ようこそ、裏本丸へ(中)

特命調査 文久土佐藩にて———

南海太郎朝尊作の罠をしかけ敵を追い詰める。が、これも中々に敵の頭がよく捕まらない。しかし確実に追い込めている。賽子の目に恵まれれば明日には高知城下町の敵は討てるだろう。

土佐の町を照らすように三日月が夜の空に浮かぶ。その明かりを頼りに、焚火を囲む皆の輪を離れ主へと連絡を入れた。現状のこちらの報告と、主の様子を伺うために。

鍛刀ができなくなって数日。ようやくその手の病院へ受診した主の容態は、まぁやはりそうかという結果だった。
もっと俺が注意深く見ておくべきだった。日に日に主が身にまとう神気の量が増えていることには気づいていた。しかし、演練で会う別本丸の審神者も似たようなものだったから、これも刀剣が増えたからなのだろうと楽観的に考えたのが間違いだった。

俺は主が鍛刀を失敗していると知るまで、その重大さに気付けなかったのだ。
初期刀なのに、とその時ほど自分を恥じた事はなかった。それは自分が写しであることよりも何倍も恥じるべきことだった。

そして政府機関の病院への受診——近侍をあの刀剣にしたとは思ってもみなくて、背筋に嫌な汗が伝った。
せめて最悪の結果だけは避けなければと端末に向かって声を張る、がノイズが酷い。主の声はかろうじて聞こえるが俺の声はちゃんと届いているのだろうか。

本丸に残っている兄弟達には万が一の時の話は付けてある。俺が戻るまでに二人が主を守ってくれるはずだ。
そのことだけでも伝えたかったのに、ブツリと嫌な音を立て声が途絶えた。
その後、何度も掛けなおしたが繋がらない。

「何かあったのか?」

俺の声が聞こえたのだろう、骨喰に声を掛けられる。

「主と連絡が取れなくなった」
「!?…敵襲か?」

違う。電話が途切れる前に不自然な電波の乱れがあった。元より付喪神の分霊である自分達と電子機器の相性は良くない。しかし肉体を得た今、霊障という現象を自分達が引き起こすとは考えにくい。現に今までこのような事は起こらなかった。

きっと主に神気を流し込んだ奴の仕業だ。

主が神気に侵されていることは随分と前から気付いてはいた。しかしそれは、何十口もの刀剣と過ごしていればある程度仕方のないもの。それに複数の神気が混ざり合っていればお互いが牽制し合い、人間にそこまで大きな影響を与えることはない。そうでなければ本丸の運営をしている審神者であればすでに大半が人間ではなくなっているはずだ。

「主への報告は終わったのですか?」

皆の輪から抜けてきた江雪に声を掛けられる。俺と骨喰の表情を見て、珍しく彼の精悍な顔が歪んだ。太郎太刀も俺達の会話が聞こえていたのか、じっとこちらを見ている。それまで談笑をしていた陸奥守達も会話を止めた。

ここにいる彼等に今主に何かできる手段はない。少なくとも信用できる。
俺は皆の輪に戻り、今までの経緯を話した。
皆の表情が曇り、一度調査を切り上げて本丸に戻るべきだという声が多く上がった。朝尊と肥前には悪いがそうせざるを得ない。
帰還の準備を———しかし、その時ずっと黙って話を聞いていた朝尊が口を開いた。

「ひとついいかい?電波が乱れたとなると君たちの本丸へと繋ぐゲートが作動しない場合が考えられる。それに、万が一繋がったとしてそこが全くの別の空間という可能性もある」

確かにゲートの開閉に関しては本丸の審神者の霊力は少なからず必要だ。朝尊の考えていることは大いに考えられる。
それなら俺達は一体どうすればいいんだ。

「僕に考えがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「先生っ!別にこいつらにそこまでする必要ねぇだろ。こいつらの主のことなんざ俺達の管轄外だ」
「彼等の審神者がこれから僕達の主になるかもしれない人なんだよ。肥前くんだって“主”と呼べる人ができることを喜んでいたじゃないですか」
「そりゃ本当か!?お前らも仲間になるちゅうことか!」
「なっ…!それは、また違う話であって…」

どうやら朝尊と肥前も俺達に協力してくれるらしい。

もう一度、空を見上げる。
嫌というほどに眩しい月の光に、布を被り直した。

主、どうか無事でいてくれ———


◇ ◇ ◇


長曽祢の胸筋に触れるなんて役得だな、と思えるくらいには私にまだ余裕はあるようだった。
浦島が周囲を警戒してくれたおかげで割とすんなり医務室まで来ることができた。浦島がこの本丸に来たのは割と最近だというのにいつの間にこんなに逞しくなったのだろうか。うちの子が尊すぎて辛い。

