Long StoryShort StoryAnecdote

Disguise / Disclose


8.

「オレ、こんなにチョコ貰ったの生まれて初めてだよ……」
 春日は紙袋に詰まった可愛らしいラッピングの箱を学食のテーブルに並べると、うっとりと目を輝かせた。
 2月14日──学内ではあちこちでチョコレートを配る女子生徒の姿が見られる。心なしか人と人の距離が近い。密やかに囁き合うような声。そこかしこに、どことなく浮き足立った空気が漂っていた。
 昨年の忘年会もあって、人の縁が増えた草太も少なからずバレンタインのちょっとした菓子類を貰っているが、春日が受け取った数には到底及ばない。
「去年は貰わなかったのか?」
 昼食に選んだきつねうどんをすすりながら尋ねると、春日は「うーん」と腕組みする。
「椿からだけだったな」
 見かけによらず一途なんだな、と勝気なマネージャーに感心しながら、草太は茶々を入れるのはやめておいた。
「1年の間に何があったんだろう」
「大会でいいところ見せちゃったからかな〜? ってことは秋山のアシストのおかげ? だとしたら秋山サマサマだな!」
 春日は両手を合わせて草太を拝むと、1つ1つの箱を検めるようにいそいそと紙袋にしまっていく。
「お前も中学の時はめちゃくちゃモテてたのにな。俺の3倍は貰ってて、スゲー羨ましかった」
「そうだっけ……?」
 当時のそれを「モテ」と呼ぶのかは草太自身にはよくわからなかったが、言われてみれば確かに、中学生の頃はもう少し異性に構われたかもしれない。
「もっと天真爛漫だったっつーか、明るかったしさ。お前が望まなくてもまわりにはいつも人がたくさんいたよ」
 草太はさほど自分が変わったとも思わなかったが、思い返そうとすると中学の記憶は靄がかかったようにおぼろげだ。春日と再会した時さえ、バスケ部で共闘した仲という感慨は春日よりもずいぶん薄かった。
 変化があったとすれば──やはり、あの事件のせいなのだろう。

 被害者の立場で警察や弁護士の世話になった事件以来、少なからず草太の家族の関係はぎこちないものになった。当然ながら、家族は草太が高校の教師にされたことも、したことも知ることになったからだ。
 両親は元々、歳がいってから生まれた草太に対してやや過保護気味だったが、今や腫れ物に触るように草太に接している。息子が被った心身の傷を案じるのはもちろん、正当防衛とはいえ人命を奪いかけたことに対してもある種の恐ろしさを感じているように草太には思えた。
 兄も、昔は両親と同じく草太を可愛がってくれたものだが、事件当時に結婚したばかりだったこともあり、草太を労わる言葉をかけてくれたもののそれ以上の関わりを避けるように実家に寄りつかない。
 激しい衝突があるわけでも、険悪というわけでもない。けれどいつも背中に感じる監視するような視線は居心地が悪く、大学を卒業したら早々に家を出ようと草太は考えている。
 ──自分は、変わったわけじゃないと思ってきた。けれどそれはただの願望なのかもしれない。時間が経てば経つほどに、幼い頃の穏やかだった日々の記憶は曖昧になり、反比例的に、境界となった出来事より後は第二の人生のように記憶されている。

