(誰も知らない祝福のこと)


※ 番外編で誕生日ネタ。本編をお読み頂いてからの方が分かりやすい内容です。


「イスゞ、誕生日おめでとう」

弟が襖を開けたと思えば唐突にそう言うものだから、私は読んでいた巻物から顔を上げ、そのまま小首を傾げた。

「あれ、まだ日は越えてないよね。もう出るの?」
「いや、出立は朝方だ。そんなに早かったら流石に俺も着替えてるって」

苦笑を浮かべ、イズナは肩を竦める。湯上がりらしく、着ているのは確かに寛いだ寝間着だった。
私や兄は出陣前の念入りな願掛けで時間が掛かってしまうので早めに戦支度を整えることが習慣になっているが、それに比べるとイズナは準備に手間取らない。気忙しいのが苦手な私達からすれば、本当に間に合うのか?と不安になってしまう時分まで着替えていない事も儘あった。だから、もしやと思ったのだが、流石に違うらしい。

だが、朝に出るというのなら、その出立前でいいのではないか。私がそう言えば、イズナは些か決まり悪そうに目を伏せ、襖のささくれを弄っていた。

「イズナ、そんなところに立ったままだと寒いでしょ。風邪でも引くと大変だよ、こっちにおいで」
「別にいいよ、もう寝るから」
「だから今言いに来てくれたの?」
「まあ、そんなところ」

何となくではあるが、煮え切らない答えである。私は襖に随分と御執心な手を引き、半ば無理やり火鉢の前に座らせた。その手は思った通りに冷えて悴んでいる。木枠のささくれを剥がす悪戯が好きなのは昔から変わらないらしいが、何も今でなくてもいいだろうに。

隣に腰を下ろし、引いていた手をそのまま両手で包み込んだ。刀を扱うからか、イズナの手は取り分け固い。相変わらず体躯と同じように線は細いが、いつの間にか骨張って私よりも大きくなった掌。懐かしいような、淡い寂寥が控えめに心を撫でていく。
子供扱いするなと当の弟は不満げだが、半纏も羽織らずに彷徨う方が悪いだろう。それこそ分別無い幼子でもないのだから。

「身体が冷えちゃうと中々寝付けないよ。ちゃんと温まってから蒲団に入らなきゃ」
「はいはい。イスゞはいつもそればっかりだな」
「昔からイズナは冷え性だからね、心配なんだよ」

もう寝る、と言っていた割にはイズナは素直に火鉢に当たっている。矢張り寒かったに違いない。素直じゃない、と私は少し笑いそうになったが、言えば拗ねて自室へと帰ってしまうだろう。余計な事は言わない方が利口である。
神妙に口を噤むと、寄り添うような炭の熱が胸の一番深いところまで染み込んでいく心地がする。ひそやかな熱は白月が冴える夜更けにただ優しい。

ふと、庭先に咲いた梅の空薫きが香った気がした。イズナが入ってきた時に夜気と共に紛れ込んできたのだろうか。梅を愛でるならば、夜陰に隠れた花の色を思いながら香りだけを聞く方が好きである。梅の香りが溶けた夜の底は、仄かに甘く色付いているように思えるから。
今も夜の向こうではひっそりと咲いてるのだろう。そこからの空想なのかもしれない。

「庭の梅がね」
「ん?」
「毎年咲く頃になると、いつも少し嫌になるの。……どうしてだろうね、花も綺麗で香りも好きなのに」
「まあ分からないでもないな。一番寒い時期だからじゃないの」
「そうなのかな。暦ではもう春なんだけど」
「俺達が生まれた年なんて酷い雪だったんだろう。それで春だと言われてもね」

私達が生まれた日の前日、二月九日。一年で最も冷え込む時分である。雪は降っていないがその分底冷えが酷い。今夜も凍てつくような透徹した夜だった。
――二月九日。そうだ、まだ二月九日である。イズナが先程言っていたことを漸く思い出した。言いかけた言葉が舌の付け根辺りで一度留まり、私は一瞬躊躇する。また説教臭くなりそうだが、今更と思えば今更だった。

「さっきの事だけど、祝い事は前倒しにすると良くないんだ。今度から気を付けた方がいいよ」
「知ってる。前に兄さんが言ってたから」
「そっか、迷信嫌いのイズナらしいね」
「……嫌な気にさせたのなら悪かったよ」