「ここまででいいのか?」
「主さん一人で手当てできるか?俺がやろうか?」
「うん、大丈夫!二人ともありがとう」

正直大丈夫ではなかったが二人には笑顔で別れを告げる。
少し身体が重い。これは小狐丸に襲われた時と感覚が似ている。虎徹兄弟と一緒にいすぎたのもあるが、自分の身体がこの空間に馴染んできているようだった。

辿り着いた医務室へと入る。中はぼんやりと明るく、裏本丸ながら棚や机の位置は本丸と同じだった。棚や引き出しを漁り包帯を取り出す。本当は塗り薬か湿布が欲しかったけれどどこにあるのか分からなかった。これも薬研に全部管理を任せていた結果か、と苦笑しつつ椅子に腰かける。

「誰だ?」

廊下から声を掛けられ動きを止める。声の主は誰だか分からないが障子に写る陰が小柄な事から短刀の可能性が高い。蜂須賀の言葉を信じるならば、粟田口の子の場合は非常にまずい。
一先ず薬品棚の後ろに隠れよう立ち上がろうとすると、焦るあまり椅子ごと倒れこんでしまった。

「大将…?俺だ、薬研藤四郎だ!開けてくれ!」

薬研は私の初鍛刀である。付き合いも長いし、私の相談にもよく乗ってくれた。
薬研なら大丈夫か…?
…うん、多分大丈夫。正直こわいけど。

恐る恐る戸を開けると、そこには心配そうな表情をした薬研が立っていた。そして彼らしくもなく少しだけ涙ぐんでいた。
薬研を部屋へと招き入れると同時に机の上に置いてある薬を見て口を開いた。

「どこか怪我したのか?」
「ちょっと足を捻ったみたいで……」
「見せてみな」

薬研は素早く足の様子を確認すると棚から湿布を取り出して手早く包帯で固定してくれた。念のためもう片方も診てもらったが問題はなさそうだった。痛みはあるもののこれなら何とか歩けそうである。こんなところで立ち止まっていてはいけない。

「ありがとう薬研。じゃあ私は先を急ぐから……」

薬研の事は信じたい。それに山姥切も彼の事は信用していたようだった。でもここまできたら疑心暗鬼だ。
薬研には本当に申し訳ないがすぐにここから立ち去るほかない。

「なぁ大将」

逃げるように立ち上がった私の手を薬研が掴んだ。思いのほか強い力で振り払えない。しかし、彼の藤色の瞳は闇に溶けることなく優しく私を見つめていた。

「どうしたの?」
「俺に隠されちゃくれねえか?」

ほらやっぱりこうなった…と一瞬泣きそうになったがぐっと堪える。
薬研は無条件に私の味方でいてくれると思っていた。私の側にいてくれて、相談にも乗ってくれて、時に私の戦術の甘さを戒め、どうしようもなく考えつめてしまった時には黙って傍に居てくれた。

そんな薬研の言葉なら信じてみたくなったけど、頭の中でかき集めた理性で私は踏み止まった。

「絶っっ対に無理です」
「だろうな。でもな、少し落ち着いて聞いてくれ。これも大将を守るためだ」

深呼吸をし、彼の話に耳を傾ける。
まず、具体的に裏本丸から神域へ私を連れて行くには二種類の方法があるらしい。
一つ目は私の身体に直接神気を注ぎ込むこと。黄泉戸喫が分かりやすい例である。また、その刀剣の血といった体液を摂取すると神域まで一直線らしい。

二つ目は外から私の身体を神気に馴染ませていく方法だ。通常こちらの方が時間は掛かるらしいが裏本丸では馴染む時間はかなり短いらしい。鶴丸が一人の刀剣とずっと一緒にいるなと言ったのはこれを危惧していたからなのだろう。

しかしどちらの方法にしろ、誰か一人の神域に行ってしまえば他の刀剣は干渉し辛くなるとのこと。所詮、元は人間であるのだから何種類もの神気が注ぎ込まれると器が持たないのだ。

「俺が隠せば大将は人間じゃあなくなる。だからといってずっと囚われの身になるようなことはしない。いつでも本丸には行けるようにする」

重ねた手が力強く握られる。掌は私よりも小さいはずなのに思いのほかごつごつしていて驚いた。

「俺に大将を守らせてくれ。他の奴らには絶対に手出しはさせねぇ」

ありがとう薬研。おそらくそれが、今考えられる最も安全で理にかなった道なのだと思う。だけど、やっぱり私はそれを望まない。それに———

「私は自分を守ってもらうために貴方を顕現したんじゃないよ。ましてやその相手が私の刀剣達だなんておかしい」
「大将の人の良さは分かっているつもりだ。だけどこの後に及んでまだあいつらを信じるのか?隠されてからじゃ遅いんだ」
「薬研の気持ちは嬉しいよ。だけどあの子達は私の敵じゃない」

