艶やかな漆の髪、宝石の如き輝きの紫水晶。
最初に見た時はとても出来の良い東方風の人形かと思ったぐらいに、浮世離れした人だった。
けれどその人は少女を見て、すぐさまヨルグ・ローゼンベルクの胸ぐらを掴み思いっきり揺すぶり始めた。
『じじい!!!こんな幼い子に何したわけ?!?!』
『わしではないノバルティスの奴だ、揺するな!』
『あのくそキノコ頭が!!!』
苛烈で激情的。ころころと感情が揺れ動くような人。その有様は人形とは違っていた。
『っと、ごめん驚かせちゃったね。私はアヤメ、ここで針子の仕事をやってるの。お嬢さんのお名前は?』
『うふふ、レンよ。……お姉さんファミリーネームはないのかしら?』
『捨てちゃった。立ち話もなんだし奥に行って座って話そっか。』
あっけからんと、そんなものは最初から無かったように言い捨てた目の前の女性に驚きながらも。
身を屈めて差し伸べられた掌に彼女の手を乗せて。
良く覚えている。
手の温もりを、抱きしめてくれる優しさを、惜しむことなく与えてくれた愛情を。
どうしてそんなに、与えるばかりで求めないのかと聞いたことがある。
何処か困ったような、困惑したレンの顔を見て。アヤメは優しくレンの瞳を見てーーーレンを見ながら誰かを思い出すように。
『私も惜しむことなく愛を貰ったからかな。夜に流れる星のような人、あの人に誇れる自分で居たいから。』
問答無用でヴァンに寝かしつけられて、彼が明日に仕事を終わらせて帰ってくるその日に。
導力ネットで取り寄せた山程の煌都風の伝統衣装の本を読み漁ってたその日に突然訪ねてきた来訪者に彼女は目を丸くした。
アヤメにとってその少女の印象は、幼い頃のままだった。
肩までだったふわ、とした髪はまるで絹のような滑らかさで腰まで届いている。
少女からしっかりとした年端のレディに成長したレンを見て、出迎えた彼女はポカンとしてしまった。
「ふふ、久しぶりねアヤメ。」
「レン……?!久しぶり、共和国に来てたなんて。」
「私の方が驚いたわ。貴女あんまり東側には行きたくないって言ってたもの。」
「あ〜言ってたね……。本当はすぐ離れる予定だったんだけどじじいが目付け役を付けてくれたお蔭で転居出来なくなって……。」
「貴女のワーカーホリックが原因でしょう?だったらしょうがないわ。」
集中すると何も見えなくなるんだもの。
レンの呆れたような物言いに困ったように頬を掻いて、はは、と軽く笑う。
身を屈めることこそなかったがいつもと同じように掌を差し出して。
それを懐かしそうにしながら、乗せられた大きくなった手を軽く握り締める。
連れられて入ったレンは今の彼女の作業室を見てーーー思わず吹き出してしまう。
まさしく修羅場と言ってしまってもいい程にとっ散らかった部屋。
散乱する布と鋏、読みかけの本は開いたまま床に放り投げられてあるし、閉じてる本はそれこそ山のように積まれている。
デザインを描き殴った紙も至る所に散らばっており、マネキンもあっちこっちに置かれていた。
「お片付け、手伝った方がいい?」
「あ〜〜〜作業してない時はちゃんと片付けてるんだけどな〜〜〜!!!」
これもそれも、雇い主の地獄の依頼をこなしたまま次のインスピレーションに突き動かされるように取り掛かってしまった為の顛末。
レンに情けない場面を見られてしまってアヤメは思わず肩を落とした。
ヴァンに見られるのとレンに見られるのでは訳が違う。ダメージが大きいのは圧倒的に後者の方だ。
「工房だとドールが全部片付けてくれてたから……作業しながら片付けるの無理……。」 「便利さの弊害ねぇ。流石のお爺さんもアヤメにここまで生活力が無いとは思わなかったんでしょうけど。」
「うう……ヴァンに言われても全然痛くも痒くもなかったけど、レンにこの惨状を見られ続けるのは無理……しっかり片付けるようにしなきゃ……。」