随分としおらしい。私は取り成すように握った手に力を込めた。

「別に怒ってる訳じゃないよ。でも、兄様の誕生日には言わない方がいいかな。そういうところ少し気にし過ぎちゃうでしょ」
「嗚呼分かってる」
「折角言いに来てくれたのに、口煩くてごめんね」

気にしていない、と言う代わりにイズナはゆるく頭を振る。その横顔を見つめながら、我ながらよく言う、と心の中で自嘲していた。
――祝いなどと露ほども思っていないくせに。

何事にも不出来である私だが、一等得意と思えることが一つある。
嘘吐きなのだ。嘘が上手い方だという自覚は昔からあった。醜い嫉妬や仄暗い絶望を薄めて飲み下し、曖昧に薄ら笑いを浮かべてばかりいる。兄からも余り感情が出ないと常々言われるほどだった。もっと素直に笑ったり怒ればいい、とも。在りし日の弟のように、屈託無くある事を望まれているのかもしれない。
けれども、思うままに、感情の指し示すままに従うなど、生まれてこの方息を潜めるように生きてきた私には縁遠い。今更無理な話だった。

弔事は前倒し、慶事は先送り。よく聞く俗説である。誕生日とは生まれてきた事を祝う日だ、即ち祝い事に当たるのだろう。
だが、私にとって生まれた日とは祝われるようなものではなかった。どちらかといえば弔事として扱われるべきだった存在なのだから、前日に祈りを紡がれた方が余程似つかわしい。

ふと、握っていた手が微かに汗ばんでいることに気がついた。私は手を離し、暑かったかな、と誤魔化すように笑った。

「手、あたたかくなったね。明日は早いだろうからそろそろ寝よっか」
「……イスゞは、もう寝る?」
「まだ起きてるつもりだけど、どうしたの?」
「それなら、――」

すとん、と私の肩口にイズナは頭を預け、伺うような、いざよう声で続けた。

「イスゞが寝るまででいいから、此処にいたい」
「勿論、いいよ。ちょうどいいね、日が変わるまでは起きていようか。そうしたら私が一番におめでとうって言える」

二十四回前の二月十日。その日に私達双子は生まれた。私は生まれた日をめでたいと思った事も思われた事も無かったが、イズナは祝福されるべくして生まれてきた赤子である。皆が顔を綻ばせ、頬擦りし、喜びに目を潤ませながらこの世に生まれてきてくれた事を歓迎する。双子の弟にとってそれは疑う事もなく当たり前に行われてきた事だっただろう。零れ落ちた私はただ隣で眺めているだけだった。

昔から、二月十日が一年で最も嫌いな日だ。堪らなく惨めで一番醜くなる日だから。
誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう、と最愛であるべき弟を祝う時、私の胸中は酷く淀む。
――お前はいいね、皆に祝福されて。生まれて来なければ良かったなんて言われなかったでしょう。
生まれて来なかった方が良かったなんて、一度も思ったことはないんだろうから。
そう睨みながら寿ぐ言葉は、果たして祝いと言えるのだろうか。――とてもではないが思えない。

折合いを付けて息を潜めて生きてきた筈ではあるが、未だにこの時期になると拭えぬ染みのように顔を出す。だからこそ、イズナが続けた言葉に少し眉を顰めた。

「毎年、この日になると思うんだ」
「なにを?」
「二月九日が俺にとって一番幸せだった最後の日だったのか、そんな下らない事をさ」
「……どういうこと?」
「今日が永遠に続けば、イスゞと俺はずっと一緒だった。生まれ落ちてしまったから、こんな風に離れてしまったけど。
だから、あのまま生まれて来なければ良かったのかって」
「イズナ、」

私は身体を離し、低く名前を呼んだ。
選りに選って私とは正反対だった弟がそう宣うなど、流石に心中穏やかではない。いくらなんでも質が悪いだろう。お前が抱える生き辛さなんて知ったことか、私に比べたら――、と薄め切れない妬気を打つけたい衝動に駆られた。思わず眉間に力が籠る。
イズナが顔を上げる。珍しい顔、薄笑いよりその方がいい、と半ば強がるように笑いながら、焦燥を滲ませ揺らぐ虹彩と視線が重なった。