彼は眉間に皺を寄せ、私の手を強く握りしめた。
その彼の手を、私はもう片方の手で包み込む。

「ありがとう薬研。私は貴方の主である事が誇りだよ。帰ってからもまた大将って呼んでくれる?」

薬研の答えは一つだと、そう知っていて私は彼に聞いた。
大きく息を吐き出した彼をみて、潤んだ瞳の彼と目が合ったが、私はそれでも自分の考えを譲らない。

「……それでこそ、俺が惚れた大将だ」

ごめんね、薬研。ありがとう。

「ここから奥の部屋を抜けて廊下に出てくれ。近くの部屋にいち兄がいるから助けてくれるはずだ。ただ、弟達には気をつけてくれ。あいつらは大将を隠す気でいる」
「分かった。行くね」

薬研は名残惜しそうに私の手を撫でて部屋から送り出してくれた。





薬研に教えられた通り、奥の部屋から廊下へと出る。
医務室を抜ければあと少し。一刻も早くここから抜け出したい私は廊下を早足で進む。
弟達、というのは粟田口の短刀達だ。特に自分が可愛がっていただけあって何とももどかしい気持ちになる。

「主みーっけ!」
「っ包丁!?」

目の前に黒い影が遮ったと思ったら勢いよく抱き着かれ体勢が崩れた。
背中にじわりと汗が噴き出る。この状況はかなりマズいのでは?腰に巻き付いた包丁の腕を引きはがそうとするも思いのほか力強くて抜け出せない。

「俺たちずっと主のこと探してたんだぞー」
「……どうして探してたの?」

この薄暗さが太刀の目を欺いていたが、短刀達に対しては私の方が武が悪い。それにしても包丁の力が思った以上に強い。

「ねぇ、何で主はそんなに怖い顔してるの?」
「答えなさい」
「だって…だってぇ…うっうぅ……」

ヤバイ、泣かせた。これは罪悪感がかなりある。包丁に関わるべきではないことは蜂須賀の話からもよく分かっている。だけど、泣く彼をここに置いていくことができるか否か、私にはできなかった。

「ごめんね、強く言いすぎた。泣かないで…」
「…………」
「包丁…?」
「っあははは!主は本当に優しいなぁ!」

ガタン——という音と共に部屋の戸が空き、体重を掛けられる。嘘でしょ?さっきまでこの廊下には部屋も戸もなかったのに。
無数の手が背後から私の服を掴む。唐突なホラー展開に叫び出しそうになるがその口元も手に覆われた。

「大将は隠れるのが旨かったな」
「さっすが大将!」

この声は後藤と信濃か。
背中から倒れ込み、包丁に顔を覗き込まれる。私と目があった彼の瞳は濁っていた。私の口元を手で覆っていた厚も同様に目に光がない。平野も博多も毛利も私を取り囲むように立っていた。

グッと腹に重みを感じ身をよじると私の胴体に乱が跨っていた。彼もまたこの空間に飲まれている。じゃなきゃ遊びでも主の私にこんな事はしない。まぁ寝ぼけて髭切に馬乗りにされた事はあったが……

「まだいてくれて良かった!でもそうだよね、あるじさんはボクたちの事が一番好きなんだから他の奴らに着いてくわけないか!」

乱の言葉に同意する様に皆一同に頷く。
君らは人形かと言いたくなるくらいの異様な光景だ。

「神格の低いボクらだけじゃここまでできなかったけど、あの人が本当にいい働きをしてくれたから助かったよ。ここまで来れば簡単簡単!」

乱は歌う様にそう言って、周りの短刀達も笑顔を浮かべる。
乱が両手で私の頬を包み込んだ。

「ボク達と一緒に、みだれよっ」

一気に体が重くなり睡魔が襲う。短刀達の笑い声が子守歌の様に聞こえた私の脳は確実にこの空間に呑まれている証拠であった。

「鳴狐!ここから主殿の気配がします!」
「分かった。行くよ、鯰尾」
「任せて、鳴狐兄さん!」

ガタンッという音と同時に戸が開かれ、閃光弾のような眩しさに思わず目をつむった。
獣の唸り声と、バチバチと何かが弾けるような音が聞こえる。驚いて小さくなって丸まっていると顔に柔らかいものが当たった。五虎退の虎たちだ。

