お庭の花よ、永遠なれ
序章 ガルグ=マクの庭師
目の前で起こった一瞬の出来事に、それまで遊ぶためにあると思っていた力の恐ろしい具現の仕方に、わたしは絶句した。パチパチと火花の弾ける音や、虫たちの鈴のような音色が再び夜の森を支配する。ふと残りの二人に目を遣ると、彼らも同様に固まっていた。きっと余りに急過ぎる展開に何も為す術がなかったのだろう、口をだらしなく開け、呆然と、ただ彼の形をした蔦の塊を見つめている。
寸刻が経って、一人がハッと我に返った。彼は「お、おい……カルト……おい」と、わたしのことなんてお構いなしに、カルトと呼ばれた蔦男の元に近付いていく。無論、蔦に巻かれた彼が返事することはない。
「っ……大丈夫だ、今、助けてやるから……」
男は無返答の意味する所に辿り着きたくないのか、最早心ここにあらずといった様子で、懐からそろりとナイフを取り出した。わたしに背を向けるように立っているため表情は見えないが、その手は僅かに震えている。
そこでわたしは気付いた。彼が成そうとしていることに。
「だめ……」
何とか彼を止めようと、必死に声を絞り出す。けれども彼には最早、わたしの声など届いていなかった。意を決したようにそれを振り上げると、きらりと刃先が月光に煌めく。そして――。
「やめて!!」
ザクッ。
わたしの叫び声が森中に響き渡ると同時に突き刺されたのは、蔦ではない。ナイフ男の方だった。
「……かはっ」
鋭く尖った太い幹に心臓を貫かれ、彼は思い切り大量の鮮血を吐き出した。途端に力を失った手から、するりとナイフが滑り落ちる。真っ逆さまに落下したそれは、落ち葉の絨毯にカサリと音を立てて動きを止めた。そして何という惨たらしさか、彼の体の損傷部分から幹を伝って地面に零れ落ちていく液体は月の光によって鈍く色付き、彼が吐き出した血もまた、蔦の形をした彼を赤黒く染めてしまったのだった。
幹に体を貫かれ、腕や首をだらんと垂らしている男。血塗られてしまった、蔦まみれの男。二人は確実に、既に、死んでいた。
わたしは悪夢でも見ているのか。否、悪夢で済むならどれほど気が休まっただろう。凄惨という言葉では片付けられないこの状況に、最早わたしは涙の出し方も同情の仕方も忘れてしまっていた。
そして、無情にも最後の現実はやってくる。
「ははっ」
今までずっと放心していた男の笑う声が聞こえた。本来なら困惑したいところだけれど、もうわたしは戸惑い方も忘れてしまっていて、ただただ機械的にゆっくりとそちらへ顔を向ける。
彼はこちらを一瞥もせず、もう一度「はははっ!」と笑った。何も作り笑いではない。本当に笑ったのだ。
そこから彼は堰を切ったように笑い出した。
「ははっ、ははははっ! はははははっ!」
ケタケタと腹を抱えて笑うその様は、壊れたぜんまい仕掛けの人形そのものだった。嫌な予感がして、わたしの心は再び動き出す――恐怖。逃げなければ。逃げなければ! そうでなければ、また。されども未だに動けずにいるわたしを他所に、彼はぜんまいが徐々に回転を遅めるのと同じように、ゆっくりと笑いを乾いたものへ変えていった。
「はははっ、はは、は、は……っ」
やがて笑いは、涙に変わる。
「うっ、くっ、ううぅっ! カルト……! フォイアス……! うあぁあああああ!!!」
彼は一頻り泣き叫んだ。項垂れた男を、蔦に覆われた男をこの世に繋ぎ止めようと、必死に。けれども辺りに蔓延る異臭が、何より目の前に広がる光景が、それが無意味であることを物語っていた。
元より彼も分かっていたのだろう、もう彼らの息を吹き返すことがないことを。それでも流れた涙を、悲しみを吹っ切るように彼は腕で拭い、先程とはまるで別人のような涼んだ表情を浮かべた。蒼月が、その強い意志を持った瞳を青く輝かせる。直後、そろそろ潰えようとしていた炎が遂に消え、生き物たちの声も森の息も、パタリと止んでしまった。
今、わたしの耳には自身の心拍音と呼吸音だけが聞こえている。この尋常ではない状況に、全く以って脳の処理が追い付かない――これから一体何が起こるのか。ただじっと彼を見ることしかできないでいると、彼は静かに顔をこちらに向けた。先に強い意志と称した、その瞳に込められていた感情の正体に、わたしは思わず息を詰まらせる。
「……殺す」
その言葉を彼が口にした瞬間、全身が粟立つのを感じた。駄目だ。その瞳に、憎悪に、呑み込まれる。
「殺してやる……お前を、今すぐに」
彼は鞘に納めていた剣を抜き、瞬く間にわたしの首筋に先をあてがった。そこから徐々に伝わってくる刃の冷たさに、わたしの体はぶるりと戦慄く。されども剣先は容赦なく首の皮に食い込んでいった。
殺される、と思った。本当にこの人はわたしを殺す気なのだと思った。それでもやはり恐怖のせいで、わたしの体は動かない。
直後、ピリッ、と小さな痛みが走った。血が出たのかは分からない。けれどもその痛みが、わたしを死の恐怖へと突き落とす。
「いやだ、やめて、ころさないで」
無の表情で、最早何の感情も宿さない瞳で、彼はこちらを見下ろしていた。そして、わたしの声が聞こえていながらわざとそうしたのだろう、片手で握っていた柄にもう片方の手が添えられて、ギュッと力が込められる。彼は静かに構えを取った。
わたしは察した。ああ、本当に死ぬのだ、と。
「――死ね」
そう呟いて、紫電一閃。
わたしは死んだのだろう。意識が無くなる直前に見た朧月は青白く世界を照らしていて、綺麗だ、なんて呑気に思った。