私の本丸の、“彼女”に捧ぐ

今日は珍しく目覚ましが鳴る前に目が覚めた。

戸を開ければ、澄んだ空気が私室の中に吹き抜ける。昨夜の雨のおかげで、今朝はまだ比較的涼しい。外を見れば青空を背景に白い雲が筆で塗ったように浮かんでいた。
二度寝をするには勿体ないと思い、軽く身支度をして朝の散歩に出かけることにした。

まずは本丸の裏手にある畑へと向かう。
トマトに獅子唐、枝豆にとうもろこし。元気に育ってくれた夏野菜は今日も食卓に並べられることになるだろう。胡瓜と茄子はあとで一番いいものを取りに来なければ。

朝露で濡れてしまった足元を手で払い、さらに畑の奥へと進んでいく。この先にあるものといえば農業用の備品がしまってある納屋くらいなので普段は畑当番の時くらいしか立ち入らない。でも私にとってはもう一つ大切なものがあるのだ。

膝くらいの高さの小さな墓石。私がここに来るのは随分と久しぶりになってしまったが周りには雑草もなく、置かれていた花瓶には小さな黄色と白の花が生けられていた。
その場にしゃがんで、静かに手を合わせる。後でまた来るので今は簡単な挨拶だけにしておいた。

「おや?今日は随分と朝早いんだね」

私が目を開けたのと同時に、視界の端に若葉色の狩衣が見えた。天を仰ぎ見るように顔を上げると、にこりと優しい表情をした一振りの刀剣がそこにいた。

「おはよう。今日は早く目が覚めてね。石切丸は朝の加持祈祷?」
「あぁ。ちょうど本丸に帰ろうとしたところで君の姿が見えたから声を掛けたんだ。こんなところに墓石があったんだね」

私は立ち上がり、石切丸と並んでもう一度それを見た。
綺麗に手入れされているところを見ると、やはり彼は今も欠かさず参りに来ているのだろう。

「青江さんがここにいるのを見かけたことがあるのですが、もしかして……」
「うん。前の主さんのお墓だよ」
「そうでしたか」

青江が前の本丸から引き継いだことやこの本丸に留まっていたことは特に私から皆には話していない。でも、今の石切丸の様子を見ると、薄々気付いてはいるか、青江から聞いてはいたのかもしれない。
でも事情を知っているなら話は早い。そう思い、再び彼を見た。

「今日は迎え盆をするから石切丸にも手伝ってほしいな。夕方には庭で迎え火を焚くからそのときに祈祷をしてくれると嬉しいんだけど…」
「私で良ければお安い御用だよ」
「ありがとう」

現代から来た私にとって迎え盆の風習など詳しくはよく分からない。けれどここに来る目印になりそうなことは何だってしてあげたかった。
墓石に一礼して、石切丸と共に本丸の方へ歩いていく。
徐々に日が昇り始め、虫や小鳥たちの鳴き声が聞こえだした。

「君は変わっているね」
「え?」

見上げれば、隣を歩いていた大太刀はにっこりと私を見下ろしていた。背は私よりもかなり高いというのに、彼からは威圧感のようなものは感じられない。戦いとなれば確かに大きな戦力になるけれど、日常では優しくて頼れるお父さんみたいな存在だ。

「青江さんの前の主には会った事がないのだろう?頼まれてもいないのにお墓まで立ててしまうなんてね」
「そうかなぁ?実は私の自己満足だったりするよ」
「それでも青江さんは君に感謝していると思うな」

確かにお墓を建てた時、青江にはものすごく感謝された覚えがある。でも、そこに彼女の遺骨もないし、卒塔婆も立てていない。しいて言えば彼女の髪の毛は納めたが、本当に形だけの墓石なのだ。

そう考えれば今日の迎え盆だって本当にしていいものかも分からない。彼女は確かにここで長い間審神者として務めを果たしていたのだろうけれど、帰りたい場所は現世の遺族の場所かもしれない。だからこれも私の自己満足にすぎないのだ。でも、自己満足ついでに私の我儘にもひとつ、彼女には付き合ってほしい。

「今日の迎え盆はね、彼女に見て欲しいからなんだ」
「何を?」
「貴方の青江は元気に過ごしてますよって。今は私の元で力になっていることを知って欲しいんだ」

彼女が自分の全てを危険にさらしてまで私に繋いでくれた彼のことを見て欲しい。ついでにうちの刀剣達の事も知って欲しい。貴方の本丸に、負けず劣らずいいところでしょ、って自慢したいのかもしれない。
私の話を聞いた石切丸は小さく笑った。何がおかしいのかと見上げれば口元に手を当てて応えてくれた。

「君は独占欲が強いからね。よく“私の”という言葉を付けてから私達の名前を呼んでくれる。実に君らしくていいことだと思うよ」

自覚はなかったが、自分はそんなことを言っていたのか。確かに主は私だが、神である刀剣男士にそのような言い方は失礼であったと恐縮した。

「ごめん、そんな物みたいな扱われ方嫌だよね」
「むしろ逆さ。私達は刀の付喪神だから執着された方が嬉しいんだよ」

微笑んで見せた石切丸は、決して私に気を遣っている様子もなく、本当の事を言ってくれたんだと思う。

「さぁ本丸に着いたよ。私は一度部屋に戻るからまた後でね」

彼とは別れて、私は大きく伸びをしながら私室へと戻った。



黄昏時に行われた迎え盆は、盛大に行われた。
石切丸と太郎太刀が加持祈祷をしてくれて、数珠丸も経を唱えてくれた。
精霊棚には精霊馬や盆提灯だけではなく、鶴丸考案の元、薬研と品種改良で咲かせた竜胆も飾られた。

「貴方の青江は元気でやってるよ」と迎え火を焚きながら言ってやれば、「もう僕は君の物だ。おっと刀の話だよ」とにっかりと笑って言われてしまった。

なるほど、そういうことか。

短い期間ですが、私の本丸でゆっくりしていってください。
ここが貴方にとっても心休まる場所でありますように。

そう願って空高く昇る煙を仰ぎ見た。