「なんで!?この部屋は僕達の神気で囲ってたのに!」
「私の神格は粟田口の中で最も高い。お前達に飲まれるわけがないでしょう」

一期一振が私を背後に隠し守るような体勢で毛利に言い放った。
そして一期たちと共に来たであろう秋田、五虎退、前田がさらに私達の前へと進み出た。

「秋田、五虎退、前田!何故いち兄と主さまの見方をするんですか?!」
「ぼくの以前の主君は幕府より蟄居ちっきょを命じられておられました。狭い室内で外界から隔離されたあの場所はとても寂しいところです。主君に同じ思いはさせたくないです!」
「ぼっ僕も、こんなところにあるじさまを閉じ込めておくのは間違っていると思います…!」
「僕は主君に末永くお仕えすることを誓いました。主君が望まぬことをするつもりはない!」

突入の勢いと共に部屋の奥まで進んだ鯰尾と鳴狐により、私を引きずり込んだ短刀達が囲まれている状態だ。
先ほどまで私の身体に跨っていた乱はわなわなと肩を震わせて濁った青い瞳を歪ませた。

「やだやだやだやだ!なんでいち兄も反対するの?!あるじさんとずっと一緒にいられるんだよ!いち兄もあるじさんの事、好きって言ったよね!?」
「えぇ、確かに私はそう言いました。しかしそれは主殿が“主殿”であってのこと。私に泣いて馬謖を斬るような真似をさせるな」
「もう一個さっきの使うよ!!兄さん達、後は頼んだよ!!」

鯰尾はそう言って懐から取り出した玉を床へと叩きつけた。先ほど同様の光に包まれ、未だに理解に追いついていない私が動けずにいるとふわりと身体が浮いた。

「主殿!舌を噛まぬよう気を付けてくだされ!」
「ちょっ、一期、待って!これはどうい゛っ……」

案の定、舌を噛み黙る。
部屋の奥の襖を蹴破り、鳴狐の先導と共に私は運ばれる。
一先ず一期達は私を助けてくれるとしても、このままでは粟田口内での決裂は必須。私がもっと上手く立ち回っていればこんなことにはならなかったかもしれない。

「今は自分の身の安全のみ考えてください。少しでも気を抜けば取り込まれてしまいますぞ。先ほどの効果もいつまで持つか分かりませぬから」

一期曰く、あの閃光弾のようなものは鯰尾と骨喰が一緒に刀装を改造して作ったらしい。ようやく馬糞で遊ばなくなったと思ったら裏でそんなことを…私も混ぜてほしかった。……ではなく、普段なら大目玉ものだが今回はそれに助けられたと言うのだから大目に見よう。

「主殿、弟たちの事は責任を持って私から注意致します。だからどうか、刀解処分だけはお許しを……」
「そんなこと絶対しないよ。約束する」

きっとこれは誰が悪いわけでもないんだ。ここにいるのはみんな私の刀剣。今は逃げているけれど、だからといって“敵”ではないのだ。
三人と一匹で廊下を進む。特にお供であるキツネは夜目が効くのか鳴狐とともに先導して案内してくれた。
しかし、しばらくすると鳴狐の様子がおかしい事に気付いたのかキツネが歩みを止め傍に駆け寄った。

「うっ…ごめん、もう限界かも……」
「鳴狐?大丈夫?」
「鳴狐に触らないでください!」

彼に手を伸ばそうとした時、お供のキツネに吠える様に叫ばれる。
一期は彼等と少し距離を取り、私を抱えなおした。

「ごめん、先に行って…あるじをお願い」
「分かりました」

鳴狐とキツネを残し一期と共に先を急ぐ。
別れ際にキツネからこの前の手紙のお礼と、事が済んだらブラッシングをして欲しいと言われた。当たり前のように戻った時の話をされたのが嬉しかった。

「この空間は徐々に崩壊へと進んでいます。このままでは彼岸とも此岸ともいえぬ空間に閉じ込められることになりましょう」
「早くここから出ないといけないってことだよね?」
「えぇ。ただ私もこれ以上お傍にいるのは危険でしょう。貴方は粟田口の神気に当てられすぎた」

一期は足を止める。一言断わりをいれ、私を床へと下ろす。
ここまでありがとうと言えば、彼はその場に静かに跪いた。

「私は以前、主殿にこの身が尽きるまで貴方の力になることを誓いました。そして貴方も最期の時まで私達の本丸を守ってくださると約束してくださった」

何時だったか、そのような約束をしたことは確かにあった。確か刀剣が増えてきて仕事に追われていた晩に一期とそのような会話をした。

「えぇ、覚えていますよ」
「神との約束は絶対ですぞ」
「もちろん。貴方達の本丸を私が守るの。最期の時まで」

一期は満足そうに微笑んで、私の手を取りその甲に優しくキスを落とした。
は…?え、ちょ、まさかこの年でこんな姫対応を受けるなんて。心臓がトゥンクトゥンクしてるわ。やめてくれ、今はそれどころではないんだ。これだからお前は女たらしだ色狂いだと言われるんだ。