「そう睨むなよ、下らない事だって言っただろ。単なる気の迷いだ」
「……それでも駄目だよ。兄様が聞いたらきっと悲しむ」
「兄さんはそうだろう。ならイスゞは?」
「私だって勿論、――」

半端に言葉が途切れたのは、イズナの指が頬に触れたからだった。寒気がする程に熱を孕んだ指の背が頬を撫で下ろす。炙られているかのようだ。そのまま頭の後ろへと手が滑り、今度は火照る吐息が当たっていた。
くう、と。引き攣るように頬が強張る。
いつの間にか、怒りが怖れに変わっているのを自覚する。咄嗟に身を捩ったが、向けた背中ごと覆い被さるように抱き竦められた。遠慮無く絡み付く二本の腕。首筋を擽る頬の温度。
昔から、何か不満があれば私や兄の背中へ無邪気に抱き着き、強請り声でせがむのが弟の習いである。甘やかされた末弟特有の我儘だ。あどけない戯れにも似たそれが、今は酷く心を騒つかせる。

「……急にどうしたの。重いよ、少し離れて」
「姉さん。誕生日祝いの一つくらい、くれたっていいんじゃないのか」

どうしてこういう時に限って、イズナはその呼称で呼ぶのだろう。姉さん、と。じゃれつくような甘えた響きは、昔から曖昧な私の存在意義を意図して定めてくれるようで救われることもあれば、こういった場で呼ばれると、その立場を自覚した上でも捨てきれない業なのだと悍ましくも感じていた。
止めてくれ、と。その一言を言ってしまうと何もかもを認めてしまう気がして、私はいつも言えずにいる。たった五文字の音は今も息を殺して胸で閊えているだけだ。
知らないふりをして、生きていきたい。
目を瞑り、怯える鼓膜を守るように耳を塞ぐ。昔から変わらない私の常套手段だ。見事逃げおおせるのでもなく、まして立ち向かうでもない。ただ卑屈に蹲り、自分を慰めているだけ。完璧である弟と似ても似つかない、惨めで矮小な自分を一等自覚するのもこの瞬間だった。

燈る熱にただ顔を背けた。弟も決して軽率な訳ではない。いい加減、そろそろ切り替えさせなければ。

「後で渡そうと思ってたんだけど、揃いの髪紐を買ってあるんだ。イズナのは好きな青色、きっと似合うよ。そうだ、明日の出陣前に結ってあげる」
「……そんな子供騙し。イスゞはいつもそうだ、俺が本当に欲しいのくらい分かるだろ」
「酷いね、折角選んだのに」
「そうやって雑にはぐらかしてばかりのイスゞの方が、余程酷いと思うけどね」

今日のイズナは随分としつこい。普段はこれほど粘る事もないのだが。
――なんだか酷く億劫だ。我ながら珍しいとどこか他人事のように思いながら、苛立ちを隠そうともせず舌を鳴らした。

「イズナは昔から欲しいものは何でも貰ってたから、そんな風に我儘ばかり言っちゃうんだね。私も甘やかし過ぎたかな。
普通はね、欲しいものなんてそうそう手に入らないものなんだよ。たった一つきりでしょ、そのくらいの我慢も出来ないの?」
「よく言うよ。そのたった一つがどれだけ俺を苦しめるか、どうせイスゞは見向きもしないくせに」

顔を背けているのだから表情は窺い知れない。だが、泣き笑いのように歪んでいる事だけは分かっていた。

「俺が一番欲しいものは、この先何度歳を重ねて祝われようと絶対に手に入らない。他には何もいらないって望んでもね。だから、これくらいは許してくれ」

剥き出しのうなじに一瞬の熱が疾る。ただ、それだけで唇はすぐに離れていった。
イズナはそれ以上深追いしようとはせず、また肩へと頭を預ける。今更振り払う事も無意味に感じ、ただ燻る炭を見つめていた。

「これだけでも満足すべきだと分かってるけど、たまに酷く残酷だと思う時がある。いっそ突き放してくれたら楽なのにな。……流石に勝手が過ぎるか」

独り言のようにささやかな声でイズナが呟いていた。残酷なのだと弟は謗るが、私はそうとしか生きられなかっただけである。良い姉として、仮初の母として。それ以外の生き方など与えられてはいなかった。例えいくら憎かろうが弟から背を向けるなど許されないのだ。生皮に縫い付けるように否応無く押し付けられた生き方を恨むなら、その方が残酷だと思わずにいられない。