「冷蔵庫は何処かしら?とりあえずケーキを入れて私も片付けを手伝うわ。この状態だとお茶会も楽しめないもの。」
「あることはあるけど……全然使ってないから動いてるかどうか……。」
「…………。貴女、食事は?」
「最近栄養が一杯詰まってるゼリーあるでしょ?ここ最近はそればっかり、水分も取れて百点満点。偶にシノの所でお酒入れたりはするけどってあいたたたたたた!!」
レンは笑顔で思いっきり彼女の頬を抓り上げる。
この様子だと冷蔵庫も恐らくヴァンに叱り飛ばされて渋々購入したものだろうと当たりをつけるが、まさしくレンが考えてる通りなわけで。
「針子として優秀でも生活力が無さすぎだわ。自炊しなさいとまでは言わないけれどせめて出前か外食ぐらいは取るようにしなさい。」
「でも別に困っては……いや、はい。解りました。善処します……。」
何か否定的なことを言おうとするが、レンの凄みの効いた笑みの前では勝ち目はなく。
すぐさまに白旗を上げたアヤメを見た彼女は困った人、と言葉を残して冷蔵庫があるはずであろう場所に向かって歩いていく。
抓られた頬を撫でながら、奥に向かっていくレンの後ろ姿を見る。頬は痛いままだが、それでも自然に笑みは溢れた。
迷子の仔猫のような少女が立派な淑女に成長したのを見るのは嬉しく、そして誇らしい。
ーーー脳裏に煌めき方を変える赤い髪が過ぎる。彼女もまた、あの人にそう思ってもらえるような生き方を、成長を出来てるだろうか。
やはり多少はこの生活習慣をどうにかしなければならないかも知れない。そんな事を思いながら散らかった部屋の片付けに着手していく。
そうしてレンと協力しながらなんとか部屋は片付き、綺麗にしたテーブルの上には一口サイズの可愛らしいプチフール。
一つを満足に食べるのではなく小さなサイズで好きな種類を沢山楽しめる、色とりどりのケーキはまるで宝石箱のようだった。
本来であれば差し入れ先でもあるアヤメが一番最初に選ぶべきなのだろうが、けれど彼女はそんな素振りは見せず。
レンが一番好きなものを一番最初に選ぶように、そう言われた彼女はほんの少し不服そうに、けれど好きなものを選んで皿に移した。
「ほんと、貴女は私を甘やかすのが好きね。」
「しょうがないでしょう?可愛いんだから。…………それにしてもアラミスの生徒会長とは、ほんとに立派になったね。」
「生徒会長は私も想定外っていうか成り行きっていうか……。」
カップを傾けながら、先程の喧騒はどこにやら、落ち着いた空気が流れているのを感じる。
幼い頃も所作は完璧だったが歳を重ねるごとに洗練され、美しさは際立ち。
それでもやはり彼女にとっては可愛い妹分であることに違いはない。
濃い緑色のプチフールに手を伸ばしながら、口に放り込んでーーー。
遠い昔に味わった独特の風味に眉を顰める。
「ーーー抹茶?」
確かにやけに濃い緑色だとは思った。けれど精々ピスタチオかキウイか着色料かそこら辺りだろうと思って頬張った。
何せ極東の入り口、龍來ぐらいしか抹茶の甘味を扱ってなかったと思って居ただけに油断した。
どれだけ甘くしていても本質までは押し殺していない、舌に残る苦味と渋味。
思った以上に、いや、少なくともレンには一度たりとも聞かせていない程の低い声音が口から出てしまった。
声音に混ざったのは不快感と、嫌悪。
それを耳にしたレンは驚いて顔を上げる。
「アヤメ……?」
苦味と渋味を消すために、紅茶を口に含み、飲み干す。
けれど独特の風味は消えるはずもなく。
「ーーー。」
まっず、と喉の先まで出かかった言葉をなんとか押し殺して。
その苦味と渋味は、次にその匂いを思い出させ、奥に封じ込めてた思い出したくもない記憶まで刺激する。
星すら見えない夜更け、深い竹林、喧しい足音、痛みを訴える傷だらけの体、息を吸うのも、吐くのも、苦しい中。