むしゃくしゃしたので一期の頭に手刀をお見舞いし先を急いだ。





長い廊下を歩いていると、私が一人になるのを見計らっていたように目の前に影が落ちた。
叫ぶよりも早く近くにあった部屋へと逃げ込む。なんの確認もしなかったがここは鳴狐達の部屋らしい。とりあえず安全な刀剣の部屋でよかった。

「主っ!俺だ、開けてくれ!」
「獅子王でしょう?ごめん、開けられない!」

これが噂に聞く扉問答かと、恐怖に負けないよう声を張り上げる。窓も戸も閉められているこの部屋は密室、まだ審神者としての力が少なからずある今結界を張ることに成功できたのか獅子王は中まで入っては来られなかった。

「お願いだ、俺の話を聞いてくれ!」

獅子王は三日月と仲が良い。三日月たちに協力して私を隠すつもりならここで会うわけにはいかない。

「出てこないでいいから話を聞いてくれ。主が俺を警戒するのはわかる。だけど俺は主を元の本丸に帰したいと思ってる、だから助言をしに来た」
「助言…?」

戸に向かって耳を澄ます。でもいつでも逃げられるように態勢は整えた。

「三日月に一度会って欲しいんだ。確かにあいつは主を隠したいと思ってる…だけど、それは主と話がしたいだけなんだ」
「話なら本丸でもできるよ。何で私をここまで連れてくる必要があったの?」
「違う!それは他の奴らの欲が絡み合った結果だ。三日月の神格が一番高かったからそれに同調してこんな不安定な空間を作ったんだよ。それに本当に危険なのは——」
「………獅子王?」

声を掛けて様子を見るが返事がない。というか気配すら感じられなくなった。
おかしい。どうしたんだろう。釣り?私が心配して出てくるように誘ってる?包丁の時もそうだった。しかし、どちらにしろ出口は一カ所。ここを開けてみる他ない。

深呼吸をし、そっと戸を開ける。
相変わらずの薄暗い廊下であり、人の気配がない。獅子王の姿は見当たらず、いつも一緒にいる鵺もいない。彼等の事は気がかりであったが、今は我が身の保身に走らなければ全てが崩壊する。

後ろ髪を引かれながらも廊下を進むことにした。





廊下の壁に寄り掛かり息を整える。
これきっと全員にエンカウントしないと出られないやつだ、と薄々気付いていたことを頭の中で字面にしてみると泣きたくなった。もはや泣いたとしても誰も助けてはくれないだろう。そんなことは社畜時代からの常識だ。

「石切丸、いつまでそこに隠れているの?」
「おや?気付いていたのかい?」
「大太刀相手のかくれんぼには負けないよ」
「さすがは主だ」

若葉色の狩衣を揺らして私の目の前に現れる。亀足と言われ機動力が低いと言えども、さすがに今の私に刀剣男士を振り切って走れる体力は残っていない。
石切丸ならまだ話は出来るだろう。それに一番気になっていたことだってある。

「石切丸が私をあの部屋に運んだんだよね。何をしようとしたの?」
「君の身体に注がれた神気が十分ではなかったからね。しばらく寝かせておこうと思ったんだよ」
「私をここに連れてきたのは誰?」
「さぁ、それは私にも分からないな。みんな君の事を気に入ってたからね」
「……三日月じゃないの?」
「三日月さん?」

んん?話が噛み合ってなくないか?
私が意識を失う前に会ったのが三日月で、だからここは三日月の神域でそのまま隠そうとしているっていうのが私の考えであったのだが。

「石切丸達は三日月と一緒に私を自分たちの神域に閉じ込めようとした。だから岩融や今剣も一緒だったんでしょう?」
「落ち着いて主。少し整理しようか」

いつもの様に安心させるように笑った石切丸の顔を見て心を落ち着かせる。
その目は僅かに濁りかけてはいるが。

「確かにここは三日月さんの神域だよ。でも三日月さんの意思で作られたところではないんだ。私や岩融、今剣は主を争いのない世界に連れていきたかっただけだ。小狐丸さんは少し勘違いしていたようだけれど……」
「私も争いのない世界を望んでるよ。だからこそ平和な世界にするために戦ってるんじゃないの?」

歴史修正主義者が過去の歴史を歪め、未来に大きな争いを招く可能性だってある。本来、死ぬべきではない人間が死んでしまう未来だって創られるかもしれない。
そうさせないために私達は戦う。

「だからって君が頑張る必要はないよ。他の本丸の審神者に任せておけばいい」
「どうしてそんなことを言うの?私は戦うために貴方たちを顕現させた。石切丸は、主の意に背くような刀だった?」

