花と水面に漂うようだから



白い壁に移ろう淡い日の光が、ここに到着して随分時間が経ったことを知らせる。不死川は都内の大きな病院に足を運んでいた。用事がある病室には先客がいるらしい。不死川はタイミングが悪かったと腕を組み壁に寄りかかり、不機嫌そうに顔を顰めた。人差し指でトントンと何度も腕を叩き、苛つきを抑えているところで磨り硝子に人影が映りこむ。

ワイシャツ姿の男が二人、病室から出てきたことを確認すると不死川は小さく頭を下げた。彼らは不死川に労いの言葉をかけると廊下をまっすぐに歩いていく。その背中がやっと角を曲がり消えると、漸く病室の扉を数回叩いた。どうぞ、と感情を籠っていないような声が聞こえ、静かに扉を開ける。

部屋の中は微かに消毒液と石鹸の匂いがした。カーテンを閉め切っているせいで、昼下がりでも薄暗い室内はどこか哀愁に満ちている。

「不死川さん…」

彼が来るとは思っていなかったのだろう。碓氷はベッドの背部を起こした状態でこちらに顔を向けた。クリーム色の薄っぺらい病衣の袖から覗く腕は、やはりほっそりとしていて色白で、少しでも力を入れて掴んだだけで折れそうな印象を与える。彼女は少し驚いたように目を見開いた後、あからさまに視線を逸らした。その態度に不死川は眉間に皺を寄せる。

「もう平気なのか」

「は、い。不死川さんが上着を被せてくれたおかげで、目立った火傷もなく」

ちらり、碓氷が横目で彼を見遣る。きっと腕の傷を確認しているのだろうと容易く想像がついた。あの火事からちょうど半日が経っていた。

「先ほど刑事さんがいらして、私の話を聞いたら事件性のあるものかもしれないと」

明日詳しく報告を受けると思いますが、と碓氷が続ける。昨晩嘴平が言いかけていた " 不審な男 " のことだろうとは予想がついた。きっとその男が放火の犯人だということも。だが、今彼女の口から不死川が聞きたいのは事件の真相ことではない。彼の不機嫌な様子に勘づいたのか、彼女はシーツの上で指先を遊ばせていた。

「あの、」

彼女がシーツを握り締め、意を決したように不死川に視線を向ける。だが、少し怯えた様子で彼の顔を見ると眼球は揺れ右下へと落ちる。それの繰り返しだった。

「ごめんなさい、私…昨日はどうかしてました」

「…」

「助けてくださって、ありがとうございます」

不死川の返答を待つが、彼は依然として口を開けることはない。まだ怒っている、とでも思っているのだろう、碓氷は苦笑しながらも今度はしっかりと彼の腕に巻かれた包帯を見る。

「怪我、させてしまいましたね…財産になるものは全て燃えてしまって、お返しできるものなんてないんですが、私が出来ることならなんでもします」

反応のないことに不安を覚えたのか、彼女があの、とおずおずと返答を促す。
その様子に漸く不死川が、はぁーっと大袈裟に溜息を吐き、ゆっくりとベッドサイドへと近づいた。そして彼女の頭に手のひらを近づける。彼女が唇をきゅっと硬く結び、咄嗟に目を瞑った。彼は彼女のその様子に小さく息を吐くと、親指と中指で輪っかを作り、ぺちん、とおでこを弾く。

「い、痛っ!」

突然のことに目を丸くして片手で額を覆う。漸く彼女と目が合うと、不死川は安心したように微笑んだ。

「ばーか、こんなもんかすり傷だ。それより嫁入り前の女が簡単になんでもします、なんて言うんじゃねェよ」

不死川の言葉に彼女も呆けた表情から少しずつ口角を上げ、ゆるゆると笑った。

「反省してんならいい。もうあんな無茶すんなよォ」

「はい…!」

不死川は気が済んだのか、不機嫌そうな雰囲気が少しだけ柔んでいた。体を起こし、病室を見渡す。

「これからどうする気だ?」

病室に置かれている彼女の荷物は家事当日に着ていた煤けた洋服くらいだ。あの植物園が自宅と隣接していたせいで、彼女は帰る場所を無くしてしまった。

「…そうですね、アパートが見つかるまで、ビジネスホテルにでも泊まろうかと思ってます」

「…そうかい」

不死川の返事を最後に二人の間には沈黙が流れる。彼女も何を話したらいいのかわからない様子で、そわそわと視線を彷徨わせていた。数秒して、あのよ、と不死川が後頭部を掻きながら歯切れ悪く話し出す。

「アパートが見つかるまで、俺の家くるか?」



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