本歌と写しと時々審神者

放棄された世界。歴史改変された聚楽第への経路を一時的に開く
各本丸は部隊を編成し、一五九〇年の聚楽第、洛外より調査を開始。同時に敵を排除せよ

時の政府からの特命だと、監査官であるそいつは付け加えた

……不満なら反乱を起こしてもいいが……まあ、無事ではすまないな

俺に冷たい視線を向けながら。



「俺こそが長義が打った本歌、山姥切。聚楽第での作戦において、この本丸の実力が高く評価された結果こうして配属されたわけだが、……さて」
「刀剣男士、だったんですね」

目を丸くした主にはにっこりとした笑顔を向け、近侍として控えていた俺には相変わらず冷ややかな視線を送った。
目を逸らした俺は臆病者なのだろうか。それでも逃げ出さずにいられたのは主の前だったからだ。





改めて本丸に迎えられた山姥切長義はよくできた奴だった。政府で働いていた時の事務処理能力、物覚えも良く、書庫から参考になる資料を持ち出しては主に教えた。彼女とあいつが二人でいる姿もよく見るようになった。長谷部が「主が俺よりも奴を頼るようになるかもしれん」と危惧していたのも分からなくもない。



「山姥切ちょっといい?」
「ど……」
「どうしたんだい主?」
「ごめん、長義じゃなくて国広の方だよ」
「あぁ…てっきり本歌の俺かと思ったよ。何かあればすぐに声を掛けてくれ」

苦笑する主を見て居心地が悪い。すれ違いざまに俺にだけ聞こえる声で「偽物くんに何が務まるのだろうね」と言われれば益々布を深く被った。

「山姥切国広、次の合戦場への編成を考えるから意見を聞かせてほしい」

彼女は山姥切長義という刀は知っていたが、“山姥切長義”という刀剣男士の事は知らなかった。だから本歌と写しの関係である俺達にどう接すればいいのか分からないらしい。あいつは俺の事を嫌っていて、俺はどうすればいいのか分からなくて……

「……わかった」

俺の名前を呼んでくれたのは、今できる彼女の精一杯の優しさなのだろう。
まだ俺の事を必要としてくれている主の元へと急いだ。



「三方ヶ原の戦いではおおよそ二時間ほどで多数の武将が戦死して壊走します。そのためこの僅かな時間に時間遡行軍の襲撃があると予想されます。出来れば偵察と機動が高い脇差を中心に編成していきたいのですがどうでしょうか?」
「あぁ、それがいい。統率も含めると脇差は三振りが妥当だな」
「では骨喰と鯰尾は入れましょう。あとは……この時代なら物吉でしょうか?」
「物吉は少し錬度が低い。にっかりか兄弟の方がいいかもしれん」
「うーん…」
「………すまない、偽物の分際で」
「え?」

しまった、と口を抑えるが時すでに遅し。執務室で机をはさみ向かい合わせで座っていた主は目を丸くしていた。

思えば俺は今まで自分が写しとして自覚しながらもさしてそれを気にもせずに過ごしてきた。顕現してから一度も主は俺に写しがどうとか布を脱げだとか言わなかった。もっと言えば俺が一番嫌いな美しいや綺麗という言葉を与えることもしなかった。

元よりあまりそういったことを言わない性格かとも思ったが、乱藤四郎のことを可愛いといい、長曽祢虎徹をかっこいいといい、三日月宗近を美しいと言ったことでそれは否定された。俺に興味がないのだろうか。それでもこのように戦術を考える時は一番に俺を頼ってくれるのだからそれでいいかと自惚れた。

刀剣男士は人間からしてみれば見目麗しい存在らしいが彼女はそこに重きを置かないし、外見によって差別することもない。でも、先ほど俺は嫉妬してしまった。自分の本歌に。練度の差はあれ知識は俺以上であろう。美しく、博識、何よりも“本歌”である。彼女の隣に立つあいつを見た時、そこが初めからあいつの定位置であるように見えてしまった。それが“あたりまえ”になる日も遠くはないだろう。
そんな心情から出てきた言葉があいつの言った“偽物”という言葉だった。

