Long StoryShort StoryAnecdote

Disguise / Disclose


3.

「まずい、飲み過ぎだ……」
 ビールは苦かったが、それを飲んだ後だけに、サワーは炭酸の弱いジュースのように思えて、アルコール入りであることを忘れてついガバガバと飲んでしまった。酩酊感に身体を揺らしながらなんとか用を足すと、洗面台で顔を洗う。
 鏡に映ったのは、紛れもなく酔っ払いの赤ら顔だ。両親も年の離れた兄も、顔色を変えずに酒を嗜んでいたからてっきり自分も強いと思っていたのに。
 けれどアルコールの力は、張り詰めがちな草太の気を少し緩めてもいた。体調は悪くない。ふわふわとしながら、ほんの上澄みだけでも桜斗への想いを口にした高揚感は、草太の口の中に甘く残っていた。
 大丈夫、気付かれてない。でも──気付いて欲しい。
 酔っ払いは鏡の前で1人、へらりと笑う。

 座敷に戻ると、草太が座っていた場所にはサークルの先輩が座っていた。もう1時間半ほど経つ宴会は、離席したところに自由に移動して席替えタイムといったところらしい。
 桜斗の様子は気になったが、その隣には春日がいた。草太は彼に幼馴染みを任せることにして、フラフラと別のテーブルについた。
 そのテーブルは、サークル外の人で占められていた。草太は知らない顔に囲まれながら、次の飲み物を頼む。
 新しいグラスが届くと、真正面に座った青年が自分の飲んでいたグラスを掲げた。草太はカチ、とグラスを合わせて1杯呷る。青年は屈託なく微笑んだ。
「俺、法学部3年の夏川(なつかわ)。よろしく、秋山くん」
「ああ、どうも。……えっと、どこかで?」
 当然のように名前を呼ばれたことに違和感を感じた。サークルの誰かに聞いたのかもしれないが、夏川は妙に親しげだ。
「いや、初対面だよ。会うのはね」
 夏川の言い回しは奇妙だったが、酒の回った草太は「そうですか」と受け流す。
 少し長めの髪を茶色く染めた夏川は、話し方にしてもどこか軽薄な印象を草太に与えた。煙草も吸い慣れているのか、手前にある灰皿にはこんもりと吸い殻が積もっている。
 きっと親しくはならない、草太はそんな気がした。
「秋山くんてバスケ選手としては小柄だけど、チームで大活躍らしいじゃん」
「はぁ、まぁ……春日がいるおかげですよ。点取り屋は俺じゃなくて春日ですから」
「またまた、ご謙遜を。中学からやってるんだろ? バスケ」
「高校はやめてたからブランクありますよ」
「ふーん、どこの高校?」
「途中で転校してるんです。卒業したのは、」
 学校名を告げると、夏川はふぅん、と遠い目をする。
「頭いいんだねぇ」
 草太自身は自分の通っていた高校のレベルがどの程度かなど把握していない。褒めているつもりなのだろうが、何だか探りを入れられているみたいで居心地が悪かった。
 頭の回転は速いのだろう、それからも夏川は次々に話題を繰り出してきたが、草太はただ一言、こう思った──いけ好かない。
 そこに、「冬月桜斗ってさ、」と振られ、草太はピンと背筋を正す。
「──はい?」
「あっちの、さっきキミがいたところにいるあの、色の白い人?」
「……そうですけど」
「いや、さっき女の子達が騒いでたからさ。ふぅん……きれいな顔してるんだな」
 ニヤニヤと笑う夏川に、草太ははっきりと敵意を抱いた。目に力が入り過ぎたのだろうか、夏川はホールド・アップのポーズを取る。
「そんな怖い顔するなって。お前だって可愛い顔してるよ」
「……気色悪いこと言わないでください」
 冗談に聞こえるように口元は笑いながらも、草太は顔を俯けた。正面から見れば、視線の強さは誤魔化せないだろう。
 あははは、と陽気な笑い声がして顔を上げる。草太の意に反して、夏川はおかしそうに笑っていた。
「何……」
「なんかさ、ちょっかい出したくなるオーラあるよな。お前も、あいつも。2人ってどういう関係?」
「幼馴染みです」
「ふぅん、幼馴染み……俺、結構好みだなぁ、冬月みたいなの。警戒心強そうだけど、それを突き崩してやったら案外、」
「おい、」
 黙っていれば。実際に桜斗の身体に触られたような気がして、草太の神経は苛々と逆撫でられる。
「はは、そんな睨むなよ! ホント、おっかねぇなぁ……冗談、冗談。本当はああいうのより、お前みたいな跳ね返りのが面白いんだ。はは、さすが──高校教師を半殺しにしただけのことはあるよ」
 一瞬、何を言われているのかわからなかった。それから、ざぁっ、と全身の血の気が引くのを感じた。目を見開き口を開けるが、声が出ない。
 夏川の甘い顔、垂れ目がちな目尻が微かに濡れているのは、笑い過ぎたせいだ。吸い差しの煙草の灰をトントンと灰皿の縁で落とし、至福の1本とばかりにゆっくりと吸う。躙り消しながら上向いて白煙を吐くと、首を傾いで悪戯っぽく微笑んだ。
「何であんなことした?」
「──な、に」
「首絞めたことじゃなくてさ。何で自分から誘ったわけ?」
