何度だって呼んでくれ

夏と言えども、夕方は日が陰り過ごしやすい気温となる。
無事にエアコンが設置された本丸だが、夕暮れ時のこの空気が好きでつい散歩に行きたくなってしまう。

「主、どこかに出かけるのか?」

玄関口から出ていこうとしたところで膝丸に声を掛けられた。彼の隣には、ようやく顕現させることができた髭切がいた。髭切が来てからは膝丸の過保護の対象が彼に移ったわけだが、私への世話焼きが一向に減らないのは実に不思議である。

「万屋に醤油を買いに行こうと思ってね。少し出てくるよ」

今日の夕飯は冷やし中華だそうだ。酢が苦手な者には胡麻ダレを作るらしいが専ら私は醤油派なのでこれは由々しき事態である。
醤油が足りなくなりそうという厨当番の話を聞き、私がお使いを買って出た。こういう機会がなければ外に出ることも少ないからだ。

「近侍はいないのかい?」
「今日の当番は長曽祢だけどもう上がってもらった後だからね。近いし、すぐに買ってくるよ」

髭切の質問に答えながら引き戸を開けた。万屋くらいなら護衛として近侍を付ける必要もないし、歩いて行ける距離だ。審神者が一人でいっても問題はないだろう。

「しかし、何かあるか分からないであろう。兄者、悪いが俺が主に」
「じゃあ僕が君に着いて行くね」

膝丸の言葉を遮って名乗りを上げたのは、なんと髭切であった。膝丸が言い出すのはなんとなく想像できたが、まさかその兄が声を上げるとは。

「兄者、本当に行くのか?大丈夫なのか?」
「うん。お前はいつも主の手伝いをしているのだから偶には休んだ方がいいだろう。それとも君は僕では不安かい?」
「いや、そんなことはないけど……」

そもそも一人で行けるが、これはどちらかを連れて行った方が良さそうだな。正直どちらでも構わないが、せっかく髭切が自ら言ってくれたのだからその申し出を有難く受け取ることにした。

「じゃあ髭切、よろしくね」
「うん」

彼はにっこりと笑って返事をした。
髭切が靴を履いてからも膝丸は「俺が代わるか?」「大丈夫か?」と連呼していたが最終的に髭切が「嫉妬の鬼は切っちゃうよ?」と温度のない声で言ったためお役御免となった。



「髭切が珍しいね」
「偶にはいいだろう」

楽しそうにそう言って、本丸を出た私達は万屋へと歩いて行く。夕暮れ時の太陽が道を茜色に染めていたが、東の空にはお月様が顔を出していた。
その道を、ゆっくりゆっくり歩いていく。

「僕、あまり君と話したことなかったからさ」
「確かに。髭切が来た時には膝丸もいたからね」
「うん。だから今ちょっとだけ嬉しいんだ。君を一人占めできて」

髭切ってこんなキャラだっけ?
他本丸の資料、また演練先で見た髭切はこんなに主に執着する性格ではなかったはずだ。それがもちろん嫌という訳ではないが、不思議な感覚だ。

「実は聞きたいことがあったんだ」

大きな瞳を私に向けてそう尋ねた。
戦闘では吼えながら剣を振るっているのに、それとは裏腹な優し気な表情。

「髭切が聞きたいことか〜。なに?言ってみて」
「君はさ、どうして僕たちの名前を呼ぶの?」

そんな彼からどのような質問が来るかと身構えていたが、彼の問いは私が想像をしていたどれにも当てはまらなかった。
どういう事かと聞けば髭切は特に驚くことなく説明する。

「今日の演練でも、他の本丸の刀は変な名前で審神者に呼ばれていただろう。でも君は名前で呼んでくれる」

髭切が変な名前と言ったのは、あだ名の事だろうか。確かに他所の本丸では刀剣の事をあだ名で呼んだり、略したり、"ちゃん"や"君"を付けて呼んでいることがある。

本丸の数だけそれぞれの形がある。
名前一つ取り上げてもそうだ。同じ刀でも顕現された本丸ごと性格が少しずつ異なる。それを個体差と呼ぶのだけれどまさか刀剣本人が気にするとは。

「そうだなぁ……私はね、みんなの事は名前で呼びたいんだ。その名前にはきっと私が考えるよりももっと大切な意味が込められていて、今、この時代まで語り継がれていると思う。それをみんなにも忘れないでもらいたいから名前で呼ぶの」

他の本丸を否定するつもりはない。だってあだ名で呼ぶのも一つの愛情だと思うから。
ただ、彼等の歴史を学んだ上で私はそれを後世へと彼等自身が忘れないように繋げていきたいと思うのだ。

「ふーん。でも、僕は自分の名前が分からないよ。今まで色々な名前で呼ばれて、使われてきた。君が呼ぶ"髭切"という名もその内の一つに過ぎない。他の刀は知らないけれど、僕は自分の名前に価値があるだなんて思わないよ」

星が散り始めた空を見上げながら、そう言った。
それは悲しいとか拗ねているとかでもなく、率直な髭切の感想だったのだと思う。
だから私は特に気も遣わずに思った事を口にした。

「確かに髭切には色々な名前があるよね。でもその名前の数だけ戦ったり、守ったり、助けたり…人間に寄り添って生きてきた証なんじゃないかな」

そうかなぁと言って、彼は首を傾げた。
これは私の想像に過ぎないけれど、髭切、鬼切、獅子ノ子、友切……いくつもの名前も、由来があって付けられて、大切に扱われてきたのだ。
多くの名が彼を形作り、今、私に力を貸してくれているのだと思う。

「じゃあ君も僕に名前をつけてよ」

吹っ切れたような表情をしたと思ったら、彼は私を真っ直ぐ見てそう言った。

「えぇ!?私が?」
「だって今代の主は君だろう?僕は君の為に刀を振るうんだ。名前を貰うのは当然だよ」

確かに、彼の言っている事は理にかなっている。けれど源氏の重宝とまで呼ばれる彼に、普通の人間より少しばかり霊力があった私がおいそれと名前を付けられるわけがない。

「それこそ今後の歴史に響くよ!私なんかが付けられないって」
「私なんかって、僕が認めた君がそんな言い方をするなんて気に入らないなぁ」
「そんな事を言われても」
「切っちゃうよ?」
「やめてください」

既に結果が出ている押し問答。
髭切が譲るつもりがないことは明らかだ。

「わかったよ。でも今すぐには……」
「じゃあ次のご褒美に名前を頂戴。約束だよ」

髭切は私の手を取って、小指を絡ませた。
黒い手袋越しにしっかりと握られ「指切った」と言って私が口を挟む間も無く約束を取り付けてしまった。

「これで僕を裏切れないね」

神との約束は絶対。
彼は八重歯を見せて笑っていた。



本丸に戻る頃にはすっかり日が暮れており、玄関先では仁王立ちをした膝丸と長谷部が待っていた。
私達の帰りを待ちわびた燭台切はすでに夕飯を作り終えていて、その日は全員胡麻ダレの冷やし中華を食べたのだった。