「写しと偽物は違うでしょう?」

真っすぐ俺の目を見てそう言った。
困っているのか、怒っているのか、悲しんでいるのか、憐れんでいるのか。表情からは読み取れない。

「………」
「山姥切国広は私の自慢の刀なんだから」

そう言われては否定などできない。それを体現するかのようにはらはらと花びらが舞った。顔が見えぬよう、慌てて布を深く被る。単純だと思う反面、やはり嬉しくて。結局自分は主にそう言ってほしかったのだと気付き恥ずかしかった。

彼女はしばらく無言のまま俺を見守り、ひとつ咳払いをした。今は仕事中だと思い返し、布の隙間から彼女を窺う。

「では三振り目には堀川を入れましょう。後は和泉守と統率が取れるよう数珠丸も行かせます。部隊長は任されてくれますね、山姥切国広」
「承知した」

自分は恵まれている。
湯水のように溢れるこの優しさの中に、いつまでも浸かっていたいと思った。





出陣は三日後とのことだ。主はできるだけ刀剣同士の錬度差を埋めたがるからそれまで俺は内番と遠征を行う事となった。
畑当番であった今日は、夕餉用に使われる大根を収穫していた。立冬にも関わらずこの畑は様々な作物を実らす。季節関係なく収穫できる野菜は審神者の霊力で育つため気温気候は関係ない。しかし風流を愛する文系名刀が「旬の食べ物を大切にする」という信念を掲げているためトマトや胡瓜といった夏野菜を今は育てていない。

「こっちは終わったんだが」

畑から引き抜いた大根を一カ所に集めていると後ろから声を掛けられた。額に垂れた汗を拭いながら振り向くと立派に育った白菜を抱えた本歌が立っていた。

「そこの箱に詰めてくれ。荷台でまとめて厨へ運ぶ」

内番の内訳を考えたのは蛍丸だったか。大所帯となりつつあるこの本丸では内番はそれぞれ四〜五振りで行っている。今日の畑当番は来派の三振りと俺達だったからこうなるのはある意味必然だったというべきか。本歌もこの割り振りに対して文句は言わなかった。が、快く思っていないことは明らかだった。

自分も収穫した野菜を荷台に運び込もうとした際、不意に布を掴まれ視界が広がる。思わず布を掴まれていた手を叩き落とすと同時に大根が腕から転げ落ち地面に叩きつけられた。一本は中央で半分に割れ足元に転がる。
いきなり何をするのかと布を被り直し前を向けば、眉間に皺を寄せた本歌と目が合った。

「何のつもりだ?」
「汚らしい布をずっと被っているのはどうかと思ってね」
「あんたには関係ない」
「俺に関係なくとも主の評価に関係してくる。その恰好で彼女の隣に立つなどと失礼にもほどがある」

本歌は俺が落とした野菜を拾い上げ、土を払い落とす。一本だけ折れてしまった大根を見てため息を付いた。それが野菜に対してなのか俺の反応に対してなのか、答えを出す前に会話は続けられた。

「“偽物”の君が主の隣にいることすらおこがましい」
「…写しは偽物とは違う」
「はっ。君は俺の偽物だ。山姥を斬った伝説もさも自分ことのように名前に付けていい迷惑だ」

荷台に収穫した野菜を全て載せ、取っ手に手を掛け運び出そうとする。
重い足を動かしこれも仕事だと手伝うために前に出ようとすれば「一人で運べる」と一蹴された。右手が宙を切る。
数歩進んだところで足を止め、こちらを振り返った。

「そういえば、次の合戦場では隊長を命じられているようだね。今日、俺は主に“価値ある刀剣こそ歴史の価値が分かりそれを守ろうと奮闘するのだ”と助言をしたよ。さて、それを聞いた上で主は君を隊長にするのだろうかね」

