」
 そう言って遠くを見つめる和希の横顔は儚げで、今にも後ろに重心を傾け、頭から真っ逆さまに宙空に身を投げてもおかしくないように見えた。
 和樹の履いているスニーカーが地面から浮くのを想像して、ぞわりと悪寒を感じた泰治は、気づくと煙草を投げ捨て立ち上がり、和希の手をしっかりと握っていた。
 弾かれたように和希が見返す。
「……松岡?」
「なんやわからん、俺ば頼れ」
「え、」
「お前が何悩んでるか、抱え込んでるか、そげなこつわからん。ばってん、俺ば頼れよ」
 どうしてこうも必死に取り縋ったのか、泰治自身にもわかりかねた。ただ、本当に目の前からいなくなりそうで、少なくとも自分の目の前でそうさせるわけにはいかないと思ったのだ。
 和希はまた目をパチクリとさせ、口元に弧を描いたが、今度はケラケラとは笑わなかった。慎重に、低い声で唱えるように言った。
「……いいな、それ」
 和希は手摺を離れると階段に腰掛ける。泰治はその形のいい頭のつむじを上から見下ろす。
「お前のその変な言葉聞いてると、遠くに来たみたいで落ち着く」
「変な言葉て……」
「いつか行ってみたいな、松岡の生まれ故郷。早く大人になって」
 和希は深く息を吸い、吐いた。

 泰治がすべてを知ったのは、高校を卒業して数年経ってからのことだ。
「三枝っていたろ、話が上手くて、童顔の。あいつ、男相手に売春してたんだぜ」
「えっ?」
 口に運びかけていたジョッキを宙に留めて、泰治は声の主を凝視する。
「先輩数人と、教師ともヤってたって。学費、自分の身体で稼いでたらしいよ」
「ああ、やっぱりそうなんだ。体育で着替えてる時にさ、首んところに痕あったんだよね」
「隠れて煙草吸ってたしな」
「妙に色気あったもんなぁ。寮で同室のヤツとか、ヤりまくってたかもな」
 紫煙の中、酒を呷りながらゲラゲラと笑う。
 和希の喫煙は、決して意外なものではなかったらしいと知って、泰治は1人で拍子抜けしていた。秘密を共有したような気になっていたのに。それどころか、売春をしていた? 高校当時、勝手に築いていた三枝和希の像が呆気なく崩れていく。
 呆然としている泰治に、
「松岡はあんまり関わりなかったか? 三枝とは」
 急に水を向けられて、口ごもる。少し思案して、
「ああ、うん……そう言われてみれば俺は1度も、喋ったことないな」
 すっかり故郷の訛りの抜けた返答をした。
 あの時見た震える指先は、今は何に縋っているだろう。それとも、1人きりで、自由でいるだろうか。
 泰治は自身の煙草から落ちる灰をぼんやりと見つめた。

2017/02/05


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