「でも、イズナの我儘は昔からだからね。無茶なおねだりにもとっくに慣れたよ」
「……だろうね」
「次の誕生日祝いには、思いっきり引っ叩いてでもあげようか?」
「そうだな、それがいい」

きっと、イズナは全てに気付いているのだろう。何事にも優れている弟が、私よりも嘘を吐くのが上手なのだと思えるのは至極自然な事だ。私が抱える仄暗い毒をも飲み込んで、それでも諦め切れずに健気な弟として隣で生きている。
それが自業自得と思えたならば楽なのか。愚かだとは思う。だが、矢張り酷く哀れでもあった。

軽く目を瞑り、首を傾けてイズナの頭に寄り掛かる。互いに押し付け合うような格好になった。

「明日なんて、来なければいいのに」
「イスゞ?」
「多分、二十四年前の今頃は私もそう思っていたんだよ。もう忘れちゃったけどね」
「へえ……。良い子ちゃんのイスゞがそんな我儘を言うなんて信じられないけどな」
「そんな事ないよ、私だって生まれた時は駄々を捏ねて散々泣いたんだから」

まさか同じだとは思わなかったが、それは偽り無い本心だった。あのまま十月十日が過ぎても揺蕩い続けていられたのなら、と私は今まで何度思っただろう。イズナとたった二人きり、現から最も縁遠い私達だけの海の底で。母の胎内では私達は平等だったのだ。灼け付く嫉妬も愛憎も何も無く、ただ身を寄せ合って静かに眠りたい。もしも叶うならば、それが得難く幸せだった。
生まれて来てしまったから、今の私達はこんなにも苦しんでいる。此処が地獄であるのなら、あの時共に通った産道は黄泉へと続く坂だったのだろう。だからこそ、二月十日は忌むべき日だと思ってしまうのだ。

――それでも、やっぱり私はイズナが羨ましい。どれも手に入らないのが当たり前だから、今更苦しくもないだけなのに。
何も得られなかった私には、何もかもが与えられているのに一番求めるものが決して手に入らない惨痛など分かる筈もない。もどかしさなのだろうか、随分と贅沢な悩みだと鼻白む。
せめて、少しくらい懲らしめても罰は当たらないだろう。

「イズナ、」

呼び掛けるままに跨げた顔に唇を寄せる。頬に手を重ね、啄むように口付けた。私より少しだけ厚い、やわらかな唇は微かに凍えていた。

「誕生日おめでとう」
「……縁起が悪いんじゃなかったっけ」
「だから、かな。酷くしてほしいって言ったでしょ」
「嗚呼ほんと酷いね、このまま死にたいくらいだ」

冷酷な私は突き放したりなんてしてやらないから、こうやって痛ぶるように弟を永劫甘やかすのだろう。
愚かなお前が自分で見切りを付けない限り、例え悶え苦しむと知っていても。ぬるい熱で包み込んで、じりじりと奥深くまで皮膚の底を焦がし続けてあげるね。

体重を預けられ、受け止めた身体はそのまま行燈の光さえ届かない影に沈む。二つの身体を縫い付ける様に、痛いほどの力で抱き締める腕はこの際放っておこう。溺れるほどに胸が苦しいのは、きっとその手が強過ぎる所為だから。

嗚呼まったく息苦しい。あの微温湯の中ではもっと上手に呼吸が出来たのに。これほど息が詰まるなら、いっそ一思いにこの口を塞いでくれた方が楽になるのだろうか。
いつもは聞き分けのない弟をあやす手も今日だけは止まったまま。ただ応えるようにイズナの首へと回し、抱き締め返しているだけの腑抜けになってしまっていた。

生まれた頃なら仲の良い姉弟として何も可笑しくない筈なのに、今となっては差し詰め恋人同士のようにでも見えるのかもしれない。
つくづく馬鹿げた話だと、私は笑うことすら出来なかった。

「姉さん、他には何もいらない。……だから、もうしばらくだけ。あと少しでいい、せめてこのままでいさせてくれ」
「……うん、明日が来るまでは」

真冬の夜はもう随分更けている。私達が分たれた日は、すぐそこまで迫っていた。


(2021/02/10)


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