一言否定すればよかったのだ。
何でもいいから言ってやればよかったのだ。
己に価値がなくとも刀は振るえると。

そう言えればよかったのだが、気道は熱湯が通ったほど熱く燃え上がり声を出そうとしてもそれが音として外に出ることはない。

「じゃあね、偽物くん」

結局、俺は何も言う事が出来なかった。





三日後、隊長である和泉守兼定の号令とともに三方ヶ原へと発った。

全ては俺が決めた事だ。
本歌と畑当番をしたその日に俺は主に隊長を降りたいと申し出た。もちろんそのような事を言ったのは初めてで彼女には何があったんだと心配された。俺は「新しい合戦場といえども他の刀剣にも経験を積ませるべきだ」ともっともらしい理由を付けて説明した。

渋々了承をした主は改めて和泉守を隊長に任命した。あいつなら刀としての歴史もあるし自分に自信を持っている。何より第一部隊の隊長になりたがる男だ。事実、任されたあいつは「俺に任せておけ」と強く頷いたそうだ。

主は俺を捨てたりはしないだろう。けれど、もし見放されたら……
距離を置かれるくらいなら自分から離れた方が楽だろうと、その決断をした。


六振りの部隊は二人一組で動くことになり、和泉守は堀川と、数珠丸は骨喰と、俺は鯰尾と組み行動をすることになった。主の読み通り、歴史上戦いが行われる場所から半径三キロ圏内に時間遡行軍が現れる。その場所は木が生い茂り、ひとたび道を踏み外せば数メートルの崖が落とし穴の様に口を開いているところであった。足場が悪い中、脇差を中心に敵を開けた場所へと誘導し刀を振るった。

短時間の戦いで疲労はいつも以上に溜まったが誰一人として怪我を負う事はなかった。これもここに着いてから和泉守が皆を鼓舞し士気を高めたおかげなのだろうか。俺には到底できないことだ。

敵を殲滅できたというのに、本歌に言われた言葉が頭の中をぐるぐると回った。
やはり俺にはない何かが彼等にはあるのだ。いくら錬度が高かろうとそれは今に限っての事。俺が主に愛想をつかされ、お飾り物の刀剣にでも成り下がれば他の奴らはどんどん成長していくだろう。俺がいるせいで出陣回数を減らされている刀剣が何振りもいるのもまた事実。

「っ山姥切!」

本丸へと帰還するため、目的の座標まで向かっていると左肩に熱を感じ次いで痛みがじんわりと広がった。敵短刀が残っていたのか、そいつが一瞬の隙を付き俺の首を狙った。避けられたのは鯰尾が俺の名を呼んでくれたからなのだろう。振り向きざまに一撃で仕留めれば黒い灰となって姿を消した。

「ごめん!死角から出てきて反応が遅れた…怪我はない?」
「あぁ…大丈夫だ」

戦場でなんという失態なのだろう。所詮は“偽物”か、と笑ってしまう。
主が優しくて、他の刀剣も優しくて、俺は本当に恵まれている。だからこそその優しさが当たり前で、何も考えず受け入れていた。

刀としては偽物で、人としては余りにも未熟すぎた。

「集合だ!全員いるか?」

他の二組と合流し部隊長である和泉守の元へ皆が集まる。

「時間遡行軍は殲滅、無事に歴史は守られた。今から本丸に帰還するが怪我人はいるか?」

皆にバレないよう布で傷口を隠す。少し血で汚れたが、元より薄汚い布だ誰も気づきはしないだろう。

「顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」

和泉守が帰還するため端末を操作している間、兄弟が俺の元へと走ってきた。「大丈夫だ」と言ったものの納得していない様子で俺のことを見ていた。しかしこれ以上声を掛けても無駄だと分かったのか、俺の後ろにいた鯰尾に困ったような顔を向け和泉守の元へと戻っていった。その光景を見て兄弟もそっちを選ぶのか、と悪態を付いてしまった自分が益々情けなく感じた。