ああ、ここまでだと。けれどここで命が潰えるならそれもそれでいいかも知れないと。
誰一人にも声は届くはずはなく、助けてとその4文字すら言える口すらなく。諦めて崩れ落ちた時。
倒れ込んだ幼い体が地面に衝突する前に抱き止めてくれた、暗闇に良く映える赤い髪。ボロボロで、息を切らして、駆け寄って、大丈夫かと、言ってくれた人。
星一つ見えなかったあの夜に、しかし彼女の目の前で確かに赤い星が瞬いた。
思い出したくない記憶を思い出した時に、必ずそこに現れる狡い人。
その星が過ぎると、思い出したくない記憶に心の臓を掴まれたヒヤリとした息苦しい感情は解けるように溶けていく。
ーーーこんなに会いたいと再会を願っても一つも姿を現してはくれない、まさしく流れ星その物のような人。
「驚いた、これ抹茶でしょ?私抹茶アレルギーなのよね。」
「嘘、貴女アレルギーなんか無いって言ってたじゃない。」
「抹茶なんて龍來ぐらいしか取り扱ってないでしょ。言う必要もなかったの。」
「…………。……そう、私には、話せないのね。」
誤魔化すように言うアヤメに対してレンは少し俯き、カップを強く握る。
ほんの少し震えた指先に罪悪感を覚えた彼女は身を乗り出して柔らかい髪を撫で付ける。
「でもレン、なんとなく察してるんでしょう。」
「……貴女の風貌が、東方というよりも、もっと、もっと東……それこそ極東出身みたいだとは思ったことはあるわ。」
「うん、だから言えない。何がフラグになるか解らないから口にも出来ない。」
そもそもじじいに雇われる前の居場所なんて欠片一つ思い出したくないしね。
吐き捨てるように言ったアヤメに対して、レンは撫でられている腕を取り、その手を両手で掴んで、どこか祈るようにレンの頬に添える。
軽く吐いた一息、瞼を閉じて、開いて。
「レンが守るわ。」
「!」
「“流星”の代わりになれるなんて思ってないけど、レンだってアヤメから貰ってばかりだもの。今なら、守れるだけの知識も、力もあるわ。」
「レン、でも、それは……。」
「ヴァンさんだって、貴女に何かあれば黙ってないわ。お爺さんも自分の従業員を手放す事もしないだろうし。」
「貴女が何に怯えてるなんか知らないし、素っ気無いけど何も言わなくて構わない。でも、レンはレンで。恩を返すわ。」
心地いい声音が祈るように言う。
「貴女が“流星”に強い恩義を感じているのと、きっと同じくらい、レンも思ってるの。」
キラキラと、眩しいものを見るような眼差し。
その眼差しは確かに彼女自身、あの人に向けた眼差しにどこか似ていた。
そしてそれが届かない虚しさも寂しさも身を持って知っている。
ーーーその眼差しを受け止めることが出来ない苦しさを、今アヤメが感じている罪悪感を、あの人も感じていたのだろうか。
アヤメは深いため息を吐きながら、困ったように笑った。
どっちの気持ちも、解ってしまったような気分になるような日が来るなんて思いもしなかった。
「ーーー勝手にしなさい。」
「! ふふ、ええ。勿論勝手にさせてもらうわ。」
言葉のそっけなさとは裏腹に、諦めたように笑うアヤメにレンも安堵したような笑みを浮かべる。
最後に甘えるように握っている手に擦り寄って、その指を解いた。
解放された手を戻す前にアヤメは柔らかいその頬を優しく撫でつけて、最後にもう一度頭を撫でて。
「ねぇアヤメ。こっちのプチフールはガナッシュと生クリーム、バナナが添えられてるの。お一つ如何?」
「うん、美味しそう。紅茶のおかわりもお願いしてもいい?」
夕暮れの紅茶を傾けて
(ところでアヤメ、合鍵を貰ってもいいかしら?)
(え?!別にいいけど何で?!)
(貴女野たれ死んでそうで怖いのよね。ヴァンさんが不在の時は私が顔を覗きに来るわ。)
(生活力の無さの弊害……!!)
2022/9/10
トップページへ