ずるい質問なのは分かってる。薬研の時もそうだった。
こんな不安定な場所だけど、話が通じる刀に関してはまだ私は彼等の“主”だ。それを逆手にとって私は話をする。

「あるじさま!」

呼ばれて、振り返る。今剣と岩融がいた。
まずい…ここに来て囲まれた。石切丸は黙ったままだ。岩融は無言でこちらを見ているが特に私に何かをする気配はない。
とてとてと小さな足音を響かせて今剣が私の目の前に来る。手を伸ばせばすぐに届く距離だ。

「ぼくはもう、ひとのしにめに あいたくないのです」
「今剣……」
「ひとはすぐしにます。どんなに ぜんりょうなにんげんでも、どんなに つよくけだかいにんげんでも しんでしまうんです!ぼくは あるじさまに そんなめにあってほしくないんです!」

貴方達の前の主は———でもそれは私が教えるのではなくて、彼等が自分で知るべき事実である。でも、今剣がその歴史を真としているのなら私はその上で納得させないと。

私はひざを折り、今剣に視線を合わせる。その体勢を取ったことにより今剣が私との距離を詰めた。私に触れる一歩手前で右手を前に出し彼の動きを制す。

「あるじさま…?」
「今剣、確かに貴方の前の主は亡くなっているね。でも、その人の人生は恥じるような人生だったの?」
「そ、れは……でもっさいごは、じがいしました…」
「うん…そうだよね。じゃあ今剣はその人のことが嫌い?」
「きらいじゃないです!いまも、むかしも、だいすきな おかたです!もちろん あるじさまのことも!」
「私も今剣のことが大好きだよ。今剣の主であることが私の誇り。例え短い人生であっても貴方が私の守り刀であったことは変わらない。私が審神者でいる限り、ずっと傍に居て欲しい。貴方は私の自慢の守り刀なんだから」
「うぅ…ひっく……」

酷な事を言っている自覚はある。
彼等は“モノ”と呼ぶには感情豊かで、でも情を添えてやれるほど“人間”に近い存在ではない。その線引きを間違えてはいけない。
岩融と石切丸を交互に見る。今剣との会話で彼等も思うところがあったのだろう。二人とも顔を伏せていた。

「岩融も石切丸も、納得してくれますね?」
「あぁ。この度の無礼、すまなかった」
「私もだ。主すまなかった」

最後に今剣の頭を撫でてやると、真っ赤な瞳に涙を浮かべて、それでも安心したように笑ってくれた。
この調子ならきっと上手くいくはず。三日月への誤解も解けたしこれで無事に帰れるはずだ。

先を急ごうと立ち上がろうとした瞬間、目の前の空間に亀裂が入りそのまま尻もちをついてしまった。何もない空間にスリットが現れ、ぬっと人の足が出てきた瞬間腰が抜けた。

「大丈夫か!?主?」
「おや?これは丁度いい時に来れたみたいだね」

私にとってはバッドタイミングだよ——膝丸、髭切。
抜けた腰では後ずさりすることも出来ず、簡単に膝丸に腕を掴まれ抱え上げられた。

「おい!主をどうするつもりだ?」
「それはこちらの台詞だが?」
「僕達は急ぐから。それじゃあまたね」





これが所謂、真打登場ってやつか?笑えないんだが。

「主、大丈夫か?」
「まぁ、とりあえずは……」

よく分からん空間を一瞬経由して一つの部屋へとたどり着く。
壁四面、全てが障子なのだが一向に外からの気配がないのはどういうことなのだろうか。まだ彼等の神域ではないと祈りたい。
ようやく畳の上に下ろされるも腰がまだ痛く動けない。

「お疲れ様。危ないところだったね」
「獅子王を追い払った後すぐに助け出すつもりだったんだが…遅れてすまなかった」

ふざけるな、こちとら石切丸達と和解できてたんだよ。しかも獅子王は無実の罪で追い払われていたという二次被害。せっかく忠告までしてくれたのに、ごめんね獅子王と鵺。

「それは大丈夫。では、私はこれで」
「まぁまぁ落ち着きなよ主。いきなり取って食ったりしないって」

髭切の有無を言わせぬ笑顔により脱出経路が絶たれる。そもそもまだあまり動けないのでそうなることは分かっていたが…。そういえばこの前の出陣で君たちは特が付いたね。それも二度目の。今となってはその強さが仇となった気がしてならない。

未だに二人の事は信用できないが、座り方が[[rb: 跪座 > きざ]]なことから、まだ私への忠誠心はあるらしい。渋々私も正座で座り直し彼等に対し顔を上げた。
ひとつ、膝丸が咳ばらいをし顔を上げる。