先ほどの傷よりも心臓がずきりと痛んだ。



帰還後、肩の怪我は浅かったが血が止まらなかったため薬研に治療をお願いした。この程度なら人間としての自己治癒力でもよくなるだろうという判断と部隊長を降りた後ろめたさもあり主と顔を合わせたくはなかった。薬研には「どうせすぐ大将にばれるぞ」と言われたが手当てはしてくれた。
その後、夕餉の時刻とあって薬研と共に広間に向かったが主の姿はなかった。

「今日の戦績を早くまとめたいんだとよ。情報は鮮度が一番だとか言ってたぜ」

部隊長として主に報告に行った和泉守からそう聞いた。新しい合戦場を開拓した時はいつもすぐ書類をまとめている。それは俺にとってはいつもの事で、だから今日も執務室へ食事を持って行こうと厨へと向かった。襖越しに声を掛け部屋の前にでも置いておけば顔も会わせずに済むだろう。

廊下を進んでいくと本歌の声が聞こえ、慌てて壁際に身を寄せる。燭台切の声も聞こえた。

「じゃあ食事を主の元へ運んでくる」
「助かるよ。それにしても主が部屋で食べることよく分かったね」
「彼女の仕事ぶりを見ていたら分かるさ」

自分から主と距離を取っておきながら、いよいよ自分の居場所がなくなったなと嘲笑した。



夕餉後はすぐに部屋へと引き上げて、しばらく何も考えずに過ごしていると風呂上がりの山伏が戻ってきた。
自分も風呂に行くかと兄弟と入れ替わるように部屋を出ると目の前からあいつが歩いてくるのが見えた。ここで引き返すほど俺は小心者ではない。しかし会いたくないのも事実で顔を背けた。

「君、今日の部隊長を和泉守兼定に譲ったそうじゃないか」

やはり声を掛けてきたかと思いつつ、言葉を返す。

「譲ったわけじゃない。あいつのほうが適任だったというだけだ」
「主が指名したのは君であったのにか?」
「あんただって俺よりも和泉守の方が適任だったと思っているんじゃないのか?」

その場に沈黙が落ちる。
何故だ、と布をずらし伺うと相変わらず眉間に皺をよせ睨んでいた。しかしその瞳はいつもの冷ややかなものではなく怒りに震える感情が瞳を揺らしていた。

「そうだね。偽物くんなんかよりよっぽど彼の方が優秀さ」
「………………」
「戦闘での腕も隊長としての決断力も実行力も、そして彼自身の歴史がすべてを物語っている。偽物くんがここにいる必要なんて」
「長義」

凛とした声が俺達の間に割り込んだ。
この本丸に女性は一人、そうでなくても主の声を聞き分けられないはずがない。彼女はというと俺達の顔を見比べながらゆっくりと距離を詰めてきた。

「二人で何を話していたのですか?」

普段の声とは少しだけ低いその声が一気に空気を張り詰めたものにする。そして彼女はいつもの砕けた口調とは違い、明らかに仕事時の話し方だ。表情は無に近いが彼女の心情は少なくとも穏やかなものではないだろう。

本歌はその声の主が目の前の彼女とは分からず瞬きを繰り返している。
もう一度彼女が同じ言葉を繰り返すと、それに促され本歌が口を開いた。

「この機会に主にも聞いてほしいことがある。何故、偽物くんに頼るんだい?ここには天下五剣も源氏の重宝も、来派も左文字も……歴史的にも価値ある名刀が何振りもいる。君の采配なら彼等を十分に使いこなせるだろう。不安があるなら俺が知識を貸そう。だから君の隣にいるのは偽物ではなく、本歌である俺こそが相応しい」
「言いたいことはそれだけですか?」
「君の返事を聞かせて欲しい」

