お庭の花よ、永遠なれ
第一章 祝福の春風吹いて
「私がフェリクスくんに恋することはないですから」
「――え、何で……」
茫然としたシルヴァンくんの声を聞き、彼の耳から顔を離してうかがったその男前な面の呆気にとられているのを認め、やっぱりそうだったか、と私は安心する。彼がもしも私利私欲のために私を口説いていたなら、とことん彼を突っぱねてやらないといけないところだったからだ。
いや、私だって、できることなら色恋というものを体験してみたかった。何なら一昔前までは、自分は少しばかり尋常ではない力と身体を持っているだけの普通の人間だから、誰かとの恋愛だって楽しめるに違いない、と本気で信じて疑っていなかった。けれども本当に、私という存在が他人と恋に落ちることは不可能なのだ。過去に私の憧れに付き合わせてしまった老若男女に、時間を浪費させたことを土下座して謝罪したいくらいには。
だったら変に期待させるよりもバッサリ振ってあげた方が、相手のためにもなるだろう。そういう考えのために、私はシルヴァンくんの言動の真意を知る必要があったのだ。そして彼は、何も自分のためではなく、彼の友人であるフェリクスくんのために、自身の名に傷が付くことも覚悟で、こんなにも目立つ行動を取っていた。
もちろんちゃらんぽらんではあるのだろうけれど、そんなシルヴァンくんの根っこに幼馴染みへの思いがあることを学んで、私は彼の人となりをちょっとは理解できた気がした。そうして心に温もりを感じながら再び彼の双眼を覗いてみると、そこには不気味な空白なんて見受けられず、ただ綺麗な薄茶色が僅かに光を反射しているだけだった。
「ふふ。シルヴァンくんって、何だかお兄ちゃんみたい――ですね」
安堵の余りに口調を崩しかけたけれど、笑みを以て私は素直にシルヴァンくんの印象を告げた。すると彼も、困ったような笑みを浮かべてはいたけれど、「ヴィオラさんは……不思議な人ですよ」と私をたとえてくれた。
「俺なんかじゃ、到底理解できない」
しかしながら、続け様にシルヴァンくんの放ったこの言葉を耳にして、まさか彼が自分にとって少し嫌な部分――誰も持たない力を持っていること、誰もが持つ恋心を持っていないこと――の図星を突いてくるとは思わなくて、私は心臓を掴まれたような気分に陥る。それからすぐに、今まで人々から散々浴びせられてきた罵詈雑言――『あなたは人間じゃないのよ!』『お前みたいな化け物は死んでしまえ!』――が脳裏を掠め、しかしそれが自業自得であることから、私は思わず自嘲っぽく笑ってしまった。
「……あはは。そんなことないって言いたいところですけど、確かに、そうかもしれませんね」
世間の常識通りに生きていけたら、どんなに良かったろうか。今まで出会った人たちと同じ構造をした人間だったら、どんなに良かったろうか。せめて、私と同じ力を持った人が一人でもいてくれたら、どんなに良かったろうか。
「……ヴィオラさん、あんた――」
――ああいや、こんな叶いもしない願望たちは、疾っくのとうにぐしゃぐしゃに丸めて、大広間と大聖堂の間を架かる橋の上から、深い谷底めがけて捨ててしまったのだった。
「だって、シルヴァンくんは私以外の女の子のことで頭がいっぱいなんでしょう?」
何とかハリボテの笑顔を添えて、植物たちの記憶の中でフェリクスくんの話していたことを冗談みたく口にすれば、シルヴァンくんはその、何でそんな顔をするんですか、と私に問おうとしていただろう口を「――なっ、い、いやいや〜、そんな訳ないじゃないですか! 俺はさっきからずっとヴィオラさんのことで頭がいっぱいですよ」というおちゃらけたものへと変えてくれた。そんな彼の調子の良さに、私のことを好いている訳ではないのによくやるなあと呆れ笑いを零しつつ、私は胸を撫で下ろす。今もし彼に理由を尋ねられれば、誤魔化せたかどうか分からないから。
それにしても、捨てたはずの願いが今になって蘇ってくるなんて……私はどうやらトラウマを克服し切れていなかったらしい。が、まあ今は置いておこう。私の都合のためにこの場を辛気臭さで包むのは、全く以て本意ではない。何せ、今日は士官学校の新入生たちの門出を祝うためにあるのだ。そして私は、そんな一日を陰で支えるために、今ここに立っているのだから。
丁度、私の心の立ち直ろうかといったところで、ディミトリくんの「あの、ヴィオラさん」と遠慮気味に私を呼ぶ声が聞こえた。すぐさまそちらに顔を向けて、彼のまるで親の機嫌をうかがう子どものように心配そうな両目と視線を交わし、私は察する。
「あ、ごめんなさい。そろそろ点呼を再開しないとですよね。ディミトリくん、ありがとうございます」
「……いえ。私は何も言っていませんから」
私の謝罪とお礼に対し、ディミトリくんは控えめに、けれどもどこか嬉しそうに微笑んだ。それから彼はシルヴァンくんに「ほら、シルヴァン。戻るぞ」と目配せして、宛らシルヴァンくんの父もしくは叔父辺りの貫禄を漂わせながら集団の中に戻っていった。それにシルヴァンくんは「分かりましたよ、殿下」と頷いて、遂に私に背を向ける。
「……あ、そうだ。ヴィオラさん」
シルヴァンくんはディミトリくんのことを殿下と呼ぶのか。そんなことを考えていた私の元に、再び呼び声が掛かった――最早聞き慣れてしまったシルヴァンくんの男盛りな声だ。まだ何かあるのかと思いながら「何ですか?」と彼に問うと、彼は今しがた向こうを向いたばかりなのに、わざわざこちらを振り返って今聞かなくてもいいことを聞いてきた。
「お誘いの返事、まだもらえてなかったと思って。どうです? 俺と二人で、お茶しません?」
私は察知した。シルヴァンくんがいよいよフェリクスくんのためではなく、シルヴァンくん自身のために言ってきたのを。まあ、多分さっきの私の様子が気になったからだろうけれど。しかし、それなら尚更この話を受ける訳にはいかない。
「お誘いは嬉しいですけど、お断りしますね」
「そ、そんなあ……」シルヴァンくんは項垂れた。
「ごめんなさい。またいつか、お茶しましょう?」
そんな風に明らかなご機嫌取りをしてみると、しかしシルヴァンくんは「っ! よっしゃ! 絶対ですよ!」と、植物たちの記憶の中で見たカスパルくんと同じようなテンションで喜んだ。それに私が「はい」と微笑みを湛えれば、彼は意気揚々と、漸く集団の中に紛れていくのだった。