「頼みがある。主、俺達に真名を教えてもらえないか?」

はい、来ました。もはやn番煎じネタです。
結局他の皆と同じじゃないかと露骨に顔をしかめてしまった。

「違う!誤解しないでくれ!主は我ら兄弟に今代の名をくれたであろう?だから俺も一度、主の事を名前で呼んでみたいのだ」
「それはさすがに無理だよ…」

確かに私は髭切と膝丸に別の名前を与えた。誉を十個貯めた褒美としてのそれであったが、二人はその名を気に入ってくれている。
膝丸の気持ちは分からなくもない。が、今教えれば彼の神域にまっしぐらである。
無理だ無理だと首を振る私に髭切が小さく手を上げた。

「少しいいかい。もし主が無事に元の本丸へ戻れたら僕たちはここでの事は忘れてしまうんだ」
「えっ!?そうなの?」

それは初耳である。というかここに来て新しい情報が多すぎる。鶴丸はこのことを知っていたのであろうか。

「うん。だからね、今だけでいいんだ。僕達に君の名を呼ばせてほしい」
「もちろん神域に連れていったりなどしない。源氏の重宝、髭切、膝丸の名において誓う。だから、頼む」

深く頭を下げた二人を見て息が詰まる。どうしよう…
二人は、少なくとも私の目から見て正気だ。髭切の話は本当かどうか分からないが、膝丸の言葉に嘘はないだろう。それでも———

「それは、できない。…ごめんなさい」

もしこれが二人でなく山姥切であったなら私は真名を教えたのだろうか。
私が間違ったことをした場合に備えて山姥切には私の真名を教えている。
……その答えは正直分からない。でも、私はもう他の誰かに真名を教えるつもりはない。

「真名は教えてあげられない」
「主っ!俺達の事が信用できないのか?一度だけ、一度だけでいいんだっ…どうか真名を呼ばせてくれ!」
「ごめん…」
「そんな、何で俺が…どれだけ主の事をっ」
「膝丸、もうやめよう」

私はその時、初めて髭切が弟の名を間違えずに呼んだのを聞いた。
彼の声は特別大きいものではなかったけれど確かにこの場に響いたのだ。

「兄者?何故…?」
「僕、初めに言ったよね。主の嫌がることは絶対にしないって。膝丸は僕との約束を破るつもり?」
「そんなことはっ!………すまない兄者…主も、すまない」

その様子を見て二人の関係性が“兄弟”という言葉以上のものなのだと感じた。
“二振一具”とは確かによく言ったものだ。

「ごめんね主。嫌な思いをさせて」

さぁもう行くんだ、という言葉と共に部屋から押し出される。
その頃には腰の痛みもなくなって普通に立てるようになっていた。

後ろを振り返ると、私が出てきた戸はなくなっていて、ただの壁になっていた。





どこからか風が吹き抜ける気配がする。
この締め切られた空間で風を感じられるという事は縁側が近い証拠である。
それを励みに私は再び廊下を歩きだす。———が目の前に現れた小さな影を見て足を止めた。

「ねぇ本当に帰っちゃうの?」
「蛍、もうやめろよ…」
「蛍丸、愛染…」

うわぁここに来て来派かぁぁぁ。もはやツッコミ疲れの説明疲れで頭が真っ白だ。しかもよりにもよって保護者の明石はいない。いや、この場合はいない方がいいのか?もう考えることをやめたい。

「帰るよ。でも私の帰る場所には蛍丸達もいるんだよ。あそこは私の本丸で貴方達は私の刀なんだから」
「………」
「もうわかっただろ?主さんはオレ達のところには来ないんだよ」
「………」
「蛍丸、愛染、分かってくれる?」
「うぅ……」
「主さんごめんな。蛍も頭では分かってるはずなんだけど…」

愛染は正気で蛍丸が不安定になっていることは明確。今なら二人をスルーして先に進める。正直この先にラスボス()との戦闘が控えていると考えると気力体力共に温存しておきたい。でも一人一人と向き合わなければ意味がない。
どんな言葉を掛ければ納得してもらえるのだろうか。

「おーおー主はん、まだ人間でしたかぁ。いやぁもう誰かんとこに連れて行かれた思うてましたわ」

煙の様に現れた明石はいつも通りゆったりとした口調で話しながら私に手を振った。
驚きつつも彼が来てくれてほっとしてしまった。明石は、正気だ。

「めでたくまだ人間だよ」
「ほんなら良かったわ」
「ねぇ、国行いいでしょ?主を連れて行こうよ」

蛍丸は明石の足にしがみ付いた。
愛染は私にだけ見えるように「早くいって」と口を動かして伝えてくれた。でも私にだって主としての責任とプライドだってある。
二人を静かに見守っていると、明石が蛍丸の視線まで屈んだ。

「主はんは連れて行きまへんよ」
「なんで!?」
「だぁってあの人をうちら神域まで連れて行ったら絶対こき使いますやん。うちはそんなのごめんやで」
「そんなの審神者の仕事がなくなれば…!」
「蛍、やめや」
「うっ……」