それはまるで告白のような、といえば聞こえはいいが主の返事によっては俺は自らこの身を折ろう。こんなことなら今日の戦で肩ではなく腹にでも一撃貰っていた方がよかったのかもしれない。
悲観的な思考に飲み込まれる寸前、彼女が息を吸うのが分かった。

「短刀だろうが大太刀だろうが、真作だろうが贋作だろうが、この本丸にいる刀剣は全て私の大切な子達です!私に力を貸してくれる刀剣に向かってそのような発言を許すことは出来ません。私の刀である山姥切国広への侮辱は私へのそれと捉えます。これ以上言うのであれば貴方を私の刀と認めることは出来ない!」

肩で荒く息をしていた彼女が我に返るのは一瞬であった。
失礼する、と消え入りそうな声で言ったのは彼が今できる精一杯の彼女への忠誠心の表れなのだろう。足早に本歌は主の前から姿を消した。
主は悲鳴とまではいわないがか細い声を発しながら、ずるずると崩れ落ちていった。

主の声は決して大声というものではなかったけれど、俺にとってはその衝撃は大きかった。なんて言葉で表せばいいのだろう。でも、このとき彼女の刀でよかったと心の底から思えたのだ。

本歌の事は気がかりであったがこの状態の主を一人にしておくわけにはいかない。すぐに駆け寄って様子を伺った。

「おや主、見事なorzなんてきめてどうしたんだい?」
「拾い食いでもしましたー?」

空気も読まずふらりと現れたのは次郎太刀と鯰尾であった。割と本気で落ち込んでいるのに中々の言われようである。彼女も泣いてはいないが自己嫌悪が酷いのだろう。
崩れ落ちた主と、傍にいた俺、そして足早に廊下を去っていった本歌の姿を鯰尾が捉えていたことで、二人も不味い状況だと察したらしい。

主をこのままにしておくわけにはいかない。しかし、今俺がすべきことは主の傍に寄り添う事ではないのだ。先ほどの彼女の言葉で自分の中の何かが奮い立ったのを感じる。彼女は弱い人間ではない。行動を起こせる人だ。主が次に何をするかと考えた時、俺がするべき行動は決まっていた。

「二人とも主を頼む」
「わかったよ。アタシ達に任せな」
「山姥切は?」
「本歌を追いかける」

ひらりと布を翻しあいつが消えた暗闇へと向かおうとした時、か細いがはっきりとした声で名が呼ばれた。

「後で謝りに行くから、呼び止めといて」
「わかった」

一言返して俺は迷うことなく本歌を追いかけた。


◇ ◇ ◇


その審神者に、会ってみたいと思った。

政府直属の刀剣男士として働く俺は、八五九号と名付けられた“山姥切長義”であった。付けられた番号は個体識別用に割り振られたものだ。なんせ政府には“山姥切長義”という刀剣が何振りもいるのだから。

所属部署は刀剣管理部三係。ここでは各本丸から提出される刀剣管理届を精査している。どこの本丸がどれだけの刀剣を所持し、その刀剣がどのような性格で人の身を過ごしているのかを記録し管理をしている。政府はそれを元に審神者の霊力の質と刀剣の相性、またブラック本丸の兆候がないかをチェックしている。

いつものように各本丸から提出される届け出を事務的に精査していると目を引く記録が最近よく上がってくることに気が付いた。顕現してから一月以内の刀剣の性格を記載する欄があるのだが、それが特徴的であったのだ。記載欄を三行で終わらす審神者もいる中、その本丸の審神者は毎回余白まで埋め尽くす勢いで刀剣の性格を記載していた。毎月決まって月末に送られてくるそれを読むのが密かな楽しみになっていた。

膝丸は世話焼きで千子村正は偶に物思いに耽ることがあること。石切丸の髪はたまに寝癖がつくことや同田貫正国が麻婆豆腐の辛さに涙を流したこと。
俺が知っている刀剣男士の情報とはいくらか食い違っていた。しかしだからこそ、個性を見いだせてもらえるその本丸の刀剣が羨ましかった。その審神者に掛かれば八五九号の俺も、ただ一振りの“山姥切長義”になれるのだろうか。なりたいと思った。