「今の秋山は黙ってるとちょっとおっかない感じするから、義理でも渡しづらいんじゃないか?」
 ひとりもの思いに耽っていた草太は春日お得意の洞察力で心を読まれたようで、落ち着かない。
「別にチョコなんて欲しくない」
「強がるなって。お前が甘いモノ好きなのはよーく知ってる。ほれ、少し分けて進ぜよう」
「いらないって言ってるだろ。……ところで、桜斗は?」
 昼休みになると食堂の決まった席で待ち合わせているが、約束の時間を15分過ぎても桜斗は現れない。草太はなるべく世話焼き顔を表に出さないよう努めていたが、心配なものは心配だ。
「ああ、さっき4号館の方で会ったけど、すぐ行くから先行ってて、だって。紙袋持ってたけど、もしかして今日の戦利品かもな」
 などと話しているところに、昼食のトレーを持った桜斗が現れた。
「ごめん、遅くなった」
「どこ行ってたんだ?」
 もうほとんど食べ終えている春日の正面、草太の右隣に桜斗がトレーを置くと、草太は食い気味に問いかけた。
「マネージャーさん……椿さんと、先輩のところに行ってたんだ。なかなか会う機会がなくて遅くなっちゃったけど、ちゃんとお詫びしなきゃと思って」
 桜斗は座り、走って来たのか少し荒くなっていた呼吸を整える。
 椅子の背にかけた紙袋は、春日の言っていたものだろうか。草太の視線に気付いた桜斗は「ああ、」と中から小さな箱を取り出す。
「手ぶらも何だしと思って、コンビニで売ってたお菓子を適当に持って行ったんだ。そしたら今日ってバレンタインだったんだな。俺すっかり忘れてて……椿さんにギョッとされた後、笑われちゃった」
 へへ、と桜斗は頬を赤らめる。椿とはある程度和解できたようだ。
「先輩にはお詫びだけして、お菓子は渡さずにおいた。これはその分だけど、よかったら2人で食べてよ」
「ちょうど今、秋山が俺よりチョコが少ないって拗ねてたんだよ。だからホラ、冬月からのチョコは秋山にやろう」
「誰もそんなこと……、」
 反論しかけてはたと思い留まる。子供っぽいことかもしれないけれど、今日という日に、手作りでなくても桜斗の手からチョコレートが貰えるなら。
 草太はおずとずと手を差し出した。
「……いただきます」
「どうぞ」
 桜斗は笑って、ワインレッドの小包を草太の手に乗せた。箱には「ZUTTOMO」と金の箔押しがされている──「ズッ友」。椿が笑うわけだ。
 ところでさ、と桜斗はやや前屈みになって声を潜めた。
「先輩のところに行く時に知らない男の人に声をかけられたんだけど……2人とも、夏川さんて知ってる?」
 桜斗の問いに、草太は緩めていた頬を引き締めた。
「……え?」
「夏川先輩。3年生だって。髪の毛茶色くて、ちょっと垂れ目の。去年の忘年会に来てたって」
「何か言われた? 聞かれたのか?」
 草太が矢継ぎ早に言うと、桜斗は少したじろいだようだ。草太の反応は予想していなかっただろう。
「草太、知ってる人なの?」
「いや、悪い……そんなに知ってるわけじゃない。その忘年会の時、席を移動したら夏川って人がいて話しかけられた。多分、同じ人だと思う。春日は? 知り合いか?」
 春日はふるふると頭を振った。
「いや、俺は知らないな。誰かのツレだろうけど、俺はそのテーブルには行かなかったかもしれない」
「そうか……」
 草太は少し落胆しながらあごを撫でた。
 夏川は草太が教師──鏑木に襲われた事件について知っていた。
 あの事件は被害者の名前は報道されていない。それなのにあの青年は、草太が鏑木の首を絞めて殺そうとしたことまで把握していたのだ。
「大丈夫? その、夏川って人に何か言われたのか?」
 桜斗が心配そうに草太の顔を覗き込む。草太は眉間に入れていた力を緩めた。
「別にそういうわけじゃないけど……ただ、俺はなんとなく苦手だと思っただけだよ」
 夏川は桜斗にも興味を持っているようだった。かと言って、そう伝えたら桜斗を怖がらせてしまうかもしれない。
 桜斗は草太の言葉を受けて躊躇いながらも口を開く。
「……少し、わかる気がする。俺は初めて会ったけど、頭のてっぺんから爪先までじろじろ見られてるみたいで……俺が忘年会で騒ぎを起こしたからかなって思ったけど、秋山くんによろしく、って言われたんだ。なんでよく知りもしない俺にそんなこと言うんだろうって、少し気味が悪くて」
 桜斗はそう言って首筋を撫でた。何故自分達のことを知っているのか不思議に思ったが、あえて聞き返しはせずに会釈をして凌いだという。
 草太はひとつ息を吐いた。
「……だろ。あの人にはあまり近付かない方がいいと俺は思う」
「そっか……そうだね、そうかもしれない。まぁ、俺なんかそうそう関わる機会もないと思うけどね。……いただきます」
 2人に遅れてスプーンを手に取った桜斗は、オムライスを口に運ぶ。それから話題を変えるように春日の手元にある紙袋に目を向けた。