明石の言葉が本音なのか建前なのか…おそらくどっちもなのだろうけれど、はっきりと彼は「絶対に連れて行かない」とまで言ってくれた。

「主はん、早よう行きや」
「また本丸でね。ありがとう」
「帰ったら内番免除お願いしますー」
「三日間くらいなら検討しとく!」

風の音がする。
暗かった廊下も僅かに白みを帯びている気がする。
あと、少しだ。





ここにはどれくらいの時間いるのだろう。
こちらに来たのが夜だとすると、もう明け方であってもおかしくはない気がする。

気力を振り絞りながら歩いていると後ろから気配を感じた。
しかし、振り返るより早く背中に痛みが走った。

「さっすが主!無事でよかったぜ!」
「ちょ、和泉守、痛い痛い」

バシバシと私の背中を叩く彼に一瞬殺意を覚えた。
大声で話す和泉守を宥める。彼ががっしりと私の肩に腕を回しているので顔が見えないのだが、彼は正気なのだろうか。幕末刀は私を手助けしてくれると聞いているが少し不安である。それと堀川の姿が見えないのが気になる。二人はいつも一緒にいるのに。

「ねぇ、堀川はどこに…」
「よし!じゃあ行くか主!」
「はぁ!?」

よっこらせ、と形ばかりの声を掛け私を軽々横抱きにした。え、和泉守ってこんな性格だっけ?運んでくれるにしてもこんな紳士的に運ぶタイプではないぞ。
目が合えばものすごいイケメンスマイルを頂いた。でもその瞳を覗いてみると濁っている。マジか、和泉守もここの空間に呑まれているなんて…。しかし彼は幕末の刀だし他の刀剣と比べると大分若い。それが原因なのかもしれない。

「和泉守!下ろして!」
「もうすぐだからな主!……うぉっ」
「ごめんね兼さん!」

体勢が崩れ、床へと転がり落ちる。今日何度目かのこの現象もすっかり慣れ、無事受け身を取ることができた。
顔を上げる前にすぐに腕を掴まれ強制的に立ち上がった。小柄な彼にしっかりと腕を引かれ廊下を突き進んでいく。

「主さん大丈夫?兼さんがごめんね」
「私は大丈夫!堀川はその…」
「僕は正気だから安心して。まぁ兄弟に言われてこの事態に備えてたからなんだけどね」
「山姥切のこと!?」

ひとつ角を曲がってすぐ近くの部屋に無理やり押し込められる。堀川は口元に人差し指を立てて「静かに」と私に伝えた。
廊下を駆ける足音が通り過ぎていく。和泉守をなんとかやり過ごすと再び堀川が口を開いた。

「主さんよく聞いて。ここからは特に慎重に、そして急いで元の本丸に帰って。そうじゃないとここに閉じ込められたままになっちゃう」
「時間がないってこと?」
「うん。もうすぐ朝陽が昇る時間。完全に姿を現した太陽の光を浴びればもうこの世界の住人とみなされるんだ」
「でもここって神域でもなんでもないところなんでしょ?つまり閉じ込められると言う事は…」
「出れない、死ねない、還れないの三重苦のなか永遠に魂が閉じ込められるってこと。僕たちはまだ神様の端くれだからどうとでもなるけど人間の主さんは一生ここから出れなくなる」

恐怖で冷たくなった手をぎゅっと握った。堀川の言う事が現実味を帯び始めている。薬研はこうならないためにも、私を神域に連れて行くと言ってくれたのか。

「そんなの絶対嫌。私は帰る」
「さすがは主殿!その不屈の精神!鍛錬の成果が出ていますな!」

カカカカッと豪快に笑いながら山伏は私達が入ってきた戸から姿を現した。
和泉守に見つかる、と慌てたがどうやら山伏が追ってこないように色々と動いてくれたらしい。

「こちらの準備も整いましたぞ。それと非常時に備えてこれをお持ちくだされ」

握りつぶさないように気を付けて持って来てくれたのであろう。そっと手渡されたものは竜胆の花であった。綺麗な青紫色はこの薄暗い場所でも鮮やかに見えた。

この本丸で竜胆が咲いている場所は一カ所しかない。その意味まで理解し、私は丁寧に受け取って潰さないように懐にしまった。

「ありがとう」
「それは青江殿から託されたもの。主殿、しっかりな」
「さぁもう行って。ちゃんと主さんが帰らなかったら僕まで兄弟に怒られちゃう」

二人に笑顔で送り出される。
まるで万屋にでも送り出すような、柔らかい雰囲気で。

大丈夫。
ちゃんと私は帰るからね、山姥切。