そんな時、“山姥切長義”に監査官という指令が下された。聚楽第への任務の為一振りごとに各本丸に派遣されその評定せよとの命だ。そしてその本丸が“優”判定を得られた際には、監査官であった“山姥切長義”がその本丸に就任する。

またとない機会であった。その審神者の本丸であるなら“優”判定は間違いないだろう。しかし問題は俺がその本丸に派遣されるか否かだ。監査官として向かう本丸は政府が勝手に割り振る。

そこで俺は考えた。政府で十分な働きをしその審神者の元に派遣してもらえるよう願い出ようと。そのために、どの“山姥切長義”よりも職務に全うした。「君が上司だったらよかったのに」と人間である政府職員に言われたこともあった。それほどまでに努力をした。

そうして、刀剣管理部三係の上司に当たる政府職員に掛け合った。彼は推薦状を書くと言ってくれたが、その審神者はまだ就任して一年にも満たない本丸で、優秀になりすぎてしまった俺には中堅以上の本丸にいくべきだと言われてしまった。経歴が何だと言うのだ。お前はあの書類を見ても同じことが言えるのかと無性に腹が立った。その気持ちを綴った志願書を提出すると上司は苦笑しながらそれを受理してくれた。

初めて審神者にあった時、戦というものを知らぬような女で驚いた。

監査官であったときは彼女と直接話す機会は初めの挨拶を除いては全くなかった。彼女の周りにはいつも誰かしら本丸の刀剣男士がいた。短刀達はもちろんのこと、へし切長谷部、膝丸、薬研藤四郎、小狐丸と三日月宗近が多かったか。

しかし、一番目に付いたのは山姥切国広だった。“俺の”“偽物の”山姥切だ。彼女が唯一自分から話しかけに行くのがそいつだった。正確には他の者にも声を掛けていたかもしれないが、俺の知る範囲ではそうだった。

敵を多く殲滅し、ようやく聚楽第本丸内に出陣だというところで、その部隊の隊長は偽物だった。確かに錬度でみたらそいつが一番高い。しかし、能力や刀種を鑑みればそいつが隊長である必要はないのだ。

その部隊には三日月宗近も数珠丸恒次もいた。薬研藤四郎もにっかり青江も蜻蛉切もいた。お前にこの者たちを率いるほどの何があると言うのだ。彼女の初期刀というだけで許されるのか?唯一彼女に選ばれた刀だと言いたいのか?俺は本丸にいるどの刀剣よりも彼女の元に来ることを渇望したというのに、何故お前が当たり前のようにそこにいるのだ。

任務を終え、目標数の敵を撃破した彼等の前で俺は白い布を取り去った。やっとこの邪魔な布を脱げる。お前を彷彿とさせるようなこの布を。

「山姥切長義、これからよろしくお願いします」

何時ぶりに名を呼ばれたのだろうか。八五九号ではない、この本丸の山姥切長義。
“彼女の”
“唯一の”
山姥切長義———
そう気づいた瞬間、顕現時とは別の花びらがひらひらと舞った。

彼女は何よりも自分の刀剣を大切にしていることは、届け出を見れば分かることだった。
そういえば、政府の処理が乱雑だったせいで彼女の刀剣が以前危険な目にあったらしい。そうしたら告訴状ともいえる書類が上がってきたそうだ。「これを見てその時の事を思い出したよ」と俺が提出した志願書を見た上司が言っていた。

彼女は等しく平等で、刀剣を敬い感謝し、皆に同じ分だけの愛情を注いでいた。しかし山姥切国広だけはやはり彼女の特別に見えてしまった。

気付けばあいつを「偽物くん」と呼んでいた。
俺がそう言ってもあいつは「写しは偽物とは違う」とぼそりと言うだけで…それが余計に腹が立った。彼女が一番の信頼を寄せているお前が、彼女と一番長くいるお前が、何故そんな態度なのか。ふざけるな。俺が一番欲しい場所にお前がいて、きっとその場所には俺がどんなに努力したっていけないのだ。