「春日チョコ貰ったんだ」
「そう! 大漁だぜ〜! これから姉ちゃん達からも貰うだろ。それからバイト先でも貰うと思うし……」
 指折り数える春日に桜斗が微笑む。
「バイト、何やってるんだっけ?」
「喫茶店だよ。元々は普通のだったんだけど、会社がくっついたのなんので……今年からはコンセプト・カフェっつーの? 執事みたいな服着てお嬢様をエスコートするんだ」
 春日は片手を大仰に広げ、片手を胸にあてて恭しくお辞儀する。
「お嬢様?」
「お客さんのことだよ。ほとんど女の子だから」
「へぇ、そんなお店があるんだ」
 草太はテレビで紹介されているのを見たことがある。完全予約制でなかなか入店することもできないという人気店だ。新しい店舗が増えたということだろう。
「安いホストクラブみたいなものじゃないのか?」
「そう言うなかれよ。ちゃんとしたホテルでテーブルマナーの研修も受けて、結構本格的なんだぜ。まぁ、確かにフツーの喫茶店よりやることは多いけど……その分時給はいいしな」
「執事かぁ。春日、似合いそう」
 桜斗の感想に首を傾げかけた草太だったが、確かに身長のある春日が制服となる執事のコスチュームを纏い、黙っていればそれなりかもしれない。馬子にも衣装というやつだ。
「冬月もやってみるか? 俺、夏は合宿で出られないから代打探しとけって言われてるんだ。秋山じゃ愛想なさ過ぎるしさ」
 バカなことを、と草太は溜め息をついたが、桜斗は「そうだね、考えとく」と、意外にもあっさり応じた。
「あ、俺次講堂だった! 先行くな」
 春日は大事そうに紙袋を抱えると、バタバタと食堂を出て行った。あれで執事が務まるのだろうか、と草太は苦笑する。
「草太は? チョコレート」
 不意に桜斗に聞かれて、草太は目を丸くした。バレンタインを忘れていた幼馴染みの口から、そんなことを聞かれるとは思わなかった。
「ああ……まぁ、少しだけな」
「へぇ。気になってる子からは貰えた?」
 重ねて珍しく、桜斗はそんなことを言う。
 草太は手元にある「友チョコ」なるものに視線を落とし、逸らす。頬杖をついた手で口元を隠しながら、
「……一応、貰ったって言えるかな。先方は義理でだけど」
 愚痴を零すようにモゴモゴと呟くと、桜斗は目線だけきょろりと動かすとわざわざスプーンを1度置いて、両手をぎゅっと握り合わせた。
「本当? やったね」
 「今、お前がくれたやつだよ」とは言えない草太は、曖昧に笑って耳の裏を掻いた。
「早く食えよ、次の講義始まるぞ」
「あ、ごめん」
「……さっきの、本気か? 春日のバイト、代打でってヤツ」
 桜斗はスプーンを咥えたまま窓外に視線を投げる。
「うーん……それはまだわからないけど。いずれにしても今のバイトはもう辞めようかと思っててさ」
「なんで? 今のバイト、気に入ってたじゃないか」
 桜斗から逐一報告を受けているわけではないが、高校生のバイトともうまくやっているし、パートの主婦にも可愛がられているようだった。それに加えて、担当するビルに両親の旧い友人もいたと聞く。
 桜斗は表情を変えずにスプーンの先で卵をつつくと言った。
「ちょっと、考えてさ。就活も本腰入れないといけないし、卒業したらなるべく早く一人暮らしをしたいと思ってるから、貯金するためにも何かしら次のバイトは探さないとね」
「え……家、出るつもりなのか?」
 桜斗の家は元々、祖父母が建てたものをリフォームしており、その費用も支払いは済んでいると聞く。母親が働き詰めなのは生活費と桜斗の学費のためだ。
 家の間取りは2人で暮らすには広過ぎるくらいで、てっきり桜斗はずっとそこに留まるのだと思っていた。
「うん……今まではバイト代は生活費とか学費の足しに、くらいに思ってたんだけど、事情が変わってきた。まだなんとも言えないけど、そうするのがよさそうだと思ったんだ」
 草太も自分の家族関係に思うところはあるのだ。桜斗の家にも、事情はあるだろう。それに、「母親のために生きている」と言った桜斗が、親元を離れて1人で生活していこうと考えを変えたというのは、悪いことではないはずだ。
 それを少し寂しいと感じてしまうことに、草太は戸惑う。
「そっか……」
 悩みは、過去にばかりあるわけじゃない。大学3年にもなれば、卒業はすぐ目の前に見えて来る。憂鬱と倦怠、まだ何者でもない自分の足元の覚束なさ。当然それは草太も同じように意識している。
「お互い、頑張らないとな」
「うん」
 口の端にケチャップをつけた桜斗の照れ臭そうな笑顔に慰められながら、草太は自身の将来の展望については語らずにおいた。

2019/12/24


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