 オトコ、と口パクで言われ、草太は硬直する。
 それは草太以外誰も知り得ないはずなのに。あの男を、鏑木を陥れたあの事件の真相は。
 夏川の手が、冷たくなった草太の手を握る。
「俺、知ってるよ。お前があの教師にされたことも、したことも」
「──離せッ!!」
 その時、草太の後ろで大きな怒鳴り声が聞こえ、ガシャ、とグラスの弾ける音と、数人の女子生徒の悲鳴が響いた。一瞬にして座が静まる。
 サークル員の巨体が立ち尽くすその中心に、小さく蹲っている桜斗の姿が見えて、草太は咄嗟に夏川の手を振り払い立ち上がった。
「桜斗!?」
 よたつく足を叱咤して人を掻き分けると、おしぼりで濡れた手足を拭っている桜斗の肩を掴んだ。
「桜斗っ」
 声をかけると、桜斗はばっと顔を上げ、身を捩ろうとした。怯え竦んだ大きな目が草太を見つめ返す。掴んだ薄い肩は緊張でいかり、指先は微かに震えていた。呼吸が浅い。
「あ……そ、うた……俺……俺──」
 唇を震わせる桜斗の顔は紙のように白い。異常を察した草太は、辺りを見回し春日を見つけると、目線で説明を求めた。春日は膝をつき、草太の耳元で声を潜める。
「先輩が冬月の肩を抱き寄せたんだ。先輩も酔ってたけど、本当にただそれだけだよ。でも冬月、急に驚いたみたいで……先輩、力強いし」
 男を突き飛ばし、その拍子にグラスが倒れたということだろう。
 酔った男は突き飛ばされたことをあまり気にしていないのか、場を鎮めるのもそこそこにもう隣のテーブルへ移っている。それはありがたかったが、桜斗の様子を不審そうに見ている視線もまだその場に漂っているのが感じられた。
「桜斗、もう出よう」
 桜斗は頷くでもなく、壁に凭れるようにしながらフラフラと立ち上がる。店の外で待っているように言うと、多くの視線を浴びながらも俯きがちに座敷を出て行った。
 「ちょっと」と袖を引かれ振り返ると、そこには目を三角に釣り上げた椿が立っていた。
「先輩突き飛ばすのもだけど、春日にも謝って欲しい」
「おい、いいんだよ俺は」
「だって! 彼、春日が濡れた手足を拭いてあげようとしたのに、汚いから触るなって言ったのよ」
「……ごめん、春日」
「何で秋山くんが謝るのよ!」
 頭を下げる草太に、椿はますます激昂した。春日は慌てて、取りなすように椿の前で手を振る。
「俺は気にしてないって! それに、冬月はそういう意味で言ったんじゃないよ。俺の方が酒で汚れるって気にしてくれたんだ」
 椿は「えぇ?」と首を傾げ、釈然としない様子だったが、春日自身が構わないでいることに不服ながらも口を噤んだ。
「……悪い。俺、桜斗と一緒に帰らないと」
 椿の冷たい視線を感じたが、春日は草太を庇うようにその間に立って遮ってくれる。わざとらしく肩を組んでくるのも、決して揉めていないという周囲へのアピールだ。2人は店の出口へと向かう。
 歩きながら、草太は酒臭い息を深く吐き出して春日を見上げた。
「本当にごめん。先輩には今度ちゃんと詫びるから、とりなしておいてくれないか」
「それは全然。さっきのは先輩が悪いんだ。冬月にも気にするなって伝えて?」
 励ますような優しい声色に、救われる気がした。
 普段は彼にぞんざいな態度を取っているくせに、こんな時ばかりしおらしい自分を草太は恥じる。けれど、考えてみればいつもの棘のある物言いだって、結局は春日に甘えているだけだ。そんなことに今更気付いて、貴重な友人に改めて深く感謝する。
「椿、怒ってたな」
「いいんだよ、怒らせておけば。あいつは気が短いから」
「お前に気があるんだよ」
「まさか」
 敏い春日が気付かないはずはないが、空とぼける友人に草太は苦笑した。椿の怒りを受け止めるくらいはしなければならない。
「桜斗は大丈夫。俺が送って行くから」
「秋山だってずいぶん酔っ払ってるじゃないか。俺も一緒に、」
「ありがとう、春日。でも今は、2人きりにさせて欲しいんだ」
 エレベーターの前に着くと、草太は春日の腕をそっと離し、真正面から頭を下げる。その間、珍しく春日も黙っていた。
 草太が顔を上げた時、春日は傷ついたような顔をしていた。
「なぁ、さっきの……冬月が言ったのって」
「え?」
「確かに汚いから触るな、って言ったよ、あいつ。でもあの時の仕草、とか……泣きそうな、ひどく傷ついたような顔してさ。あれって、俺に対してじゃなかったよ。汚いって、俺でも、酒のことでもなくて──冬月自身、みたいに聞こえた」
 ──あれからずっと俺……ひどい、臭いがする。
 草太はぎゅっと唇を噛む。だからどうして、お前はそんなに勘がいいんだよ、春日。
「今日は誘ってくれてありがとう、春日。……メリー・クリスマス、よいお年を」
「……秋山、」
 草太は今できる精一杯の笑みを浮かべると、しょげた春日に手を上げてエレベーターの扉を閉めた。


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