「————貴方を私の刀と認めることは出来ない!」

その感情が嫉妬なのだと気付いた時には遅かった。
自分は捨てられたのだと思った。
刀解を望むことすらおこがましい。このまま折れてしまおうか。
本歌がなんだ、偽物がなんだ。そんな肩書き、彼女の前では何の意味もなさないのだ。



「本歌!」

呼び止められ、足を止めて振り返る。
一番見たくない顔だ。髪の色と目の色、戦装は違えど顔つきや背格好は似ている。
どうしてお前だったのだろうね。

「俺を笑いに来たのか?」
「そんなことはない。主が、謝りたいと言っている」
「情けのつもりかい?この本丸の、彼女の意に反した俺が悪いんだ」

今さら同情なんていらない。
笑いたいなら笑えばいい。
なんでお前なんかに哀れみの目を向けられなければいけないのだ。

もう、覚悟はできている。

彼女の霊力に満たされたこの場所が、今ではもう息苦しくて堪らない。でも、簡単にこの場を去れるほど愛着がないわけではない。
俺を“山姥切長義”と呼んでくれた彼女を、この本丸の刀剣を、すぐに嫌いになれるほどの勇気もない。

……覚悟なんてできていないじゃないか。
もうどっちが偽物かも分からないな。





ようやく追いついた本歌は、虚ろな目をしていた。
今までの高慢ともいえる態度が嘘のようにしぼんでしまっている。

今のこいつは俺に似てるな、と思った。
俺は本歌の“写し”。その関係は鏡合わせのような単純なものではない。でも俺達は難しく考えすぎていたのかもしれない。所詮俺達は刀である。人間のような複雑な思考を持ってはいても感情は処理しきれない。ならばもっと単純に考えればよかったのだ。


トットットットッ——と一定の感覚で足音が近づいてくる。短刀達ですら普段は廊下を走らないのに、その足音は速度を落とすつもりはないらしい。
やはり立ち直るのに時間は掛からなかったようだ。次郎太刀が酒を飲ませていないことを祈りつつ、本歌に逃げられないように腕を掴んでその場に留めた。

「長義、先ほどは私が言いすぎました!本当に、本っ当にすみませんでした!」

勢いよく現れた主は腰を九十度以上折りたたんで頭を下げた。
本歌はというと突然の彼女の奇行に驚いたようで固まっていた。政府勤めの本歌にとって、彼女のそれは理解しがたいものであったのだろう。上司が部下に頭を下げるなど、一般的にはあり得ない。でもそれを彼女はするのだ。自分が間違えた時は素直に詫びる。

「主が頭を下げるなど、やめてくだされ」

大阪城で酷使させすぎた一期一振に頭を下げた主に彼が言った一言だった。それでも彼女は頭を下げ、一期一振の手入れは毎回特に丁寧に行っていた。何故そこまでしてくれるのだと問えば自分が現世にいたとき上司にこき使われた嫌な思いをしただからと言ったのだそうだ。
彼女はそういう人間だ。

たじろぎながらも本歌も謝罪の言葉を口にした。
「俺は何も分かっていなかった」
「これから学んでいきたい」
「でもすぐには変われない」
「それでも…どうか捨てないでくれ」
最後の言葉は震えていた。

主はというとやはり言いすぎてしまったことへ罪悪感が強いのか謝りっぱなしであった。俺が仲裁に入っても狼狽えるばかりで現状は変わらない。
ここまで来ると謝りあいの攻防戦である。

この場の空気を変えたのはやはりあの二人であった。
心配して様子を見に来たであろう次郎太刀と鯰尾が再び顔を出した。

「これじゃあ何時まで経っても終わりゃしないじゃないかい。ここは主が一発殴って終わりにしな」
「いや、それはできないでしょ!?暴力なんてそれこそブラック案件だよ!」

一杯ひっかけた次郎太刀の戯言だといつもなら言ってやれるのだが今日はそれが名案だと思った。話し合いで解決しないのであれば結局拳だと、刀ながらも男である俺達は思うのだ。
唖然としていた本歌を目で促した。“本歌”なら分かってくれるだろう?

「主、俺を一発殴ってくれないか?全てとは言わないがそれで一度許しを請いたい」

鯰尾は「かっとばせーあるじ!」と言いながらよく分からない合いの手をはさんでくる。
この四対一の構図ではさすがに頷くしかなかったのだろう。しかし覚悟を決めた後の主の漢気はすごい。

「わかった。じゃあ行きますよ———歯ァ食いしばりな!!」

中々に景気のいい音が響いた。まだ錬度が低いとは言え、刀剣を平手打ちで軽傷にまで追いやった彼女はさすがは主と言うべきか。本歌の目元には涙が滲んでいた。しかし、それが痛さのせいではないことは何となく分かってしまった。

「主、ついでに山姥切も殴ってもらえません?今日の出陣で肩を怪我してるのに申告しなかったんですよ」
「なんだって?」

鯰尾の発言によりぐるりと首を動かした主に睨まれる。薬研が告げ口したのか、いや治療時の口ぶりからそんなことはしないだろう。鯰尾はべーっと舌を出しながら笑っていた。俺は脇差の偵察力を舐めていたらしい。

「軽傷でも報告はするよう言っているではありませんか。初期刀である貴方がそれを破っては示しがつかないでしょう?」
「だが薬研には診てもらって…」
「歯ァ食いしばりな!!」

痛かった。目元にはじんわりと涙がにじんだ。
二度も平手打ちをした彼女の掌は真っ赤であった。しかしその熱も冷めぬまま俺達の腕を掴み手入れ部屋まで連れていきそれぞれ部屋に押し入れた。

手入れ時間は数十分ほど、俺の方が肩の怪我もあったので時間が掛かった。その間に本歌と話をしたのだろう。本歌は手入れを終えた俺に話しかけてきた。

「俺はまだ君を認めることができない。だからこれからも“偽物くん”と呼ぶ。そう呼ばれたくなかったら“山姥切”の名に恥じない姿を見せて見ろ」

そうだな。
だが、一つだけ訂正しておきたい。俺は別に自分の名に特別誇りを持っているわけではないし、事実かどうかも分からない山姥切を斬ったという逸話も正直どうでもいいのだ。
俺がなりたい姿はただ一つ———

「主に恥じない刀になる」
「そうか」

本歌は静かにそう言ってその場を去っていった。その声は少しだけ嬉しそうな気がした。
方や俺はというと、自分の言葉が恥ずかしすぎてずるずるとその場に座り込んだ。布を顔まですっぽりと覆い、柱の陰に移動する。でも、言ったことに後悔はしていない。
暫く白饅頭みたいな体勢でいれば、頭の上に何かが乗せられた。布越しでもその温かみが分かる。

「これからの活躍が楽しみだねぇ」
「……盗み聞きか?」
「不可抗力だよ。それにしても、初期刀の立派な誓いを聞くことができて私は嬉しくて花びらが舞いそうだわ」
「………………」
「明日は遠征だから早く休んでね」

彼女の手が俺から離れる直前、その腕を掴んだ。驚いた彼女の顔を見るより先に、手を見ると未だ熱をもって赤く腫れていた。

「治療をしないとな」
「これは私が自分でやったことだから自分で何とかするよ」
「早くいくぞ」

あんたの場合は冷やして終わりにするだろう?俺達には気を遣うくせに自分の扱いには雑なことはとっくに知っている。
そのまま腕を引っ張って炊事場で手を冷やし、薬研の元へ薬を貰いに行った。

「大将と旦那は似た者同士だな」

それは当然の事。
俺は主の初期刀で、彼女は俺の主なのだから。